見出し画像

部屋の中で聞く雨の音

私の好きなモノ②

----------------------------------------------------------------------------------

ポタポタ
ザー
さー・・・
トントントントン
部屋の中で聞く雨の音が好きだ。

今日もさっきから雨が降り始めた。
ぽた、トントン、カン、トゥタトゥタ・・・ボタッ、とん・・・
今座っている場所の周りには色んな素材のものがあるみたいで音も多種多様だ。

子どもの頃から雨は好きだった。
「いいお天気」と人が言う時、どうして晴れのことなのだろう、
雨だって上手に歌うのにいいお天気ではないのかしら、と思っていた。

思春期の頃、雨の日の授業は教師の声が鬱陶しかった。
折角雨が上手に歌っているのに
どうして美しくもないおじさんの声を聞いていなければならないのか、と思った。

注ぎ続ける小さな粒のかそけき音も、
風に煽られて窓に叩きつけられる不本意そうな音も、
あるがままを受け入れているようなありとあらゆる場所に落ちる音も、
私の心のざわざわを落ち着かせてくれる。

私って晴れ女なのかもしれない。
と思ったのは20代半ばのことだった。

ルームシェアをしていた友人(通称・相方)が雨女だった。
相方が出掛けてすぐ雨が降り出す。
相方の楽しみにしていた予定の日は
週間天気予報をどんどんズレ込ませて雨が降る。
相方の誕生日は台風が来る。

対して私は
降水確率高い日に家に帰って2分で大雨になる。
電車に乗っている間は降っているのに目的地に着いたら止んでいる。
中止になればいいのに・・・と思っていた仕事が大雨で中止になる。

もちろん、完全に雨を避けて生活できているわけではないけれど
「折り畳み傘があった方がいいかなー」
と思うようなシーンで傘が活躍することはあまりない。

相方は
「雨は世界に必要なのはもちろん分かっているけれど
 濡れるのは不快なので「いい天気」とは思えない」
と言った。

なるほど、私はあまり濡れることがないから雨音を楽しめるのかも知れない。
傘に落ちる雨粒の音も愛でていたけれど
風の強い日ならそれを楽しむことも出来ないだろう。
私は安全圏から雨を楽しんでいたのだ。

30代になって私は山登りを始めた。
いつまでたっても初心者の域を抜けない程度の技術だけれど
少しずつ行ける範囲を広げて今はテント泊もする。

仕事をしている人間なら大抵の場合そうであろうと思うけれど
連休を取る場合、直前で天気が悪くなったからと休日を動かすことはできない。
加えて山の天気は変わりやすく、平地よりずっと雨が降りやすい。

ある日のテント泊の時
「さて、寝よう」と思い横になると雨が降り始めた。
天気予報では降る予定ではなかったけれど、山ではよくある話だし
何よりもう食事も済ませて眠るだけのタイミングだった。
ラッキーだなと思った。
雨音を聞きながら眠れるとも思った。

街の明かりがある自宅では全部の電気を消しても
少しばかりの明かりがあるものだけれど
雲が空を覆う天気の山では本当に光がない。

実際は耳からテントの屋根まで数十センチの距離があるはずなのに
暗闇の中で目を閉じると
雨音はまるで耳の1cm先に薄いテントの幕があるかのように
ぐっと近く、ぐっと大きく聞こえる。

山用のテントは軽量化されているので薄く、軽い。
風に煽られるとそれがさほど強くなくても揺れる。

怖い。
と思った。

テントを張った場所は決して悪い場所ではない。
煽られるほど強い風でもない。
雨は強くない。

でも、怖い、と思った。
それは生き物としての本能のような怖さだった。

雨音を心地よく耳に響かせ、好きだと言えるのは
私が家の中にいて、命の危険がないからだ。
と、改めて知った。

今も私は雨音が好きだ。

今日だって降り続ける雨の音にうっとりしながらこの文章を打っている。
今日も雨は上手に歌う。

けれど10代の頃と違って
屋根のない場所で傘もなく途方に暮れる者がいるということも今の私は知っている。
雨音を心地よく受け入れることができるのは、私が恵まれた場所で生きているからだということも。
誰もが、安心できる場所でこの雨音に耳を澄ませるとができればいいのにと願う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?