芹沢あさひのプロデューサーは芹沢あさひを遊園地に連れていくべきではない。という話
個人の意見です。
【不機嫌なテーマパーク】芹沢あさひ
【空と青とアイツ】芹沢あさひ
GRAD 芹沢あさひ編
のネタバレがあります。
こんにちは。
先日実装された【不機嫌なテーマパーク】芹沢あさひ についての話です。
コミュの話のあらすじ等は説明していないので、コミュを見てから読んでいただいた方が良いと思います。
この記事で述べたい事はタイトルの通り「芹沢あさひのプロデューサーは芹沢あさひを遊園地に連れていくべきではない。」という話です。
遊園地に連れていくべきではない、というのは「遊園地」という場所が悪い、というわけではありません。
この場合、自分が今回プロデューサーが取るべきだったと考える行動は「芹沢あさひと一緒によく飛ぶ紙飛行機について研究すること」です。
なぜ、そう考えるかというと、「遊園地に連れていく」というのはプロデューサーが「貰ったチケットを紙飛行機にするのは失礼だと思った」ので、「遊園地に連れていくことでチケットをくれた人たちに対する感謝の気持ちを持つことを覚えさせたい」という目的からだと推測します。
ですが、これは結局「プロデューサーさんがやりたいこと」なんですよね。
より正確に言うならば「プロデューサーさんが正しいと思っていること」の方が近いかもしれません。
芹沢あさひはよく飛ぶ紙飛行機に興味があった。
これが「芹沢あさひがやりたかったこと」のはずです。
しかしこれでは、プロデューサーが感謝の気持ちのようなものを覚えさせるために、強制的に遊園地に連れていこうとしたようにしか思えません。
さらに今回の(正確には今回もですが)プロデューサーの良くないところは、芹沢あさひに対して諭すときに、「大事だよな?」「良くないよな?」といったような「わかっているよね?」という態度なことです。
このような言い方は、芹沢あさひに対して何かを説明するときに、最も良くない方法だと自分は思います。(芹沢あさひに対してに限らず、誰に対してもこのようなやり方は好ましくありませんが。)
なぜかと言うと、芹沢あさひという人間は、一見すると感覚派の人間に見えるかもしれませんが、それは大きな間違いです。
彼女はほぼ全ての行動に対し、論理的な思考を持っていると言っても過言ではない程、論理的に行動を決定しています。
わかりやすい例を挙げるとするならstraylight.run()の海でのステージなどではないでしょうか。
評価基準がわからないため、全く同じことをより高水準でやればより高い評価が得られる、といった比較実験のようにも思える行動から、彼女は論理的に行動をしているという所が伺えます。
ですが、プロデューサーは今回のコミュでも、言ってしまえばGRADの蕎麦屋のコミュでも、「気持ち」のようなものを理解させるために明確な論理性を持って芹沢あさひに対して接しません。
【空と青とアイツ】のコミュの最後のシーンでも結局「あさひが本当によく考えて、それでいいなら」という発言と、抽象的な例を出すのみです。
もちろん、好意的にこの行動に解釈するのなら「自分で芹沢あさひに気付いてほしい」という捉え方もできるでしょう。
ですが、この行動は自分から見たら「無責任」と言わざるを得ません。
GRADの方では、まだ本当に良いのかと葛藤するシーンが見られましたが、今回はそれすらない。
さらに、その上今回のコミュでは「せっかく貰ったぬいぐるみ」を放置している芹沢あさひに対して、その行動を改めさせるため「ぬいぐるみが悲しそうにしている」「100年くらい待てばぬいぐるみが動くようになる」という発言をします。
流石にここまで芹沢あさひとコミュニケーションをしてきて、芹沢あさひが論理性というものを大事にしていることにプロデューサーは気付いているはずです。
ですが、結局今回のプロデューサーがやった行動の結果としては、「大切にすれば、モノが動くようになる」という結論を芹沢あさひに植え付けるだけでした。
このような行動を鑑みると、最近のプロデューサーは「自分が正しいと思った行動の結果を芹沢あさひに押し付けて、その前提となる論理の部分は説明せず本人に丸投げしている」ようにしか見えません。
芹沢あさひという人間は何度も言っているように行動に論理性を求めます。
何かを伝えるときは、結果ややってほしい行為のみを先に伝えるのではなく、その行動の論理性を伝え、やってほしい行為を伝えるべきなのです。
芹沢あさひのプロデューサーはそれをしっかり認識できていない気がします。
そのような伝え方では結局芹沢あさひを大きく成長させることは出来ないのではないでしょうか?
さらに言うならば、芹沢あさひがそんなに他人の気持ちや、モノの気持ちを大事にすることが必要でしょうか?
黛冬優子や和泉愛依が、「本当の自分でアイドル活動を行うこと」に全く執着しないように、芹沢あさひが「気持ちを大事にすること」に対する執着を無くすことは出来ないでしょうか?
「この空を……狭めるわけには、いかないんだよな—」他でもないプロデューサー自身の言葉です。
自分の常識や、世間一般で正しいとされているものをただ芹沢あさひに押し付けるのではなく、もっとしっかりと、プロデューサー自身がどうしてその考え方が正しいのか、という思考を持って芹沢あさひに接してくれたらなぁ、と思います。
おわりに
この記事はよくシャニマスの話をする友人Hの影響も受けていると思います。いつも話してくれてありがとう。
次回の芹沢あさひのコミュでは、プロデューサーが変わってくれていることを願っています。
では。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?