妊娠26週!オラオラオラ
子宮が増大しているからか、内臓が子宮に圧迫されて息苦しいぜ。赤子は早くこんな狭いところから出ればいいんだ。私が息苦しいのに、赤子は四肢で私を内側からボコボコしてきて、むかつくかと思いきや赤子が元気に動いてて安心するんだよね。よく四肢を動かして偉い。
人間は脳を発達させることにベットしたから、頭が大きくなって、出産の時股が破れる様になってしまったらしい。おかしいよ。
このままいくと「絶対に」出産イベントが起きるのが恐ろしい。
妊娠してから、男性嫌悪がすごい。私は妊娠前は男が好きで、どんな職場にもだいたい男がいるから、私はどこで働いてもどこに行ってもだいたい幸せだ!✨️と思っていたのに、今は夫以外の男性と話すのも目を合わせるのも姿を見られることさえが気持ち悪いので、できるならずっと家の中にいたい。
人間的な、男性性の限りなく少ない、性欲がすごく少ない人に対しては、気持ち悪さを感じない。
胸とお腹が大きくなったという体型の変化も、私を落ち込ませる。私は小さい胸は駆動性が良くて災害時もかさばらないし、満足していた。それでも意思に関わらず巨大化していって、気持ち悪い。例えば急に自分の鼻が肥大化していったら、嫌じゃないですか?いくら大きい鼻が好きな人もいるといえ、自分がどう思うかは別。
家族に関しても、考えが変わってきている。夫や私の味方がいるのはきっといいことだと思って結婚の挨拶をしたけど、私は誰が家族なのかを自分で決められるし決めたいと思った。日本の法律上、切れない縁の部分では儀礼的に演技をする。
家族の人間関係で起きたことは、過去のことであるし、だれでも未熟な時代や部分があるし、年齢の関係もあるけれど、私は人に『そんなことにこだわって相手が死んだら後悔するよ』と脅されても、自分を言いくるめて、誰かを家族の枠に入れることはできない。しなくていいと、思った。
それぞれがそれぞれの場所で幸せになろうとすればいいと思う。
私が「なんか違う なんか嫌だ」と思わないことが大切だ。子どものために我慢しなきゃいけないとは思わない。子どものために我慢して何かしても、何を教えられるのかどんなメリットがあるのは分からないし、子どもが学ぶのは「人のために違和感を抑えて我慢しなければいけない」ということだと私は思う。私がちっとも、不必要なつらい思いをしないということが大切。
私は夫婦というものが、別れられる家族である点が、大好きだ。私も相手も醜くなった時に別れられる。そうなりたくないなら、大事にしなければいけない。このことが本当に、うれしくて、安心できる。
これまでの男好きだった私が、「これも優しさの一種」だと思ってきた自分の言動が、実は自分が得をするための、キープにしたいがためのものだったことに今やっと気付いて、そういう自分がすごく気持ち悪くて、無かったことにしたいけれど、その時の自分はそうであるしかなかったので、と思う。
だから子どものそういう時期や、人のそういう時期をこれからも否定したくないと思う。
有名人が不倫したら一般人に叩かれる現象に対して「人ごとなのに」と思ってたけど、今はそういうことが起きることがある、と想像するだけでつらい。子が生まれる、子を育てる私と、私が好きな夫と、この家が大事で、今の状態のような安心できる場所にしていたくて、でもそれは綱渡りのように細かい気配りや調整の上で成り立っている儚いものであるから、その儚いもののバランスを崩す辛いことや汚いことは何にも入ってきて欲しくない。例えばそれが私自身の恋心でも、この家を壊す可能性のあるものは入れたくないと、思うようになった。
「大豆田とわ子と三人の元夫」のネタバレをするけど、EDで「私が自分で決めた幸せの姿」と松たか子(とわ子)が歌う。ここでいう幸せの姿で私が思い浮かべるのは、とわ子が一人目の夫と離婚したことだ。とわ子は一人目の夫が、他に好きな人がいるまま自分と結婚したことに気付いてしまったので、離婚した。とわ子はこのことについて後に、その一人目の夫に「あなたから娘を奪って、娘からあなたを奪ってる」と言う。その罪を持っても、とわ子は、夫が自分ではない人を好きなことが許せなくて、自分のために離婚をした。
「私が自分で決めた幸せの姿」ととわ子に言われると、私は大豆田とわ子がそうならそれでいいと、思う。自分で決めたからこそ、これからも娘を腹くくって育てていけると思う。一人目の夫が自分を一番に好きになるまで、結婚したまま何年か待つことでたどり着く幸せの姿もあったはずだけれど、とわ子が選んだのは離婚だった。それは、すごくOKなんだ!!!!!!!
この選択をしたとわ子がいるので、私は勇気がもらえる。
ラブソングの「あなたと会って世界が違って見えた」という歌詞、「あなた」とは異性ではなくて子どもであった。
いい男・いい女というのは、背筋が伸びて肩の力が抜けていて、自分の見え方よりも人が恥をかかないよう気を回せる人間だと、思うようになった。
狩野英孝なんか自分を笑いものにして人を笑わせる、かっこいい男だ。なかやまきんに君もそう。ヤー パワーで人を笑わせる。
例えばパチンコに散財する人に「パチンカス、役に立たない」と言っても効率が悪い。パチンコの話題には一切触れないで、たまに家にいてくれるとき「あなたがいたらうれしい」と言ったり、するのが良いんだ!けなして喧嘩するというコミュニケーションも、特別な人間関係ならではであるけれど、精神も体力も消耗する。
なぜこんな話をするのかというと、私は自分の選んだ人落とすことを言う行為を美しくないと思うので、自戒のためだから!!!
私は美しく、おもしれえ母になりたい。
子どもとカフェで話したい。
親族に好きな男がいない。私の世話をしてくれたのは女で、女は労働と家事と子どもの世話、すべてしていた。男は労働しかしていなかったので、女の方が優れていて男は家事をする能力がないんだと、思っていた。だから大変な方の女を手伝いたくて、家事のやり方を教わって一緒にやるなどしていた。
このことが、今の男性嫌悪と関係しているのかもしれない。
時代は言い訳だ。他人の距離で「そういう時代だから、そういう親を見てきたから仕方ないですね」と言ってもらって間に受けて家事しない男が完成しているだけで、人はいつからでも変われる。マジで。周りの人の態度も凄く大事だけどね。今から変わっても遅いとか、私はもっとやってるとか、そんなやり方では駄目とか思うし言いたくなるんだろうけど、その態度も家事しない男を作ってきたんだと思う。
今わたしは女性ホルモンをビッチャビチャに浴びて男性嫌悪を経て出産して育児が始まっていくわけだけれど、男性はこのホルモンの変化が無いわけで、そうすると一体どうやって未婚/既婚、産前/産後切り替わるんだ?いや切り替わらない んじゃないかと思う。性欲の強い男性は、産後妻とのレスが、さぞ辛いんだろうと思う。女の体がめちゃくちゃ変わるように、男の体はめちゃくちゃそのままだから、どっちもつらいはずだ。私にも誰にもそんなつらいことは起きてはいけない。(;_;)
産前産後の恨みは一生っていうし、本当に一生なんだろうなって予感があるから、恨まなくていいようになんかなんかしら対策をしたいんだけど、いいやり方が分からないので何となくで過ごしている。
人の体調不良ってわからないじゃないですか。私にはわからないんです、しばらく風邪も引かない時期が続くと、熱ってどんな感じ?どうつらいの?だるいってどんな感じだっけ?しんどいじゃなくて胃が中から刺されてるみたいとか言ってくれないとわからないよと思っていたから、男性は特に生理もないから体調の変化が少なくて、そのせいで人の体調の変化のこともよくわからないんじゃないかと思う。
自分が体調悪いときに、取るべき態度が分かってない。体調悪いときに取るべき態度の本とか読んだことないしな。
なんか、怒ってる方が自然で、〇〇してほしいありがとうとか素直に甘えるのはめちゃくちゃ、ウッて恥ずかしいなって思う。すごく恥ずかしい。お腹痛い時お腹さすってほしいって思ってもお腹さすってほしいって言うのってすごく恥ずかしいので、言われなくても私の痛いところを察してさすりなさいよ!もう知らない!と怒ってる。
後から冷静になって考えたら、そうなってることがある。怒りながら、私今甘えるのが恥ずかしいから怒ってるんだなと気付いても恥ずかしいからそのまま怒っていることもある。
私の育った家では、怒りでコミュニケーションをとっていたからだと思う。でも私は今からでも、お腹さすってって言えるようになるし。私は生まれから自由である!
もし不倫されたとしたら、相手の女性に慰謝料を払わせていいと思う位の好き度合いなんだと思うことにしてる、本当に好きなら行為の前に私と離婚の話をして離婚するわけだから、私が好きな男はそういう手順を踏むはずなので、知らぬ間に不倫されて傷つくことは私の人生には起こらない!
と思うことで自分を落ち着かせている。
妊娠してから、人の脅しがより効かなくなったと思う。『親族と連絡をとりなさい』とか『地元を離れて親不孝者』とかに対して、『私はこの鳥籠(巣)(家庭)の中のものが何よりも大切』と思うんだ。心のなかで、何か言ってくる人に反論する形ではなく、私はそう感じて、私が同意する。もはや何か言ってくる人に話もしない。
私は夫が大好きであり、夫の目を見て何のやましさもなく笑えなきゃいけなく、夫の前で心から笑えないなんて嫌なので浮気なんかできないんや。今が幸せで、この幸せを誰にも壊してほしくないんや。夫も私の前で何のやましさもなく曇りなく笑えなきゃいけないんや。これが壊れるのが嫌なんや。
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