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自分の写真感とライブフォト
はじめに
最近地下アイドルのライブフォト撮影を始めて、気付いたことだったり悩んだりしていることを記録として残すための自分のための記事です。
小学生のころサッカークラブで書かされたサッカーノート的な。
デジタル一眼カメラとの出会い
地方の映像の制作会社で働いていて、ディレクター業務がメインだったのに業務の内製化を進めるという名目でカメラマンもやらされるようになったのがカメラに触れるきっかけだった。
カメラはもとい撮影という行為全般において無知だったのでインターネットで記事を漁ったりYouTubeで情報を集めて、、、などとやってるうちにどんどん”画”に対する興味が湧いてきて、会社で所有してたいわゆるディレクターカメラ(デジ)では満足できる画が取れなかったので会社でミラーレス一眼を買ってもらった。
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source: Panasonic
やっぱり報道的な画を撮影するにはこういったデジは最適だけど(センサーが小さくてピントが外れにくいから)もっと劇的な映画のような画が撮りたかったのでミラーレスカメラは必要だった(センサーが大きくて色の範囲も大きいしボケ感も出るし)。
それからというものすべての映像をこのカメラで撮ったしなんなら勝手に持ち出してプライベートでも映像を撮って作ったりもしてた。
昼は映像を制作、夜はインターネットを漁って映像の勉強とそんな生活をずっと送ってレンズなんかも自分で買ったりもしてもう画作りに夢中だった。
この創作意欲が爆発していた時期に出会ったのが、自分の写真感のもとになった一つのYouTubeCHだった。
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source:SONY
写真家・鈴木心
正直当時どんな動画をみて勉強していたのか覚えてないけど、鈴木心の動画を初めて見たときは衝撃だった。
鈴木さんはこれまで大手の企業の広告写真を撮ってきた大ベテランの写真家で現在は写真館を経営しながら、写真のたのしさを広めるために培った知識や技術を写真教室だったりYouTubeで公開するなどの活動をしている。
それまで自分はいかに綺麗に撮るかしか考えてなかったけど、彼の動画を見てからは「何を撮るか」を意識するようになった。
まず驚きだったのは彼の使用するカメラだった。
彼のカメラはSONY α7sというSONYが初めて出したミラーレス一眼カメラなんだけど発売されたのがかなり前(6.7年前くらい?)でそのあとにもたくさんもっと高画素だったり高性能のカメラが出ているのにそのカメラを使い続けていた。
当時の自分は「機材は性能が一番良いものを使いたい!古いカメラなんていやだ!」と思っていたので、そんな大ベテランが古いカメラを使っているのが意外だった。
(年数的にはそんなに昔じゃないのにその後出た機種が多すぎて、その初代ともなるとはるか昔に感じていた)
彼は「この世界最小のミラーレスカメラには技術者たちの熱意がこもっている。美しいフォルム。高感度耐性もあるしこれで撮れないものある?」といって性能よりも”このカメラが好きだから”という理由でそのカメラを使っていた。
さらに印象に残ってるのが「カメラに詳しいのはカメラ屋だけで十分なんだよね。俺たち写真家は写真を撮らないと」という言葉で、毎日いろんなカメラの比較動画をみて性能ばかり気にしていた自分にはこれまた衝撃だった。
カメラに対する考えが180°違うだけじゃなくて写真(映像)に対する考え方も全然違った。
自分はいかに綺麗に撮るかしか考えてなかったけど、彼は「写真はスポーツだ!」と言って”写真を撮る”という体験そのものを大切にしていた。
良い写真
”いい写真”とは何か?
それまでの自分の答えは「綺麗な写真 なんか感動する写真」とかそんなもんだったし、そもそもそんなに深く考えたことはなかった。
鈴木心は写真を、一枚の画像ではなくて体験で考えていた。
写真を見たとき、たとえば昨日食べたラーメンの写真なら「美味しかったな~」とか、学生時代に撮った友達との写真なら「こんなやついたな、面白かったな~」とか、旅行に行った時の写真なら「こんなところ行ったね、楽しかったね~」とか、写真には必ず”体験”が付いている。
彼はその”体験”を大事にしていた。
こればっかりは本人の撮影の現場の様子が動画で上がっているので見てもらわないと伝わらないんだけど、彼の撮影はよくある「はいチーズ」で終わるようなものではなくて、モデルと対話しながらモデルの素の表情を引き出すという方法だった。
「笑って~」と言われて作った笑顔は口角がちょっと上がったもので写真用というか、不自然なものが多い。
対して彼は会話しながらモデルを笑わせたりうまく乗せていろんな動きをさせることで本当の表情を引き出すので、口角が上がるだけじゃなくて口が開いたり目が細くなったりと自然な表情になる。
さらにはこうした体験は楽しかった記憶としてその写真に付随する”体験”になる。
彼の考える”いい写真”はそういう、見たときに笑いながら楽しかったよねとか話せる写真のことを指すとのことだった。
これらすべてが自分の写真に対する考え方、写真感のもととなった。
あともう一切映像のことが出てきてないけど、途中から完全に写真の虜になってしまったので全く別の仕事に転職して映像制作のことは一切考えなくなった。
写真感
まずは機材。
写真家と機材ってギターとアンプみたいな関係で、いい写真家がいい機材を使えば綺麗な写真が撮れるのはもちろんだけど、しょぼいやつがいい機材を使ってもしょぼい写真しか撮れないんだよね。
逆にしょぼい機材でもいい写真家が使うととても綺麗な写真が撮れる。
自分の場合はしょぼいやつなのでしょぼいカメラを使うとしょぼい写真しか撮れないと思っていいカメラを使うことにした。
最低限欲しい性能と手の届く範囲の上限を決めて何個か候補を決めてカメラ屋で手に取って一番しっくりきたものを選んだ。
やっぱり持った時の質感とか見た目とかシャッターの音とか反動とかって実際に触らないとわからないから大事だった。
こうしてα7RⅢというカメラに出会った。
そして”いい写真”について。
鈴木心のいい写真は、撮ってもらった人が嬉しくなる”体験”の写真だった。
そこから自分の中に芽生えた”いい写真”は「生きている写真」だった。
彼の写真はモデルの素の表情を引き出すものだから「笑っている動作=動いているもの」を切り取る写真だと解釈した。
動いているもの、たとえば水滴が水面に落ちる瞬間の写真ならその前後で水滴が落ちてきて着水し波紋が生まれるところまで想像できるというように、彼の写真も笑っている動作の切り取りだからその人が写真の中で笑っている姿を想像できる。
写真の中の人が動いて、生きている様子が想像できるからこそ、その撮影したときの”体験”が思い出されるんだろうなと。
だから自分の中の”いい写真”は”生きている写真”になった。
彼との違いは”いい”と思うのがモデルか自分かの違いだと思う。
彼は写真館という形態を通してその”体験”をお客さんに提供しているけど、自分は自分が”いい”と思う写真が撮れれば満足だから目標としているところが違う。
でもまああわよくばその写真を見た誰かが写真の中の様子を想像して少しでも心が動かされればいいなとは思っている。
また鈴木さんが話していて感銘を受けたけどこれについて彼がどう思ってるのかよく覚えてないのが「ボケ・ブレ・ノイズ」についてで、彼はこれを是にする写真がいますよ~~みたいなこと言ってて当然当時ピントばっちりで水平垂直が撮れていてノイズがない画こそ完璧だと思っていた自分には衝撃だったし、今ではこの3点こそが”生きている”表現において必要な要素だと思っています。
つづく→「最近撮ってるライブフォトについて」