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20XX年、介護徴兵の時代
20XX年、介護徴兵の時代
日本で「介護徴兵制度」が導入されて数年が経った。徴兵対象年齢は60歳から。定年後の人間は誰もが“介護兵”と呼ばれ、老人ホームでの介護を強制される。劣悪な待遇、暴力的な老人、そして政治家たちの無策。若いころから国に搾取されてきた人々が、ようやく定年を迎えたその瞬間から、さらなる苦役を押し付けられる――そんな社会が完成していた。
オレは、その介護徴兵の最中に「反撃」を思いついた。
ある日、暴力的で下衆な老人に杖で殴られ、言葉の暴力を浴びせられたときだ。散々罵倒されても耐えていたが、ついに我慢の限界に達した。
「こんな地獄を作ったヤツらを、許していいのか……?」
震える手で杖を奪い返し、その老人を払いのける。周囲を見渡すと、そこには同じ境遇の介護徴兵たちが立ち尽くしていた。彼らの目は、絶望と疲労に支配されていたが、その奥底には言いようのない怒りが宿っているようにも見えた。
オレは決意する。このままでは終われない。
老人ホームという名の牢獄を出て、同じ介護徴兵の仲間とともに行動を起こすのだ。
火炎瓶とバール――怒りの結集
廃工場の一角。かつて労働力不足で潰れた自動車部品工場が、今はほとんど人気がない。
「俺たちは間違っていない。暴力でしか話を聞かない連中が制度を作ったんだ。だったら、同じ手段でしか潰せない!」
オレが叫ぶと、仲間のひとりが頷きながら火炎瓶をぎこちなく握りしめる。中身はガソリンと灯油を混ぜた即席のもの。引火用の布切れが瓶の口に巻かれているだけの簡素な作りだが、威力は十分だ。
もちろん、こんなものを作ったのは初めてだ。背徳感と恐怖、そして奇妙な昂揚感が入り混じる。
「俺も介護徴兵で、老人からの暴行に耐え続けた。今度は俺たちが反撃する番だ!」
別の仲間がバールを振りかざし、宙を一閃する。その先端がさび付いていたが、厚いドアだろうとガラス窓だろうと壊すには十分だろう。
標的は決まっている。
国会議事堂、厚生労働省、そして財務省。
「政治家や官僚どもが、老人も若者も貧困に追いやり、税金を吸い上げてきた。年金だって減らされて、挙げ句の果てに介護徴兵だ。アイツらに正義なんてありゃしない!」
オレがそう言うと、全員が一斉に頷いた。その表情は、どこか吹っ切れたようでもあり、覚悟を決めたようでもあった。
第一目標:国会議事堂
夜明け前の薄暗い時間帯。
警備体制が手薄になった瞬間を狙って、オレたちはトラックに乗り込む。エンジン音が大きく響くが、朝の気配でかき消されると信じたい。
国会議事堂の前には警備員や警察官が配置されているが、介護徴兵に回している人員が多いのか、想像していたより数は少ない。
「一気に行くぞ!」
仲間が火炎瓶にライターの火を移す。布切れに火が燃え移るのを確認し、窓を開けて瓶を放り投げる。
「投げろっ!」
瓶は弧を描きながら、国会議事堂の外壁や入り口付近の警備車両へと次々に落ちていく。数秒のうちに火の手が上がり、燃え広がっていく。
「警備員が来るぞ!バールで蹴散らすんだ!」
オレもトラックから降りると、バールを抱えた仲間とともに突進する。警備員たちが制止の声を上げるが、怒りに燃えるオレたちを止めるには、あまりに非力だった。
バールが振り下ろされると、金属音と悲鳴が交錯する。
火炎瓶の炎があたりを照らし出し、オレたちはその間を掻い潜るように先へ進んだ。
第二目標:厚生労働省
次の目的地は厚生労働省。介護徴兵制度の最も直接的な責任者が集う場所だ。
トラックを走らせながら、オレは歯噛みする。
「俺たちに地獄を見せた張本人たちだ。施設で暴れ続ける老人を放置し、こっちの苦しみなんて見向きもしない。そんなクソ制度を作った連中を潰す!」
建物が見えてきたころには、オレたちの襲撃は既に知れ渡っているのだろう。数台のパトカーがサイレンを鳴らして集結していた。
「火炎瓶をもう一度!」
仲間が再び火を放つ。降り注ぐ瓶が地面で砕け、黒い煙とオレンジ色の炎が辺りを包む。
警察官たちが必死に消火器や放水を試みるが、一発目の混乱を抑えきれないうちに、オレたちはトラックで建物の入り口へ突っ込んだ。
ドアやガラスが砕け散る。オレたちはバールと怒りの声を武器に、いくつもの部屋を破壊しながら進んでいく。
デスクをひっくり返し、書類をまき散らし、各所に炎を放つ。外で聞こえるサイレンの音が、耳鳴りのように響き続ける。
第三目標:財務省
トラックのフロントガラスはひび割れ、車体には弾痕らしき凹みも増えていた。それでも走れるだけのエンジンが残っていることに感謝して、オレたちは最後の標的――財務省へ向かった。
「介護徴兵を予算の都合だなんて言いやがって……。年金を削るだけ削って、負担を若い世代や60歳以上の人間にまで押し付ける。許せない!」
焦げた服の袖を引きちぎりながら、仲間が血走った目で叫ぶ。
財務省の正面玄関は既に警備によって封鎖されていたが、構うものか。
「突っ込め!」
オレはアクセルを踏み込み、バリケードを突き破る。慌てふためく警備たちの悲鳴が交錯するが、そのまま突き進む。
火炎瓶のラスト数本を投げ込み、さらにバールでガラス窓を叩き割る。黒煙が上がり、ビルの中から警報音が鳴り響くのを聞きながら、オレたちは破壊の限りを尽くしていく。
革命の果て
「正義はあるのか?」
何かを破壊するたびに、オレの胸には問いが湧き上がる。オレたちの行為は、世間から見ればただのテロかもしれない。けれど、こんな理不尽な制度を押し付けた“上”に対しては、こうする以外に方法がなかった――そう信じなければ、やっていられない。
「少なくとも、今はおとなしく従ってるだけの道化じゃない。オレたちは抵抗をしたんだ。黙って死を待つより、マシだろう?」
全身すすと汗まみれになりながら、仲間の一人が笑う。顔には恐ろしいほどの疲労が刻まれているが、同時に達成感とも呼べる光が宿っていた。
「この先、どうなる?」
誰かが問いかける。
正直、わからない。警察や自衛隊が本気を出せば、たった数人の介護徴兵上がりなどひとたまりもないだろう。おそらく、今日が人生最後の夜になるかもしれない。それでも構わないと思えるほど、オレたちの怒りは深かった。
「行こう。まだ燃やし足りない」
そう言ってトラックに乗り込む仲間を追って、オレも埃まみれのシートに腰を下ろす。先ほどよりもエンジンの音は弱弱しいが、まだ走れる。
まだ、戦える――それだけが、唯一の事実だった。
翌朝。国会議事堂、厚生労働省、財務省は黒煙を上げ、多くの部屋が炎上した。警備体制は一気に強化され、テレビの報道は混乱するばかり。「介護徴兵によるテロ行為」「正体不明の集団が火炎瓶で襲撃」など、見出しが乱れ飛ぶ。
その背後で、どれほどの国民が本当の原因――介護徴兵制度の実態に目を向けるのか、オレには分からない。
ただ一つはっきりしていることがある。
声を上げなければ、誰も救ってはくれない。
そこにどんな手段を用いるのかは、人間としての良識を問われるかもしれない。けれど、追い詰められた末に生まれた怒りは、簡単には収まらない。
正義かどうかは、もうわからない。ただ、オレたちは黙って虐げられるだけの存在ではなくなった。それだけは間違いない。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
エピローグ
「介護徴兵テロ事件」。
オレたちの襲撃はそう呼ばれ、国内外で大々的に報じられた。国会議事堂や厚生労働省、財務省を火炎瓶とバールで襲撃し、施設の一部を焼き払ったのだから当然だ。大惨事になるかと思われたが、幸いにして死者は出ず、多くは軽傷にとどまった。
その事実がわずかに世論の同情を呼び、減刑を求める嘆願書が全国から集まる。すでに表向きの“正義”は失ったオレたちだが、それでも「制度の犠牲者なのだから」と声を上げてくれる人々がいた。
しかし、政府は一切容赦しなかった。
「介護徴兵制度」の根幹を揺るがしかねない事件として、むしろ見せしめとばかりに重い懲罰を科そうとする。誇示するかのように記者会見を開き、高齢者保護や公共秩序の維持を盾に、容赦のない制裁を宣言した。
「こんな結果になるなら、いっそもっと徹底的に破壊してやればよかった……」
オレは薄暗い拘置所の中で、そんな短絡的な後悔を噛みしめる。壁に凭れ、かつて一緒に戦った仲間がどうなっているかを想像する。減刑嘆願がどれだけ集まろうと、処罰されるのは時間の問題だろう。
あの怒涛の一夜から、まだ数日しか経っていないのに、世界が一変してしまったような虚脱感だけが残っている。
ところが、世間が“介護徴兵テロ事件”の落としどころを探り始めた矢先、さらなる衝撃が日本中を駆け巡った。
臨時国会議事堂の惨劇
オレたちの襲撃によって被害を受けた国会議事堂は、一時的に使用不能となった。各省庁も混乱し、国会機能を回復するために急きょ別の建物が「臨時国会議事堂」として指定されていた。
政府要人たちがそこに集結し、対応策や処罰方針を協議している最中、信じ難い事件が起きた――ロケット弾の直撃である。
騒がしいニュース映像を、警備員のテレビ越しに見た。中継の画面には、建物の一部が黒煙を上げて崩れ落ちる様子が映し出されている。司会者やリポーターが言葉を失い、何が起こったか分からず混乱する姿。
「……まさか、別のやつらが?」
拘置所内で警備員や受刑者たちもざわめき合う。
ロケット弾を撃ち込むなんて、オレたちの計画にはなかった。あの時、誰一人として、そんな大規模な武器を持ち出せるルートも考えもなかったはずだ。
それでも、実際に“何者か”が新たな暴挙をやってのけた――それも、政府中枢を直撃する形で。
テレビカメラは混乱する現場を映し続け、キャスターの声が震える。
「――現在、臨時国会議事堂が何らかのロケット弾と思われる攻撃を受けました。詳細な被害や犯行声明は一切不明で……」
鈍い耳鳴りのようなノイズに混ざって聞こえてくるのは、警報のサイレンか、人々の叫び声か。声色を失った日本社会が、再び恐怖に支配されていくのを感じた。
そして同時に、オレの胸に湧き上がるのは“得体の知れない”興奮と焦燥感。
「――まだ、終わっていないのか」
政府がオレたちを見せしめに処罰しようとした矢先に、さらなる謎の攻撃。
この国は、どこへ向かっているのか。オレたちの“短絡的な革命”が引き金を引いたのか、それとも別の誰かが最初から狙っていたのか……。
結局のところ、真実を知る術はなく、オレたちは檻の中で焼け焦げた世界の行方を見つめるしかない。
こうして火炎瓶から始まった反逆は、思いもよらない形で“ロケットの炎”へと引き継がれていく。
怒りの連鎖は、とどまることを知らない。