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死にたがり

長くなり過ぎました。
伝えたいことも纏まっていないかも。

ですが、私は書ききれて満足です。
いつもより自語り多めですがご容赦を。

今回は「死にたがり」
𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄

元死にたがり

皆さんは「死にたい」と思ったことがありますか。
死にたい じゃなくて「消えたい」とかも。
そういった事を思ったことはありますか。

私はあります。

自殺念慮。
病気や人間関係などの解決しがたい問題から逃れるために死を選択しようとする状態の事。

私は10年と少しこれに囚われてきた人です。

しかし気が付いたら24歳目前。

死から逃げる様に生きています。

私は一体どこで自殺念慮を捨ててきたのでしょう。

傷物

まあ。あまり言いふらすような事でもないですし、別にここに書かなくても良いような気がしますが、どこまで死にたがりだったかというと

今でも消えない傷を自ら作るぐらい。

いわゆる「傷物」ってやつです。

消えないんですよねえこれ。
お酒飲むと赤く浮かぶし、
目立つと言えば目立ちます。
気にせず半袖もノースリーブも着ているのですが。

そんな傷。
人は死にたくなればなるほどソレは深くなり、
作る場所は首に近くなるらしいのですが、
肩で止まったのは最後の抵抗だったのでしょう。

本気で死ねると思っていたわけではないですし、
本気で死にたいならそれ相応の行動をしていたと思うので見る人から見たらある種のパフォーマンスなのでしょうが。

そんな意味もないパフォーマンスで自分を守るしかないほど死にたかったです。

どこかでも書いていますが、
「生きることを諦めていた」時期がこの辺り。

よくもまあ。ここまで元気な人間になったものです。

きっかけとは

今ではそんなの見る影もないぐらいになりました。
そのきっかけとは一体なんだったのでしょう。

そこには小さな諦めも多くあったような気がします。

愛されることを諦め
温かさを諦め
理解されることを諦めた

私にとって「欲しかったもの」を一度諦めました。
今は無理だ。と悟ったからです。

かといって解決したわけでもなく。
少しだけ囚われなくなった程度。

根本的解決には至っていません。

では、解決したのは何が要因だったのでしょうか。

私を支えたもの

何とか大嫌いだった場所から逃げ出し、
一人暮らしを始めたあとも囚われていた私は精神科に通っていました。

安心感の中に残る恐怖や虚無感。自殺念慮。
それらと一人では戦えないと思ったからです。

そんな私を支えたのが「デザイン」

始めたきっかけはとても些細なものだったような気がします。
続けている理由はハッキリわかるのに、きっかけは全くです。

多分現実逃避もあったのでしょう。
何かに時間を使っていると、嫌なことを忘れられますから。

ここに「根本的解決の要因」が隠れているのかなと思っています。

もう覚えていないぐらい些細なスタートだったデザインという趣味。
それは、私に初めて「何かを作り出す楽しさ」を教えてくれました。

そして思ったのです。
「ここで終わるにはもったいないな」と。

行動

人は嫌な記憶ばかりが積み重なると弱くなり、
楽しい記憶が積み重なると強くなるのだそうです。

デザインから始まり、それを続けていた先での人との繋がりが楽しくなって、もっと広い世界を見たくなった私はこの時「楽しい記憶の積み立て」を始めました。

その積み立ての為に地元を離れたといっても間違いではありません。
あの場所では無理だったから。

そして出てきた地で
更に人と出会い
新しい景色をみて
認められたいと奮闘し

私は今こうしてここに立っています。
ちゃんと楽しい記憶を積み立てながら。
いろんな事を経験し学びながら。

命を投げ出すことなく。

そうするとあら不思議。
過去に諦めたモノたちが手元に戻ってきてくれました。

愛されること
温かさ
理解されること

私が欲しかった「人として生きる」という、
本来当たり前なこと。

それらが今手元にある。
だから私は生き続けている。

そして気が付いたら私の中の自殺念慮は消え去っていました。

認めてくれる人がいてくれていて
私自身を見てくれる人がいて
絶対的な味方と呼べる人がいる。

これがそれほどまで自分を支えることになるとは思いませんでした。

あの時行動する力が残っていてよかったと思うばかりです。
そして、諦めず傍にいてくれた人たちに感謝の気持ちでいっぱいです。

どう考えてもあの時あの瞬間傍にいてくれた あの人 のおかげで今があるのですから。

出会い

そんな「自殺念慮の捨て方」
参考にならないと思う方もきっと多い。
あくまでこれは私の方法でしかありません。

「強い人」や「かっこいい人」という評価をもらう事が多い私ですが、
そんな私も、そんな私だからこそ、一人ではきっと無理だったでしょう。

出会えた人に助けられ
背中を押され
時には潰されて這い上がって
這い上がった先で待っていてくれる人がいたから。

私は運が良かった。
1人では作れなかった生きていくための基盤を作れたから。

この強さもかっこよさもこの時に手にしたものです。

おわりに

出会えなかったらどうすればいいのかと言われそうですね。

人との出会いが全てとは言いません。
ハードルは下がりますが、それだけが全てではない。

ならどうするか。

他のものと出会ってください。
どうにか足を動かして、
死にたくないと思える何かを見つけてください。

好きな人でもいい
推しと呼ばれる何かでも
追いかけたいと思える誰かでも
趣味でも何でもいい。

これがあるから生きていけると言えるなにか。
これが自分を支えてくれると確信できる何か。

最近よく思うのです。

人は強いから死なないのではなく、
支えがあるから生きているのだと。

泣ける場所があって
弱さを見せられる場所があって
だから生きていけるのだと。

だから見つけてください。

そんな支えになってくれる場所や人や物やなんでも。

人生を諦めたい気持ちを捨てきることは出来ないかもしれない。
それでも、もう少しだけ生きてみようかなとは思えるかもしれない。

その積み重ねで人生は進んでいくのです。

生きてください。

死は逃げでもなければ救いでもありません。

一緒に、もう少しだけこの世界に光を見ませんか。
𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄

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