七二三番書架で出会った君は。

こんにちは!
次回イベント新作になるものを1話から順に公開します!
とりあえず、書き終わった1話からです!
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二〇二五年四月

 いつも思い出すのは、僕がキミを見つけた日のこと。
その日は春の雨が降っていて、外は上着がないと肌寒い日でした。
 当時の僕はこの街に引っ越してきたばかりで、キミを見つけたこの場所も今まで使っていた場所よりも綺麗で新しかったから、少しドキドキして本棚の間を歩いていたんだ。
 そんな中、ある棚の傍で聞き馴染みのある音が聞こえてきた。
僕は足音を立ててしまわないように、そっと音のする方へ歩いて行った。
すると、そこは広い窓と机、その横に壁のある行き止まりの場所で、なんだか誰にも知られていない場所のように思えた。そんな秘密の場所に居たのが、机の前の椅子に座り、窓の外と手元にあるスケッチブックに視線を行き来させて絵を描いているキミだった。
僕はそっとキミの後ろ姿を見ていたけど、キミは僕の視線に気づいていないのか、ずっと絵と向き合っていた。その時からだろう。僕はキミの虜になっていった。
 実を言うと、そこで声をかけるかも迷っていたんだ。
でも、僕もだけど、集中している時に声をかけられても反応できないから、その時はしばらく後ろ姿だけ見てから、一緒に来ていた父さんが来たのが見えて、僕はその場を離れたんだ。   だから、キミが僕のことを知らなかったのは当たり前だよ。
僕がキミに話しかけた時、驚いていたけれどそれが普通の反応。
だって、知らない人、しかもキミの苦手な異性の男に声をかけられたんだから。
 今になって謝るのはなんか違うけど…。あの時はごめん。
でも、何回も顔を合わせて、だんだんとあいさつを返してくれて、僕と話したいって言ってくれた時はすごく嬉しかった。
今だから話すけど、当時の僕は、キミとどうしたら仲良くなれるかなってことしか考えていなかったから、キミの優しさにどれだけ救われたか。
 初めて、話しをしてから半年くらいしか話しが出来なかったけど、僕はとても楽しかった。キミも楽しいって感じてくれてたら嬉しいな。

 でも、ごめん。さよならです。

だから、最後にこれだけは伝えさせて。
僕がキミのことと、キミが描く絵が大好きです。
だから、キミは大学に行っても大好きな絵でたくさんの人を魅了させてください。

そして、いつか僕がキミを迎えに行けた時は、キミをモデルにして絵を描かせてください。これは僕からの一方的な約束だけど、叶うように頑張るので、キミも頑張って。
僕は今、キミの側にはいないけど、見守っています。
だから、不安がらずに一歩進んでみてください。
キミのことを大好きな僕からのお願いです。

 長くなってごめんね。
 じゃあ、またいつか。

春の日に再会できることを願って。
隆志

彼には似合わないルーズリーフの紙に書かれた手紙をそっと畳むと、花楓は目の端に溜まった涙をそっと拭う。
「もうっ…バカなんだから」
 呟いた声は少し震えていて、力を抜いたら今にも大きな声で泣き出してしまいそうだった。
でも、ここはバスの中で、他にも人がいる。
だから、花楓は手紙を握ったままそっと先を睨んだ。
 今日はこれから大学の入学式だ。
せっかくの晴れの日が涙で濡れていたらもったいない。
泣くのは入学式が終わってからにしよう。
そう心に決めた花楓は駅に着いたバスを降りるために、彼からもらった定期入れに入っていた手紙を戻してから席を立つ準備を始めた。

二〇二四年四月

『今朝は雨が降っていて、四月としては冷え込む一日になるでしょう』
『残っていた桜の花も散ってしまいますね』
『そうですね。暖かい地域では菜の花の開花の便りが届き始めています。テレビをご覧の皆さんも春の景色を探してみてください。以上今朝のお天気をお伝えしました』
 テレビの映す情報番組が、屋外にいた天気予報士の男女を写していた映像からニュースを伝えるスタジオに変わる前に花楓はリモコンで画面の電源を消すと、その足で窓辺に歩いていき静かにカーテンを開けた。
窓の外では雨がシトシトと降っていて、花楓が母親と一緒にプランターに植えたチューリップたちを色鮮やかにしている。
 花楓は窓の外を見つめ、咲き誇る花たちをどうやって自分の手で絵にして切り取れるか内の世界にこもって考える。
 しばらくその場に立って考え込んでいると、遠くから花楓の名前を呼ぶ声がして意識が外の世界に戻り始めた。
「花楓ちゃん、自分の世界にいるときに悪いんだけど、私そろそろ家出るよ。一緒に行く?」
 花楓を呼んでいたのは母親で、リビングのテーブルに並べられたランチバックをカバンにしまいながらそばに置かれている時計を指差している。
「あ、すぐ行くから待ってて」
「先に玄関で待ってるよ」
 時計を見た花楓は慌ててカーテンを閉めてから、椅子にかけていたベージュ色のマウンテンパーカーを羽織りリュックにランチバックを詰め込むと、キッチンの火の元を確認してから玄関へ小走りで走っていく。
「お家の鍵と時計もね」
「うん。ありがと」
 玄関で待っていた母親に鍵と腕時計の置いてある革製のトレーを指刺され、花楓はそれらを自分の定位置に身につけた。
「はい、かさ」
 花楓はお気に入りのスニーカーに足を入れてからかさを受け取る。
先に外に出た母親に続いて花楓も行ってきますと玄関のドアを潜った。

「花楓ちゃん、学校の課題の進み具合はどうですか?」
「次の登校日までのはほとんど終わっているから、それをやりつつ絵を描いています」
「じゃあ学校の心配は大丈夫そうね。何か新しい絵は描けた?」
「いつもの席でしか描かないから同じ絵だよ」
 とリュックからスケッチブックをだし、花楓の隣に立ってバスを待っている母親に見せる。
「今回もすごく綺麗な絵ね」
 母親はいつも仕事に向かうまでの息抜きと言って花楓の絵を楽しむ時間をとる。
花楓が図書館通いを始めてからできた二人の時間だ。
母親は花楓の描いた絵を一枚一枚じっくりと見ながらページを捲る。
「この絵も綺麗ね」
 母親が手を止めるごとに花楓も一緒になってスケッチブックを覗き込む。
時間をかけて、全てのページを見終えると母親は気に入ったページに戻り、絵をじっくりと楽しんでいる。
「そういえば、入試は小論文の方にするの?」
スケッチブックから顔をあげ、母親は花楓のことを見た。
「うん。絵は予備校に通ってたら出せそうだけど、私は予備校難しかったし」
 花楓はスケッチブックを覗き込んだまま答えた。
「そうね…。前に見学に行ってたけど、帰ったきた時の顔見たら応援できなくなっちゃった」
 母親はあの日を思い出しているのか、困ったように花楓に笑いかけた。
その顔を見た花楓は心が揺れたのを感じて思わず顔を伏せた。
 風が少し吹き、その風に乗って流された雨粒が足元のコンクリートに落ちていく。
二人の間に居心地の悪い沈黙が少しずつ広がっていく。
「お母さ──」
「風景画以外の絵の練習はしてないの?」
「あっ、ごめっ」
「ごめん、重なっちゃったね」
花楓が口を開くと母親も同じタイミングで口を開き、言葉が重なる。
「ううん。なんだっけ?」
「風景画以外は練習しないのって聞いたんだけど」
「風景画以外だと、あとは人物画と静物画でしょ。静物画の練習は図書館でも出来るけど、人物画は難しいから」
 花楓は指で数えながら考える。
花楓の言葉を聞いた母親も納得したのか、
「私も前に花楓ちゃんの絵の練習でモデルやったけど、大変だったもん」
「お母さんあの後全身筋肉痛って言ってたもんね」
 二人で笑い合っていると遠くの方からバスがやってくるのが見えた。
「バス来たね」
「朝のお楽しみ時間はおしまいね」
 花楓は母親からスケッチブックを受け取り、背負っていたリュックを下ろして中にしまう。
「かさは差さなくて大丈夫そうね」
 上着のポッケに入れていた定期入れを出すと、二人の前に止まったバスに乗り込んだ。

   ❀ ❀ ❀ ❀

「そういえば、パパが来月休みが取れたら帰ってくるって」
「そうなんだ」
「花楓ちゃんと出かけたいって言ってたよ」
「ふーん」
 二人並んで椅子に座り、花楓は図書館までの時間、母親は駅までの時間をそれぞれ好きなことをして過ごす。花楓はスケッチブックと鉛筆を取り出して目の前の風景をスケッチしていき、母親は隣で窓の外を流れていく景色を眺める。
「それと、たまには花楓ちゃんとも電話で話したいってパパが言ってた」
「んー。そうだね」
 花楓は絵を描くのに夢中なのか生返事をする。
「花楓ちゃん、今日の夕飯は何作ろっか?」
「そうだねー」
「もうっ、聞いてるの?」
 母親は花楓との噛み合わない会話に呆れながらも笑う。
これはいつものことと、母親もこのやりとりには慣れてしまっているため怒るつもりもない。
「花楓ちゃん、もうすぐ図書館前に着くよ」
 窓の外にいつもの料亭の看板が見えると、母親は花楓の肩を叩いて教える。
車内案内よりも少し早いのは一度花楓が車内案内に気がついて、降車ボタンを押し、荷物をまとめて、バスが止まったのを確認してから降車口に行くと、近くにいたスーツ姿の男性に「早くしろ!」と怒鳴られたことがあった。その時は、運転手さんが「ゆっくりで大丈夫ですよ」と声をかけてくれたが、それからバスに乗るのが少しだけ怖くなってしまった。
 この話しをしばらくしてから母親に打ち明けると、母親は駅までの通勤を自転車通勤だったものをバス通勤に変えてなるべく一緒にバスに乗るようになった。

「スケッチブックは出したまま行くの?」
「うん」
 車内案内が図書館前を知らせると、花楓は降車ボタンを押してからリュックを背負いかさとスケッチブックを握ると、空いている手で定期入れを握る。
「行ってらっしゃい」
「行ってきます」
 バス停でバスが止まると花楓は立ち上がり、母親に手を振ってからバスを降りた。
バスを降りると、図書館の入り口まで続いている屋根の下を歩いていく。
辺りには誰もおらず、図書館も開館前。
「今日も開くまで座ってよ」
 建物よりも少し手前。道路に近い場所にあるベンチはあり、花楓はいつもそこに座って花壇の花たちをスケッチしている。
「ここはピンクだったんだ」
 リュックから筆箱を出しながら咲いている花たちを見ると、先週きた時は蕾だった花が開いていて綺麗なピンク色をしている。
「家では絵に描けなかったし、ここのも綺麗だから描いてみよっと」
 花たちに遠くから鉛筆を当てて図るようにしてからスケッチブックに向き合い描き始めた。
「今はこんなもんか」
 鉛筆を走らせ始めてどれくらい経っただろうか。
花楓は今の自分が出せるだけの力を出し切ると、一人静かに息を吐いた。
「あとはどうしたらいいんだろう…」
 自分の絵を客観的に見るためにスケッチブックを持ち上げ、自分の近くに持ってきたり、距離を空けて遠くから見たりする。
「やっぱり習わないとダメかな…」
 一人椅子に座ったまま肩を落としていると、
「綺麗に描けたわね」
「っう…!」
 急にかけられた声に驚き、恐る恐る振り返ると、図書館の職員さんとは違う色のエプロンをした女性が立っていた。
「あっ…のっ…」
花楓がなんとか声を振り絞って話しかけると、
「驚かせちゃってごめんなさい。利用者の方から『図書館が開いてしばらく経つのにずっと外のベンチに座っている子がいて、心配だから様子見てきてくれ』って頼んできた人がいたの。あなた寒くない?」
「だいじょっ…で…す」
 どうやら、花楓がずっと絵を描いている後ろ姿を気にかけてくれた人がいたようで、職員として働いていた女性に声をかけたようだ。
 花楓は居心地が悪くなって、手早く荷物をまとめようと立ち上がると、職員はスケッチブックを見たまま、
「あなた、随分と綺麗な絵を描くのね」
 と見惚れた目で閉じてあるスケッチブックから目を離さない。
花楓はそのことにさらに心臓がギュッと握られた感覚になる。
「あっ…のっ…」
「あなた、絵をネットとかにあげたいとかはないの?」
「…っ」
「でも、前に似た絵を見たことがあったような…」
と女性が言葉を続けようとしたタイミングで花楓の中で何かが弾けた。
「しつれいっしまっ…」
 リュックの中に荷物を詰め込むと、ファスナーを閉めて背負うとその場から逃げ出すように走った。
「あ、ちょっ…」
女性が何か言っている声がしたが、花楓は振り返らずに図書館をあとにした。 

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