なぜ症状にこだわるか

私がまだ若く、不妊治療に続きがあれば、今回陰性でも次へ進むだろう。

けれども、

私にとり、これは最後の移植。

41歳で採卵した最後の凍結未媒精卵を使っての体外受精だ。

4つを融解するが、異常受精、未成長、融解時に使えない卵と判断され3つはダメ。

たった一つだけが、受精し3日目9分割胚まで成長した。それを移植した。

もう何十回採卵しただろう。もう数えるのはやめたが、リストを見るとよくこれだけ頑張ったと思う。

昔の採卵でも一回一回が一喜一憂だった。自分は誰よりも健康だと思っていたが、卵子がなかなか採れない。

低刺激医院が理由だったかも知れない。早い時期から転院して、一回の採卵で沢山の卵が採れていたら、これだけ何十回も卵巣に針を刺し、何年も何年も憂鬱な晴れない気持ちを続けることはなかったかも知れない。

妊娠治療〜人工授精からはじめ、38歳で始めた高度不妊治療。

はじめて数回の間、卵は数個とれても受精しない。又は卵がとれないことが続く。

自分は卵子が弱い人間だと思い込んでいた。弱い理由は自分の卵なのか、医院のやり方が私の身体に合わなかったのか、分からない。

移植も、何度したことだろう。

受精ー移植ー妊娠しても係留流産。受精しても、成長止まり移植キャンセル。移植出来て、期待に期待を膨らませても、結果は陰性。

それが何度も何度も、続く。

培養で胚盤胞まで成長したことは一度もない。これは医院の問題か?私の卵子の問題か。個数が少ない為、胚盤胞まで持っていくよりも移植を選ぶ。で結局ダメ。たまに育てても、成長が止まる。

この繰り返しで何年費やしただろう。

出費は、メルセデス2台分は超えている。

時間とお金と、何より自分の心と、人生の浪費。次はきっとできると信じて、投じる。

バカバカしい、愚かな事と思うでしょう。しかし計画的に運んで、今日を迎えている。ありとあらゆる手段を考え、調べ、動き、行動した。

卵子提供も考えた。でも今の私は単純に子がほしいのではない。卵が採れる間は、愛する主人と私の子供がほしい。主人の遺伝子を、主人のお父さんお母さんが大切に育てた私の夫の、血のつながる家族を残してあげたい。

歴史的にローマ時代から、優秀な子供を養子として受け入れるのは日常的に行われていた。主人は案外こだわっておらず、始めからそんなに子供がほしいなら、養子という考えもあると言っていた。

今は、誰の子でも、私達が受けいられる環境があれば、育ててあげたいという気持ちにもなる。



でもまだ卵子が採れる可能性がある間は、自分のの卵子に向かい合いたい。

可能性が殆ど少ない現在の採卵は、もう出来ない。

41歳時から時が止まった私の卵子。最後の数個。

「凍結した自分の卵子」これを最大限に活用できる方法をとるため時間を費やした。

自分自身を問う日々。なぜあの時こうしなかったのか、もっと以前にこうしていたら、ああしていたら、あの方法は間違っていたのではないか・・・

今、夫との生活は何一つ文句ない。日々が楽しくありがたく感謝して生きている。優しい夫を心から愛している。私の大切な家族。たった一人の家族。

でもあまりに長く治療の不成功が続く為、自分への正しい指針が見えない。


私の周りに不妊治療を諦めた友人はいない。なぜかというと、みんな成功し子供が産まれたから。妊娠なんて、実はほんのスタートだ。無事に産んで、立派な人間になるよう育てていく使命と長い時間と社会的責任とお金と。友人達は、それぞれの環境で立派にやりこなしているが、簡単ではないことも知っている。

私はまだ、その妊娠のスタートにも立てていない。

子供を諦めた先輩方はいる。でも私はまだそうなりたくない。諦めるというマイナスではなく、ではどうしたらいいのだろう。




もう自分の身体の変化や、症状の感じも慣れてきたが、


最後の一つの受精卵に、全ての願いを込めたい。