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よあけ

note最初のあぶくは自己紹介も兼ねて「私の好きなモノ」をいくつか連載してみます。

本日は最初の1篇「よあけ」です。

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同級生たちが「徹夜で○○した」と言い始めたのはいつの頃だっただろう。
早い子は小学校高学年くらいから
中学生に上がってからはまた少し増えたような気がしていた。

○○に入るのは大抵の場合勉強、時折漫画を読んでいたりゲームだったりすることもあった。

私は同級生の「昨日徹夜で○○してさ~」に密かな憧れを持っていた。

当時の私は夜眠ったら自動的に朝になっている・・・というようなきちんとした眠りの持ち主で
(それは眠りの浅くなった大人の私から考えれば羨ましいばかりなのだけれど)
そのワープしたような時間の断絶は夜を「無いもの」そして「永遠」のように感じさせていた。

徹夜すればその「永遠」を知ることができるかもしれない!
夜が「ある」ということを知ることができるかもしれない!
そう思った私は中学2年生の冬、徹夜を決行しよう!と決めた。

テスト期間中なら「勉強のため」という大義名分もできる。
大義名分が必要だったのは、なんとなく徹夜は「悪いこと」のような気がしていたからだ。
だって子どもの頃からずっと「早く寝なさい」と言われて育つのだ。
夜通し起きているなんてきっと悪いことに違いない・・・と感じていたのだろう。

数日前から家族にも「この日は徹夜するから」と高らかに宣言し、
当日はやるべき課題(苦手な数学の問題集)とココア(コーヒーはまだ美味しいと思えなかった)を用意し
石油ファンヒーターには夜の間に灯油が切れないように満タンに入れた。
なんとも整備された徹夜である。
仕事が終わらなくて仕方なく・・・とか
本に夢中になっていて気付いたら朝だった・・・というような徹夜とは一線を隔している。

果たしてそんなにきちんと取り組んだ徹夜で得た感想は
「時間は等しく1秒は1秒だった」というものだった。

それまで深夜ラジオは聞いても午前3時には確実に眠っていた(何ならラジオの途中で寝落ちしていた)私にとって
目を閉じて開けたら朝!という感覚は夜を永遠のように感じさせていた。
知らないからこそ、ぐっと壮大なものだと思っていたのだろう。

でもずっと起きていたら分かる。
1秒は昼間と同じように1秒なのだ。
永遠のように感じる夜だからといって5分の間に解ける問題の数は変わらないし、
分からないことを調べる速度が上がるわけでもないし、深く理解できるわけでもない。
しかも、夜は永遠ではなくきちんと朝は来る。
私の知っている「時間」と同じ「時間」だった。

なんだ、大したことないな。
だったらやりたいことは昼にやったっていいじゃないか、と思った。

永遠のように感じる夜に何かをすれば特別な「何か」
(例えばものすごく勉強が捗ったり、本を読めば昼に読むより感動が深くなるような)
を得られると期待していた私はそこで自分の勘違いに初めて気づいた。
平たく言うとちょっとがっかりもしていた。

がっかりにはもうひとつ理由があって、
それは「よあけを体験できなかったこと」にある。

幼少期、沢山の絵本の中からその中でも好んで手に取る絵本というのがある。
その中に「よあけ」という絵本があった。

細かい描写は覚えていないのだけれど必要最小限の言葉と色で綴られていたのはこんな感じだったと思う。
父と子で湖畔に泊まり、夜のうちにボートで湖に漕ぎ出し
そのボートの上でよあけが来る。
夜は暗闇と沈黙で息が詰まるような緊張感、
そして一筋の光を合図に広がる朝の鮮やかな解放感。
私はそのコントラストに夢中だった。

徹夜をすればそのよあけの体験ができると思っていたのだ。

けれど換気のために何度か窓を開けても
世界は闇から一瞬で光に変わる!というようなものはなく
窓を開ける度に目に映る景色が細部まで見えるようになってくるだけで
劇的なものは何もなく朝がぬるりとやってきた。

なんだ、違うんだ。
と思った。

それから数年の時が流れて私は大学生になった。
朝まで飲むこともあったし、
夢中で本を読んで白白と朝が・・・ということもあった。
私は夜と仲良くなり、徹夜はもう特別なものではなくなっていた。

夜は永遠ではないし朝は劇的にやってこない。
それはもう日常だった。

ある眠れない夜のことだった。
白いカーテンの向こう側がふっと軽くなったような気がした。
不思議に思ってカーテンをめくってもそこにあるのは大して明かりのない田舎の夜の街だった。

気のせいかな、と思っているとまたしばらくしてふっと軽くなる。
カーテンを開けても同じ田舎の夜の街だ。
そういえばこの軽くなる感じ、あの中学2年生の冬にも感じたな・・・なんだったんだろう。

何度目かのふっの時に気付いた。
あ、これ朝の準備を始めているんだ!

まだ真っ暗な夜なのに光はまだ目に届いている気がしないのに
もう夜は朝の準備を始めている。
静かにゆっくりと。

私はカーテンを開けて今度こそよあけを体験しようと試みた。
どうせ眠れそうにないのだから、空を街を見て過ごしてもいいだろう、と。

世界は何の合図もなくふっと軽くなる。
薄紙を剝がすようにゆっくりと、けれど確実に。

気付くと白いシーツが青く染まっていて
見上げてみれば白いカーテンも青くなっていた。
そうか、よあけって青いんだ。
と私は知る。

日が昇るころには町はいつもの顔をしていた。
けれど、私の中にはそのスーパーの壁が横断歩道が私の部屋が
青く染まった景色が残っていた。

中学生のあの日、私はよあけを体験していたのだ。
気付いていなかっただけで。
西向きの窓だから朝日が分からなかったのかと思っていたけれど
多分そういうことではない。
この薄紙を剥がすように軽くなる空気、
開ける前に青くなる世界がよあけなのだ。

眠れない日、眠ってはいられない日、飲んだ帰り道にも
私はその夜明け前の軽くなる空気と青く染まる世界を幾度も幾度も愛でた。

今は、もう徹夜する体力はない。
中学2年生の冬のようにしっかり整備して夜を迎えたとしても
きっと翌日は使い物にならないほど頭は回らないだろう。
だからもう無理はしない。

けれど、時折訪れる眠れない夜。
本を読みながらふっと空気が軽くなるのを感じたら
あぁ、朝の準備が始まっている、とその空気に身を浸す。
自分の中の眠気を確認して、どうにも眠れそうになかったら
カーテンをレースのものだけにして青がやってくるのを待つ。

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