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自由

こんな時期に急に 「そうだ。文章書き始めよう」と思い立つのは私ぐらいかもしれません。
こんにちは。時雨 です。

2024年も半年が経ちました。
バースデーカラーももう180枚を超えています。驚きです。あっという間でした。
そして恐ろしく様々な事があった半年だったような気がします。

というより、何も無い瞬間なんて存在しないのですから何かあって当然ですね。

私にとっての2024年上半期は、学び続け、前へ進み、進んだ結果手放したものも手に入れたものもある半年でした。
ただ、この半年を振り返るには少し時間がかかりすぎるのでそれはまたの機会に。

今回は、「自由」について。
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自由 とは。

皆さんは「自由」と聞いて一番初めに思いつくものはなんでしょうか。
私は、「責任」です。
保護者 と呼ばれる大人の手から飛び立ち、一番初めに背負う責任。それが、自由 だと思っています。

日本には「表現の自由」という憲法に守られた 自由 が存在します。
言論の自由、報道の自由等。その中には、性表現・名誉毀損的表現の自由 なんてものもあります。
しかし。それを正しく理解している人はどれくらいいるのでしょうか。


どこまでが自由なのか


近年社会問題になっているのが、誹謗中傷被害 です。
これなんてまさに 表現の自由 を逆手に取った被害だと思います。
「私たちは日本国憲法において表現の自由が認められている」と大口を叩きながら根拠の無い情報を使い人を貶めていく。実にダサいです。

そもそも日本は 表現の自由 がありながら、公共の福祉 というものも存在します。他者への人権侵害にあたる場合、表現の自由は制限される はずなのです。

何故 「はず」と付けたのか。
殆どの人が意識していないからです。

私たちが生きる 現代 は数十年前には有り得なかった、指先でひとつで、たった一言で 人が殺せる時代です。
公共の福祉という 表現の自由 よりも大切な物を見失った人々が今日も明日も明後日も、今持っているその小さな板で人を追い詰める。
本名よりも呼ばれる事が多くなった ユーザーネーム。その影に隠れながら人が人を貶める。
そんな時代です。

「自由」とは実に都合のいい言葉のように思えます。
「自由」という言葉を枕にする事で何もかもが正当化されていくように見えるのですから。

確かに人が誰に何を思おうとその人の勝手だと思います。
誰を嫌ってもいいし、誰を呪っても罪にはならない。
思っているだけならまだ良いのです。
しかしそれを表に出した瞬間。そこには 自由 と共に「責任」というものが付随してきます。

それを発言した自由と 責任。
それを伝えたことによって生まれた感情への 責任。
その結果起こった物事への 責任。

言葉は軽くない。
重さがあり、意味がある。

どこまでも自由というわけでは無いのです。

ただ。どこまで自由なのかは決められていません。
全ては皆さんの良心と理性次第。
だからこそ、根拠の無い情報や憶測で ものを語ってはいけない。
根拠の無い情報や憶測に踊らされ発言した瞬間。
表現の自由を唄う権利は無くなります。

終わりに

偉そうに書き綴って来ましたが、私もその責任と共に発言し続けているかと言われると 完璧 とは言えないと思います。

人は感情で生きている動物です。
全てをコントロールする事はきっと不可能で。
でも、意識する事はできるのではないでしょうか。

表現の責任 は重い。その重さを知りながら生きていくのが一番大切だと私は思います。

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