過去からの使者、新生満州国を目指して〜20XX年:日本は財政破綻した〜
第一章 —崩壊の足音—
20XX年、日本。
かつて「世界一の信用力」を誇ったこの国は、立て直しの機会を逸し続け、ついに深刻な財政破綻を迎えようとしていた。円は紙切れ同然に扱われ、港からはコンテナが消え、スーパーとコンビニの棚は空っぽ。都市の照明がまばらに途絶えはじめた夜の東京では、誰もが息を殺し、明日を不安に思いながら眠りにつくしかない。
ある初夏の夕暮れ、赤みを帯びた空の下、かつての国会議事堂近くにそびえるオフィスビルの一室。来客もまばらになったロビーを抜けた先の仮事務所に、今は数えるほどしか残っていない令和維新党のスタッフが集まっていた。ほとんどの議員や秘書は、事態の深刻さを悟るや否や地元へ戻り、あるいは海外に資産を持つ者はそちらへ逃げてしまったのだ。
室内の明かりは簡素なLEDランプだけ。電力会社が計画停電を繰り返すため、非常用バッテリーや太陽光パネルがなければ夜を乗り切れない。つい先日までそれなりの賑わいを見せていた執務スペースには、段ボール箱が雑然と積まれ、壁には“AI参謀導入で新時代へ”と書かれたポスターがむなしく貼りついている。
ドアを軋ませて入ってきたのは、辻政信、そして石原莞爾——本来なら昭和史の中で消えていたはずの二人の“亡霊”であった。
スーツ姿だが、どこか昭和の軍人の風格を拭いきれない辻。袴のような緩い服を改造したチノパンにジャケットを羽織る石原。ともに疲労の色が濃い。
「……もう、ほとんど残っておりません」
そう呟いたのは、令和維新党の若いスタッフだった。紙の資料を抱えながら下を向いている。
「今朝だけで十人ほど辞めていきました。『もう政治どころじゃない』『家族が心配』って……」
辻は静かに頷いた。かつて国政選挙で何議席か獲得したとはいえ、もはや党としての体を成していない。議会自体が空転し、政府も崩壊寸前では、政治家でいる意味が無くなるのも当然かもしれない。
一方、石原は視線を落としつつ言葉を探すように、小さく息を吐いた。
「仕方あるまいな。彼らも生きるだけで精一杯の状況だ。何かを責めることはできん」
窓の外を見やると、遠方のビル群はすでにほとんど灯りを落としている。かつての東京には考えられない、すすけたような薄暗い景色。各所で暴動が起き、略奪が散発しているという報告もある。警察は一部を除いて満足に動けず、自衛隊は予算凍結で維持困難。
街には、昭和の戦時下を想起させる暗い空気が滲んでいた。
床に段ボールを積み、机代わりにして資料を広げる。そこには「省庁機能停止」「GDP大幅下落」「輸入取引断念」の文字が並ぶ国連関連レポートのコピーや、国内金融機関が次々破綻しているニュースのスクラップが無秩序に貼られている。いつもならAI端末で整理できたものも、今は通信障害や停電でままならない。
「石原さん、そちらのAI参謀は……まだ生きていますか?」
若いスタッフの質問に、石原はわずかに首を振る。
「サーバーはまだ無事だが、ネットワークがズタズタだ。解析結果を更新するにも、持ち込み式の端末でデータをやり取りするしかない。科学技術が発達したというのに、昭和の伝令みたいな状態だよ」
それでも、石原の眼差しはまだ諦めてはいなかった。AI参謀さえ動けば、物資の最適配分や避難ルートの算出、あるいは再建計画のシミュレーションができるかもしれない。だが、国が機能しなければ、そんな提案を実行する力はどこにもない。
「……辻さん、やはり一度、どこかの地方自治体に拠点を移すべきでは? このまま東京で踏ん張っても、私たちが巻き込まれる可能性が高い」
スタッフの提案に、辻は険しい顔をしたまま答えない。かつての国会議事堂周辺は、いわば政治の中心。しかし今となってはゴーストタウン同然で、ここに残る意味は薄い。
そのとき、石原がポツリと口を開いた。
「まだ“あいつら”が動いている可能性がある。……自衛隊OBや警察OB、それに大学の軍事研究サークルの連中も、俺たちの理念に興味を持ってくれた人がいたはずだ。もう一度、呼びかけてみてはどうだろう」
「呼びかけても、結局は無政府状態だ。誰が彼らを編成し、何を指揮するんだ?」
辻は嘆息まじりに言う。
「政府が崩壊すれば、治安を保つ組織が必要だ。だが、その組織に正当性がなければ『ただの武装集団』だ。昭和の時代みたいに、軍政を敷くのか? まさか、そんな……」
軍政。
昭和の記憶が、二人の脳裏をかすめる。あの時代、兵站を握って軍部が権力を拡大した結果、国は戦争へ進み、取り返しのつかない悲劇を生んだ。二人とも、それを繰り返したくはない——だが、いまの日本は、あの頃のように瓦解しつつある。
「今は非常時だ。法律や民主的手続きを踏んでも、間に合わん。放っておけば空腹と暴力で国中が荒廃するだけだ。……兵站がカギになる」
辻は鷹揚な口調で続ける。
「昭和で学んだだろう。物がなければ兵も市民も動けん。輸入も止まった今なら、なおさら国内の物流をどう押さえるかが決定的だ。あとは、誰が指揮を執るか……」
石原は苦い顔で同意を示す。「だが、同じ轍を踏む恐れがある。軍が権力を握れば、独裁と弾圧に陥るかもしれない。今度こそ戦争ではなく平和を実現するために、俺たちは転生してきたのではなかったのか?」
静寂が落ちる。遠くの非常サイレンが途切れ途切れに鳴り、どこかで火災が起きているのか、黒い煙が立ち上がっていた。辻と石原の視線が交錯する。
「選択肢がないんだ、石原。国会も政府も消えてしまった以上、誰かがこの無秩序を抑えねばならない。無政府状態が続けば、さらに犠牲者が出る。再び軍服を着るのは本意じゃないが……昭和の負債を、今度こそ清算しなきゃならんだろう」
「…………」
石原は答えない。だが、その瞳には覚悟が揺れている。自分たちは二度と侵略や戦争に加担しないと誓った。それでも、無秩序のほうが多くの命を奪うのなら、最低限の強権が必要なのかもしれない——そんな思いが頭を駆け巡る。
すると、突然ビルの外から銃声のような破裂音が響いた。
スタッフ数名が身構える。東京ではすでに銃器が密売されているとの噂もあり、暴力団やグループ同士の抗争が日に日に激化している。止める人間がいないからだ。
「……もう、時間がないな」
辻が意を決したようにつぶやく。荒廃した令和維新党のオフィスには、もうこれ以上、政治理念を語るだけの余裕はなかった。
遠くの空は赤黒く、まるで戦時中の夜間空襲を彷彿とさせる不穏な色に染まっていた。誰もがうすうす気づいている。日本という国が、このままでは静かに死んでしまうと。
石原は机の上の資料をぐしゃりと掴み、睨みつけるように辻に言い放つ。
「昭和の軍政とは違う、“平和のための戦略”を作るんだ。それを誓おう。俺たち二人で、今度こそ理想を形にしよう」
辻は一拍置いて頷いた。そして、一枚の紙を取り出す。そこには「再興軍政局(仮称)」という手書きの文字。政治に飽きたわけではない。ただ、もうそうするしかない。その紙を握りしめながら、辻は低く呟くのだった。
「俺たちがやらなきゃ、誰がやる。……昭和も令和も乗り越えて、20XX年の日本を生かすために、行くぞ。覚悟はいいか?」
石原もまた、ゆっくりと立ち上がる。窓の外には夜風が吹き荒れ、薄暗いビル街の谷間で火の手がちらつく。かつての華やかな首都はどこにもいない。昭和を知る二人の目には、戦時の亡霊が歩く音がはっきりと聞こえる気がした。
「逃げるな、だな」
「そうだ。二度と後悔はしたくない」
そして二人は、崩れかけた党本部をあとにし、暗い廊下を進んでいく。その背中には、昭和の失敗から学んだはずの覚悟と、平和を築くために軍政を敷かざるを得ないという矛盾の重みがのしかかっていた。
外に出ると、生温い風が湿った夜気を運んでくる。遠方の銃声は止まぬままだ。街には警察の姿は見えず、誰もが無言で暗い道を足早に通り過ぎていく。このすさまじい“終焉”のような雰囲気の中で、辻と石原だけは静かに決意を固めていた。
彼らが“満州国の理想”を再び胸に抱くのは、この絶望の先にこそ、かつて失った何かを取り戻す希望が見えるからなのかもしれない。
混沌とした20XX年。日本が崩壊の危機に瀕する一方で、昭和の亡霊を自認する二人は、再び歴史の舞台へと足を踏み入れようとしていた。
そしてこの夜、東京の闇に浮かぶ赤い煙を背景に、辻政信と石原莞爾は“転生”の宿命を受け入れるように互いを見つめ合う。やがて彼らは一歩、そしてまた一歩と踏み出した。あの激動の昭和から令和へ、そして令和の次の時代へ——崩壊を止めるための戦いが、今まさに始まろうとしている。
こうして、崩壊寸前の日本で、昭和の“参謀”たちが再び動き出す。その行方には、はたして第二の悲劇が待ち受けるのか、それとも新しい平和と秩序の創造が待ち受けるのか——それを知る者は、まだ誰もいない。
しかし確かなのは、財政破綻という大洪水の中で、かろうじて船を操ろうとする舵取りが二人だけになってしまったということ。日本は、昭和でも令和でもなく、この20XX年という未踏の闇の中で、再び運命を試されようとしていた。
第二章 ―軍政の足音―
深夜の東京。
誰もが眠りたがっているのに、安眠は望むべくもない。あちこちで散発的に聞こえる爆発音や、野次馬の叫び声。たまにパトカーらしきサイレンが聞こえるが、それが本物なのか民間人が勝手に鳴らしているだけなのかも、もはや定かではない。
辻政信と石原莞爾は、令和維新党の仮事務所を出て数ブロックほど歩いた末、薄暗い非常灯がともる古いビルの前に立ち止まった。セキュリティが切れた自動扉をこじ開け、廃墟めいたロビーを抜けて奥へ。埃の漂う非常階段を上がった先のフロアには、電気が点いている一室がある。扉には手書きの白い紙でこう貼り付けられていた。
――「再興軍政局(暫定)」
曰くありげなその呼称に、二人は足を止める。石原が扉を開こうとする。鍵はかかっていない。重いドアを押し開くと、中ではスーツ姿の青年たちがパソコンや無線機を前に慌ただしく作業している。
見上げれば、天井の蛍光灯は半分以上が切れかかっており、カツンカツンと不気味なノイズのような音が鳴る。
「お待ちしておりました。……辻さん、石原さん」
声をかけたのは、元警察官僚という経歴を持つ中年男性だった。その横には、元自衛隊員とおぼしき屈強な若者も立っている。彼らは一様に険しい顔つきで、やや緊張の面持ちで二人を迎えた。
即席で組まれた長テーブルの上には、紙の地図とスマートフォンのバッテリーをつなぐコード、缶詰の山が乱雑に置かれている。外の道路状況や暴徒の発生地点を示す付箋が、地図に何十枚も貼りつけられていた。
「ここが……“再興軍政局”か」
辻が目を細めて呟く。なんとも頼りない光景だが、今の日本ではこれでも“作戦本部”と呼ぶに足る。むしろ、ここに集まっている少数精鋭こそが、今後の秩序を担う可能性を秘めていた。
「はい。私たちなりに、警備・物流・医療の三本柱でチームを作り始めました。もちろん、法律上はグレーもいいところですが……」
警察官僚出身の男が続ける。
「しかし、もう『合法か違法か』なんて言ってる場合じゃありません。私も警察署を出てから、ずっと民間ボランティアに参加していましたが、無秩序が深刻すぎる。そこで、かつて維新党で提唱されていた“兵站理論”を思い出し、こうして有志を募った次第です」
石原が軽く頭を下げる。
「協力してくれてありがとう。……どうやら、こんな形で昭和の亡霊が頼られるとは、皮肉だな」
室内を見回すと、壁には大まかな日本地図と都内の詳細図が貼られ、マジックペンで書き込みがされている。「帰宅困難者2,000人規模」「○○橋付近で無法集団の襲撃」などのメモが目立つ。テレビは砂嵐の画面を映し、ほとんど機能していないが、置き去りにされたままだ。
「状況は?」
辻が問うと、元自衛隊員らしき若者が地図を指差す。
「今日だけで都内南部で五箇所以上の火災。おそらく放火やガス爆発です。消防もほとんど来ないので被害は拡大する一方。警視庁の一部は動いていますが、人手が足りません。暴徒がコンビニや飲食店を襲うのはもはや日常茶飯事で、近隣住民が私設のバリケードを築いている通りもあります」
それを聞いて、石原は深いため息をつく。もはや首都の行政は実質停止。民衆は自分たちで身を守るか、逃げるしかない。だが、逃げても行き先の地方自治体も機能していない可能性が高い。死ぬか生きるか——そんな極限状態に、多くの市民がいる。
「……警察や自衛隊に協力を仰ぐって言っても、どこまで当てにできる?」
辻が一同を見渡す。元警官の男が苦々しく首を振った。
「正直、期待できません。既存の組織は“公務員としての職責”をまっとうしたくても、予算も補給も途絶えていて、末端の隊員は勝手に帰郷してしまう状況です。もちろん中には一生懸命やっている人もいますが……」
石原は静かに地図に目を落とし、「このままじゃ首都が焦土と化す」と思わず口にする。無数のトラブルマーカーが示す現実は重く、そこに“政治”の余地などないように見える。
少し離れた机の横では、別のスタッフがスマートフォンとモバイルバッテリーをいじりながら報告に来た。
「石原さん、AI参謀のほうはどうにかローカルネットで動かせそうです。ですが、最新データが更新されないので、分析が遅れそうで……」
石原は表情を曇らせる。AI参謀こそが彼らの切り札だが、電力不足と通信断絶の中では、“部分的な”機能しか使えない。それでも、何もしないよりはマシだろう。
「よし……まずは都内の被害情報を集め、物流ルートを確保し、無法者の拠点を制圧するしかない。……ああ、言葉は悪いが、制圧だ」
辻が一同に向けて言い放つ。昭和の軍人らしい、切実な響きだ。
「各自、本当に覚悟はあるか? 下手をすれば、“私設武装集団”と叩かれる。いや、それで済めばいいが、連中に抵抗されれば撃ち合いになるかもしれん」
室内に一瞬の沈黙が落ちる。元自衛隊員や警官OB、歴史マニアの学生たち……それぞれが顔を見合わせ、わずかに硬い笑みを浮かべた。いまさら迷っても仕方がない。皆、自己責任でここに集まったのだ。
「やりましょう。どうせこのままじゃ、東京は無法地帯になるだけですから。誰かがやるなら、俺たちがやるしかない」
そんな決意を口にする若者の瞳は輝いて見えるが、同時に危うさも感じられる。昭和には戦意を煽るプロパガンダが溢れ、若者が戦場へ駆り立てられた歴史がある。石原は、その再来になるのではと不安を拭いきれない。
「“軍政”という呼び方に抵抗がある人も多いだろうが、非常時の司令部として運用するしかない。それに、兵站がなければ何もできん。……食糧、燃料、医薬品、そして武器。俺たちはそれらを一括管理して、戦わずに済む形を作るんだ」
辻が声を張り上げると、皆は静かにうなずいた。戦わずに済む形——だが、戦火を避けるには、強権的な支配も辞さないという矛盾がそこにある。
窓ガラス越しに外を見れば、夜の闇に街路灯が少しだけ点り、人気のない交差点を車両が猛スピードで横切る様子が見える。あれが暴走族なのか、逃亡する難民なのか、あるいはどこかの組織の車なのか。誰もわからない。
「まずは都心南部から押さえよう。空港方面も交通が止まって、荷物が滞っているはず。そこをどうにかすれば、都内への物資ルートが少しは作れる」
再興軍政局と名乗るこのチームが、最初に着手すべきプランを二人に説明する元自衛隊員。
「ただし、そこを拠点にしている武装グループがあると聞いています。中には海外から流れた自動小銃や爆弾も持っているとか……。今さら道警や陸自は当てにできないでしょう」
辻は腕組みをし、低く囁く。
「まるで満州事変だな。……昭和の俺たちが、令和、いや20XX年でこんなことをまた……」
不覚にも、どこか自嘲気味な笑みがこぼれる。しかし、ここで引き返すわけにはいかない。石原がグッと唇を結んでいる横で、辻は気を取り直したように顔を上げる。
「わかった。まずはアジトを特定し、夜陰に乗じて動く。奴らのリーダーを押さえれば、ある程度は制圧できるかもしれん。警察権を借りる余裕はないから、俺たちがやるしかない」
室内の誰もが「やるしかない」と腹をくくった表情を浮かべる。
石原は、かすかに震える自分の拳を見下ろしながら、心の中でつぶやいた。「結局、またこういう方法に頼るしかないのか。戦わずして勝つ、平和のための戦略と兵站を唱えたのに……」
“戦わずして勝つ”と豪語したあの頃の自分を思えば、まるで皮肉な現実。しかし、これが今の日本。兵器を使わねば、奪われ続けるだけという地獄。過去の帝国陸軍のやり方が正しいとは思わないが、昭和の苦い教訓がまた別の形で蘇る。
「では、緊急対策として、皆さんには制服代わりの腕章やIDを配る。自衛手段も必要だが、発砲は最終手段だ。運よく降伏させられれば、そのほうがいい」
辻はそう言いながら、手書きのメモを眺めている。これには初動部隊の編成や動員されるトラックの台数などが書かれている。燃料はほとんどが闇ルートで確保した軽油だ。法も秩序も崩壊する中で、かろうじて回している現実がここにある。
「再興軍政局が治安を回復できれば、都心部の物流も少しは安定するはず。そうすれば、人々は希望を取り戻すかもしれない。それが第一歩だよ」
石原が言葉を発すると、スタッフたちは意を決したように立ち上がる。元警察官僚の男は静かに敬礼のような仕草をし、畏まった声で述べた。
「はい。私たちはその“第一歩”を踏み出すためにここに集まりました。もう、後戻りはできません」
暗いビルの一室で交わされる、この張り詰めた緊張感。かつて昭和の戦前、満州事変に関わった石原と辻は、どこか懐かしささえ感じる。あのときも、誰もが“仕方ない”“現場がやるしかない”と言い訳をして、気づけば戦争という破局へ向かっていた。
だが今回は自分たちがその破局を阻止する立場だ、と信じたい。兵を使いながらも平和を守る。そんな矛盾を抱え、二人は令和維新党でも成し得なかった行動を始めるのだ。
「では、動こう。AIの解析は追いつかなくても、敵のリーダーを最優先で叩く。食料や物資は割り振りを決めて、現地住民に飢えさせないようにする。どんなに荒業でもかまわん、秩序を取り戻すんだ」
辻が力強く宣言すると、再興軍政局のメンバーたちはグッと拳を握りしめる。まるで旧日本軍の作戦会議を彷彿とさせるが、この部屋に集う面々は、昭和の復刻を目指しているわけではない。あくまで人々を救うため——という大義を胸に刻む。
音を立てて開いた窓からは、夜風に乗ってどこかのアナウンスが聞こえてくる。避難放送か、誰かの呼びかけか。混沌の東京を染める暗赤色の空が、まるで不吉な雨を予感させているようだった。
石原は小さな声で自嘲するように笑った。
「昭和からの亡霊が、令和を超えて20XX年で“軍政”を唱えるなんてな。笑えない冗談だ。……だが、やるしかない」
一方、辻はその呟きには答えず、地図に視線を落としたまま、ペンで大きな円を描く。そこが最初の制圧目標だ。強者たちが占拠する拠点を落とし、物資を取り戻し、周辺住民を守る。
この作戦が成功すれば、再興軍政局は“民衆の支持”を得るかもしれない。失敗すれば、昭和と同様に呪われた歴史を繰り返すだけかもしれない。どちらに転ぶかは、誰にもわからない。
しかし、この数分後、再興軍政局の部隊は夜闇を裂いて動き出す。少数のトラックとバイク、そして最低限の火器を携えて。兵站——それが何より大切だと昭和で学んだ彼らは、まず燃料と通信手段を確保し、物資運搬のルートを組み上げてから強襲の準備を始める。
部屋を出る間際、石原と辻は視線を交わした。互いの瞳に宿るのは、一抹の不安と、静かな決意。ここから先、どれほどの苦難が待っているか、わからない。だが、放っておけば無政府状態が続き、さらなる暴力と飢餓が人々を襲うだろう。
**「戦わずして勝つ」**と唱えたのは、遠い日のこと。でも、戦わずに人を救うことは、もはや叶わないのかもしれない。ならば、昭和の参謀が現代の兵を率いて、その先へ行くしかない。
ひとり、またひとりと作戦会議室を出ていく。再興軍政局のメンバーは老若男女さまざまだが、皆、危機に瀕した東京をこのまま見捨てる気はなかった。ビルの階段を降り、闇に溶け込む夜の街へ。そこに待ち受けるのは、一発の銃声か、あるいは新たな秩序か。
昭和の亡霊が転生し、軍政を名乗って走り出す20XX年の東京——この光景を、果たして誰が想像できただろう。
どこかで蛙の声が聞こえ、遠くにはサイレンがこだまする。廃ビルと割れ窓、崩れかけた高架。あらゆる不穏が凝縮された大都市の闇を、少数のトラックがノイズを響かせながら走る。それが、令和維新党の末裔が挑む“初陣”だった。
こうして再興軍政局の小さな一歩が、後の日本全体の運命を左右する。第二章の始まりは、ほんのささやかな火花にすぎない。それでも、彼らは信じる。
「ここから先は、昭和の失敗を繰り返さない道だ」と。
第三章 ―最初の試練―
夜半過ぎ、月の光すら疎らな東京の空を舞台に、再興軍政局の小さな車列が重いエンジン音を響かせていた。トラック一台とバン数台、それから数台のオートバイ――闇に紛れるように低速で進む姿は、まるで旧日本軍の夜間移動を彷彿とさせる。もっとも、それを知るのは昭和を経験した“亡霊”たちだけかもしれない。
辻政信はトラックの助手席に腰掛け、地図を懐中電灯で照らしている。運転席の若者は無言だが、緊張感が全身から伝わってくる。辻は少し申し訳なさそうに少年の横顔を見やる。
「……名前は?」
「斉藤です。元々、大学に通ってましたが……もう学校も機能してないんで」
「そうか。こんな深夜の任務に参加して、怖くないのか?」
斉藤と名乗った青年は、やや震えた声で笑った。
「まあ、怖いですよ。でも、他にやることもありませんから。家族を守るのに、誰かが動かなきゃならない。それなら、俺がやるしかないかな、と」
その言葉を聞いて、辻は胸の奥にわずかな痛みを感じた。昭和の頃、戦争に駆り出された若者たちも、こうして使命感や義務感を抱えて前線に送られたのではないか。自分がその先頭で“参謀”を名乗ったことを思えば、何やら奇妙な既視感さえある。
しかし、今はそんな感傷に浸っている場合ではない。追突や罠を警戒しながら、こちらも武器を備え、警戒態勢を取らなければならない。
車列の最後尾にはバイク部隊がついてきている。先ほど作戦会議で話した「武装グループの拠点」は、この先数キロの廃棄倉庫群にあるという。かつて物流拠点として使われていた場所で、いまは無法者が倉庫を占拠し、食料や医薬品を抱え込んでいるらしい。物資を取り戻して住民に配給するのが、今回の作戦の目的だ。
いわば、最初の試金石。うまくいけば再興軍政局の存在をアピールできるし、失敗すれば「ただの自警団崩れ」として信用を失う。すでに命を落とした警官や自衛隊員もいるという中、これ以上の失敗は許されない。
一方、先頭車両のバンには、石原莞爾と数名のメンバーが乗っていた。車内には小型ノートパソコンとバッテリーが置かれ、エンジンの振動で画面が揺れるたびに、AI参謀の簡易ソフトが地図を再描画する。通信はオフライン。直前にダウンロードした近隣の道路情報やSNSに上がった目撃情報を組み合わせ、最適な侵入ルートを割り出す仕組みだ。
「ここを左折して300メートル先を右……倉庫街の裏門を回り込む形だな。奴らの警戒兵は表門がメインかもしれない」
石原はつぶやくと、運転席の隊員に指示を伝えた。
「この通り進んでくれ。もし途中で封鎖されていたら、バイク部隊が裏道を探る」
隊員は無言で頷き、スピードを落としながらハンドルを切る。街灯の切れた道を照らすヘッドライトが、倒壊寸前のブロック塀やゴミの山を浮かび上がらせる。遠くにかすかに見える煙は、どこかで火災が起きている証拠だろう。救急車のサイレンもない。そちらへ向かえる余力はないのが悲しい現実だった。
石原は心の中で呟く。かつては**「戦わずして勝つ」**ことを夢みたが、今は最低限の武力を用いざるを得ない。警察がいない以上、暴力には暴力を持って対処しなければ、無法者がはびこり、さらに多くの市民が餓えと恐怖に苛まれるだけだ。
昭和の失敗は、戦争を拡大しすぎたこと。令和の失敗は、政治が混乱しすぎたこと。では、20XX年の失敗をどう避けるか? その答えが、いま自分がしようとしている武力行使なのかと考えると、どうにも苦い。
やがて車列は、倉庫街の一画に差しかかった。建物の影が深く、外からは様子を伺えない。石原は無線をとり、後方の車両に通信を試みる。
「こちら石原。全車両、速度を落として。バイク部隊は先行偵察を」
するとトランシーバー越しに辻の声が返ってきた。
「了解。……手荒なことはしたくないが、相手次第だな」
バイク二台がするすると車列から離れ、暗がりに溶け込むように進んでいく。彼らは元バイク便のライダーや元自衛隊の偵察員で、夜間行動には慣れているという。無線は簡易型なので距離が離れすぎると使えないが、ここなら数百メートルの範囲で通信できるはずだ。
石原はタブレット端末を確認する。画面には先ほどAIが予測した「グループの見張り場」の位置が表示されているが、実際にそうなっているかは不明。データは過去のSNS書き込みや避難民の証言をもとにしているため、確度は高くない。
「“戦場”なんて言いたくはないが、もうそう呼ぶしかないな……」
石原は心の中で吐息を漏らし、そっと眼を閉じる。昭和では満州事変、日中戦争、太平洋戦争……数々の戦火を経験した記憶が蘇る。もうあの苦しみは味わいたくない。だが、戦わねば人々を守れないなら——。
無線から小さくノイズの混じった声が聞こえる。
「……バイク隊です。表門に二人、銃を持った見張りらしき人影を確認。裏手の通用口は一応施錠しているようですが、警戒は薄そうです」
石原はすぐに辻のトラックへ伝える。辻の回答は簡潔だ。
「了解。全車両、裏手に回る。見張りには気づかれないように接近し、できれば一撃で制圧。騒ぎになると厄介だ」
ここで辻の声がトランシーバー越しに低く響く。
「石原、もし向こうが発砲してきたら、こっちも撃つしかない。だが、死傷者は最小限に抑えたい。……うまく指揮してくれ」
「わかっている。やるしかないんだろう?」
会話が終わると、石原はシートの下に隠していた拳銃をそっと取り出す。念のために渡されたものだが、こんなものを握るのは戦後の彼にとって忌まわしい感覚だ。転生後に銃を手にする日がくるとは思わなかった。
車列が倉庫の裏手に回り込む。ここは大きな貨物トラックも入れるスペースがあるが、目立つため今は停車せず、ライトを落として慎重に進む。夜闇の奥に、コンクリートの壁が見え、その先に一軒だけ灯りがともっている建物がある。そこがおそらくグループの基地だ。
バイク隊の一人が手信号を送ってきた。数十メートル先で人影が動いているらしい。石原たちは車を降り、手ぶりで小分隊を二手に分ける。一方は倉庫の扉を確かめ、もう一方は人影を「確保」する。
バンッ!
静寂を破る銃声が響いたのは、そのときだ。
石原が思わず身を伏せる。どうやら先手を打たれたらしい。誰が撃ったのか、見張りか、それともこちらの分隊が誤って威嚇射撃をしたのか。暗闇の中では判別しづらい。
「くそ……もうバレたか!」
誰かの叫び声が聞こえる。途端に倉庫の扉が乱暴に開き、中から複数人が飛び出してくる。手にはライフルや刀剣まで持っている者もいる。
辻のトラックから、さっと義勇兵が降車。サバゲー用の防弾ベストや工事用ヘルメットを被っただけの簡素な装備だが、ある程度射撃の訓練を受けている者もいる。
「再興軍政局だ! 武器を捨てて降伏しろ!」
誰かが大声で呼びかけるが、相手は怯む様子がない。むしろ逆上したように発砲し、銃弾が鉄柱に当たって火花を散らす。
パパパンッ!
激しい銃声が周囲に反響する。石原は身を伏せながら、バンの陰に隠れ、無線機を握りしめて状況を把握しようとする。
「落ち着け! 応戦は最小限だ!」
しかし、戦場に理想論は通用しない。すでに双方が撃ち合いを始めていた。
破裂音と悲鳴、どこからかガラスが割れる音。迫りくる混乱の中で、石原は苦悶の表情を浮かべる。なぜこうなった? 本当に“平和”を目指しているのか? このままでは昭和の二の舞ではないか。
そんな思いとは裏腹に、耳に痛いほど響く銃撃音と、周囲に飛び散るコンクリ片が現実を突きつける。
「くそ……!」
そこへ、辻政信の姿が視界に入った。彼はトラックの後ろから飛び出し、片手に拳銃を構え、別の手で小隊員に指示を送っている。まるで戦場の指揮官のような様子だ。
「左右から回り込め! 奴らを囲む! 正面突破はやめろ!」
昭和の陸軍参謀としての嗅覚が、今この令和崩壊後の夜に蘇っている。いくつかの射撃が重なり、金属の焼ける匂いと硝煙の臭いが漂う。
その数分が、どれほど長く感じられたことだろう。最後には相手グループがやや劣勢になり、数人が「やめろ、降伏する!」と叫びながら武器を捨てた。
「銃を捨てろ! 動くな!」
義勇兵が指示し、何人かが地面に伏せる。最初の衝突で何名かは撃たれたようだが、致命傷は少ないように見える。軽いうめき声が暗闇の中に微かに響く。
「もう撃つな! もう撃つな!」
荒んだ声で叫ぶ男が一人、必死に頭を下げる。どうやらリーダー格らしい。やがて彼を取り囲むように義勇兵が銃口を向け、完全に制圧した格好になる。
石原は全身の力が抜け、地面に片手をついた。無線機がガタリと音を立てる。この短い銃撃戦が、まるで何十分も続いたような消耗感だ。
周囲の倉庫からは別の義勇兵たちが、箱や袋を運び出している。どうやら大量の食糧や医薬品が隠されていたらしい。それを確保できれば、近隣住民に配給することが可能になる。
「ああ……終わったのか?」
思わず漏れた石原の声に、暗闇から辻が姿を見せる。彼の服の袖が少し破れ、額にうっすらと汗をかいているが、その目は鋭く光っていた。
「どうやらな。最小限の流血で済んだようだ……お前は無事か、石原?」
石原は頷いたものの、心中は複雑だった。最小限かどうか。本当にこれでよかったのか。
「……死者は?」
「向こうで一名が倒れてる。うちも数名、かすり傷や弾が掠めたらしいが、大事ない。応急処置をしているところだ」
夜風が一段と強く吹き抜け、倉庫街に漂う硝煙の匂いをさらっていく。中途半端に照らされた月の光が、コンクリートの壁に不気味な影を落とし、そこに数人の“捕虜”がうなだれて跪いている。
石原は唇を噛んで、その光景を直視できない。まだ耳には銃声の残響がこびりついている。
「石原、気をしっかりしろ。これが、俺たちが選んだ道なんだ。昭和も令和も関係ない。今は、この国を守るために……」
辻が優しく諭すように言うと、石原は静かに首を振った。
「わかってる……でも、なぜこんな形になる? 本当は話し合いで解決できればそれが理想だろうに」
遠くの方で、義勇兵たちが歓声を上げている。巨大な倉庫の扉を開けてみれば、中から相当量の食料と水、さらには医薬品らしき段ボールが次々と見つかったらしい。これだけあれば、周辺住民をしばらくは飢えと病気から救えるはずだ。
辻が「見ろ」と顎で示す。
「この物資がみすみす奴らの手中にあっては、住民たちがさらに苦しむだけだった。俺たちが守らねば、誰が守る? 政治が死に、治安が崩壊した今、こうするしかないんだよ、石原」
相手グループのリーダーは、まだ若い男だ。肌を浅黒く焼き、頬に傷痕がある。震える声で「俺たちだって生きるのに必死だった」と繰り返している。
辻は聞き取れる範囲で事情を尋ねたが、結局はどこかから拳銃を入手し、周辺の店舗や小さな集荷倉庫を襲って物資をため込んでいたとのこと。“略奪”と言えばそれまでだが、男たちもまた自分や仲間を養うために必死だったのかもしれない。
「連中をどうする? このまま釈放するわけにもいかんだろう」
義勇兵の一人が辻に尋ねると、辻は少し黙ったあと、短く答える。
「再興軍政局で拘束し、労働に従事させるか……。さもなくば別の場所に送還するが、行き先もないだろう。むしろ、配給を得る見返りに何らかの作業をしてもらう形がいいかもしれん」
昭和の言葉で言う“抑留”や“徴用”を、いま再び持ち出すことになるとは。石原は暗い表情でその場に立ち尽くす。こうしなければ物資管理ができず、混乱が拡大するという理屈は理解していても、現実が容赦なく突きつけてくるのは“独裁”に近い体制だ。
遠方で誰かが歓呼の声を上げる。倉庫にあった医薬品の一部は、感染症で苦しむ住民のところへ届けられるらしい。石原はその一報にわずかに救われる思いがした。これで、少なくとも少数の命は救われる。弾丸を撃ち合った甲斐があった、とは口が裂けても言えないが、無法者だけが暴力を独占しない形をつくれたのなら、第一歩としては合格と信じたい。
やがて夜明けが近づき、空が少しだけ白み始めたころ、再興軍政局のメンバーは疲労困憊のまま作業を続けていた。押収した物資をトラックに積み込み、捕虜となったグループの男たちを車に乗せて保護(拘束)する。そう遠くない拠点に彼らを連行し、“軍政”の名のもとで管理するのだ。
アスファルトに散らばった空薬莢やガラス破片は、昭和の戦場を思わせる。だが、ここは20XX年の東京。無邪気に人々が行き来していた時代はもはや幻だ。
「石原、これで俺たちは“ただの自警団”ではないと、周囲も認識するだろう。次に目指すのは何か……言うまでもないが、都心の物流を安定させ、住民に食糧を行き渡らせることだ。配給を軌道に乗せれば、軍政局に協力したいという人間も増えるだろう」
辻が低い声で語りかけるのを、石原は黙って聞いた。銃を握ったままの自分を見下ろし、しばし言葉が出ない。これが本当に最善の策なのか。それでも、見殺しにするよりはいいのか――。
「……わかった。まずは今日の戦果と損害をまとめて、近隣住民への配給計画を立てよう。AIの解析が間に合わなくても、現状を数値化して、何がどれほど必要なのかを割り出す。そこで、今度こそ“平和の兵站”を形にするんだ」
石原はそう言いつつ、わずかに前を向き直る。仮に暴力を使ったとしても、その先にあるのは“戦わずして勝つ”ためのシステム作りだ。そう信じなければ、昭和の亡霊が今ここにいる意味はない。
朝陽がうっすらと倉庫街を照らし始める。血と硝煙の匂いが漂う一角で、再興軍政局の車両がエンジンを回し始めた。いつもなら渋滞だらけの通勤路も、もはや車の往来はまばら。彼らの小さな車列だけが、夕闇の逆を行くように、白み始めた空を背に進んでいく。
そこには、昭和の時代に失敗した二人の将校が、令和を超えて20XX年の日本をどうにか救おうともがく姿があった。たとえ矛盾した道であっても、いまはこれしかない。
こうして、再興軍政局が“武力を伴う統制”を初めて行使した夜は明けた。
民衆に物資を分配し、暴力を鎮める。理想は悪くない。だが、その先にあるのは権力闘争やさらなる暴力の可能性だという不安が、石原と辻の胸に重くのしかかる。
見上げれば空はすでに薄い水色。どこかのビルの窓からはまだ煙が立ち上り、朝陽の向こうには破壊されたビル群がシルエットとして浮かんでいる。昭和から令和へ、それを超えた世紀に“もう一度、軍服を着る”とは何たる皮肉——そう苦笑しながら、彼らは車列とともに去っていく。
だが、まだ始まったばかり。次なる試練は、都心の配給か、それとも同じように餓えた無法者の再来か。それは誰にもわからない。
ただ一つ確かなのは、昭和の失敗を繰り返すまいと誓った参謀たちが、また一歩、兵を動かしてしまったという事実だけだ。果たしてこの一歩は、かつての悲劇を乗り越える道となるのか、それとも新たな破滅の序曲となるのか。
夜が明けても、東京の混沌は続く。再興軍政局が残した銃痕と、倉庫に転がる段ボールの山は、彼らが軍政という名の秩序を掲げて歩み始めた第一歩を、そして失ったものの大きさを、朝焼けのなかで無言のまま物語っていた。
第四章 ―分配の原理―
翌朝。
荒廃した倉庫街から撤収した再興軍政局のメンバーが戻ってきたのは、旧都内の一角にある廃ビルだった。かつてビジネス街として賑わっていた地区も、いまはほぼゴーストタウン。倒壊はしていないものの、空きオフィスや放置された家具が散乱し、まるで廃墟のテーマパークのようだ。
そのビルの十階に、仮設司令部を設けている。幸い、タワー型のビルだったので、屋上にソーラーパネルを置けば、最低限の電力を確保できる。エレベーターは動かせないが、階段で登れるだけマシだ。夜間は自家発電で照明をともし、昼間は残存電力でPCを動かす――そんなやりくりのなかで、彼らは必死に作戦を立案し、実行してきた。
石原莞爾がエントランスを抜けて十階の司令部に着く頃、すでに十数人のスタッフが慌ただしく動いていた。すっかり夜が明け、窓の外には火災や暴動で焦げた街並みがうっすら見える。どこかで鳴っているサイレンは、まだ鳴りやまない。
石原は小さく息を吐きながら、狭い扉をくぐり抜ける。中には、パソコンやタブレットが置かれた長テーブル、それに折りたたみ椅子がいくつか。スタッフの一人が駆け寄ってきた。
「お疲れさまです、石原さん。作戦はどうなりました?」
「倉庫街は無法グループを追い払い、大量の物資を確保。被害は最小限です……いや、それでも何人か流血してしまったが」
石原の表情は暗い。誰もがそれを察して口数を控える。
一方、程なくして辻政信が部下を従えて入ってくる。彼の袖口は血痕と埃で汚れ、顔も幾分やつれて見えるが、その目は鋭く光っていた。
「よし、第一段階は成功だ。これで南部地区の住民に食料と医薬品を配れる。さっそく配給計画を立てるぞ」
辻の呼びかけに、司令部の若者たちは次々と資料を取り出し、テーブルの周りに集まる。そこには一枚の大きな地図があり、昨夜の戦闘地域や押収した倉庫の位置がマーカーで示されている。周辺の避難民や住民数の推定データは、AIが過去に分析したものをベースにしているが、ここしばらく更新されていなかった。
「南部地区全体で、推定五千人以上が飢えている。感染症も拡大の恐れがある。倉庫から確保した米や缶詰、薬品は相当量あるけれど、一度にばらまけばあっという間に無くなる。取り仕切る人間がいなければ、また奪い合いが起きるだけだ」
辻がそう言って腕を組むと、元警察官僚の男が資料を取り出す。
「そこで、配給券の導入を提案します。住民登録を行い、再興軍政局の管理下に入る意志を示した人に『労働と交換で、定期的な配給を行う』という仕組みを……」
その言葉に、石原は目を伏せる。配給券。戦時中に散々使われた手法だ。当時の日本国民は、配給券なしには物が買えず、規制と統制のもとで息苦しい生活を強いられた。
しかし、今の日本では「市場経済」など成り立たない。通貨も信用がゼロに近い。物々交換も体系が整わず、あちこちで暴力による略奪が横行する。ならば統制経済にせざるを得ない、という理屈もわかる。
「労働と交換」とはどういうことか――要するに軍政局の指示のもと、清掃作業や道路整備、あるいは自衛任務などに就く人に、食料や薬を分配するというわけだ。さながら昭和の“国民皆兵”に近い仕組みだが、背に腹は代えられないと考える住民が多いのも事実。
「これで秩序を保てるなら、やるしかない。それに、我々も人手が必要だ。大きな組織が動かない以上、インフラを修復するのは市民自身だ」
辻が言い切ると、元自衛隊員の青年が頷いた。
「ただ問題は、住民登録の際に個人情報をどう管理するか。IDを発行するにしても、紙でやるのか電子でやるのか……。AI参謀をフル活用できればいいんですけど、通信が……」
石原は小型のノートPCを立ち上げ、画面に砂嵐のようなインジケータが踊るのを見ながら唇を噛む。昨夜の戦闘で得た物資は大きいが、その分、事務処理が膨大になる。仮に自由にネットが使えれば、オンラインで一元管理が可能だが、現状は電力不足と通信不通のダブルパンチ。
「当面は紙ベースでやるしかない。だがこれだと偽造防止が難しい。配給券の横流しも出てくるだろう」
石原が指摘すると、辻は冷淡な調子で答えた。
「見つけ次第、取り締まる。そうしなきゃ秩序は保てない。……昭和の軍票なんて代物よりはマシだろう。いまの日本で機能する経済システムを作るのが先決だ」
昭和なら軍票、令和なら電子マネー、そして20XX年の今は配給券――歴史の皮肉を感じながら、石原はうなずく以外にない。無政府状態が続けば、さらに悲惨な略奪が起き、子供や老人が死ぬかもしれない。強権的だと批判されても、ここで大枠を作らなければならないという考えは、やはり現実的だ。
そこへ、夜間の作戦に同行していた義勇兵たちが次々と帰還報告に来る。大きな収穫は、倉庫にあった医薬品の箱だ。抗生物質や解熱剤、包帯など、病院が閉鎖されている中で、これほどの医薬品は極めて貴重な命綱となる。
「これをどこへ配ればいい? 以前から発疹熱が流行しているスラムがあるが……」
報告を受けた石原は、頭を抱えそうになる。感染症対策にも兵站論が必要なのだと痛感する。これが昭和なら軍医部が軍政と連携して“予防接種”を指揮したかもしれない。
「まずは最も被害が大きい地域へ優先配備しよう。居住密度と伝染速度をAIが推定したデータがあるはず……」
そう言って端末を確認しようとするが、またしても通信障害で最新データを取りに行けない。苛立つ石原を見て、辻が言葉をかける。
「いいんだ、石原。完全なデータがなくても、我々には昭和の経験則がある。どこにどう物資を送れば効率が良いか、まずは大雑把に把握すればいいさ」
いま日本に必要なのは、綺麗事の理想論でも、過度な最新技術でもなく、**「生き抜くための兵站マネジメント」**なのだと二人は改めて認識する。AI参謀が本格稼働すれば理想的だが、その前にまずはアナログな情報収集と作業指揮で動くしかない。
「配給券にしても何にしても、まずは住民の信頼が肝心だ。今回の倉庫確保で、我々が単なるコスプレ集団や自警団崩れではないと示せれば、参加者は増えるかもしれない。ある程度の“軍政”をしくことに抵抗を感じない人もいるだろう」
辻がそう言うと、警官OBの男がわずかに苦笑した。
「ある程度どころか、結構な統制が必要ですよ。市民が自由に動けば、また略奪が起きて物資が足りなくなる。私が警官時代に培った方法では対処できないほど、世紀末のような状態ですから」
世紀末――この言葉が、いまの日本には妙に似合っていた。石原は椅子に腰を下ろし、テーブルに置かれた紙の書類をめくる。そこには**「再興軍政局 配給計画(暫定)」**と書かれている。内容は至ってシンプルだが、要は住民を当局が管理し、必要分の物資を支給するという“計画経済”の初期形態だ。いつか昭和で見た統制経済の再来にも近い。
大きく息をついて、石原はつぶやいた。
「……戦わずして勝つ。かつての俺は、最終戦争論を語りながらも侵略を止められなかった。それが、今度は何とか平和を守るために軍政と配給を敷くなんて、因果なものだな」
辻はそれを聞いて、不意に優しく微笑んだ。
「石原、昭和の戦争は侵略か否か……いろいろあったが、少なくとも今は国土が崩壊している。俺たちが守っているのは、国を蹂躙するのではなく救う立場だ。たとえ独裁と呼ばれても、民衆の命を救えるなら、やるしかない」
そんな二人のやりとりを、スタッフたちは黙って見守る。彼らもまた“民主主義”や“自由市場”を信じていた世代だが、それがあっけなく崩壊した今、新しい秩序を模索するほかない。昭和の亡霊と共に歩む道が正しいのかはわからないが、道を切り拓く意志だけはある。
「では、配給計画を実行に移そう。まずは南部地区の住民を対象に、住民登録を簡易的に始める。そこで得たデータは紙で管理する。偽造対策は難しいが、そこは地道に見分けるしかない。医薬品は優先度の高いエリアから配る」
辻がそう決定すると、全員が頷き、賛同した。彼の参謀的な指示は的確で、一度ゴーサインが出れば即座に動き始めるという昭和的な統率力がそこにあった。
スタッフの一人が「今の私たちが一番欲しいのは何でしょう?」と尋ねる。自衛用の武器か、通信設備か、AI用のサーバーか。
石原は意外な答えを返した。
「人だよ。人材が何より必要だ。配給だけでなく、医療や保安、インフラ修復、通信を支える技術者……今の日本には“職業”という概念が崩れ去ってしまっている。だが、逆に言えば、再興軍政局が専門家を集め、新しい社会を組み立てられるかもしれない」
そう言ってから、石原は自嘲気味に笑う。
「昭和の“総動員体制”みたいなものかもしれないが、誰もが生きるために自分の技能を活かし、見返りに配給を受ける。それをAIのデータ管理で最適化する……理想論かな?」
辻が横から口を挟む。
「理想で終わるかどうかは、俺たちのやり方次第だろう。ゆくゆくは地方へも拡大し、崩壊を防ぐ。昭和から令和まで失敗続きだったとしても、今度こそやってやるさ」
昭和を生きた亡霊二人が、ここ20XX年で軍政と計画経済を唱えている――なんと奇妙な光景だろう。だが、その奇妙な光景が、いまの日本では現実になりつつある。
この日、軍政局の新しい看板が簡素な鉄枠に取り付けられた。「再興軍政局 配給管区司令部」。同時に、最低限の法令を補うような“自治規則”も手書きで作成され、ビルの壁に貼りだされる。改造した複合機がまだ動くので、紙のチラシを印刷し、支部スタッフが周辺地区に配って回る。
「配給券で食料と医薬品が手に入ります。再興軍政局に参加しましょう!」――昭和の戦意高揚ポスターではないが、どこか似た空気があるのは否めない。
石原はポスターを見ながら、遠い目をする。**最初は“戦わずして勝つ”**を標榜していたはずが、いまや「勤労と交換で配給を受け取れ」という軍政の宣伝を貼り出す立場になってしまった。しかし、これをしなければ飢え死にする人が増えるのも確かだ。
まさに**「分配の原理」**――生き残るためには、強権的な管理も辞さず、持てる資源を合理的に配る。それこそが昭和の戦時経済の基礎でもあった。今こそ、その“歴史”を別の形で活かす時なのかもしれない。
一方で、この原理は“自由”や“個人の意思”をないがしろにする危険を孕む。辻と石原は、それが新たな独裁に繋がらぬように、どこまで制御できるのか。
空はすでに青く澄み渡り、気温が上がりつつある。ビルの外階段を上がれば、東京の瓦礫と化した街並みが一望できる。緑の少ない灰色の大地が広がり、崩れたビルやブロックが所々で山積みになっている。空気を吸うだけで、焦げや埃の混じった味がする。
それでも、司令部の周辺には、生きるために人が集まり始めている。配給を求める主婦や老人、行くあてもない若者、何とか家族を支えたい父親――そうした市民が「再興軍政局」の呼びかけを聞きつけて集まってくるのだ。
玄関先では、スタッフが簡素な机を出して用紙を配り、名前や年齢、希望する役務を訊いている。もちろん皆が皆、すんなり応じるわけではない。「何だ、昭和の軍国主義か」「こんなのただの独裁だろう」と罵声を飛ばす者もいる。
その向こうで、石原はバランスを欠いた状態で立ち尽くし、しばし黙想する。自分たちは“独裁者”などになる気はない。しかし、結果的にこうなっている。それでも、放っておけば餓死者や犯罪が増えるだけだと考えると、ほかに道はないように思える。
その背後に辻が近づき、軽く肩を叩く。
「石原、俺たちが始めた配給システムを広げ、混乱を沈める。そうしているうちに、地方にも影響力が波及するだろう。そしたら本格的に“日本版満州国”を……ああ、まぁ名称は別として、国土を再編し、真の平和を築けるかもしれん」
「満州国」――その単語に、石原の心はざわめく。かつての満州国は掲げた理想と現実の落差が悲劇を生み、世界を敵に回した。しかし、20XX年のいま、日本列島そのものが崩壊しつつある。外から資源を買い付ける術もなく、国際社会は混乱していて支援も見込めない。ならば、自給自足と集権統制しかないのだろうか。
「……“日本版満州国”、か。昭和の失敗を繰り返す恐れはあるが、それでもやらなきゃ仕方ない。AI参謀も、いつかフル稼働できる日が来たら、もっと公平に資源を配分できるはずなんだ」
石原は自分に言い聞かせるように力強く言う。
「今は分配の原理で人々を救う。昭和のときみたいに戦線を広げるためじゃなく、人命を守るために兵站を使うんだ。そこが違う……そう信じたい」
辻は笑みを浮かべ、石原の肩に手を置いた。
「そうとも。俺たちは二度と侵略や拡張のために兵站を使う気はない。ただ、無政府状態を抑え、民衆に物資を行き渡らせる――それが我々の“軍政”だ。上手くいくかはわからんが、やるしかない」
玄関先では、朝日を背に長い列ができ始めていた。配給を求める人々の群れだ。既存の行政が死んだ今、彼らにとって、再興軍政局は最後の頼みの綱かもしれない。だが、少し遠巻きに見ている市民の表情には不安と疑念が混ざっている。
「本当に軍服着た奴らが支配するのか」「また昭和みたいな暗黒時代がくるんじゃ……」と囁く声が聞こえる。
しかし、黙っていても何も生まれない。かつて令和維新党が夢見た“平和的改革”など、遠い幻想となり、いま二人の“参謀”は独自の計画経済を実践しようとしている。作戦は始まったばかりだ。人々を救うための兵站システムか、それとも新たな独裁への入り口か。第四章の光景は、そんな紙一重の境界を浮かび上がらせる。
倉庫から持ち出された米と水、医薬品を満載したトラックが、ビルの駐車場に到着する。若い義勇兵が扉を開け、段ボール箱を引きずり出すと、それを配給スタッフが受け取り、数を確認して品名を書き留める。“紙とペン”だけが唯一の管理手段だ。やがて列の先頭にいた母親らしき女性が、恐る恐る配給を受け取る。
泣きそうな顔で「ありがとうございます」と呟くその表情を見ると、石原の心はわずかに救われる。少なくとも、彼女とその子供が今日を乗り切れるなら、それは意味のあることだろう。
しかし同時に、自分たちが始めた「配給と労働の交換システム」が、自由を奪い、再び多くの人々を束縛する未来を招くのではないか――昭和での過ちが、頭をよぎるのも事実。
「辻、石原、すぐ来てください。北の地区でも似たような無法グループが暴れています。そちらにも出動を?」
スタッフが緊張した面持ちで呼びかける。辻は軽く額に触れながら「またか」と小さく呟いた。破綻した日本には、同様の混乱がそこかしこにある。
「行くしかない。南部だけを救っても意味がないからな」
辻はすぐさま対応を指示し始める。配給は続行しつつ、急いで別動隊を編成し、北の地区へ向かわせる――兵員や物資が足りるだろうか。
石原は端末を覗き込み、旧都内の地図にある程度の予測を当てはめる。AI参謀を本格運用できれば、配置やルートが効率化されるが、これまた通信障害がネックだ。とはいえ、前夜の成功(あるいは小成功)は、メンバーの士気を高めている。
玄関前に並ぶ市民の列を横目に、石原は内心で祈った。どうかさらなる流血を招きませんように。戦いたくなどない。だが、戦わねば物資を守れない。そんな矛盾が心に疼く。
“分配の原理”――それは人々を救う手段になるかもしれないし、同時に魂を縛る鎖になるかもしれない。その危うさを昭和の記憶が警告しているが、いまのところ二人にそれ以外の道は見えない。
こうして、第四章の幕は閉じ、再興軍政局の計画は前進を始める。首都に、ひいては全国にこれを広げ、無政府状態を終わらせる。それが果たして祝福される変革なのか、あるいは新しい支配構造の始まりにすぎないのか――まだ、誰にもわからない。
ビルの非常階段から下を見ると、配給を待つ人々の行列が少しずつ長くなっている。誰もが同じことを考えているだろう。「これが新たな秩序か。それとも、昭和の暗い亡霊か」。
一筋の朝陽がビルの壁を照らす。混沌の先に一握りの光が差し込んでいるようにも見えるし、すべてを焼き払う予兆にも見える。そんな不穏と期待の狭間を、昭和の参謀たちは足を踏みしめながら歩いていくのだ。
第五章 ―地方の声―
再興軍政局による首都圏での配給が始まってから、数日が経過した。
かつて“日本の心臓”と呼ばれた東京は、地表のあちこちが焼け焦げ、公共交通も寸断され、その姿は「世界最大のスラム街」と化しつつある。もはや人口を正確に把握することすらできず、多くのビルが半ば廃墟と化し、避難民や野宿者が群れをなすように生きている。
それでも、旧都内の一角に立つビルを拠点とした軍政局は、配給制度や住民登録を粛々と進めていた。紙の配給券と簡素な労働割当。昭和の亡霊と揶揄されようとも、やるしかない——という必死の作業が、わずかながら「統制社会」と呼べるものを形成し始めている。
1. 地方からの知らせ
ある朝、司令部として使われている十階フロアに、一本の通信が入った。ビルの屋上アンテナを改造し、短波無線で届いたその連絡は、関東北西部に位置する地方自治体の有志を名乗る者からのものだった。
「首都圏の混乱は耳にしていますが、こちらも似たような状況にあります。
地方といえど、行政機能が半壊し、食料や燃料の確保が困難です。
もしそちらが“軍政”で秩序を取り戻しているなら、我々と協力できないでしょうか?」
電文の言葉遣いは丁寧だが、その裏には切羽詰まった空気が感じられた。国や県の機能が失われ、自衛隊も動けない状況下で、地元の人々が自警団を作って対処していたらしい。しかし、資源も知恵も限界がある。どうにか自分たちを助けてほしい——そんな悲鳴にも似た依頼が、電波を通じて届いているのだ。
これを聞いた石原莞爾は、「早速、連絡を返そう」と意気込む。
「同じ関東圏ならば、陸路で物資を運ぶこともできるかもしれない。だが、こちらにも余裕があるわけではないからな……」
一方で辻政信は腕組みをし、苦い顔を浮かべる。
「そもそも地方自治が残っているなら、彼らだけでどうにかできないか? 軍政局が出しゃばる形だと、抵抗されるかもしれんぞ」
それでも「声をかけられたからには、放ってはおけない」と、結論は出る。もともと、東京だけを支配したいわけではない。より多くの地域と協力し、混乱の拡大を防ぐ。そのために生まれたのが再興軍政局なのだ。
「よし。返事を出そう。『もし配給を求めるなら、人と物を交換する仕組みを作りたい。こちらも余裕がないが、AI参謀のデータや最低限の燃料を回すことができるかもしれない』とな」
辻がそう指示すると、スタッフたちが短波無線の暗号化システムを起動する。今さら通信暗号などと言うと大仰だが、雑多な周波数の中で外部に情報を漏らすわけにはいかない。何者が聞いているかわからないからだ。
石原はノートPCを開きながら、少しだけ希望を感じていた。もし地方の自治体と協力できれば、農業や電力などをもっと効率化できるかもしれない。昭和の時代なら中央政府が“お上”として号令をかけたが、いまは政府そのものが存在しない。再興軍政局がその役割を担う形になるのだろうか……。
2. 忘れられた県道
数日後、軍政局の一行は北西方向へと続く高速道路(既に検問や瓦礫で使い物にならない)を諦め、むしろ旧道や県道を辿って、自治体の有志が待つという場所へ向かうことになった。
トラックやバンの車列は、以前と同じように警戒を怠らない。途中には道路が割れていたり、橋が崩落していたりして、地図にない迂回路を探すこともしょっちゅうだ。加えて、夜盗に近いグループが潜んでいる可能性もある。
道中、車窓から見える光景は、東京の廃墟とはまた違った寂寞を帯びていた。田畑は荒れ果て、農具が放置されて雑草が伸び放題。小さな集落には、ほとんど人気が感じられない。
「地方だからって安心はできないんだな。水や肥料、燃料が足りず、農業すら継続できないんだろう」
石原がそう呟くと、隣に座る隊員が申し訳なさそうに言う。
「ええ。いまは輸入も止まっていますし、流通自体が崩壊してますから……」
やがて、車列は寂れた道の駅の跡に差しかかる。そこには数台の車が並び、“受付”と書かれた看板の前で地元の人々が待っていた。元は役場職員や消防団のメンバーだというが、衣服はボロボロで疲労の色が隠せない。
「あなたが……再興軍政局の、石原さんと辻さんですか?」
代表らしき中年の男性が、ぎこちない笑顔を浮かべる。
辻はトラックから降り、薄い埃を払いつつ手を差し伸べた。
「そうだ。俺は辻。こちらは石原だ。呼んだのはあなた方か?」
男性は深々と頭を下げる。少し離れたところにいる数名の仲間たちも、警戒するようにこちらを見ている。誰もが飢えと不安に苛まれている様子だ。
「はい。私たちは地元の役場にいた者で……もう県も国も機能しないため、町を守る組織を作ろうと必死なんです。けど、食糧も医薬品も乏しく、治安も悪化。東京のほうで“軍政”を敷いていると噂を聞いて、すがる思いで連絡を……」
その話を聞いて、石原は胸が痛くなる。東京でも散々苦労しているのに、地方は地方で同じ地獄を生きている。もし協力すれば、ある程度の支援ができるのかもしれない——だが、こちらも無限の資源があるわけではない。
「まずは状況を詳しく教えてくれ。人口はどれほどか、飲み水や電力はどうしているか、治安を乱しているのはどんな連中か……」
辻が立ち話のまま矢継ぎ早に質問すると、男性は戸惑いながらも要点をまとめて話す。地元にはまだ数千人規模の住民が残っており、水源を自前で確保しているが、燃料がなくてポンプを動かせない。電力はほぼナシ。治安は自警団がなんとかしているが、周辺から流れてくる難民が増え、トラブルが絶えない。
「配給制度を導入したいけれど、ノウハウがないし、物資も不足しています。せめて米や野菜だけでも、まとまった量があれば……」
石原は首を振る。
「米や野菜だって、東京でだって不足している。結局、輸入は途絶えたままだ。農家の再稼働や地元生産を復興させるしかない。われわれの軍政局も、完全に手が回るわけじゃないんだ」
男性らは肩を落とす。それでも、彼らが必死で連絡を寄越したのは、何かしらの助けが得られると期待しているからに違いない。
「じゃあ、どうすればいいんですか……?」
そう嘆くように言われても、石原たちに妙案はない。最終的には“兵站”をまとめて運用するほかない——つまり、彼らも再興軍政局の一員として“参加”してもらうか、あるいは独自にやってもらうか。が、後者は現実的でないだろう。
辻は顎をさすりながら答える。
「関東全体をまとめ上げて、自給自足のシステムを作る。個別の町や村が独立していても、燃料や農機具が手に入らないだろう? 俺たちの配給制度に乗れば、ある程度は資源の融通ができる。だが、その代わり軍政局の指示には従ってもらうことになるが……」
それは中央集権か、軍政による統治か。住民から見れば「昔の政府よりマシかもしれない」と思う一方、「東京の連中に支配されるのか」という抵抗感も少なくないだろう。男性らは顔を見合わせ、苦渋の表情を浮かべた。
「それはつまり、我々の町を事実上“軍政下”に組み入れるという意味でしょうか……?」
石原が口を開く。
「そうなる。現時点では、国家という枠組みが機能していないんだ。われわれは自治を否定するわけじゃない。ただ、最低限の物資分配と治安維持は中央で統括しないと崩壊する。……もちろん、強制はしたくない。判断はあなた方に委ねる」
男性らはしばらく無言でうつむく。周囲の住民たちもそっと耳を傾けている。そこには希望もあれば、不安や疑念も混じっていた。「昭和の軍部がやってきた」かのような危機感を抱く者もいるだろう。しかし、現実には食糧や燃料が不足し、中央政権は消滅している。選択肢は多くない。
しばしの沈黙の後、一人の若い女性が声を上げた。役場の職員だろうか。
「私たちは……生きるために何でもします。どうか助けてください。町のみんなが、もう限界なんです」
彼女の言葉に、周囲も小さく頷く。もう誇りやプライドを言っていられないのだ。独立か支配かという議論より、まず明日の命が優先される。当然と言えば当然だ。
石原は、その瞳に宿る懇願の光を見て、胸が痛む。これでは昭和のときと同じだ。人々が苦しみ、困窮して頼る先が“軍の統制”だったなんて――いま再び、その過去を繰り返そうとしているのか。
一方、辻は静かに頷いて返事をした。
「わかった。俺たちができる範囲で協力する。ただし、配給制度と労働力の確保、それから治安維持のための共同作戦に参加してもらう。自治や文化は可能な限り尊重するが、総合的な兵站指揮は我々が握る。いいな?」
男性や周囲の人々は複雑そうな顔で、それでも「お願いします」と頭を下げるしかなかった。
こうして、地方の小さな町が再興軍政局の“管区”に組み入れられることが決まった。もはや合意というよりは、共倒れを避けるための苦渋の妥協。昭和の“外地編入”を想起する者がいても、不思議ではない。
3. 受け継がれる不安
それから日が暮れるまで、辻と石原はこの町の人々から詳しい事情を聞き取った。農業を再開するにも肥料がない、代替燃料がなくポンプが回らない、医療施設は医師不足で休止――東京の惨状と同じか、あるいはそれ以上の困難が横たわっていた。
石原は密かに「AI参謀を本格稼働させられれば、地方の情報も一元管理でき、最適な再建手順を導き出せるだろうに」と歯がゆい思いを噛みしめる。しかし、通信や電力の脆弱さがネックとなり、遠方のサーバーにアクセスするどころか、東京の拠点と連絡を取り合うのも一苦労。
夕刻が迫り、再興軍政局の車列が町を出ようとする頃、地元住民の中から一人の老人が声をかけてきた。白髪で杖をついており、その横には少女らしき子供の手を引いている。
「どうか、我々を見捨てないでください。私も昭和を知っています。あの戦争中、配給は地獄だったが、それでも皆で助け合ったから生き延びられた。今度は、もっと上手くやってくれるだろう?」
最後の言葉に、石原と辻は戸惑いの表情を浮かべる。過去の失敗を知るがゆえの恐怖。それでも人々は、いま再び同じような統制を「望む」しかないのだ。この状況が、二人の胸に重くのしかかる。
「昭和の頃と同じ轍は踏まない……約束しよう。私たちは戦争ではなく、平和を築くための兵站だ」
石原がそう言うと、老人は力なく微笑み、少女の手を握りしめて小さく頷いた。苦い記憶を抱えつつも、今を生き延びるためには新たな秩序を受け入れるしかない——それが20XX年の現実だ。
4. 転がりはじめる“軍政”の輪
帰路の車列の中で、石原はあらためて自分のノートPCを開き、作動中の簡易AIにデータを入力する。地方の町が一つ、再興軍政局の“管区”として参加を表明した。今後は定期的に物資を送る代わりに、そこから農産物や労働力を提供してもらう“契約”を結ぶことになるだろう。
闇の先で、辻はハンドルを握る隊員に言う。
「戦闘も配給も、どんどん規模が拡大しそうだな。昭和の大日本帝国みたいに軍部が肥大化するのは勘弁だが……俺たちしかやれる者がいないんだ。皮肉な話だ」
窓の外は、夜の帳が降り始め、月明かりさえも遮られるほどの濃い雲が広がっている。やがて雨になるかもしれない。その雨が街の埃と血の臭いを洗い流してくれるなら、どんなに救われるだろう。
しかし、日本全体が抱える灰色の絶望は、簡単に洗い流せるものではない。国という単位はあっても機能せず、警察や自衛隊は瓦解に近い。そんな中で、“昭和の生き残り二人”が軍政を説き、一部地方自治体まで巻き込んでいる。これが成功と呼べるものか、それともまた別の悲劇を呼び寄せるのか——その答えを語るにはまだ早い。
「地方の声」は、これを皮切りに続々と届くかもしれない。 どこも同じ現状なのだ。いずれは関東を越え、東北や中部、関西などからも「協力してほしい」という連絡が来るかもしれない。そのとき、再興軍政局は本当の意味で“日本を統合”する立場になるだろう。昭和の亡霊が、令和を超えて、いまや国の中心に立つとは皮肉な運命だ。
車列がダム湖のそばを通る頃、日がすっかり落ちて車窓は闇だけが揺れている。石原はタブレットを見つめながら、内心で繰り返す――「戦わずして勝つ」と言った自分は、どこに行ったのか。
だが、その思考を押しやるように、辻の声が無線から響く。
「前方に分かれ道がある。道が崩れているかもしれんから、バイク隊を先行させろ。……石原、次の管区候補はどうだ? 地元に軍需工場があったとか言ってたんだっけ?」
石原は喉の奥でため息を飲み込み、できるだけ冷静に答える。
「分かった。資料をチェックする。……過去の地図データが見つかれば、またAIで解析できるかもしれない」
雨が降り出してきた。窓に小さな雫が散らばり、夜闇を細かい水滴が流れていく。その音がまるで、昭和を引きずる二人の行く末を象徴しているかのようだ。
**“地方の声”**を聞き入れるたびに、再興軍政局の輪は転がり大きくなっていく。人々は飢えをしのぎ、電力や燃料を求め、或いは治安維持を望む。中央政府のない今、それを担うのは昭和の参謀たちの独特な統制システムだ――そんな形で、日本全体が少しずつ「軍政下」にまとまりつつある。
その先に待つのは、救済か、独裁か、それとも別の光景か。いまだに判断はつかない。だが、20XX年という混迷の時代にあって、人々が「助けてくれ」と言えば、彼らは走るしかない。昭和で背負った負債を、今度こそ返済するために。
闇の中、ヘッドライトの光が雨のしぶきを貫き、車列が不安定なアスファルトをゆっくりと踏みしめていく。遠くで雷の音がかすかに響いた。今夜も嵐のような一夜になるかもしれない。
それでも、石原も辻も、ハンドルと無線を握り、前を見据えている。地方の声を抱え、朝日が昇るまでに次の管区との交渉を進めねばならない。人々の腹を満たし、街を守るための兵站と統制――これが正しい道かはわからないが、立ち止まることは許されない。
こうして第五章の幕が下りる。地方の声を拾い上げた瞬間、再興軍政局の歯車はさらに加速し、日本列島を統治の網で包み込む日が来るのかもしれない。そこに正義があるのか、それとも昭和の亡霊が齎す別種の支配が待つのか——答えはやがて、新たな章で語られる。
第六章 ―集まる者、去る者―
翌朝、再び東京へ戻った再興軍政局の車列は、首都近郊の荒れた道路を進み、仮設司令部が置かれたビルへ滑り込んだ。日差しが白く眩しく、路上には夜中のうちに浮浪者が散らかしたゴミや、破壊されたバリケードの残骸が残っている。
ビルの十階に登ったときには、すでに何人ものスタッフや義勇兵が待ちかねたように押し寄せた。
「辻さん、石原さん、聞いてください!」
声を上げたのは元警官僚の男。彼の表情は緊迫しており、資料を抱えたまま息を切らせている。
「この数日、南部地区の住民登録は順調でしたが、一部で“軍政局なんて信用できない”と騒ぎ出す集団が出てきました。どうやら無法者を嫌っていた自治会長たちが、逆に“軍政もまた暴力装置だ”と反発しているようです」
その声を聞いて、石原莞爾は重い口を開く。
「やはり出ましたか。そういう動きは予想していました。力ずくで秩序を作るのは好ましいことではないし、実際に我々が銃撃戦をしているのも事実だからな」
「彼らが過激化すると厄介ですね……。いまは大衆が“配給”を頼りに軍政局に集まりつつありますが、批判派が破壊活動に走れば、治安回復どころではなくなる」
辻政信は腕を組んで考え込む。町一つを取り込めば次の町に連携しよう――という図式を描いていたが、あちらを立てればこちらが倒れるのが現実だ。特に、昔ながらの自治会や地元組織には“中央に支配されたくない”という思いが強い。
「これ以上の対立は避けたいところだが……。でも、配給や治安維持に協力しないなら、放っておけば彼らが暴れる可能性もある」
警官僚の男は困った表情をする。
「そうなんです。自治会長連中が“おとなしく配給を受けるより、自由に生活したい”と煽っている。若者の一部は賛同しているようで、夜な夜な店舗を襲撃しだしています」
まるで、新政府の権限を嫌う抵抗運動のような形だが、動機は単純に**“自由を奪われたくない”**という感情からきているらしい。辻は静かに息を吐きながら地図を広げ、対象エリアに赤ペンで印をつける。
「そこに武器が流れ込めば、内戦の種になる。放置すれば犯罪集団を生むし、強権で抑えれば彼らの不満が爆発する……難しい舵取りだな」
1. 配給を嫌う者たち
一階のロビーには、早朝から多くの市民が並んでいた。配給券を求める人、軍政局への“就職”を希望する若者、あるいは単に見物に来た者――混雑のなかで、スタッフが大声で誘導する。
しかし、その喧噪に紛れて、**「軍政反対!」**とプラカードを掲げた数人のグループも見える。声を荒らげてデモのような雰囲気を醸し出しているが、警官もいないし、軍政局が無理に排除するのは得策ではないと判断して放置している。
「こんな支配体制はおかしい! 力で物資を管理するなんて、昭和時代に逆戻りだ!」
「もっと自由に物々交換すればいいじゃないか! 軍政局の命令なんか受けたくない!」
石原はエレベーターの扉(使えずに開放されているが)を横目に、その声を聞き流せなかった。内心、「本当に自由取引が可能なら、それが一番いいのに……」と思いつつも、現実は取引のためのインフラや信用が消滅している。結局、独自通貨もなければ、市場も開けないのだ。
「あれを放置しておけば、いずれもう一波乱あるだろうな」と呟きながら、上階へと向かう非常階段を登る。
2. 部下の離脱
司令部に戻ると、意外な報告が待ち受けていた。前線で活躍してきた元自衛隊員の若者が、昨夜をもって軍政局を去ったというのだ。朝起きてみたら、彼の姿がない。どうやら黙って荷物をまとめ、どこかへ行ってしまったらしい。
「真面目な隊員だったのに、どうして……」
スタッフが困惑する中、石原は少し考えて答える。
「おそらく“自由”を求めたんだろう。あるいは、家族や恋人がいる別の場所へ行ったのかもしれない。ここで我々の命令に従い続けるのが嫌になったのか……」
辻は苦い顔をした。
「仕方ない。昭和の軍と違って、強制徴用ができるわけじゃないし、そこまでする気もない。彼がいなくなるのは痛手だが、止める権利はない。……もっと人材が必要なのになあ」
どうやら地方自治体からの救援要請も増えてきたが、人手が足りないのだ。配給を維持するにも、治安維持を行うにも、相当な数の隊員や専門家が必要となる。入ってくる者もいれば、去る者もいる。再興軍政局がさながら“移動式の雇用組合”と化しているのが現状だ。
「兵站が広がれば、同時に不満や離脱者も出る。そろそろ、我々も“法”に近いものを整備しないと、統制が崩れるかもしれん」
石原はそう言いながら、椅子に深く腰を落とす。現行憲法や法律は機能停止、政府も国会もない中で、独自のルールを作るしかない。だが、それはすなわち**“軍政局独自の立法”**を意味し、いよいよ昭和の大本営のように振る舞う危険もある。
「立法権まで持つとなると、まさに独裁政権のように見えるが……どうする?」
辻は含みのある目で石原を見る。
3. 草案:暫定統制令
これらの事態に対処するため、軍政局は**「暫定統制令」**なる草案をまとめ始めた。名目は「配給・治安・通商の3分野で基準を定める」というものだ。具体的には以下の内容が含まれる。
1. 配給基準
• 配給券の発行は、軍政局が認定する各“管区”ごとに行い、住民登録をした者は最低限の食糧・医薬品を受け取る権利を得る。
• 義務として、一定の労働や自治活動を行うこと。(治安維持・農作業・インフラ復旧など)
2. 治安維持規定
• 軍政局は、武装組織(義勇兵)を編成・派遣する権限を持つ。無許可での武器所持や暴力行為を取り締まる。
• 重大な反抗や破壊行為があれば、軍事法廷を設けて処罰することが可能。(※実際の運用は未定)
3. 通商・連携
• 地方の自治体や企業も“統制令”に同意するならば、軍政局と契約を交わして物資や人材を融通し合う。
• 独自通貨や自由市場については、軍政局の認可を経ない限り原則禁止。
この案を見た石原は、一気に血の気が引いた。昭和の戦時統制とほとんど変わらないではないか。しかし、現在の事態がそれほど深刻だということも事実だ。
「……ここまでやるのか? さすがに“軍事法廷”なんて叫べば、反発が一層強まるぞ」
「わかってる。ただ、我々が脅しや弾圧をしたいわけじゃないが、実際に無法者が他人の物資を奪ったり、地方との契約を破ったりしたらどうする? 誰が裁くんだ? もう裁判所もないんだぞ」
辻の言葉には確かに説得力がある。法も秩序も崩壊している以上、どこかが“ルール”を作らねば再建は不可能だ。軍政局がそれを担わなければ、各地の無法を止める手段がない。
「……大日本帝国の軍法会議と同じ轍を踏まないよう、透明性を確保した手続きにしろよ?」
石原は譲歩しかけながら念を押す。胸中では、いよいよ“独裁政権”に近づく恐れを抑えきれずにいる。だが放っておけば暴力がはびこり、あるいは今よりも酷い状態になるかもしれない。まさに“究極のジレンマ”だ。
4. その頃、自治会の結束
一方、再興軍政局が東京各地で配給を広げ、地方との連携を進める中、軍政批判を掲げる市民団体も着々と動き出していた。自治会長や地元商店主らが中心になり、「軍政なんかに従っていたら、かえって戦乱を呼ぶ」という主張を広めている。
そこへ、新興の過激派まで参加しはじめ、デモやビラ配りが激化。SNSがほとんど死んでいるため、アナログなチラシや口伝で情報が広がっているらしい。
「このままじゃ、軍政派と自治会派の衝突が本格化するぞ……」
司令部のスタッフが警戒感を示すが、辻と石原には明確な解決策がない。そもそも住民同士が揉める状況に、警察も法的機能も消滅している以上、どのように調停すればいいのか。下手に介入すると「軍政による弾圧」と叩かれる。
石原は地図を見つめながら苦い思いを噛みしめる。自由を守りたい人々と、命や資源を守るために“支配”を受け入れる人々。両者の溝が露わになれば、内戦の火種となる恐れは十分ある。
5. 新たな志願者、そして不穏な噂
そんな中、司令部には新たな志願者もやって来る。配給に魅力を感じただけでなく、実際に軍政局の治安活動を見て「自分も参加したい」と申し出る若者や、医療ボランティアとして協力したいという看護師、農業経験を活かして配給用の農地整備を手伝うという者まで……。
その姿を見ると、石原は一瞬だけ嬉しさを覚える。人々を結集し、再生の道を探るという発想は、まさにかつての令和維新党が目指した理想に近い。たとえ手段が“軍政”だとしても、少しでも多くの命が助かるなら、それもよし――そう思える瞬間だ。
しかし同時に、少し離れたところでは不穏な噂も耳に入る。海外のPMC(民間軍事会社)が、地方の大規模工場跡や港湾施設を狙っているという情報。あるいは国内の別の自警団が、再興軍政局と“どちらが主導権を握るか”を争う形で武装を拡大しているという話。
いずれも、今後に血なまぐさい争いを招きかねない事柄ばかり。近隣には「満州国の亡霊が日本を牛耳る」などと揶揄するビラが貼られはじめ、かつての国粋主義を連想する者も少なくないようだ。
「昭和の災厄を繰り返すのか」――。
石原の胸にその言葉が突き刺さる。辻は「いまは物資と人材を増やして勢力を固めるしかない」と語るが、その先は? 本当に全国をまとめ上げ、平和を取り戻す計画があるのか。
そもそも政府が復活する兆しはない。世界は資源危機と混乱で日本を相手にしている暇などない。こうなると、**いよいよ「日本版満州国」**とも言える形で、再興軍政局が列島を再編していくシナリオが迫ってくるのではないか――その可能性に、石原は一抹の不安と、ほんの少しの期待を感じていた。
6. 秩序か、自由か
配給の列が伸びるロビーでは、軍政局の腕章をつけたスタッフが忙しなく動き回り、住民登録の簡易書類を渡している。どこかの若い父親が「こんな面倒なことしなくても、勝手にやらせてくれればいいのに……」と不満を漏らし、スタッフが困惑した顔で対応をしている。
自由を求める声と、秩序を求める声が交錯し、軍政局はあくまで秩序を優先する立場を貫いている。もしこの体制に同意できない者が増え、自治会派のような抵抗運動が激化すれば、内戦への道も開かれる。だが、とりあえず今は“配給で生き延びる”ことを選ぶ市民が大半なのも事実だ。
「やり方が強引だ、独裁だという批判は避けられん。それでも、すべてが崩壊したこの国では、こうするしかないのだろう……」
石原が階上の窓から、下を覗き込みながら呟く。人々が配給券を握りしめている様子は、まさに昭和の配給制と酷似している。それを望んだわけではないが、結果的に“ここに戻ってきた”とも言える。
「昭和の軍国主義は国家の独走だったが、今回は俺たちが主導している以上、必ず歯止めをかける。拡大しすぎないように、戦闘や弾圧に走らないように……どこかで線引きをしなければな」
辻の言葉は理性的だが、その線引きは容易でない。支配エリアを拡大せずとも、周囲が助けを求め、あるいは抵抗してくるなら、否応なく戦闘を強いられる。
7. 新たな構想と終わりなき道
そんな中、石原はAI参謀のチームと再度打ち合わせを行い、**「自治派との共存プラン」**を提案する。すなわち、軍政局がすべてを支配するのではなく、各自治会や市民団体と契約を結び、ある程度の自主性を保障しながら配給システムを連携させる、というものだ。
「自治会でも近所同士で助け合いをしているし、我々が全面統制するより協力を仰いだ方がいい。SNSが死んでいても、昔ながらの回覧板や口頭で情報を広げている集団もあるわけだし……」
そう力説する石原に、AIチームの一人が興味を示す。
「確かに、地域コミュニティの力を借りれば、我々だけで苦労しなくて済むかもしれません。それに、“協力を拒む自治会には配給をしない”という方針なら、あえて暴力を使わずとも影響力を保てるかも」
しかし、ここには危うい面もある。配給を人質に取り、自治会を従わせる……という見方もできるからだ。また、地方自治体と連携する際も同様で、メリットを与える代わりに軍政局への従属を求める形になり、そこを「搾取」と見る批判も出てくるだろう。
それでも石原は「戦わずに済むなら、多少の政治的取引は仕方ない」と考えていた。なにしろ弾丸を撃ち合うよりは遥かにマシだ。話し合いで合意が得られれば、血が流れずに支配(あるいは影響力)を拡大できる。
8. 分かれ道の行方
日が暮れかけた廃ビルの司令部では、辻と石原が窓辺に並んで街を見下ろしていた。低く垂れこめた雲がオレンジ色を帯び、崩れたビルのシルエットが痛々しい。
「石原、もし我々がこのまま勢力を拡大していったら、いずれ関東全域、ひいては全国に“軍政”を敷くことになるかもしれん。それで人々を救えるならいいが、昭和の二の舞になる可能性もある」
辻がぽつりと漏らすと、石原は静かに答えた。
「だからこそ、歯止めをかけるルールを作らねばならない。暫定統制令、そして自治との連携――それらを上手く組み合わせ、侵略や独裁に堕ちないようにできれば……」
二人の心に去来するのは、昭和の満州を思わせる記憶。あのときも“理想国家”を掲げながら、結局は軍事の独走を許し、多くの悲劇を生んだ。20XX年の今、再び似た道を辿るのか、それとも過去を乗り越える新たな道を見出すのか。
外階段からは、スタッフが慌ただしく駆け上がる音が聞こえてくる。どうやら夜間のパトロールを増強すべきとの報告があったらしい。無法集団がまた一箇所の倉庫を襲撃する計画があるとか、自治会派が焚き付けられているとか――情報は錯綜し、ほとんどが未確認。だが放置すれば危険だ。
「わかった、すぐ行こう。石原、お前はAIチームと自治会連携プランを詰めてくれ。俺は夜間警戒の指揮を執る」
辻が踵を返し、拳銃が入ったケースを手に取る。石原も、手を止めて言葉を探すが、思うように声が出ない。再び銃撃戦になるのではないかという恐怖と、見殺しにできない責任感とが胸に渦巻く。
「頼む、くれぐれも穏便に……」
石原はそう言いかけて、口を閉じた。いまは辻に任せるしかない。配給を成り立たせるためには、治安維持が欠かせないのだ。
こうして、降り続く危機に対応しながら、再興軍政局はさらに動きを加速させていく。**「集まる者」は増え、人材が補充され、組織が肥大化する一方、「去る者」**も現れ、不満を抱く自治会や自由を求めるグループとの対立が深まっていく。
昭和の時代にはなかったAI参謀や現代技術があるとはいえ、その運用は限定的で、強権と配給に頼らざるを得ない状況はあまりにも不安定だ。かといって、手を緩めれば無法化が進行し、さらに悲惨な結果を招く。まさにジレンマの連続。
夜の帳が再び落ちる頃、司令部の廊下を走る足音が止まらない。次から次へと報告や要請が飛び込み、辻と石原の部下たちは一分たりとも安らげない。
その一方で、ビルの外では「軍政反対」と叫ぶデモ隊が増え、街頭のあちこちで紙くずのようなビラが舞っている。彼らは配給券を受け取りながらでも反対運動を続けており、なんとも複雑な構図だ。自由を求めても、結果的に飢えたくはない——そりゃそうだ。
昭和の亡霊二人が転生し、ハンドルを握るこの“新たな軍政”は、まるで止まらぬ転がる石のように、勢いだけで進み始めている。そして、その石の周りに集まる者、逃げ去る者が交錯する。
次に訪れるのは、さらなる拡大か、それとも大きな衝突か。あるいは、奇跡的な妥協か。20XX年の日本が迎える未来は、まだ暗闇の向こうだ。
いずれにせよ、この日の夜も各地で小競り合いや暴動が起き、軍政局が救援に向かう事件が連発する。トラックが街を巡回し、配給を配るスタッフが伝令のように駆け回る――まさに小さな戦時下といえよう。
**「集まる者、去る者」**が生み出す波紋をかき分けながら、再興軍政局は今日も深夜まで動き続ける。いま救える命を救い、反発の火種をくすぶらせている自治会をなだめ、そしてまた地方からの呼びかけに応える。
誰かが言った。「これでは“戦時体制”そのものじゃないか」。それでも、止まることはできない。昭和の戦争から学んだはずの二人が、あえて軍政を続ける矛盾を背負いながら、次の夜明けへ挑もうとしているのだ。
窓の外にはまた、かすかに火の手のような赤い光が見える。どこかで誰かが叫ぶ声も聞こえた。この国の苦しみは深く、長い。もし本当に再興軍政局が日本全体をまとめることになれば、国土が一種の“占領地帯”みたいになるのかもしれない。
石原は拳を握り、ただ祈る。「占領」ではなく「救済」の道を歩むために、どうか昭和の失敗を繰り返さないでほしい、と。だが、それを形にするのは彼ら自身だ。夜は長い。彼らは走り続ける。
果たして、集まる者たちの力を結集して再建へ向かうのか、それとも内戦の火種が広がり、さらなる分裂を招くのか——この国の運命は、一歩先の闇に隠されている。
第六章が描くのは、再興軍政局の可能性と危うさが同時に膨れ上がる様子。どこで止まるか、あるいは止まらないままに突き進むか、誰もまだ判断を下せない。時間だけが刻々と過ぎていく。
第七章 ―迫りくる外の波―
それから数日、再興軍政局は東京や近郊エリアでの配給と治安確保を粛々と進めていた。夜な夜な交わされる銃撃や略奪の報が減ったわけではないが、少なくとも首都圏の主要ルートと物流倉庫は軍政の影響下に収まりつつある。配給券を求める人々が増え、義勇兵への志願者も徐々に増えている――一方、批判派も根を深く張り、“自由”を旗印に抵抗するムーブメントが水面下で拡大していた。
そんなある夕刻、ビルの十階にある司令部へ、不意にひとりの男が訪れた。年齢は四十代ほどで、浅黒い肌と無精髭、そして目付きは鋭く、どことなく“軍人然”とした雰囲気を漂わせている。
受付を務める隊員が怪訝そうに「どちら様?」と尋ねると、男は流暢な日本語で名を名乗った。「鈴木だ。いや、本名は違うが、その名で通している」――聞けば、かつて海外の紛争地を回ってきた民間軍事会社(PMC)の元傭兵だという。
石原莞爾は応接室へ通された男を前に、複雑なまなざしを向けていた。PMCという響きは、この崩壊した日本において不穏な存在の象徴でもある。だが、男は落ち着いた口調でこう切り出した。
「俺は海外の傭兵部隊にいたが、状況が変わり、いまは独自に動いている。最近、この東京近郊でもPMCや国外勢力の“ビジネス”が活発化しているのを知っているだろう? そいつらが近々、大規模な動きを起こす。あんたたち軍政局にも関わる話だ」
「国外勢力のビジネス」とはなんだ?
石原の脳裏に、かつての“満州”をめぐる国際的な利権争いがフラッシュバックする。すでに日本は財政破綻で国力が弱まり、中央政府が消滅同然の今、外国の武装集団が入り込み、レアメタルや工業設備を奪っていく――そんな噂は度々耳にしていた。
辻も横で腕を組み、「具体的に何が起きるのか?」と低い声で問うと、鈴木と名乗る男は口角を歪めるようにして続けた。
「西のほう――つまり港湾施設があるエリアだ。そこを国外のPMC連中が狙っているらしい。船でドッと物資を持ち込み、逆に国内の工業機械やAI関連機器を持ち出す。治安を乱すだけでなく、日本人を“傭兵”として買い上げる可能性もある。……あんたらの“軍政”とやらにとっちゃ、見過ごせない話だろう?」
石原と辻は思わず顔を見合わせる。もしそれが本当なら、今でさえ難航している治安維持や配給など、さらに大きく揺らぐ。外の勢力が内乱を煽り、国内資源を略奪していけば、再建の余地は限りなく狭まる。
「だが、なぜお前がその情報を俺たちに知らせる? PMC出身ならば、逆にあちら側に加担するほうが儲かるんじゃないか」
辻が疑いの目を向けると、男は肩をすくめた。
「俺は日本人だからな。海外で散々、戦争ビジネスの実態を見てきたが、今さら祖国が食い物にされるのは我慢ならない。……とはいえ、あんたらの軍政が正義だとも思ってない。ただ、止められる可能性があるのはあんたらしかいない」
石原は考え込む。少し前までは、地方との連携や首都圏の配給制度を整えるのに手一杯で、国外勢力にまで手を回す余裕はなかった。だが、もし本当に“大規模な侵入”が迫っているなら、無視はできない。
「……大規模な動きとは、具体的にどの程度なんだ? 船の数は? 兵員は?」
「正確には分からんが、百人や二百人ではないだろう。船の装備も本物の武器を積んでいると聞く。もっとも、全員が上陸して日本を制圧するわけじゃない。物資をめぐって内部の無法者と手を結ぶ可能性が高い。つまり“取引”だ。あんたらの配給や軍政を脅かす存在になる」
辻は舌打ちしたい気分だった。東京周辺の秩序さえまだ固まらない中、さらに海外の武装勢力が介入すれば、まさに戦国時代のような争奪戦が繰り広げられかねない。
「港湾施設を押さえられたら、俺たちの配給ルートは完全に崩壊するかもしれないな。……連中にとっては、日本で何を持ち出す気なんだろう? AI参謀関連か、工場設備か、それともレアメタルか」
「どれもあり得る。日本は表向き崩壊しても、まだ世界屈指の技術や設備を各地に抱えているからな。政府がいない以上、誰が勝手に売買しても止められない。港湾を拠点にすれば、海外へどんどん運べる」
話を聞くほどに、石原の表情は険しくなる。国内をまとめあげる以前に、外からの介入でさらに混乱が拡大しては元も子もない。昭和の戦時中、日本は大陸の資源を求めて戦線を広げたが、今度は逆に日本が資源を奪われる立場になっている。悲しくも皮肉な逆転だ。
「……協力できるのか?」
石原が冷静に問うと、男は小さく笑った。
「俺の情報網と経験が役に立つ。PMCがどのように動くか、裏の連絡ルートもある程度把握している。だがタダ働きはごめんだ。あんたらの“配給”を保証してくれれば、俺は協力しよう」
男はいわゆる“傭兵ビジネス”の流儀で交渉を持ちかける。再興軍政局が配給カードを握っているからこそ、こういう取引が可能になるわけだが、これもまた昭和の時代にはなかった光景。
辻は男をしげしげと見つめたのち、短く答える。
「わかった。契約金の代わりに、当面の物資と寝床、それに我々のAI端末のサポートを提供しよう。もし嘘をついたら容赦はしないが、どうだ?」
男はニヤリと笑って頷いた。
「構わんさ。もう国際通貨なんか紙くず同然だ。食っていければ文句はない」
1. 広がる視野、迫る危機
こうして、海外PMCの介入という新たな懸念が具体化する中、再興軍政局は防衛方針の再検討を余儀なくされた。これまでは国内の無法者と住民の救済が主眼だったが、港湾や工業地帯に“外国人武装集団”が絡めば、一種の国際紛争になる可能性がある。
「警察や海上保安庁は、もう名前だけの存在だ。俺たちが動かなければ、外部勢力はやりたい放題だろう」
辻は地図上で港湾や製鉄所、工業団地などを指し示す。どこもガラ空きに近い状態で、地元住民は逃げてしまっているか、あるいは物資を抱えて暴力団が屯しているか――。もしPMCが船でやってきて彼らと手を結べば、再興軍政局の手に負えない規模の争いになるかもしれない。
石原は眉をしかめながら「全国規模で軍政を敷くなんて、本当に大丈夫か?」と自問する。地方自治体どころか、いまや外からの侵入まで想定しなければならない。
「昭和の軍政は、侵略や拡大で破綻した。それなのに、俺たちは今、まるで逆の立場から“守勢”の拡張を続けている。どこかで歯止めが必要だが、動かなければそれこそ他国の餌食か……」
2. 内部の不協和音
一方で、内部では自治会の抵抗や“自由を求めるデモ”が活発化。さらに、外部PMCとの衝突に警戒するあまり、配給券の審査が厳しくなったことを不満に思う住民も増え始めた。
「あれもダメ、これもダメ、結局、軍政局に従わないと生きられないなんて、おかしいだろう!」
街のあちこちでそんな声が上がり、ビルの壁には「独裁NO!」などとペンキで書かれたりする。確かに、自由主義的に見れば極端な統制社会だ。昭和時代より技術が進歩したといえど、通信も電力も潰れた今、実際にはあの頃に逆戻りしているようでもある。
3. “日本版満州国”という噂
そんな混乱のさなか、SNSの残骸やビラなどで、再興軍政局の動きを「日本版満州国」と揶揄する表現が広がりつつあった。
「昭和の亡霊が、また“理想国家”を気取って日本を牛耳るつもりだ」
「中央集権の軍政? 昔と何が違う?」
「食糧と医薬品を握って人を支配するなんて、奴隷と変わらない」
石原はそんな批判を見聞きするたびに、胸の奥が痛んだ。自分はあくまで“戦わずして勝つ”平和を目指す立場のはずが、現実は真逆に振り切れている。だが、崩壊を止めるにはこうするしかないというのが、辻やスタッフの総意でもある。自分自身も否定できない。
「もしこれが成功して、国内を再編できれば……本当に“満州国”の悪夢を超えた、新しい秩序になるかもしれない。だが、失敗すれば……」
4. 合流する難民、あふれる声
司令部には地方や近隣地域から続々と難民が集まり、「軍政局に参加すれば生き延びられる」と聞いて駆けつける者も後を絶たない。実際、それは事実でもある。配給を受けるためには、一定の労働か役務が必須となるが、最低限の安全と食が保証されるならば、選ぶしかない人が大半だ。
しかし急激な人口増加は、配給のパイが足りなくなるリスクも孕む。AIがない現状では、正確な在庫管理と人員配置が難しく、司令部のスタッフたちは悲鳴を上げている。
「こんな勢いで増えたら、倉庫を押さえてもまた不足だ。敵対勢力が狙ってくる可能性も高まる。一層、治安に気を使わないと……」
石原は頭を抱えそうになりながら、スタッフからの報告用紙に目を通す。そこには「今月の潜在人口約5万人」「義勇兵登録者は500人強」と書かれている。たった500人で、5万人を守るという図式がいかに難しいか、誰が見ても明らかだ。
「警官や自衛官OBをさらに募る必要があるな。でなければ、地方からの助力を仰ぐか……」
だが、それもすべて“配給”と“軍政への参加”が前提になる。昭和の戦時下で国民皆兵を唱えたのと、どこが違うというのか。
5. 広がる波紋
日が暮れ、義勇兵たちの巡回が終わる頃、司令部には新たな報告が次々と届く。自治会派がどこかのビルを占拠しただの、どこかでAI関連の機器が盗まれただの、地方の農業組合が“軍政局と取り引きしたい”と申し出ただの。
まるで毎日のように山火事が発生し、同時に油田も見つかる――そんな混沌と発見が繰り返される状況だ。石原も辻も、一つの問題を処理すると、また二つ別の問題が降ってくる。
「もう、昭和のように大本営を作るしかないのか?」
と、誰かが冗談めかして言ったが、その冗談はあまりにもシャレにならない。実質的に再興軍政局が大本営化しつつあるのだから。
6. 明日の出口
夜の司令部。石原は配給表のリストを整理し終えたあと、暗い窓の外を見下ろす。街灯の消えたビル群が、まるで墓標のように沈黙している。唯一、ビルの下には列ができており、まだ配給を待っている人々の姿がポツリポツリと光に浮かぶ。
見れば、新たに志願してきた若者が、配給カードを手渡しながら笑顔で挨拶をしている。昭和の戦時下では考えられないくらい柔和な雰囲気――かもしれないが、それでも“統制”には違いない。彼らは自由競争を捨て、再興軍政局を頼る道を選んだのだ。
「これで、本当にいいのだろうか……」
石原の背後から、辻の低い声が聞こえる。
「お前が悩む気持ちはわかる。しかし、覚えておけ。昭和の失敗は侵略戦争を止められなかったことだ。今の我々は“守る”ために動いている。外のPMCや無法者が跋扈するのを阻止し、国内を再建する。それがどれほど独裁に近い手段でも、俺たちは逆方向の戦争には踏み込まない」
「……まあ、そう願いたいね」
窓の外、遠くに見える大きなクレーンが放置された港湾。そこが不気味なシルエットを見せている。もし国外勢力が本格的に来たら、現状の義勇兵だけで防げるのか。地方自治派や自由デモとの衝突は。内と外、両方に火種を抱えながら、果たしてどこまで耐えられるのか。
「昭和でも、最初は“守る”ためだと主張して満州へ入り込んだ。そこから拡大が止まらなくなった。……同じ轍を踏むなよ、辻」
石原が厳しい眼差しを向けると、辻は短く笑った。
「そんなに俺を信用できないか? いや、いいんだ。それでバランスが取れる。お前がブレーキ役なら、俺はアクセルを踏むだけだ。昭和と違うのは、お互いが暴走を警戒している点だろうよ」
二人はそれ以上言葉を交わさず、暗い夜空を見つめた。ビルの屋上に仕込まれたソーラーパネルは日没とともに機能を停止し、わずかな非常灯だけが輝いている。
遠くで爆発音めいた響きがする。おそらくガス管か何かが破裂したのか、あるいはまた別の抗争が起きたのか。夜ごとに不吉な音が絶えない20XX年の東京――ここに昭和の亡霊二人が立っているのは、やはり奇妙としか言いようがない。
第七章はこうして幕を下ろす。
外からはPMCの影が忍び寄り、内には批判派や自治会が台頭し、さらに配給をめぐる問題が山積み。再興軍政局の足場は広がるほど不安定にもなっていく。果たして、ここから先はさらなる支配体制の進化か、あるいは破滅のシナリオか。
息詰まる闇の中、昭和の生き残りたちは覚悟を新たにする。次の夜明けまでのわずかな時間、一瞬だけ眠りにつけるかもしれない。だが、その先には終わりなき戦いと統制の日々が待ち構えているのだ。
第八章 ―嵐を呼ぶ港―
それから幾日かの間、再興軍政局は首都圏の配給と治安活動を続けながら、地方への連絡、そして港湾地区の動向を密かに探っていた。かつて日本の物流と海運を支えていた巨大な港も、いまはほとんど放置状態。道にはコンテナや鉄骨の残骸が積み上げられ、特殊技能を持つ港湾作業員も散り散りになっている。
その「空白地帯」を狙って、海外の武装組織やPMCが物資を持ち込み、日本からはAI関連や工業設備を持ち出す――あまりにも荒唐無稽だが、すでに“鈴木”という元傭兵の情報では、実際に裏取引が進行しているらしい。周辺住民は逃げ出し、いまや無法者の巣窟ともなりつつあるという。
1. 新たな報告、重なる火種
ある朝、十階の司令部にスタッフが駆け込んできた。報告用紙を両手で持ち、顔が真っ青だ。
「石原さん、辻さん! 先ほど南西方面で“自治会派”の武装グループと遭遇した隊から連絡が入りました。衝突は避けられましたが、向こうはかなりの銃火器を持っているようで……。さらに、港湾地区の住民が“外国人らしき連中を見た”との噂もあります」
石原莞爾は端末を開きながら、どこか嫌な胸騒ぎを覚える。町をまとめるはずの自治会派が、武器を手にするほどまで過激化するとは。しかも港湾地区には海外勢力が出没し始めている。どちらの火種も放置すれば大規模な戦火につながりかねない。
隣で辻政信が地図を広げ、赤ペンで南西地域と港湾エリアに丸印をつける。
「自治会派と武力衝突すれば“内戦”の危険が増す。一方、港湾を外国勢力に押さえられれば、国土をさらに削られるようなもの。両方同時に対処するのは人手が足りないな……」
司令部のスタッフたちも焦りの色を隠せない。日常の配給管理すら綱渡り状態で、地方からの救援要請も増えている。そこへ内外の脅威が重なれば、軍政局が築いてきた秩序は崩壊するかもしれない。
「PMCの連中が、国内の無法者と手を結んだらどうしようもありません。自治会派が利用される形になる可能性もありますし……」
そんな声が上がると、辻は眉をひそめ、拳を机に軽く叩いた。
「最悪のシナリオだな。だが、あらゆる可能性を考えねばならん。奴らの狙いは金か物資か。それとも、大規模な武器の売買か……」
石原は静かに息をついて、天井を見上げる。あの日、“戦わずして勝つ”を掲げた令和維新党はどこへ行ったのか。いま彼らが向き合うのは、国内外の武装勢力を封じ込めるかどうか、という極限の選択だ。いわば「昭和の大本営」となんら変わらぬ軍事的懸念を抱えている。
2. 分かれ道:自治会派との対話か、港の封鎖か
午後の作戦会議では、二つの大きな議題が提示された。
1. 自治会派との対話 … 不要な衝突を避けるためにも、改めて話し合いの場を設け、相互協力か、ある程度の自治を容認しながら配給だけは続ける――という“妥協策”を探る。
2. 港湾地区の封鎖 … 外国勢力が本格的に動く前に港を封鎖し、強硬手段での進入を阻止する。いわば軍政局の“海上バリケード”を敷いてしまうのだ。
しかし、そのどちらも容易ではない。自治会派は武器を持ち始めているし、港の封鎖には専門知識や装備が欠かせない。自衛隊OBが少数いるとはいえ、艦艇や飛行機は使えない。
会議室で交わされる議論は紛糾していた。スタッフの一人が言う。
「正直、港を封鎖するなんて無理ですよ。港湾施設の所有者も行方不明ですし、地元ヤクザや無法者も群がっている。そこに国外PMCが絡めば、一触即発です」
「とはいえ、放置してあちらが組織的に拠点を築けば、取り返しがつかなくなる。自治会派の問題も厄介だが、優先度としては外敵を防ぐべきでは?」
意見は割れに割れる。石原は地図を見つめながら黙っていた。辻は腕を組み、周囲の議論を聞いている。やがて辻が口を開く。
「俺は港湾を押さえるべきだと思う。自治会派の武装は確かに面倒だが、彼らは国内勢力であり、いずれ話し合いのテーブルにつく可能性はある。海外の連中が入り込めば、そいつらが自治会派を利用し、日本をさらに混乱させる恐れがあるだろう」
それを聞いて、石原は静かに頷く。
「わかった。港湾優先の方針で行こう。自治会派には一旦、我々の意図を伝え、対話の約束を取り付ける。交渉役を送ってみるが、それほど人手を割けない。もし相手が先に仕掛けてきたら、防衛は最小限で凌ぐしかない――とても危険だが」
結論として、大まかな優先順位が決まった。すなわち、軍政局のメイン部隊は港湾地区の警戒と偵察を強化する。一方、自治会派とは対話を試みつつ、最悪の場合は「短期的な防衛戦」を行う。かなりのギリギリ策だが、現時点で人員も装備も足りないので、これしかない。
3. 旧日本軍の亡霊
夜。司令部の一室で、石原は独り、昭和の軍服が描かれた古い資料を眺めていた。先ほどスタッフが「今の軍政局のイメージって、あんな感じになるんですかね」と冗談交じりに見せてきたものだが、石原にとっては笑えない。
軍政のもと、侵略こそ行わずとも、事実上の“治安維持軍”を全国に展開する未来が脳裏に浮かぶ。満州事変のときも、最初は「守るため」だった。そこからズルズルと泥沼に入った歴史を、どう止められるのか……。
「よお、休んでる暇はないぞ」
ドアを開けて現れたのは、辻政信。彼もまた休む暇などないだろうに、疲れた様子を見せないのが不思議なくらいだ。
「港湾への先遣隊を組んだ。例の“鈴木”も加える。外からの武器輸入や、AI機器の搬出が本当に始まっていたら、一刻も早く手を打たねばならん。石原、指揮は俺が執るが、お前はどうする?」
石原は書類を閉じ、少し考えて答える。
「俺は司令部に残って、自治会派への交渉役を準備する。首都圏の配給は、そっちが外へ行く間も続けないといけないから。……でも、本当に港湾地区で戦闘が起きたら、どうする?」
辻は肩をすくめる。
「やるしかない。もう何度も言ってるが、放置すれば日本が外国の食い物になる。昭和の軍国主義は避けたいが、侵略されるのもまっぴら御免だからな」
昭和のときは、日本が侵略側だった。いまは逆の立場で“防衛”を叫ぶ。 その事実を、石原は心中で反芻する。大義があれば何をしてもいいのか――そんな疑問が頭をもたげるが、言葉にはしない。
「どうか気をつけて、辻。海外の傭兵相手じゃ話が通じないかもしれない」
石原は視線を伏せながらそう言った。辻は黙って頷き、部屋を出て行く。ドアが閉まる音が硬く響いた。
4. 内政と外交、迫られる同時対応
翌朝、石原はAI参謀チームとともに、自治会派との協議準備を進める。自治会派の一部リーダーが、午後に“中立地帯”で会談したいと打診してきたのだ。物資の相互融通か、配給の一部承認か、あるいは武装解除の妥協案か――詳しい内容は不明だが、対話の席につく意志があるだけでも進歩といえる。
しかし、問題は相手が本当に話し合う気があるのか、裏で他の過激派と手を組んでいないか。軍政局が少数で会合に行けば、待ち伏せされて襲われる可能性もある。非常なリスクを伴う賭けである。
「……AIをもっと上手く使えれば、自治会派の勢力図や構成員を推定できるのにな」
石原はタブレットを見つめながら、通信障害のエラー表示に苛立っている。こんなときこそデータ解析で補強したいのに、電力とネットワークが不安定すぎる。
「まあ、そこは現地で話をするしかないですよね。自治会派も、軍政局と大きな衝突は望んでないでしょう。もしトラブルがあっても、最小限の護衛をつけて参加するしか……」
スタッフの一人が言うが、最低限の護衛といっても、銃撃されれば大怪我は免れない。
一方、辻はすでに港湾地区へ先遣隊を送り込んだ。数台のトラックとバン、それに“鈴木”ら傭兵出身者が合流し、海に面した倉庫や波止場の偵察に向かった。通信が途絶えなければいいが、何が起きるか予断を許さない。
5. 遠ざかる休息
そんな慌ただしい中でも、東京の配給業務は止まらない。ビルのロビーには以前よりも長い列ができ、人々は軍政局の職員を頼るような視線を向けている。男も女も老人も、あるいは子供までが、小さなリュックを背負い、引きずるように足を運んでくる。
「政府がなくなったあと、ここだけが“頼れる場所”なんだ。たとえ独裁かもしれないが、死ぬよりマシだろう?」——そんな呟きが聞こえるたびに、石原は胸を軋ませる。喜ぶべきか、嘆くべきか。
司令部の奥では新たに到着した地方の農作物や医薬品が仕分けられており、各管区への送り先が決められる。そこに混じって、新たな難民や兵員がやってきては書類を記入し、腕章や配給券を受け取る。
「すみません、私、昭和を知ってるわけじゃないんですけど……この体制が続くんですかね?」
ある若い女性のスタッフが、石原に恐る恐る尋ねる。
「物が足りなくなったら、私たちも危ない気がして……ちゃんと未来はあるんですか?」
石原は答えに詰まった。昭和の戦時体制だって、一時的には国民を支えたが、最後には破局を迎えた歴史がある。いまの再興軍政も、暫定的な措置と信じたいが、出口が見えない。
「未来は、俺たちが作るしかない。昭和の失敗を繰り返さないためにも……。諦めないことだよ」
スタッフはぎこちなく笑って、「はい、頑張ります」と返事をする。だが、その瞳には一抹の不安が滲んでいる。
6. 外の波、内の波
夕暮れ時、石原が司令部で自治会派対話チームの準備を確認していると、トランシーバーが音を立てた。雑音まじりの通信越しに、辻政信の声がかすかに聞こえてくる。
「こっちは港湾地区に入った。……やはり無法者がうろついていて、明らかに外国語の会話も混じってる。大規模な船はまだ見えないが、何らかの“取引”が近々あるのは間違いない」
雑音で聞き取りづらいが、どうやら発砲はまだないようだ。石原は安堵しつつも、次の言葉を待つ。
「俺たちは拠点になりそうな倉庫を数カ所押さえて、周辺を警戒する。もし敵が大挙してきたら、正面衝突は避けられない。お前も、こっちに増援を送れるよう準備しておけ」
通信がそこで一瞬切れ、再びノイズの合間から声がした。
「それと、“鈴木”が言うには、PMCの装備は想像以上らしい。……そっちの自治会派が同盟を組む可能性もあるが、そちらは交渉を頼む。それぞれがバラバラに動けば、あっという間に列島が戦場になるぞ」
やがてノイズが増え、通信は途絶える。石原は受話器を置き、数秒間ふさぎこんだように黙りこむ。内の自治会派と、外のPMC。二つの波が同時に押し寄せようとしている。昭和の戦時中のように“二正面作戦”になるのは避けたいが、現実がそうさせてくれない。
7. 終わらない夜
その日の夜遅く、巡回隊からの連絡が相次ぐ。多少の銃撃や泥棒があったが、大きな事件は起きずにすんだという。しかし「自治会派の一部が『軍政』に明確に反対する文書を配布している」「港湾地区で仮設バリケードを築いた連中がいる」など、不穏な動きは着実に増えていた。
今夜も街の闇が深い。空気は重く、誰もが警戒を解けないまま、ビルの上でわずかな仮眠をとるか、書類整理に追われている。石原とスタッフたちも夜通しで“自治会交渉”の段取りを練っていた。
「対話は明日か明後日には実現しそうなんですよね? でも向こうが武装して待ち伏せしていたら……」
スタッフの女性が声を落とすと、石原は懐中電灯の明かりを頼りにメモを確認し、「最小限の護衛を付けつつ、それでも話し合いに行く」と答えた。
「危険だが、ここで衝突すれば内戦になる。俺たちが避けたいのは、昭和型の全面戦争だ。話せば分かるという期待は薄いかもしれないが、放置しても事態は悪化するだけだ」
外では風が吹き始め、窓をカタカタと揺らす。誰もが疲れ切っているのに、休めない。社会が崩壊した中で、一度にこれだけの役割を担っているのは前例がない――昭和の軍政すら、国という枠組みがあり、もっとシステム的に動けたのだから。いまの再興軍政局は、党も官僚もないまま、ほぼゼロから国土を再編しようとしているのと同じだ。
8. 明日の朝陽を迎える前に
こうして第七章に続いて、第八章の夜も深まる。港湾地区の不穏な空気と、自治会派の対話が同時に動き始め、軍政局は二正面の課題を抱えながら限界まで走り続ける。
昭和の亡霊として転生した二人が、“戦わずして勝つ”どころか、多方面の緊張を止めるために、またもや兵を動かさねばならない皮肉――それを象徴するかのように、廃ビルの廊下には物資の箱が積まれ、武器と書類が雑然と並び、職員や義勇兵がすれ違いに指示を交わすだけで、一瞬の沈黙もない。
石原は最後に、端末画面を見つめる。かろうじて電波を拾ったAIサーバーとの通信が、また途切れがちだ。「予定通りデータ送信を開始しますか?」というメッセージがかすかに表示され、すぐにエラーになって消えてしまう。
「AI参謀を本気で動かすには、もっと大規模な電力と通信インフラが必要だ。こんな状況が続くなら、世界との連携など夢のまた夢……」
遠くに響くサイレンや破裂音が、まるで警告のように耳を打つ。明日の朝陽を迎える前に、いったい何が起きるのか。内戦か、外国勢力との衝突か、あるいは奇跡のように丸く収まるか――想像もできない。
だが、それでも進まなければならない。昭和の記憶を背負いながら、20XX年の日本をどうにか救うために。石原は椅子に深く背を預け、瞼を閉じて数分の仮眠をとろうとするが、脳裏に映るのはかつての満州事変の幻影と、これから起こりうる港湾の激戦に怯える自分の姿だった。
第八章はこうして幕を引く。再興軍政局がさらに大きな戦いに巻き込まれようとしている序章と言ってもいい。次に来るのは外からの嵐か、内なる対立の爆発か。誰もまだ、終わりの光を見通せない。
ただ、夜が長いほど、朝は遠い――その思いだけが、昭和の亡霊たちの胸に重く圧し掛かっていた。
第九章 ―港湾に揺れる炎―
夜明け前、灰色の空がかすかに白みはじめる頃。
首都圏の南西にある港湾地区へ向かった再興軍政局の先遣隊から、無線を介して断続的に報告が入る。緩やかな海風の中、廃コンテナが積み上げられた桟橋や倉庫が並ぶ一帯を巡回し、複数の怪しげなグループが暗躍している形跡を探っていた。港湾のメインゲートには焼けたゲートが崩れ落ち、残骸の間から車両の通行が可能な程度の通路が無造作にできている。そこを拠点に、武器や物資が搬入・搬出されているようだという噂だ。
辻政信は現地で指揮を執りつつ、トラックの荷台で簡易作戦会議を開いていた。周囲は荒れ果てた道路と、かつて貨物列車が走っていた線路の残骸。それらの陰には、どんな不法者や国外勢力が隠れているかわからない。夜間に移動してきたため、今はまだ薄暗い。
「各チームは二手に分かれろ。ひとつは海沿いの倉庫群を調べ、もうひとつは港湾設備――クレーンや事務所などがある区域を見てくれ。とにかく武装集団やPMCを発見したら、すぐ報告だ。大規模な戦闘を避けるためにも、こちらが先に情報を握っておかなきゃならん」
辻の声に、隊員たちが一斉に頷く。傭兵出身の“鈴木”という男も、少し離れた場所で銃を点検しながら静かに聞いている。
**「暗躍している勢力」**が何を狙っているのか、まだはっきりしない。金銭目的の取引か、日本の技術を海外へ密輸するルート確保か、あるいは単にこの混乱を利用して拠点を築くのか。それでも、辻にとっては決断が迫られている。ここを押さえなければ、あちこちの“侵入ルート”を敵に握られかねない。
「鈴木、奴らが現れそうな船の予定はわからんのか?」
辻が声をかけると、元傭兵は肩をすくめて答えた。
「具体的なスケジュールまでは掴めていない。ただ、大型船じゃなく、小型の貨物船や高速艇で少人数ずつ上陸する可能性が高い。しかも、港湾作業員を脅して使うか、あるいは国内の無法者と手を組んで“手引き”させる手もある」
国内外の勢力が手を結べば、再興軍政局は“占領軍”として一気に攻撃対象になるかもしれない。今までは無法者を制圧してきたが、国外PMCまでが絡めば、手強い相手だ。しかも地方や首都では別の混乱も同時進行している。
「俺たちの規模じゃ、港湾一帯を完全に封鎖できない。しかし、要所を押さえて監視を強化すれば、少なくとも“アジト”化するのは阻止できるはずだ。やられっぱなしで引き下がるわけにはいかん」
そう言って辻は地図を広げ、建物の配置を示す。倉庫やコンテナヤードが迷路のように連なるエリアと、埠頭周辺の狭い道路がポイントだ。埠頭に何隻か朽ちかけた船舶が放置されているが、その中には動くエンジンをまだ備えているものがあるかもしれない。
「まずは倉庫を一通り調べる。物資が隠されているなら、こちらが先に確保する。船は……よほど整備していないと動かないだろうが、念のため爆弾や仕掛けがないかも確認しろ」
隊員たちが散開するためにトラックを降り、バイクや徒歩で散っていく。鈴木も「俺は海沿いを回ってくる」と言い残し、数人とバイクに乗って姿を消す。
1. 倉庫街の暗闇
朝陽が昇ったとはいえ、倉庫街の内側は巨大な鉄骨やコンテナが陰を作り出し、薄暗さが残っている。通路にはゴミや朽ちたパレットが散らばり、油の臭いが鼻を突く。遠方ではカラスの鳴き声が不気味に響く。
辻は数名の義勇兵を連れ、腰に拳銃と簡易防弾チョッキをつけた姿で先行する。かつて昭和の戦時下を生きた参謀が、いま令和を超えて20XX年に“実戦”を行うとは、何とも奇妙な巡り合わせだ。
「中で寝ている奴がいるかもしれん。まずは声をかけて、降伏を促す……抵抗すれば制圧だ。やりすぎるなよ」
一人の若い隊員がシャッターに耳を当て、息を潜める。金属の奥から、かすかな物音と低い声が聞こえるらしい。見張りがいるのか。辻は合図を送り、すぐ横の非常扉をこじ開けるよう指示を出した。
ギギッ……と扉が歪み、男たちが慎重に中へ侵入する。暗い倉庫の通路に錆びついたラックや箱が積まれていて、埃と油の混じった重い空気が一気に漂う。隊員の一人が懐中電灯を照らすと、通路の先で複数の人影がさっと動いた。
「やめろ! 撃つな!」
辻が声を張り上げる。引き金を引く前に、相手を降伏させたいのだが、相手は驚いたように叫び、何かを投げつけてきた。**ガシャーン!**と瓶の割れる音が響き、照明機器が落ちて光が揺れる。
ここで隊員が威嚇射撃を数発、天井に向けてパンパンと撃ち込む。ギャッと声がして、物影に隠れた人影たちが「降参する!」と叫ぶのが聞こえる。
「出てこい! 武器を捨てろ!」
義勇兵が警告すると、2人の男が怯えた様子で姿を現した。ボロ布のような服装をし、顔はやせ細り、かろうじて金属バットを握っている程度だ。どうやら大した武装はないらしい。
「俺たちは……ここの倉庫を寝床にしてただけだ。変な連中に追われて、逃げ込んだんだよ!」
一人の男が必死に弁明する。背後からもう一人が姿を現す。さらに奥には女性や子供らしき気配も感じられる。
辻は警戒を解かず、兵を散開させながら言葉を返す。
「なら、落ち着いて話そう。ここには他に誰かいるのか? 外国人や武装集団は?」
「いない……俺たち以外は、数日前に立ち去ったか、もっと海側に移動したらしい。どうなってるのか知らない。ここは物が残ってないから、興味ないんだろう」
またひとつの廃墟か。しかし、この一団は難民か。港に来れば船があるかもしれないと、希望を求めて漂着したのかもしれない。
「よし。ここにいても安全じゃない。軍政局の管轄に来れば、配給と多少の保護はできる。強制じゃないが……」
辻が提案すると、男たちは葛藤の表情を浮かべる。情報が少ないから当然だろう。
「軍政? あんたらも武装してるんだろ? なんかよく聞くんだが、力で配給を押し付ける連中だって……」
辻は小さく肩をすくめた。力で“秩序”を維持するのは事実だが、それ以外にどう方法があるのか。
「そんなに疑うなら仕方ないが、このままここにいても、海外の連中が来るかもしれんし、地元の無法者に襲われるかもしれんぞ? 選択は自由だ。だが、俺たちはお前らが生き残る道を用意してる。家族や子供がいるなら、尚更だろう」
難民たちは数秒ほど目を合わせ、低く囁き合ったあと、消え入りそうな声で「わかった……」と答えた。これが正しい選択かどうかなど、誰も保証できないが、他に術はないのだ。
辻は顔を上げ、隊員に指示する。
「全員を一カ所に集めろ。身体検査だけして、怪我人がいたら処置してやれ。ここにはもう大した物資はないみたいだな……」
2. 海側の波止場
その頃、鈴木たち別動隊は海に近い波止場へと足を運んでいた。そこには巨大なクレーンやウィンチが錆びついて止まり、コンクリートの桟橋がひび割れて崩れかけている。かつてコンテナ船が着岸していたであろう場所に、小型のプレジャーボートがぽつんと浮かんでいるのが目に入る。
鈴木は双眼鏡を覗き、「こりゃあ、船の装備もあまり残っていないな」と呟く。
「だが、あちらに見える埠頭の先は……妙に整備されているように見えるぜ。誰かが使ってるのかもしれない」
義勇兵の一人が怖じ気づいたように「近づきますか?」と問うが、鈴木は低い声で答える。
「まだやめとけ。そっちには10人以上いそうだ。銃声が聞こえないってことは、いまは交戦してないが……何か準備をしてるのかもな。辻さんに知らせよう」
彼は携帯型の無線機を取り出して、周波数を合わせる。しかし、電波状態が悪く雑音が激しい。何とかして司令部か、同じ港内にいる辻に繋げたいのだが、うまくいかない。仕方なく、近くの高台に移動しようとバイクに乗りこむ。
「お前らはここで見張ってろ。俺は電波の入りそうなところへ行って連絡する。怪しい動きがあったらすぐ撃つなよ。まずは報告だ」
こうして波止場は少数の義勇兵が監視する形で、当面静かな膠着状態に。外海からの船が来る気配はまだないが、いつ上陸が始まるかもわからない。夜になれば一気に動く可能性も高い。
3. 群れをなす難民、広がる荒野
一方、倉庫街の奥深くを進む他の隊員たちは、がらんどうの空間や壊れた事務所を確認しながら、幾つかの物資を回収した。ほとんどが使い道のない鉄くずや古い文書だが、中には倉庫に残されていたレトルト食品や工具なども少し見つかった。
何より驚いたのは、難民の数だ。夜を徹して漂流してきた人々、地方から「船があるかも」と期待してたどり着いた人々、港なら何とか海外へ渡れると思いこんだ者……大小合わせ数十人が、各所の廃倉庫に隠れるようにして暮らしていた。
辻は顔を曇らせながら、薄汚れた彼らに声をかけていく。「再興軍政局に来ないか?」――配給と保護をする代わりに、協力してほしい。そんな提案を繰り返す。しかし、相手は必ずしも喜ぶわけではない。「軍政」への恐怖もあれば、自由を縛られることへの抵抗もある。
「ここにいても食えないだろう? それでも構わないのか?」
辻が問いかけると、ある若い男は虚ろな目で「自由を諦めるくらいなら餓死したほうがマシだ」と呟いた。そこに来た家族づれの母親はうなだれて、結局軍政局にすがるしかないと肩を震わせる。人々の価値観がバラバラで、それをまとめるのがいかに困難かを、辻はまざまざと思い知らされる。
4. ともしびと、不穏な影
昼過ぎになり、海の向こうから雲が流れ込んで晴れ間が消えた。薄暗い曇天の下で、軍政局の隊員たちは倉庫街をある程度掃討したあと、拠点とするビルに一時的な“仮司令部”を設置する。ここから港湾全体を監視し、夜の動きを見極めようという狙いだ。
そのビルの窓からは、遠方の埠頭に薄い煙が立ち上るのが見える。敵が焚き火でもしているのか、あるいは船を整備しているのか。不気味な静寂が広がっていた。
「音沙汰がないのが逆に怖いな。連中は何を狙っている?」
隊員が呟くと、辻も頷く。「夜になったら動く気かもしれん……」
港湾エリアに立ち込める錆びた潮の匂いと、誰もいないコンテナ群の不気味さ。昭和の軍事基地とは似ても似つかないが、“敵がどこかに潜んでいるかもしれない”という恐怖は同じだ。
夕刻になる頃、チラリと無線から鈴木の声が入った。「やはり埠頭に人影を複数確認。船を動かす準備が進んでいるらしい。こっちも慎重に偵察を続けるが、来るなら一気に来るだろう」とのこと。
5. 迫りくる嵐の予感
日が沈み、薄暗い街並みが完全な闇に染まる。ビルの最上階で、辻が双眼鏡を抱え、遠方を見つめる。波止場に停泊している小型船が、今までと違う位置に移動しているようだ。そしてその近くには、ヘッドライトの明かりがちらついている。やはり何かが起こりそうだ。
「連絡班、石原に繋げ。……もし向こうの自治会派との対話がスムーズにいっていれば、人員を回せるかもしれん。港湾を封鎖するには戦力が必要だ」
そう言うものの、通信状況は悪く、ノイズばかりが返ってくる。結局、辻は歯噛みしながら、状況を見守るしかなかった。
頭上を見上げると、黒い夜空に雲が低く垂れ込めている。雷鳴こそ聞こえないが、濃密な湿度を孕んだ風が吹き抜け、頬に触れる。まるで大嵐の前触れだ――辻の本能がざわめく。かつて満州の荒野やフィリピンの密林で、嵐を前にした独特の空気を感じ取ってきた経験が、いま蘇るかのようだ。
「ここでも、また嵐が来るのか……」
6. 頼りない灯火
一方、仮司令部の室内では、ランタンの淡い明かりとバッテリー式のLEDが複雑な影を作り出している。隊員たちは銃を整備し、小声で作戦指示を確認しているが、誰もが不安を隠せない。
「本当に俺たちだけで守れるのか。相手は海外のPMCかもしれないんだろう?」
「弾薬も限られている。下手に撃ち合えば、すぐ尽きる」
そんな声に、辻は聞こえないふりをするしかない。命じる側も命がけだ。“少数精鋭”で守りきれるかどうか――いつ海からやってくるかもわからない敵に、一晩中張り詰めた神経を保つのは至難だ。
「簡易バリケードを築いて、見張りを配置しろ。発電機はあるか? スポットライトを動かせば少しは威圧になる」
辻が指示すると、隊員たちが夜の港湾へ飛び出していく。廃材やコンクリート片を使い、急ごしらえの“要塞”を作るしかない。やはり昭和の戦時下を思わせる光景だが、いまはそれに加えて“外からの侵略”を警戒する立場というのが皮肉と言うほかない。
7. 波間の灯り
夜は深まる。波止場の先に、遠くかすかな灯りが見え隠れする。船が来たのか、それともただの漁船か。鈴木ら偵察班は双眼鏡で海面を睨み、通信班はノイズの中で情報を探る。どこかからエンジン音らしきものが届くような、気のせいのような……。
「上陸を強行するなら、一気に来るはずだ。だが待て、奴らは港を支配するのが目的ではなく、密かに物資を搬出するかもしれない」
鈴木はそう言い、適度な距離を保ちつつ波止場を監視しているが、敵が現れないまま時間だけが過ぎる。不気味なほどの静寂だ。
8. 内戦か外戦か、二つの戦場
一方、石原の交渉チームは別の場所で自治会派との会談を迎えている頃だ。そこでも武装の有無や配給の条件などで揉めるのは必至。たとえ平和的に解決しても、港湾のほうが崩れれば国土の一部がさらなる混乱に陥る。
どちらかが上手くいっても、もう一方が失敗すれば総崩れ――まさに分かれ道だと、辻は覚悟している。
夜風が強くなり、暗い海面を小さな波紋が走る。港湾地区の埠頭には、廃コンテナが山のように積み上げられ、その間を再興軍政局の隊員が懐中電灯で照らしながら巡回している。銃声も足音も聞こえず、ただ波と風の音だけが響くというのは逆に神経をすり減らす。
「まったく……嵐の夜になりそうだな。相手は台風の目が来るのを狙って上陸するかもしれん」
辻はつぶやきながら、遠くで人影が動く気配を感じ取る。隊員が手招きで呼んでいる。どうやら隣の倉庫で“何か”を発見したらしい。
9. 荒ぶる夜へ
こうして、港湾の混乱は一気に加速する手前の段階に突入する。第九章の晩はまだ静かだが、闇の奥で大きなうねりが渦巻いている。
石原が自治会との交渉を成功させれば、内戦の火種は一旦鎮まるかもしれない。だが、その報が届く前に、この港湾で海外勢力との小競り合いが起きれば、軍政局は二正面どころか多正面での対応に追われる。
やがて月が雲に隠れ、星も光を失った夜空に重苦しい雰囲気が漂う。波止場の空気が生ぬるく、肌に張り付くようだ。あまりに静かすぎて、まるで海が息を潜めているようにも感じられる。
辻政信は、昭和に培った戦場感覚でこう確信していた。「この沈黙は危険だ。きっともうすぐ、大きな衝撃が来る」。それが外国からなのか、国内からなのか、はたまた両方か。いずれにしても、この夜に何かが起きる予感がやまない。
第九章は、ここで一つの区切りを迎える。崩壊した日本を舞台に内外の脅威が重なり合い、再興軍政局が港湾の嵐に巻き込まれる前夜の描写で幕を下ろす。次なる瞬間、海からの侵入か、内なる反乱か、あるいは運よく小康状態が保たれるのか――未知の幕開けに、昭和の亡霊たちは息を詰めて待ち構えているのである。
第十章 ―港湾の夜戦―
深夜。
港湾地区を覆う闇は、海から吹き付ける湿り気を含んだ風と相まって、一種独特の緊張感を孕んでいた。人工的な灯りはほとんどなく、波止場には腐食したクレーンのシルエットが月光を背に不気味に聳える。遠くからは時折、破裂音めいた雑音が響き、まるで荒んだ亡霊たちが夜の海を彷徨っているかのようだ。
そんな闇の奥で、辻政信率いる再興軍政局の小分隊が、見えない敵を睨みつつ埠頭や倉庫を巡回していた。ここ数日、海外のPMC(民間軍事会社)か、あるいは何らかの武装集団が上陸するとの情報があり、すでに昼間の偵察で予兆を感じ取っている。
だが、いまは何の動きもなく、ただ息詰まる沈黙が続いていた。
1. 不意の閃光
夜半過ぎ。埠頭近くの仮司令所に、一人の義勇兵が駆け込んできた。息を切らし、顔色が変わっている。
「辻さん! 港の先端のほうで、ライトが光りました。連続する信号みたいで……何か合図かもしれません!」
「合図だと?」
辻はすぐに外に飛び出し、小型の双眼鏡で海側を覗き込む。視線の先には朽ちた桟橋が連なり、その先にあるブロック状の防波堤が暗く横たわっている。そこには先ほどまでは見えなかった奇妙な灯りが、点滅を繰り返していた。
「もしかして……船に向けた合図か。夜陰に乗じて接岸させようとしているのかもしれん」
少し離れた倉庫で待機していた傭兵出身の鈴木も、無線で同様の情報をつかんだらしく、すぐ合流してくる。
「港の奥、埠頭の隅に数名の武装グループが集まってる。何かの点滅ライトを使って海上とやり取りしているみたいだ。そろそろ“奴ら”が来るぜ。どうする?」
辻は鋭い目つきで考え込む。長らく張り詰めていた空気が、一瞬にして“これだ”と叫んでいるかのようだ。
「……我々が先にあいつらを押さえるか、それともわざと泳がせて、船が来るところを一網打尽にするか。難しいな。どちらもリスクがある」
隊員たちは緊張に耐えかねている。もし海から大量の武装集団が上陸してきたら、こちらの小隊だけでは対処困難だ。かといって、灯りを察知しただけで突撃すれば、相手に逃げられたり逆襲されたりするかもしれない。
2. 二手の策略
辻は素早く思案し、的確な声を落とした。
「二手に分かれよう。鈴木、お前は火器と精鋭数名を連れて、防波堤の近くに隠れろ。船が来て上陸を始めたら、すぐ報告してくれ。こちらは埠頭で待機し、陸からの援護ができるよう備えておく。タイミングを見て挟み撃ちにするんだ」
「了解。だが、向こうが多勢だとわかったら、すぐ後退させてもらうぞ」
短い言葉を交わし、鈴木は仲間数人を伴って夜陰に紛れるように波止場の先へ走る。辻は埠頭の倉庫を警戒しながら、残った隊員に念を押す。
「無闇に撃ち合うなよ。できるだけ相手の意図を探ってからだ。目的が取引なのか、本格的な侵入なのか。それによって対応が変わる……」
ここで数名の隊員が頷く。胃の奥がひりつくような危機感。昭和の頃、辻は満州など様々な戦場を経験したが、現代の市街地に加え、海外PMCという未知の勢力が相手というのはまた勝手が違う。しかも、国の後ろ盾も憲兵もいない、完全な孤立状態である。
3. 音なき襲来
深夜二時を回った頃だろうか。埠頭側から報告が入る。「海面に小さな船影、エンジン音がかすかに聞こえる」とのこと。どうやらスピードボートの類いだ。大人数を運ぶには向かないが、武装数名なら高速で上陸できる。
辻は無線を握りしめて静かに指示を出す。
「全隊、待機。目視確認するまで撃たない。鈴木のチームが先に偵察する」
そこからの数分が、やけに長く感じられた。闇の中、ひんやりした潮風が吹きつけ、どこからか遠い波の音だけが響いている。夜目が慣れてきても、倉庫やコンテナが作り出す影は深く、一寸先を疑いたくなる。
突然、無線から鈴木の声が飛び込んできた。ノイズ混じりだが、明らかに焦りを含んでいる。
「船が桟橋に近づいている! ……相手は5~6人か。武装してるのが見える……だが、それだけじゃない。何か大きな装備を運びこもうとしてる」
さらに、その奥にもう一隻らしき船影が見えるとの報。やはり複数の船で物資を運ぶ計画かもしれない。無法者や海外PMCが手を組んだ“輸出入”だと考えれば、AI関連や工業機器を狙っている可能性が高い。
辻は頷き、全隊に号令をかける。
「よし、船が接岸したらすぐに現場へ急行する。奴らが物資を卸しはじめたら隙ができる。そこを狙って制圧するんだ。銃声を最小限に抑え、可能なら降伏させたい……が、無理なら発砲を厭わない。覚悟はいいか?」
部下たちは緊張した面持ちで返事をする。昭和の軍隊さながらの光景だが、誰もが過酷な現実を悟っていた。ここで阻止しなければ、さらなる混乱を呼び込む。
4. 冷たい海、熱い血
夜風がやや強まったのを合図に、黒ずんだ海面にボートが接岸し始める。光を抑えた懐中電灯らしきものが揺れ、複数の人影が桟橋へ飛び降りる。そのうち数人は武器を構え、警戒しているようだった。
「こいつは……けっこう本格的じゃないか?」
鈴木の小声が無線から漏れる。こちらにも聞こえるように、金属の擦れる音や低い会話が伝わってくる。外国語か、日本人か判別しにくいが、少なくとも高圧的な声が飛び交っている。あちこちに仕掛けを警戒しているのか、慎重に動いている様子だ。
「行くぞ!」
辻が手を振り、埠頭の陰から数台のバンと義勇兵が飛び出す。闇夜にエンジン音が響き、懐中電灯やヘッドライトが一気に辺りを照らす。ここで慌てて敵が発砲すれば、もう引き返せない戦闘が始まる。
一瞬、空気が凍るように感じられたが、相手もすぐに動いた。桟橋にいる数名がライトを向けて警告の声を上げる。
「Stop! Who are you!?」
外国語と日本語が混ざり合い、「どこかへ行け!」と怒鳴る声も聞こえる。まるで昭和の戦場での敵軍との遭遇シーンを思わせるが、これが今の日本だ。
辻の部下が拡声器で叫ぶ。
「ここは再興軍政局が管理する日本の港湾だ! 不法侵入をやめろ! 武器を捨てて降伏すれば、話し合いに応じる!」
応じたのは銃声だった。パパパッと連続する音が、鉄製の桟橋に穴を穿ち、火花が飛び散る。すぐに義勇兵も身を伏せ、バンの陰に隠れながら威嚇射撃を返す。
「くそっ……やはりこうなるか!」
辻は歯を食いしばりながら、小さく合図を送る。鈴木たちが背後から挟撃する段取りだが、まだタイミングが来ていないようだ。
5. 銃火の交錯
一瞬にして夜戦が始まる。闇を裂く銃声と閃光、鉄骨に弾が当たる金属音が錯綜し、潮風の冷たさも忘れるほど空気が熱を帯びる。こちらが大きく動けば相手が狙い撃つし、敵がボートへ戻ろうとすれば義勇兵が警戒射撃する――まさに膠着状態だ。
辻は小走りで倉庫の壁に身を寄せ、無線機をつかみ叫ぶ。
「鈴木! 今だ、回れ! 奴らが桟橋に釘付けになってるうちに、後方から一気に抑えろ!」
ノイズまじりの声で「了解!」と返答が聞こえる。
それから数秒。桟橋の奥からまた銃声が鳴り響き、何人かの悲鳴が混じる。鈴木の部隊が動いたのだ。挟撃を受けた敵は分散し、何人かは海沿いの低い防波堤に向かって走る。船に戻りたいのか、あるいは逃げ場を探しているのか。
「発砲は最小限だ!」
辻が繰り返し叫ぶが、戦場では言葉などほとんど届かない。やたらめったら撃ち合いが続き、どこかのバイクが転倒する音や、火の手のような閃光が視界をちらつかせる。
6. 息を呑む瞬間
ふいに、轟音が波止場を揺るがす。誰かが投げた爆弾か、ガスボンベが引火したか。一瞬の閃光が夜闇を裂き、倉庫の壁が震える。辻は思わず地面に伏せ、破片が飛んでくるのを感じながら歯を食いしばった。
「うおお……!」
隊員の何人かが悲鳴を上げる。耳鳴りが強く、何も聞こえない。焼けた鉄の臭いや粉塵が漂う。
半ば朦朧としながら顔を上げると、桟橋の手前で炎が上がっている。コンテナが破損して燃え始めたようだ。敵なのか味方なのか、倒れた影がいくつも見える。
「退け、退け! やばい!」
付近の隊員が叫び声を上げる。弾薬や燃料がそこにあったのかもしれない。引火すればさらなる爆発が起きる恐れがある。夜戦はすでに混沌の極みだ。
辻は痛む頭を押さえつつ、無線機を探す。やっと手にしてスイッチを入れると、雑音に混じり鈴木らしき声が断続的に響く。
「……撤退……奴ら、思ったより多数……ッ!」
7. 戦線の崩壊
どうやら敵は思った以上に多く、そして複数の地点から集中攻撃をしかけてきているらしい。鈴木の部隊も劣勢のようだ。計画では数人程度の上陸を想定していたが、実際にはもっと大がかりな動きなのかもしれない。
「分散しすぎたか……くそ!」
辻は覚悟を決め、「一旦下がれ!」と隊員たちに指示を出す。倉庫街の深部へ撤収し、体制を立て直さなければ全面的に敗走しかねない。
しかし退路を確保しようにも、あちこちで銃声や爆発が起き、視界は悪く。敵は音を頼りに追ってくるのか、倉庫の陰から執拗に射撃をしてくる。もはや「発砲を最小限に」という理想は通用しない。必死に応戦しなければこちらがやられる。
パンパンパンッ!
銃声が重なり、天井の蛍光灯(生きているものはほとんどないが)がいくつか吹き飛ぶ。飛び散る破片、ケミカル臭。夜の港湾がまるで地獄の餓鬼道を思わせる惨状だ。
「くそ……ここまで連中が本気だったとは!」
辻は息を詰めて隣の隊員に声をかける。怪我をしているのか、血が流れている。もう少し奥へ退避しないと、爆発の巻き添えを食う可能性がある。
8. 引きかえせぬ夜
一方、鈴木の側も悲惨な報告が届く。仲間が数名倒れ、桟橋の先で何人か行方不明。敵の火力は想定以上。PMC特有の戦闘技術か、練度が高い印象を受けるという。
「奴らは船に何か大きな箱を積んでいる! 狙いは日本の工業設備か、あるいはAI関連の装置かもしれん……とにかく大規模だ。ここで止められなければ、奴らが根拠地を築いてしまう」
ノイズ混じりの声が聞こえるが、指示を出す余裕もない。辻が必死に叫んでも混戦の中でどこまで伝わるか。
倉庫街の奥から、じりじりと撤退する義勇兵の一群。死傷者を抱えてバンに乗り込むが、相手も波止場へしがみつきながら射撃を続ける。激しい銃撃戦の果てに、コンテナがまた一つ引火して爆ぜる。黒い煙が夜空を覆い、火の粉が舞う光景は、まるで昭和の空襲下を想起させる。
9. 後退か、増援か
そのとき、遠方でエンジン音がする。応援なのか、それとも敵の増援か——一瞬全員が息を呑む。
やがて、倉庫街の外れから数台のバンがやってきたのが見える。ヘッドライトが照らす先には、見覚えのある軍政局のマークが! どうやら石原が司令部から増援を送り込んでくれたらしい。ちょうど自治会派との交渉が終わったのか、あるいは間に合ったのかは分からないが、少なくとも“見捨てられた”わけではなさそうだ。
増援が着くや否や、バンから義勇兵が飛び降り、物陰を探しながら射線を確保する。手榴弾や煙幕なども少量だが持参しているようで、一斉に投擲して混戦をかき乱す。
その隙に、辻の主力部隊が一気に撤退ルートを確保し、ある程度後方へ下がることに成功する。敵もさすがに煙幕で視界を奪われ、攻勢を緩めている。
「やっと呼んでくれたか、石原……!」
辻は顔を上げ、燃え上がるコンテナと暗黒の空を見やる。血と硝煙の混じった臭いに、頭がクラクラする。こんな形で戦闘が拡大するとは、思ってもいなかった。
10. 冷たい雨
その頃、夜空からひとつ、ふたつと大粒の雨が落ちてきた。さっきまで広がっていた黒雲がいよいよ牙をむくかのように、豪雨の前触れを告げている。燃えているコンテナからは蒸気のような煙が立ち昇り、周囲の視界がさらに悪化していく。
雷鳴こそまだ聞こえないが、強く降れば火は消えるかもしれない。だが、火が弱まったところで、敵が撤退するかどうかは分からない。
混乱の極みにある夜戦で、雨は救いにも障害にもなる。視界がさらに落ち、銃の故障も起こりやすいが、火事の広がりは防げる。昭和の戦場でも似たような天候に悩まされた記憶が、辻の脳裏をかすめる。
「とにかく、無用な戦闘を長引かせるな。夜明けまでに相手の目的を断ち切れればいいが……」
心の中でそう呟き、辻は部下に無線で指示を出す。「本格的な雨が降ってきたら、敵も行動を絞るはず。今のうちに敵の船を叩くか、或いは奴らの拠点を押さえるか。どちらにせよ、決断しなければならん」
11. 分岐点の夜
この瞬間、第十章の物語は苛烈な夜戦とともに幕を下ろす形となる。
再興軍政局は港湾地区をめぐり海外勢力と衝突し、血と火と硝煙が入り混じった地獄絵図が広がっている。増援も合流したが、圧倒的な戦力差を覆す自信はどこにもない。豪雨がすべてを包み込むかもしれないが、それは“混戦”をさらに深める可能性もある。
一方、石原が別働隊を率いて自治会派との対話をどうまとめたのか、その報告さえまだ司令部に届いていない。内戦の火種はくすぶったまま、外からの脅威も現実になってきた。兵力も物資も有限で、昭和を越えた大本営などない中、辻と石原は次から次へと押し寄せる危機に応戦せざるを得ない状態に陥っている。
昭和の戦争では、本土決戦が危惧された時期もあったが、今回は本当に“本土”が無法地帯と化し、外国や自警団、PMC、軍政局が入り乱れる戦国の様相だ。しかも肝心の中央政府はいない。すべてが自己責任の争いだ。
「これが……令和を越えた20XX年の、日本かよ」
誰かがそう呟いたかもしれない。黒い海原と豪雨に包まれながら、夜空は雷光にまだ染まる気配を見せず、深く冷たい暗闇を維持している。
夜明けは、また血の匂いとともに訪れるのだろう。港湾の炎と雨が混じり合い、二度と後戻りのできない戦いが起き始めている今、彼らがこの地獄をどう乗り越えるのか。
昭和の亡霊を背負った辻政信、外側からの侵入を防ぎたい再興軍政局、そして国内外の混乱や自治会派との衝突が未解決のまま――。どの火種も放置できず、銃声や悲鳴が夜の闇を貫いていく。
こうして第十章は港湾地区の雨夜に響く銃声を背景に幕を閉じる。嵐の前触れと、既に起き始めた暴風の只中で、果たして軍政局は港湾を防衛し、日本の終わりなき分断を阻止できるのか。それとも力尽き、さらに悲惨な戦闘へ突入するのか。
夜はまだ長く、朝の光が差すまで、この血塗られた舞台がどう転ぶか誰にもわからない。昭和の失敗を繰り返すか、あるいは新しい未来を切り開くか――いま、分岐点の真っ只中にある。
第十一章 ―雨上がりの暁―
激闘の夜を迎えた港湾地区。
黒雲に覆われた空から降りしきる雨は、火と硝煙を拡散させ、闇夜にけぶるような蒸気を漂わせていた。視界は悪く、ところどころに倒れた仲間や敵が入り乱れるその場所は、まさに戦場の様相――昭和どころか、もっと遠い過去から連綿と続く“人間同士の殺し合い”という原初の惨劇を思わせる。
辻政信は頬に雨を感じつつ、破損した倉庫の壁に身を寄せ、荒い呼吸を整える。焦げた鉄骨の臭いと混じって、血の生々しい匂いが鼻を突いた。夜半から続いた銃撃と爆発の余韻がまだ脳裏を揺さぶるが、一旦小康状態になった今が部隊の整理に最適なタイミングだ。
「全隊、状況報告!」
荒れた声を振り絞って無線機に向かう。周囲からはパチパチと燃える残骸の音がする。通信の向こうで、複数の隊員が断続的に応答する。
「こちら“第三班”。敵ボート一隻は沖合へ逃走。少なくとも一人は取り残されましたが、抵抗中です!」
「“第一班”です。波止場の西端で火災が発生、倉庫に引火しそうです。こちらも撤退準備しますが、負傷者が二名……」
「こっちは“鈴木”だ……なんとか挟撃の形に持ち込めたが、向こうも相当な火力がある。まだ桟橋に残ってる連中がいる。とにかく奴ら、何か大きな貨物を確保しようとしてるらしい!」
辻は口を結び、脳内で状況を組み立てる。見たところ、敵は複数のグループに分かれており、完全に連携した一枚岩ではないようだ。船で撤収した者もいれば、桟橋に残って何かを運び出そうと躍起になっている者もいる。混成チームか、それとも外国勢力と国内の無法者が協力しているのか、正体は定かではない。
「やはり本格的に“金目のもの”を持ち出す算段だったか。AI関連かレアメタルか、工業設備か……いずれにせよ、この港湾を拠点にしている時点で許せん。ここを完全に押さえる!」
隊員たちが散開するなか、雨は弱まる兆しを見せ始める。夜空に微かに明け方の色が混ざり、東の空がうっすら白んできた。長い夜が終わりに近づいているのを肌で感じつつ、辻は無線機を握りしめた。
「こちら辻。敵の意図が明確になり次第、制圧行動を一斉に行う。可能なら捕虜を取り、誰が背後にいるのか問いただす――死なせるなよ。だが、やむを得ない場合は……撃ち合え。最小限に抑えるよう頼むが、生き残るのが先決だ」
1. 薄明の中の警戒
夜闇が薄れ、港湾のあちこちで見える火の手も少しずつ沈静化する。雨に打たれた残骸が、蒸気を上げている光景はまるで地獄の底から白煙が立ち上るよう。
しかし、静寂とは無縁だ。ときおり散発的に銃声が走り、金属の反響音が遠くで揺れる。無線を通じて聞こえる仲間たちの声も、疲労と焦りがにじむ。未明の光に照らされた桟橋付近では、さっきまであった船影が一本だけ見当たらなくなっているようだ。
「逃げられたか……。それとも別の場所から再上陸を狙っているのか」
辻は苦い表情を浮かべ、倉庫の影から様子を探る隊員に合図を送る。
「まだ動きがあるか?」
「……いえ、いまは見えません。けれど、さっきまで何か大型の箱を運んでた形跡があるんです。そこにトラックのタイヤ痕も……」
倉庫街の奥へ続くタイヤ痕。逃げるなら海ではなく陸路を使うのか? つまり敵は船を囮に使い、実際にはトラックで陸へ運び出すつもりかもしれない。
「くそ、まんまと逃がすわけにはいかん。……鈴木のチームはどうなってる?」
無線を試すがノイズが大きい。応答は返ってこない。
2. 崩れゆく埠頭
一方、桟橋の東端では別の小隊が相手と小競り合いを続けていた。敵は5~6名程度で、かなり高度な武器の扱いをしている。射撃の精度が高く、こちらの隊員が不用意に身をさらせば、一発で仕留められる危険がある。
桟橋には波が打ち寄せ、コンクリートの壁が欠けかけている。夜通しの戦闘と雨が相まって、地盤が緩んだのかもしれない。さらに撃ち合いが激しくなれば、桟橋そのものが崩壊する危険すらある。
「退け、退け! こんな場所でやり合ったら危ない!」
小隊長が声を張り上げても、敵は一向に退く気配を見せない。目的があって動いているか、もしくは囮として時間稼ぎをしているのか。
火線が交錯するなか、桟橋のコンクリートがゴリッと音を立て、亀裂が走る。ズズッという嫌な振動が足元を揺らす。隊員たちが顔を見合わせた瞬間、バキバキッという爆裂音とともに、桟橋の一部が崩落した!
「うわああ!」
複数の悲鳴が混じり、水柱が激しく上がる。ぎりぎり踏みとどまった者たちも、重心を崩して尻餅をつく。敵味方関係なく、混乱に陥る一瞬。
「くそ、撤退しろ! もう桟橋はもたん!」
小隊長が声を振り絞る。余波でハンドガンを落とした隊員が必死にしがみつき、水面に姿を消しかける仲間の手を掴んでいる。その横を幾発かの銃弾がスパッと切り裂く。
やっとの思いで桟橋の陸側へ逃げ戻り、息を整えるが、すでに桟橋の向こうは崩落の瓦礫で埋まり、水と瓦礫の混ざった極限状態だ。敵も一部が崩落に巻き込まれ、生き残りはどう動くか分からない。
3. 火柱と退潮
朝焼けが白んできたころ、波止場の各所で散発的な銃声と暴発音が聞こえる程度になり、激しい撃ち合いは下火となっていた。見ると、夜中に燃えていた倉庫やコンテナの火が、雨や消火によって大部分が鎮火している。黒煙が空に漂い、鼻を突く焦げくさい臭いが残る。
辻は少数の部下を連れて、倉庫の裏手から桟橋方面へ回り込み、状況を確かめる。そこには瓦礫と濁流が混じり、当分使えそうにない桟橋が横たわっていた。敵の姿も見えない。
「やられたな……。まさか桟橋が崩れるとは思わなかったが、それだけ老朽化していたんだろう。奴らも一部は巻き込まれただろうが……逃げた奴もいるはずだ」
桟橋の破損により、少なくともこのルートから大型の船を使った搬出入はしばらく難しくなるという見方もある。利権を狙う海外勢力にとっては痛手かもしれないが、辻たちにとってもあまりに大きな代償を払った夜だった。
「味方の被害状況は?」
隊員が手持ちのメモを見ながら答える。
「死傷者合わせて十数名。行方不明が数名……まだ救助が必要です。敵も相当数、死傷したようですが、何人かはトラックやボートで逃げた可能性が高い。押収品はわずかですが、外国製の武器や端末が残されていました」
4. “奴らの本拠”はどこなのか
夜戦の成果としては、港湾地区を一応“再興軍政局”がキープできた形だが、決定的な勝利ではない。相手は上陸を果たしたうえで、一部は何らかの物資を持ち去ったかもしれないし、他の拠点に逃亡したかもしれない。
「奴らの本拠が別にある以上、また来るだろう。港湾を完全制圧するには相当の人員と装備が必要だが、そんな余裕があるか……」
辻は苦い顔でつぶやき、煙を上げるコンテナの残骸を見つめる。もし船が複数あれば、別の港や入り江を使うかもしれない。つまり防衛すべき範囲は果てしなく広がるわけだ。
そして無線が鳴り、息の荒い声が聞こえる。どうやら鈴木の部隊も辛くも桟橋を脱し、負傷者を抱えて後方へ退いてきたらしい。桟橋崩落でさらなる戦闘は回避されたが、複数の仲間が行方不明、少なくとも一人は海に落ちたまま見つかっていないという。
「ちくしょう……このままじゃ、連中を完全に叩けん。焦土作戦みたいに全部破壊するわけにもいかないし、俺たちにそこまでの火力もない。どこかでケリをつけなきゃ、いつまでも同じことが繰り返される」
鈴木の声には苛立ちと落胆が混じる。
5. 朝焼けの中の哀愁
雨が止み、うっすらと朝焼けが海面を照らし始めた頃、倉庫街には黒い煤と破片が散乱し、いくつかの死体がシートで覆われ、負傷者が治療を受けている。義勇兵の医療班が、手当たり次第に手際のいい応急処置を施すが、重傷者はどうなるか分からない。病院も満足に機能していないこの世界では、命の行方は薄氷の上を歩くようなものだ。
辻は打ちひしがれたように倉庫の壁にもたれ、「早急にここを拠点化しなければ、また同じことが起きる」と決意を呟く。港湾は焦土では困るが、治安を維持するには“基地”のような機能を備えた司令部が必要だ。
そのとき、ポケットの無線機が鳴った。ノイズが大きいが、どうやら石原莞爾からだ。
「……そっちはどうだ、辻? こちらは自治会との交渉を何とかまとめたが、余裕はない。港湾が大変らしいな」
「こっちはもう地獄絵図だ。敵は一部を逃したが、一応、奴らの本格的な拠点化は阻止した。死傷者も出たが、港湾を手放すつもりはない。……自治会派との話し合いは成功したのか?」
「一時的な停戦のようなものだ。配給を受けつつ、自治会の自警団も軍政局の指揮下に入る。ただし完全な従属ではなく、互いに不可侵を約束する形。いまはこれで精一杯だ。正直、いつ裏切られるかも分からん」
それでも、自治会派との衝突による内戦は回避できるかもしれないというのは朗報だが、港湾での事態はまさに**“実戦”**へ突入してしまった。「昭和の亡霊」が再び血で染まる行動を強いられるとは、石原にとっても歯痒いだろう。
「よし、俺は当面ここに残って整理する。もし向こうが再度攻めてくるなら、防波堤を固めなきゃならん。こっちにも援軍を増やしてくれないか?」
「わかった。できるだけ送るが、首都圏でも人手不足だ……どこまでも戦線を広げるわけにはいかん。俺たちが昭和の頃にやった失敗を繰り返すわけにはいかないからな」
電話が一旦途切れ、最後に石原が言う。
「ともかく、お互い生き延びよう。昭和の反省を活かすも何も、死んだら意味がないからな」
6. 新たな収穫、悲しい代償
夜戦のあと始末を進めるうちに、軍政局の隊員がいくつかの“収穫”を報告してきた。敵が遺棄した金属ケースや、残されたタブレット端末、輸送用のリストのような紙。どうやら海外との取引を裏付ける証拠で、物資を大量に持ち去ろうとする記述があるらしい。
もしこれを詳しく解析できれば、背後にいる国や勢力が分かるかもしれない。しかし、AI参謀のサーバーが満足に稼働する環境は首都の司令部にあるし、そこも電力と通信が不安定だ。すぐには無理だろう。
「使えるものは何でも持ち帰れ。怪しい箱や装備も回収して解析する。敵がどういう目的で日本を食い物にしようとしているか、突き止める必要がある」
辻が命じると、隊員たちは傷ついた体を引きずりながらも頷いた。一晩中の戦闘で疲労がピークに達しているが、やるしかない。
湾岸線に差し込む朝陽は、あまりにも美しく穏やかで、ここが一晩中の銃撃で血まみれになった現場だとは信じがたい。死傷者の数は増えたが、それ以上に“大義”を守れたかどうかは疑問だ。侵略者を完全に排除したわけでもない。
「……昭和の戦争末期、こんな朝焼けを何度見たかな。何のために戦ったのかもわからないまま、国が焼けていった。俺たちも同じことを繰り返すんじゃないのか」
辻は独り言のように呟き、遠くに横たわる朽ちた桟橋を眺める。崩落したコンクリートの残骸が波に洗われ、白い飛沫を上げていた。
7. 湾岸要塞化の是非
朝になっても、軍政局の隊員たちは休む暇がない。倉庫街の一角を拠点化し、“塹壕”のようにバリケードを固め、敵の再度の襲来に備えなければならない。ほかの港から回ってこられたら意味がないという声もあるが、いまはここを手放したくない。ここが海外勢力の通り道になれば、日本内部への物資流出やさらなる紛争が止められないからだ。
「こんなことを全国でやっていたら、俺たちがどんどん侵略者みたいになるな」
誰かが苦笑交じりに洩らす。昭和の帝国陸軍は戦線を拡大しすぎて破滅した。再興軍政局も今や配給や地方連携だけでなく、港湾警備まで手を広げる。戦線拡大の危険と無縁ではない。
「だが、やらねばならん。日本を守るために必要な領域だ。港は生命線でもある――海からの援助が将来来るなら、ここを手放すわけにはいかない」
辻がそう呟くと、隊員たちは浅く頷く。小さなバックパックに支給された缶詰や水を詰め込み、これからも現地に留まって防衛しなければならない。
8. 新章の扉
こうして、夜戦の地獄をなんとか生き延びた港湾地区は、一時的に再興軍政局の支配下に留まる形となった。敵を完全に排除したわけではないが、少なくとも彼らの大掛かりな取り引きを阻止し、船を使った上陸も押さえ込んだ。代償として、義勇兵や元傭兵にも多数の傷病者が出たが、港湾を守るという目的はひとまず果たされた。
夜が明けて、鉄骨に混じる硝煙と燃えカス、そして崩落した桟橋が朝陽に照らされる。そこに立ち込める静寂は、哀しみと安堵が入り混じる不思議なものだ。頬にあたる潮風が冷たく、耳鳴りが残ったままの頭に響く。
第十章のあと、今この第十一章に至り、軍政局が“外なる脅威”と本格的に向き合う姿が描かれた。それは国内の自治会派との衝突とはまた違う、より直接的な“侵略”の予感である。同時に、昭和時代とは逆の立場から防衛戦を強いられ、自らが“支配者”となるリスクもあるという究極のジレンマを浮き彫りにしている。
朝の光が少しずつ港を照らす中、辻は血塗られた夜を思い返し、昭和から続く自分の運命を呪うようにつぶやいた。
「戦わずして勝つ……その信念を掲げながら、こうして戦う羽目になるとはな。だが、やらねば守れない。しょうがない、しょうがないんだ……」
視界の隅には、破壊されたボートの破片や異国の文字が刻まれた木箱が散らばっている。これが、ただの序章に過ぎないかもしれないという予感が、港湾のひんやりした空気を通じて肌に伝わる。海外PMCが本気を出せば、こんな小競り合いでは済まないだろう。次はもっと大きな波が来る。
しかし、辻も石原も昭和の亡霊として、ここで後退するわけにはいかない。国内を守るためか、それとも「軍政」を拡張するためか——その線引きが曖昧になりつつある事実を、彼らはどこまで自覚しているのだろうか。
第十一章は、港湾の夜戦という激震を経て、朝焼けに包まれる静まり返った港の姿で幕を下ろす。死傷者と瓦礫が残り、遠くの海面にまだ漂う油と破片が、次なる闘いの不吉な予兆を示している。
果たして、この土地を本当に守り抜けるのか。海外勢力の真意は何か。自治会派との内戦の火種はどうなるか。日本全国に伸びる軍政の波が、大惨事を防ぐのか、むしろ引き寄せるのか――答えはまだ霧の中だ。
夜明けの光が眩しく差し込むその瞬間、血と炎の夜を生き延びた者たちが、ひとときの安堵と新たな恐怖を抱えながら、次の行動へと歩みを進めるのである。
第十二章 ―荒野に咲く策―
火の粉と煙が広がった港湾での激闘から一夜明け、崩れた桟橋と黒焦げのコンテナ群を前に、辻政信は苦い顔で腕を組んでいた。夜が明けきっても、海面には漂流物が浮き、埠頭の一角は破壊されて使い物にならない。あちこちに散らばる薬莢や爆発の痕跡が、この場所で起きた凄惨な戦いを物語っている。
兵たちが今も死傷者や行方不明者の捜索を続けており、その横を負傷した仲間を抱えた義勇兵が通る。敵も複数が倒れたが、捕虜として確保できたのは数名だけ。しかもその多くは下っ端らしく、背後の黒幕については詳しく語れないようだ。
「夜戦での死傷者がこんなに出るとは……」
辻は地面に突き立った折れた鉄骨を見つめ、悔しそうに眉を寄せる。この場所を守り切るために流された血を思うと、たとえ勝利に近い形で追い払えたとしても、胸の奥で言いようのない痛みが広がる。
「俺たちが“防衛”の名目で動いているとはいえ、このまま戦いが拡大すれば、昭和の失敗と変わらない。いったいどう進めればいいんだ……」
すると、その背後から、血糊の付いた包帯を肩に巻いた男、鈴木が姿を現す。傭兵上がりの彼もまた負傷したらしく、足を引きずりながら辻に近づく。
「お疲れさん、辻さん。夜戦は最悪だったが、こちらも奴らの一部を倒したし、物資の搬出を止めた形にはなった。結果だけ見れば成功だが……代償が大きいな」
鈴木は静かに目を伏せる。
「何人もの仲間が海に落ちて戻ってこない。あいつらが本気で設備やAI関連を狙っていたのはほぼ確実だ。最終的に何をしたいのか、まだハッキリしないが……とにかく港は完全に押さえるしかないだろうな」
辻はそれに頷きつつ、低く唸る。港を守るには何十人規模どころか、何百人もの警備と設備が必要だ。現在の再興軍政局は首都圏の配給や治安だけで手一杯で、とても港湾を隅々まで管理しきれない。だが、ここを手放せば、敵勢力が拠点化して更なる侵入を図るのは時間の問題だ。
「……石原との連絡はまだか? 自治会派との交渉を済ませて、人を回せるとか、何か進展はないのか」
辻が無線係に尋ねると、かすかな雑音を伴って「石原さんから応答あり。隊を少し回せるかもしれないが、こっちもトラブルが多いらしく、正確な人数は未定です」と返ってくる。自治会派との対話は一応の合意に達したらしいが、彼らがどこまで協力するか、あるいは軍政と共同行動する覚悟があるかは未知数だ。
1. 仮司令部の設置
そこで辻は、夜戦で一部焼け残った倉庫の一角を片付け、急ぎで**“港湾司令部”を設置することを決める。海を睨んだ位置に監視台を作り、遠望できるよう双眼鏡やライフルを配置する。桟橋は崩落したが、まだ使用可能な部分があるらしく、そこにトラップを仕掛けて簡易封鎖とした。
義勇兵たちは疲労困憊のまま残骸を撤去し、瓦礫を積み上げてバリケードを作る。まさに“要塞化”**に近いが、そんな大がかりなことをしている余裕があるのかとも思える。しかし、やらなければ次の夜にもっと酷い事態が来る恐れがあった。
鈴木が地図を広げながら、「俺は一度、東京の司令部に戻って補給と増援を依頼する。ここを守りきるには、夜戦用装備や追加の銃弾、衛生物資が必要だ」と提案する。
「そうしてくれ。死傷者の救援や物資の管理も厳しい。やがて大型船が来る可能性を考えれば、爆薬や対船舶用の装備も欲しいところだが……難しいだろうな」
辻は苦い笑みを浮かべる。いまの日本で、そんな装備を用意できるのは自衛隊ぐらいだが、彼らも事実上瓦解している。このまま“帝国海軍”にでもなる気か——心の中で自嘲するが、言葉にはしない。
2. 移りゆく民衆
その頃、港湾周辺には昨夜の銃声を聞きつけて逃げ出す者と、逆に「軍政局が港を押さえたなら物資があるかも」と集まる難民とが入り乱れ、新たな混乱が発生していた。
倉庫街の片隅では、親子連れが「ここにいれば安全なんですか」と問いかけ、隊員が回答に窮する姿がある。かたや「配給がもらえるなら何でもする」と登録を申し出る若者も現れる。
「港が賑わうようになれば、商売ができるのでは?」と期待する地元民もいれば、「こんな戦場みたいな場所にはもういたくない」と言って去る者もいる。まさに人の流入と流出が絶えない。
「これじゃ、東京の配給と同じだな……」
辻は独りごちる。中央政府がない以上、人々は“食べられる場所”に自然と集まる。だが、ここには農地も店もない。あるのは血生臭い倉庫群と、義勇兵が張る警戒線だ。物資を届けるには、軍政局のトラックが必要だが、それも首都や地方のルートを確保できてはじめて成り立つ。
3. 無線越しの石原
雨が止み、朝陽の角度が上がるにつれ、無線の受信状態がやや回復してきた。そこで再び東京の司令部とのやり取りが可能になり、ほどなくして石原莞爾が出る。
「辻か……すまない、自治会派の連中を説得するのに時間がかかった。どうやら向こうは内戦こそ望まないが、配給の自由度を上げてくれなどいろいろ要求が多くてな。なんとか合意に近い形になったが、すぐに増援を大量に送るのは難しい……」
深い溜め息が混ざる声。そちらもそちらで大変なようだ。
「そうか。こっちは昨夜、死闘だったよ。なんとか港湾を押さえたが、犠牲者も多い。船で来た連中の正体は判然としないが、かなりの戦闘力を持っていた。ここを本拠にする気だったんだろうな……」
辻の語気は苛立ちを帯びている。夜戦で散った仲間たちを思うと、どうしても釈然としないものがある。
「とりあえず、しばらくは港湾エリアを要塞化する。そこへ補給や応援を回せるよう、そっちでも頼む。外からの介入を防ぎきれなければ、いずれ全国が焼かれることになる」
石原はわずかな躊躇を含んだ沈黙の末、「わかった。できるだけ急ごう」と答える。彼自身、軍政局の膨張がどこへ向かうのか、心配しているに違いない。昭和のように戦線を拡大すれば、やがて破綻するリスクがあるが、放っておけば外国勢力に国が奪われる。これもまたジレンマだ。
4. 船影の行方
夕刻近くになり、崩れた桟橋や焦げた倉庫の後片付けが進む中、隊員がスコープを抱えて海を眺めていた。「もし夜にまた船が来たら、戦闘再開になるのか……」という緊張が拭えない。
雨上がりの空は澄んでいるが、遠くの水平線は霞んでおり、小さな船の動きは一切確認できない。海は一見静かで美しいが、その先に潜む脅威を感じずにはいられない。辻は海風に目を細めながら、隊員に言う。
「夜が来る前に、少し防壁を強化しておけ。もし再度来るなら、奴らも準備万端だろう。斥候も増やして警戒しろ」
同時に、捕虜になった二、三名から断片的な情報を得ようとするが、彼らは「ただ雇われただけ」と繰り返し、雇用主や組織の名前をはぐらかす。中には外国語しか話さず、意思疎通ができないケースもある。
鈴木が横で首を振る。「奴らは“下請けの下請け”だろうな。上層はまだ海の向こうか、別の拠点に潜んでるだろう。日本を稼ぎ場にする奴らは、一回の敗走で諦めるとは思えんね」
5. 対岸の合図、再燃の火種
そんな静かな午後、別の部隊から伝令が来る。**「倉庫街の奥で、新たに不審者が目撃された。どうやら国内の不法者らしい」**という報せだ。どうやら海外勢力と内通している可能性があるらしく、夜には再度、取引や物資搬出を試みる恐れがある。
「さらに内外の勢力が混ざるのか……ややこしい!」
辻は目を細め、心底うんざりする。昭和の大東亜戦争も、敵味方が複雑に入り乱れて拡大したが、今は国そのものがないから、余計にカオスだ。指揮系統も相手方が不明瞭で、何を目的に動くのか推測しにくい。
一方、日が傾き始めた頃、隊員が走ってきて報告する。「海上に小さな船影が見えます。双眼鏡で確認しましたが、漁船のように見えるが、動きが変だ……」
このままでは夜に再度“交戦”に突入する可能性が高い。辻は腕時計を見る。すでに午後も深まり、暗くなるまで数時間しかない。「とにかく周囲の偵察を徹底しろ。夜戦で疲れてるのは承知だが、ここを守りきれなければ意味がない!」と声を張り上げる。部下たちも苦渋の表情で頷く。休む暇などない。
6. 救援の光は来るか
実質的に“要塞化”の道を進んでいる港湾地区だが、それは同時に首都や地方への兵員不足を招く懸念でもある。再興軍政局は広範囲をカバーしないといけない状況に陥り、戦線がどんどん増えている。「農地の警護」「港の防備」「地方連携のための人員派遣」――どれもが重要であり、取捨選択が難しい。
もし石原が自治会派との合意で余剰の人材を得られれば、少しは楽になるかもしれないが、それが叶う保証もない。昭和の軍部が“複数戦線”で自滅したのを思い出すと、辻の心には不安が増していく。
午後遅く、ようやく増援らしき車列が到着する。首都から送り出された物資と人員だが、想像以上に少数だ。トラック数台と十数名の義勇兵、そして少しの医療・燃料――夜戦を支えるにはギリギリかもしれない。
だが、来てくれただけマシだと辻は割り切る。正直、もっと増やしてほしいが、首都圏でも無法者とトラブルが絶えず、地方からの要請も相次ぐ中では贅沢を言えない。こうして、昭和の満州で感じた「兵力は常に不足」な感覚が蘇る。
7. 枯れる体力、燃える執念
黄昏時、雲の切れ間からほんの少しだけ夕陽が射し込み、港の水面をオレンジ色に染め上げる。そこには、今にも動きそうな小舟や、沈みかけたコンテナが浮かび、破滅的な美しささえ醸し出している。
その光を背に、義勇兵たちが血まみれのバンを洗い、倉庫を片付ける。辻は疲れ果てた面々を一通り見回して「しばらく休ませたいが、夜になればまた……」と呟く。すると鈴木が声をかける。
「辻さん、俺は夜間の偵察に再び行くよ。船が来ればすぐ知らせる。もし交渉が通じる奴がいればラッキーだが、たぶん甘くないだろうな」
「……頼む。こちらも少しは回復したら、何人か送り込む。死ぬなよ、鈴木」
「こっちのセリフだ。あんたもな」
二人は短く目を合わせると、それぞれ準備のために散っていく。この地獄を乗り越えなければ、再興軍政局の配給も地方支援も意味を失うからだ。
8. 幕を下ろす赤い陽
そして第十二章は、港湾を舞台にした夜戦の翌日から夕刻までの動きを描き、まだ混沌が続くままで幕を閉じる。破壊と血の跡を引きずったまま、夜がもう一度迫っている事実を誰もが意識していた。
朝に始まった瓦礫の整理や拠点化が、少し形を成しつつあるものの、外洋からの脅威や国内の協力体制はいまだ流動的。首都の石原は自治会派との交渉を進めながら増援を捻出し、辻は港湾で最前線の指揮を続ける。かつて昭和の戦線が拡大して破綻した記憶をなぞるようにも見えるが、どこか違う未来を掴む可能性はまだ消えていない……と信じたい。
夕陽の赤が海面を染め、残骸の鉄骨がシルエットを伸ばす。その下には、苦痛に呻吟する負傷者と、必死に手当てをする仲間たちの姿。遠目には美しい光景でも、近づけば血と汗の匂いが混ざり合った悲惨さが広がる。
「昭和の我々が、令和、そしてこの20XX年で同じ過ちを繰り返すのか。いや、そんなはずは……」
辻は声に出さず、ただ拳を握りしめる。どんなに矛盾しても、ここで踏みとどまらなければ国土はさらなる破滅へ向かう。すでに多くの同胞が散っている中、彼はもう引けない。
黄昏に染まる埠頭の奥で、鈴木たちのバイクがエンジン音をうならせて走り去る。夜を迎える港湾が再度“戦場”と化すかどうかは、風だけが知る。
第十二章の幕は、そんな不穏な夕焼けと、なお戦意を失わぬ軍政局の姿を映し出す。血に染まった夜戦を乗り越えたが、先行きは相変わらず暗い。外からの侵入か、内なる対立か。まるで昭和の夢魔が、令和を越えたこの時代に伸びた触手のように、彼らを捕らえて離さない。
だが、確かなのは、ここを守らねば日本がさらに崩壊するという事実。己を奮い立たせるように、辻は拳を固めて前を向く。空が紅から紫へ、そして漆黒へ移り変わり、港の灯りがいつ途絶えてもおかしくない夜がまた訪れる。
「もう一度、今夜が来る……」
幕は下りず、次の戦いがすぐそこにある。
第十三章 ―雲間の密約―
時刻は夜の九時を回った頃。
かつての港湾施設を部分的に要塞化した再興軍政局の拠点は、薄暗い照明のもとで深い沈黙を湛えていた。夜戦後の興奮や苦痛がまだ尾を引くなか、幾人もの隊員が水や缶詰を口にしながら小休止をとっている。とはいえ、片時も警戒を解けない雰囲気がその場を支配していた。船での再上陸か、陸路からの襲撃か――どこから次の攻撃が来るか分からない。
一方、辻政信は司令所として使っている倉庫の二階フロアに移動し、敷いたマットの上で地図を広げていた。夜戦を経て分かった敵の進入ルートや、押収した書類から推測される拠点の候補、そして港湾全域の守備計画を再検討している。
窓の外には、壊れかけたクレーンのシルエットが月に照らされ、まるで巨大な怪物のように影を落としている。かすかに波の音が耳を打つなか、辻の胸には昭和の苦い思い出が渦巻いていた。
「拠点を固めるほど、“戦線”は広がる……。それが、俺たちが昭和で失敗を重ねた原因だ。だが、放置すればこの港は何度でも奴らに狙われる。どうにかせねばな……」
独白を漏らす辻のもとへ、バンデージ姿の鈴木が歩み寄る。夜戦で左腕を負傷したものの、まだ戦えるとばかりに休む気配がない。
「辻さん、そろそろ外で“連絡員”が到着するはずです。どうやら石原さんが地方とのルートを少し整えて、ここに物資を回せる道筋を立ててくれたとか。もっとも、自治会派との合意が微妙だから、大量の支援ってわけじゃないらしいですが……」
辻は軽く目を見張る。増援こそ望み薄だったが、物資が届くだけでも大きな助けになるはず。港の防衛を続けるには、弾薬も医薬品も燃料も尽きるのが早い。
「石原め……よく動いてくれてる。自治会派と協力しながら、なんとかこの港を支えてくれるというならありがたい。だが、その合意が“ほんの一時的”で終わる危険も高い。内戦の火種を常に抱えたまま、外国勢力まで防がねばならないんだ……」
1. 外からの連絡員
ほどなくして、倉庫の入口で警戒をしていた隊員が「合言葉を確認しました!」と叫ぶ。そこへ姿を現したのは、首都圏から派遣されたという男――痩せ型で眼鏡をかけ、中年ぐらいの年齢。背中には大きなリュックを背負い、手にはショルダーバッグ。いかにも“書生”めいた雰囲気だ。
「夜分遅くに失礼します。私は東京の司令部から来ました、佐伯と申します。石原さんに協力している民間ボランティアの一員です」
そう名乗ると、落ち着いた表情で周囲を見回し、崩れかけた倉庫内の雰囲気に戦慄したような顔をする。「これが……港湾の実情、ですか」とつぶやく。血痕が散らばり、装甲車のないバンが停められている様子は、まさに“戦場”そのものだ。
辻が近づいて握手を交わす。
「よく来てくれた。こっちとしては、一人でも助っ人がありがたいが、あなたが持ってきたという物資は……?」
佐伯が苦笑いを浮かべリュックを下ろす。中から出てくるのは書類やタブレット、携帯無線機などの通信機器、それに厚みのある封筒を何通も。
「大した物資と呼べるほどではありませんが、自治会派の一部が“これを渡すなら協力してもいい”と言って手放したデータやメモ、さらには“ある人物”があなた方に会いたいと申し出た書簡などです。農地の場所、使えそうな発電設備の所在、そして……こっちはやや怪しい情報ですが、海外勢力に関する断片的な資料が入っています」
そこへ鈴木が目をとめ、「海外勢力の資料だと? そいつは助かるかもな。どこまで正確か分からないが、夜戦の相手が何者なのかを解き明かす手掛かりになる」と期待を含んだ声を漏らす。
「ただ……自治会派が本気で情報協力してくれるのかね? 彼らは軍政局を嫌っていたはずだが」
佐伯は小さく首を振り、苦い表情で言う。
「ええ、あくまで一部ですよ。自治会派全体の合意ではない。どうやら“小規模な集団”が外国勢力と裏で繋がっているんじゃないかと疑っているらしく、同じ自治会の中で割れているんです。だから“軍政と協力してその連中を炙り出そう”という思惑があるみたいです」
辻は地図を足でずらしながら考え込む。国内勢力だけでなく、自治会派内部でも二派に分裂しつつあるのか。
「なるほど……要は、連中も無法者と手を組みたくないが、自分たちだけでは追い出せないから俺たちを利用するってわけか」
それが悪い話ではないにせよ、戦う土台がどこまでも増えていく印象を拭えない。
2. 暗闇の門
同じころ、倉庫街の奥深く、崩れた桟橋の名残と焼けたコンテナのあいだを漂う海風が一人の男の姿を浮かび上がらせる。名を柴崎という彼は、地方の大規模工場を拠点にしている自警団のリーダー――のはずだが、なぜ港にいるのか。その瞳には妙な焦りが宿る。
「くそ……ギリギリまで抵抗しやがって。こっちは隙を突いて物資を手に入れる予定だったのによ」
口の中で呟きながら、柴崎は携帯無線を弄る。「もしもし? 聞こえるか? 船は駄目だった。桟橋が崩れたし、軍政局が要塞化してる。どうにか陸路で搬送するしかない。まだ在庫は倉庫に残ってるんだろ?」
返事は雑音だけで途切れる。顔を顰める柴崎。「ちっ、こんなときに……やはり外と組んで一気に叩くしかないか。俺らだけじゃ無理だ」
こうした動きを、辻はまだ把握していないが、こういう形で国内の自警団や無法者が海外勢力と密約を結ぶケースは増えてきている。金や物資と引き換えに国内のルートを提供し、あるいは軍政局に対抗するための武器を得ようとする者もいる。
柴崎がこっそり闇の中を抜けていく背後には、雨の名残で水溜りが反射する薄明かりが揺れている。港湾を支配しているのは軍政局だけではない。まだまだ闇のプレーヤーが暗躍しているのだ。
3. 情報の代償
一方、佐伯が持参した資料をざっと目を通した辻と鈴木は、意外な名前や数字の羅列に目を見張る。そこには海外の企業名らしきものが混ざり、「新造AIサーバー」「レアアース精錬設備」など、先の戦闘で敵が狙っていたと思われるモノが記載されている。
佐伯が付言する。「自治会派の一部が“外国企業との秘密取引”を掴んだと。その企業がPMCを雇って、国内の工業製品を闇で買い取るらしい……詳しい日時や場所は不明ですが、港湾が最有力だったみたいで」
「なるほど、だから船で来たのか。AIサーバーや工業設備を国外へ持ち出して、高値で売るのかもしれん。日本が崩壊してるうちに、やりたい放題しようって腹か」
鈴木が忌々しく口を歪める。辻も苦渋の表情だ。昭和の頃、日本は自力で資源を求めに外へ打って出たが、いまは逆に“獲物”として外から狙われる立場にある。
「それに協力している国内の奴らがいるんだろうな。だから一部は対立している自治会派や自警団が“軍政反対”を煽ってるわけだ」
辻が整理しながら言葉を発すると、佐伯もうなずく。「どちらが正義かは分かりませんが、少なくとも外国勢力に国の基盤を奪われたくないという思いは自治会派の大半が共有しているようです。だからこそ軍政局との妥協案を作り、協力して“裏切り者”と国外勢力を排除しようという動きが出ている」
つまり、ここで軍政局がうまく自治会派の一部と手を組めば、国外勢力との対立を共通の敵としてまとめられるかもしれない。だが、そのためには一度は向こうが敬遠している「軍政」のイメージを和らげる必要がある。
鈴木が少し笑って言う。「“戦わずして勝つ”のチャンスかもしれないな。でも、軍政自体は変わらん。どうやって説得するんだ?」
「やるしかないさ。石原が中央で自治会派との交渉を進めているのも、そういう土台を作りたいからだろう」
4. あの日々の再来
こうして、夜戦の痛手を抱えつつも、再興軍政局は**“外国勢力に対抗するための国内連携”**という新たな戦略を模索し始める。昭和の頃なら「挙国一致」「大東亜共栄圏」などと呼んだかもしれないが、今は政府が消滅し、国会もない。
「自治会派や地方自警団、さらには民間ボランティアを統合して、外敵を防ぎたい――そうするには、我々が“優しい軍政”を装わねばならないな」
辻はそう苦笑する。かつて昭和の軍政は恐怖と弾圧の代名詞だった。今こそそれを払拭し、“自発的に集まる”形を演出すれば、大規模な内戦を回避しつつ外国勢力の侵略を阻めるかもしれない。
しかし、その先にはまた別の問題が待ち受ける。自治会派や地元団体との連合は、各々の利害が衝突すれば崩れやすい。しかも海外勢力が“影の経済”で買収工作を仕掛けてくる可能性もある。
石原はまだ現地に戻ってこない。首都圏の司令部で統制を取ろうとしているが、そちらも深刻な人手不足だ。港湾が安定すれば沿岸交易を通じて食料や物資を呼び込める展望もあるが、そこまで到達するのは容易ではない。
5. 雨後の決意
昼下がり、雨が完全に上がり、雲の切れ間から日差しが倉庫街を照らし始める。焼けた鉄骨や瓦礫が、白日のもとにむき出しとなって、その生々しさを際立たせる。義勇兵たちが瓦礫を撤去し、遺体を収容する姿は、まるで昭和の空襲跡を片づける市民のようだ。
辻政信は手を止めて、その光景を静かに見つめる。腕章には「再興軍政局」の文字があり、周囲の人々も軍服ではないものの、どこか昭和の兵士を連想させる服装。これが20XX年の日本という現実……どうしても、その落差に苦渋がこみ上げる。
「昭和のときは侵略する側だった。今度は守る側。だが、どれだけ違いがあると言っても、結局は戦闘で死者が出る。大義を語っても、本質は変わらないのかもしれない……」
それでも止まるわけにはいかない。周囲に集まり始めた難民や、配給を目当てにやってくる老若男女――彼らが望むのは“平和と安定”であり、食料と医薬品である。軍政局が手を引けば、この港は再び無法者の巣窟となり、海外の流れ者に乗っ取られる可能性が高い。
鈴木がそっと声をかける。「辻さん、今夜の警戒体制をどうします? 隊員の疲労も限界です。いっそ、一部のエリアを捨てて、狭い範囲だけ確実に守るほうが……」
辻は微かに息を吐きながら頷く。
「そうだな。戦線拡大を避けたいのはやまやまだ。最小限の領域を要塞化し、あとは防諜と偵察を徹底だ。大規模な船が来たら対応しきれんが、そうならないよう、情報戦で先手を打つしかない」
6. 軍政と自治、芽吹く新たな種
同日夕方、東京の司令部から再び通信が入り、石原莞爾が「自治会派の一部がこちらへ合流する用意がある」と伝えてきた。どうやら軍政局の“外国勢力排除”が功を奏しているらしい。その見返りとして、「自治会派も配給体制に部分参加するが、完全従属はしない」という条件を突きつけているとのこと。
これにより、**“連合体”**の形で協力しながら外国勢力に備える――という折衷策が動き出す可能性がある。ここには戦わずして合意を作る要素もあれば、後々の火種も孕んでいるが、少なくとも内戦の最悪の道は回避できる兆しが見えた。
石原の声が雑音交じりに、「まだ油断はできん」と締めくくる。
「国内に暗躍する集団は、自治会派からも裏切り者が出るかもしれん。港湾の敵は外部と通じているし、これからも中と外、二つの戦場だ。けど、いまは小さくとも前向きな一歩と信じたい……」
7. 次なるステージ
こうして、夜戦の後に再興軍政局は港湾を“要塞化”しながら、自治会派との連合を目指す動きを本格化させた。もしこれが実現すれば、関東圏を覆う混乱をある程度収めつつ、外国勢力に対抗する足場を固められるだろう。昭和の中央集権型軍政とは違い、“共同体連合”としてのアプローチが見えてきたとも言える。
しかし、だからといって昭和の失敗から完全に逃れられたわけではない。勢力を拡大すれば、それだけ管理が難しくなるし、地方や首都との連携が上手くいかねば内戦の火種が再燃する。海外への警戒を続けながら、国内の不満を鎮めるという綱渡りは、いつ途切れてもおかしくない。
辻は夕焼けに染まる海を見つめながら、倉庫の屋上で心中の独白をこぼす。
「……昭和で俺が見た惨劇を、もう繰り返したくない。だが、崩壊した日本を立て直すには、戦うしかない場面も多い。どうすれば“平和”が訪れるというのか……」
その横で、地図と通信端末を操作する佐伯が「自治会派の合流案はいいですね」と小さく声をかける。「これで首都と港湾が繋がれば、農産物や物資も流しやすくなるはずです。頑張りましょう、辻さん」
辻は苦笑しつつ、「ああ、そうだな……」と答えるしかない。顔に張りつく海風が妙に生暖かく、この先も嵐がやまないことを予感させる。
8. 夜明けへ向かう希望と影
こうして第十二章の結末(夜戦の翌日の混乱)を乗り越え、今ここに示される第十三章の情景は、港湾の破壊された地を舞台に“新たな策”が芽吹き始める瞬間を映し出す。
軍政局は港湾要塞化を進めながら、自治会派との連携を模索し、国内の内戦リスクを抑えつつ外国勢力の侵入を防ごうとしている。その陰では、謎の集団や自警団が何を企んでいるか分からず、外からはまだPMCが絡んでくる恐れがある。
日没が迫り、オレンジの光が倉庫街を斜めに照らし出す。破壊された桟橋と焦げたコンクリートの向こうには、濁った海が広がる。かつて日本が誇った物流の玄関口はいま、昭和を超えた軍政と無法者、そして海外の利権集団が交錯する暗黒の舞台と化していた。
だが、その混沌の中で、石原が築いた微妙な“合意”により、いくばくかの協力者が増える可能性が出てきた。矛盾の塊のような再興軍政局も、昭和の失敗と令和の崩壊を超えて、一歩ずつ前進しようとしている。成功か破滅か――どちらに転ぶかは、神のみぞ知る。
港湾の一角で、小さな子供が母親の手を引いて司令部の受付らしき場所に並んでいる。彼らが求めるのは、ただ「生きる手段」だ。軍政の統制が嫌でも、この世界では配給を受けないと食べられないかもしれない。
昭和で国民を駆り立てた総動員が、いまは“救済”という名目で動き出しているのかもしれない。それを善と見るか、再び来る独裁と見るかは人によって異なる。
ここに記されるのは、転生した昭和の亡霊たちが崩壊した日本を守るために藻掻く物語の第十三章。血塗られた夜戦を抜け、朝の静寂に見出したのは、荒野に咲く一輪の策――軍政による協力と、自治派との微妙な共存で外的脅威に立ち向かう可能性である。
だが、外部勢力の本拠は謎のまま、国内の不満と裏切りも絶えず、いつまた地獄が口を開くか分からない。ここから先はさらなる連携と戦略が試されることになるだろう。昭和の参謀たちが手繰り寄せる未来が、光か闇か、世界はまだ見ぬ結末を用意している。
薄暗い夕焼けを背景に、燃え尽きた港湾の残骸を踏みしめる辻政信の姿が小さく映し出される。その背中に宿る意地と苦悩は、まさに「昭和を超えてなお戦う亡霊」そのもの。
「やるしかない。何度この胸に誓えばいいのか……」
その呟きが虚空に消えるころ、雨上がりの冷たい潮風が再び陸を撫で、仮司令部の灯りを揺らしていた。夜はもう遠くない。次の戦いが、そこまで迫っている。
――こうして、第十三章は港湾防衛と新たな連携策という、希望と危機が混在する局面を描き、物語をさらに深い混沌へと誘う序奏で幕を閉じる。
失意とわずかな勝機を抱きながら、昭和の亡霊は令和を超えた世界の荒野に“策”を咲かせるべく、また一歩を踏み出す。夜が来れば、もっと多くの試練が彼らを待ち受けているだろう――。
第十四章 ―矛盾の国土―
倉庫街を要塞化してから数日。
港湾地区では、再興軍政局による“巡回”“炊き出し”“復旧作業”が、夜戦の生々しい傷痕を抱えたまま進められていた。倒壊した桟橋や崩れかけた倉庫の間には、今も瓦礫や鉄骨の山が横たわる。夜を徹して火の手を鎮めた義勇兵たちの疲労は限界に近いが、それでも崩壊を防ぐためには作業を続けるしかない。
一方で、外国勢力が完全に去ったわけではない。夜戦後の混乱に乗じて撤退した者、地元の無法者とともに別ルートを模索している者、情報を集めて次の襲撃をうかがっている者――いずれも、再興軍政局の網から逃れたまま各所で暗躍していると思われる。
さらに、軍政局に協力する地元自治会派のメンバーが増えたとはいえ、内部には相変わらず反対派が潜んでおり、いつ裏切りが起きるか分からない。まるで、昭和の長期戦線を縮図にしたような状況に、皆が悶々とした焦りを抱えていた。
1. 港湾仮司令部に届く報せ
夕刻が迫る頃、雨上がりの空気が冷たく感じる港の一角、鉄扉を改装した仮司令部の中で、辻政信は書類を取りまとめていた。どうやら、石原の手配による地方支援ルートが首都圏や数カ所の農村部で連携しはじめ、農産物や医薬品が少しずつ港に届くという。
「これでまた少し、息がつけるか……」
そう呟いて背を伸ばす辻の目に、スタッフが持ってきた一枚のメモが飛び込む。そこには無数の数字と暗号のような文章が書かれており、「自治会派から入手した“黒幕”関連情報かもしれない」との添え書きがあった。
「どうやら、これが外国勢力と内通している国内グループの取り引きメモらしい。AI関連、レアメタル関連、工業部材、さらには“旧軍の遺物”までリストアップされているとか」
辻は眼鏡を取り出し、しばし見つめる。
「旧軍の遺物……? まさか、昭和当時の兵器や文書を高値で取引しようとしてるのか? 何のために?」
スタッフも首を傾げる。「我々も分かりません。ただ、“歴史的価値”を狙うコレクターが海外にいるという噂もありますし、あるいは戦中の未公開データを欲しがる特殊な連中なのかもしれません」
もし本当にそんな取引があるなら、単なる商売目的ではなく、政治的・軍事的な狙いがある可能性もある。昭和の戦時資料に含まれる“兵器設計”や“極秘プロジェクト”が世に出れば、さらなる混乱を招くかもしれない。
「こんなバカな話があってたまるか。だが、実際に奴らは動いているらしい。……くそ、いつまでも目を離せないな」
2. 森の奥からの誘い
ちょうどそのとき、港湾司令部の入口で一人の使者が到着した。雨で濡れたコートをはおり、低い声で「俺は柴崎の知り合いだ」と名乗る。柴崎といえば、地方の自警団リーダーでありながら、軍政局を敬遠しているという噂が絶えない人物。
「柴崎さんが、どうしても辻政信と直接話し合いたいと。場所は港から少し離れた“森の公園”だそうです。夜8時に待っていますって……」
使者の声はどこか震えており、妙に急ぎの様子だ。何かから追われているかのように、深い息をついて続ける。「柴崎さんは確かに軍政局には反発していましたが、最近の外国勢力の動きで心境が変わったんだとか……。いますぐ会談したいと」
「夜8時、森の公園で密会」――あまりに怪しげだ。下手すれば罠の可能性も大きい。だが、柴崎の自警団は地方に広いネットワークを持ち、外国勢力との暗闘や物資の流通で裏ルートを把握しているという噂がある。もし真っ当に協力してくれるなら心強いが、そもそも裏切りの経歴さえ取り沙汰される人物。
「どうする、辻さん? 罠かもしれません。下手をすれば暗殺や誘拐狙いの可能性だって……」
義勇兵の一人が警戒する。辻も承知の上だが、港湾を守るには情報が最重要で、柴崎が何か大きなネタを握っている可能性を捨てきれない。
「俺が行く。いや、少人数で行ってくる。待ち合わせが8時なら時間がない。港湾の防備はお前たちに任せる」
そう決断する辻の瞳に、かつて昭和で培った“謀略の嗅覚”が宿る。ここで動かなければ、重要な情報を逃すかもしれない。そして、もし柴崎が本当に裏切りを企むなら、それも確かめる必要がある。
3. 不穏な森の呼び声
夜の帳が降り、星の見えない雲に覆われた空の下、辻は少数の隊員を連れて港湾を出発する。雨後の湿った空気が肌にまとわりつき、道は暗くぬかるんでいた。バンのヘッドライトで照らす先は、廃墟と化した道路と雑草だらけの街路樹。
やがて森へ続く道に入ると、木々の間から生暖かい風が吹き、闇を深くする。GPSや通信も繋がりにくくなる中、「こんな場所で待ち合わせなんて、わざわざ危険を招くようなものだ」と隊員が囁く。
「大丈夫だ。警護はしっかりしている。奇襲があってもすぐ応戦しろ。……気は抜くなよ」
辻はそう言って拳銃を確かめる。もう嫌になるほど撃ち合いが続いているが、ここまで来たら引き返せない。
夜8時――。
森の公園と呼ばれる一帯はかつて、家族連れや観光客が訪れる緑の憩いの場だったらしい。しかし今は街灯も壊され、トイレやベンチが荒れ放題。人気も感じられない。隊員がバンを木立の横に停め、照明を消して耳を澄ます。
暗闇の中から、かすかな足音。「誰だ……」と低く構える隊員を制して、辻が先頭に出る。すると木の陰から一人の影が現れた。
「待たせたな。俺が柴崎だ」
40代半ば、鋭い眼光と頬に刀傷らしき跡を持つ男。それが、地方自警団のリーダーとして名の通った人物――かつ外国勢力と繋がっているという疑惑もある。
4. 幽かな灯火、密やかな語り
柴崎は周囲を警戒するようにぐるりと見回し、ポケットから小さな懐中電灯を取り出して足元を照らす。そこには小さな丸テーブルが倒され、缶入りのコーヒーが2本だけ置かれている。
「こっちだって危険を承知で来た。悪いが、話は手短に済ませたい。……自警団の一部が、お前ら軍政局と“部分的”に協力する意志を固めた。だが、そのためには“外国勢力”と組んでいる裏切り者をまず排除する必要がある。あんたらに協力を仰ぎたいんだ」
夜の森を吹き抜ける風が、木々をざわめかせる。辻は一瞬、相手の表情を読もうとするが、月明かりが弱く判然としない。ただ、言葉の端々に焦りが感じられる。
「そりゃいい話だが、なぜお前がそこまで? 以前は軍政に反発していたと聞いてるぞ。自治会や自警団で『中央に従属するなんてまっぴらだ』と……」
柴崎は溜息をつき、ゆっくりとコーヒー缶を拾い上げる。
「俺も最初はそう思っていたさ。だが、今の日本じゃ“自由”なんて生きていればこそ。外国の連中に国を食い潰されるのを見るのはまっぴらだ。……それに、俺の仲間の中にも裏切り者がいるらしくてな。先日の港湾襲撃にも絡んでいた可能性が高い」
思わず辻は身を乗り出す。そうか、やはり内通者がいるのか。「それを証明する証拠か何かは掴んでいるのか?」と訊ねると、柴崎は苦々しく首を振った。
「ハッキリした証拠はないが、動きがおかしい。俺は、自警団が外国の連中と結託しないよう手を打ちたいが、単独で下手に動けば内戦を誘発する危険がある。だからこそ、中央(軍政局)と手を組むって話になってきた。尤も全員が納得してるわけじゃないが……」
5. 条件と駆け引き
話を聞く限り、柴崎の自警団も**“外国の金”**に釣られて一部が裏切った可能性がある。それが軍政局への抵抗を煽っていたら、辻からすれば確かに厄介な相手。しかし一旦味方に回ってくれれば、地方との連携がかなり強まるのは間違いない。
「で、お前は何を望む? ただ協力してくれと言われても、我々にも条件がある。無意味に内戦を起こしたくないが、裏切り者とやらをどう始末する気だ?」
柴崎は肩をすくめ、慎重に言葉を選ぶ。
「奴らが裏切りを重ねるなら、いずれ実力で排除するしかない。そこは軍政局の力を借りたい。ただ、俺たち自警団にも“自治権”を残してもらいたいんだよ。あんたらと同じくらい、俺たちもこの国を想ってる。完全に軍政に従うとなると、うちの連中が納得しない」
それは要するに、自治会や自警団に一定の自主権を与えながらも、“共通の敵”である外国勢力とその協力者を潰す――そういう提案だ。辻は考えを巡らせる。
「自治権をどう保証する? お前らが勝手に動いて、こっちの方針を壊しはしないのか? 配給は軍政局の基準を守ってもらわないと混乱するし、治安維持も勝手をされると困るぞ」
柴崎はやや苦い表情で口を開く。「配給や治安維持については**“最低限のルール”**を守る。そちらが決めた“暫定統制令”があるだろう? あれを全面適用しない範囲で、可能な限り合わせるってところかな。中央の命令がすべてではない、と住民に示さないと俺たちも支持を失う」
要するに、完全服従はしないけれど、事実上は軍政局との合同で動く――微妙な妥協案だが、それこそ石原が模索していた“連合体”に近い形かもしれない。
6. 密やかな合意
2人の駆け引きは続き、正確な文書化など到底できないため、口頭での取り決めと小さなメモだけで決着を図る。柴崎は仲間に見つかる前にこの場を去りたいらしく、どこか急いている。
最終的に辻が提示したのは、**「配給と治安維持は軍政局の指針を守る。自治団が独自に動く場合は事前相談をする。外国勢力を見つけ次第、情報を共有し共同で排除する」**という3点だ。柴崎は「了解」と小声で応じたものの、その瞳にいつ裏切ってもおかしくない光が混じるのは、辻にもわかる。
「こういう形で協力しても、やがて利害がぶつかることもあるだろう。だが、いまは日本を守るのが先決だからな」
柴崎はそう言い残し、背後を振り返らずに闇へと消えていく。まるで亡霊のような姿だ。辻は薄暗いライトの下で佇み、隊員たちが緊張を解くのを感じた。裏切りの可能性はあっても、ここで会話が成立しただけ成果と見るべきか。
7. 帰路の静寂
夜も更け、再興軍政局のバンが森を抜け出して港湾方面へ戻る。隊員の一人が運転席で小声で言う。「結局、柴崎の話は信じていいんですかね? やたらと怪しいとこもありましたが……」
辻は窓の外に映る荒れ果てた市街の影を見ながら、淡々と答える。
「信用なんてできるもんか。ただ、利用できるものは利用するまでだ。昭和の頃、俺たちが謀略を使ったように、今回も状況に合わせるしかない。もっとも、昭和のときと違って俺たちは侵略じゃなく“防衛”の立場だから、少しはマシだろうが……」
街灯のない道を走るバンのヘッドライトが、崩れた建物や落ちた電柱を映し出す。見慣れない通行人もほとんどおらず、黒い廃墟の間に細い月明かりが漂うだけだ。まるで“夜戦”があった港湾とは別の世界に踏み込んだような静寂――しかし、それがまた不気味な予感を呼ぶ。
「これで自治会派や地方の自警団が順調に合流し、外国勢力と裏切り者をまとめて排除できればいいが、そう簡単じゃなかろう。むしろ敵に時間を与えているかもしれない……」
辻が懸念を漏らすと、隊員も沈黙で応える。結局は、国内勢力同士で“連合”を組むのもまた時限的な措置にすぎず、いつか別の火種が出現するのは目に見えている。
8. 帰還、そして朝陽
仮司令部へ戻ると、鈴木たちが遠くに灯る漁火や小型船の有無を確認していた。「夜中の出航はなさそうですが、あちらの倉庫に無法者が潜んでいる可能性は拭えませんね」との報告。やはり完全支配には程遠い。
辻は溜息をつきつつ、柴崎との“秘密合意”をざっくり伝えると、部下たちは驚いた様子を見せる。
「でも、例の夜戦で彼らも絡んでたとの噂があったんじゃ……」
「そうだ。その真偽を探るためにも、連携するポーズをとって相手を観察するのさ。互いに腹の底を隠し合う関係になるだろうが、国内での無用な衝突を回避し、外敵に備えられるなら損はない」
多少強引な理屈だが、状況が状況だけに誰も反論しない。昭和を超えた戦略とも言えるが、実情は“昭和の謀略戦”を令和以降に焼き直しているようにも見えた。
やがて夜が更け、空が再び薄青に染まりはじめる。廃ビルの屋上で、辻はぼんやりと朝陽を待っていた。夜戦で荒れ狂った港湾は、今朝も静まりかえり、時折カラスが鳴くだけ。
「どこまで広がればいいのか……」
心中で呟く。港湾を支配し、自治会派と手を組み、外国勢力を排除し、やがて国内全体をまとめる? それが“昭和の拡大路線”とどう違うのか、葛藤がくすぶる。だが、崩壊を止めるにはこの道しかないと信じるしかない。
第十三章から続くこの夜もまた、激しい闘争こそなかったが、陰の謀略が進行する。第十四章の朝に差しかかる今、彼らは新たな連合と密約を抱えて、さらなる難局へ飛び込んでいく。柴崎の自警団は、はたして味方か、それとも外敵との内通者が潜む罠か。軍政局がまたひとつ“支配領域”を広げるなら、内戦の危険も増すだろう。
いずれにせよ、外と内の二正面は続く。港湾に潜む火種を鎮め切る前に、地方へ続くルートを巡る闘いが始まるかもしれない。光の当たる朝陽の下で、昭和の亡霊――辻政信は一瞬、握り拳を見下ろした。
「昭和と違う未来をつかむ。そう言い聞かせながら、また力に頼っている……。でも、やるしかないんだよな」
海面には朝の光が差し込み、灰色の空にわずかな晴れ間が覗く。この空の向こうから、また新たな船が来るのか、あるいは外国勢力が別の港を狙うのか――どこまでも息の詰まる日々が続く。
第十四章の幕は、密やかに交わされた柴崎との合意と、内外の火種が絶えない現実を映し出すまま閉じる。破局か再生か、その境目で昭和の亡霊は今日も生き抜かなければならない。明日の戦場はどこになるのか、まだ誰も分からない。
第十五章 ―交錯する灯火―
港湾地区を仮要塞化してから一週間あまり。
夜戦の爪痕が残る倉庫街には、未だに錆びたコンテナの山や崩れた桟橋の一部が放置されているが、再興軍政局の部隊が昼夜を問わず警戒と復旧作業を進めたことで、見慣れない人影がちらほらと増えてきた。なかには自治会派の腕章をつけた者もいて、軍政局の義勇兵と並んで現場の片付けをしている様子が確認できる。
そんな光景は、少し前までは想像できなかった。自治会派こそ「中央の押し付け」を嫌っていたはずだが、今や海外勢力や無法者への対抗策として、“暫定的”に軍政局と手を組む雰囲気が醸成されつつある。そして同時に、どこか猜疑の眼差しも存在する。お互いに腹を探り合う微妙な同盟――昭和なら「挙国一致」とか「一時停戦」のような態度とも言えようが、背景はあまりにも異なる。
1. 朝靄の倉庫街
朝日がわずかに射し込む港湾の一角。倉庫群の間を覆う霧が低くたなびき、スチームのような白煙が地面を這っている。そこを歩くのは辻政信と数名の義勇兵。ひび割れたコンクリートに足音が反響し、まるで昭和の戦場を彷彿とさせる静まりがあたりを支配していた。
「本当に自治会派が手伝いに来るとはね……」
ぼそりと隊員がつぶやく。昨日までは夜戦の恐怖が色濃く残っていた倉庫街も、今朝は自治会派の車両が数台乗り入れ、作業員と称する人々が廃材を片付けたり、給水タンクを運んだりしている。
「油断はできんが、味方が一人でも増えるなら悪い話じゃない。……何より、地方の自警団や自治体を一つずつ抑えていく余裕は今の我々にはないからな」
辻はそう言いつつ、ふと記憶がよぎる。柴崎という男と“闇の公園”で取り交わした合意。その先に何があるか、まだ分からないままだ。
隊員の一人が指をさした。「あちらに見えるのが自治会派の手伝い連中ですかね。数人、物資の箱を運んでるようですが……」
そこには、小柄な中年女性が二人と、学生風の若者が三人、合わせて五人ほどが作業している。どことなく不慣れな手つきながら、溶接機や工具を使おうとしているのが見える。配給を受け取りながらも、労働で協力する姿――これこそ軍政局の暫定統制令に基づく“契約”の一例だろう。
2. 石原の報せ、動き出す地方
一方、そのころ首都圏の司令部では、石原莞爾が自治会派と交わした協力関係を本格化させるため、書類やネットワークの整備に追われていた。電力と通信がままならない中で、「出来る限り電子化し、AI参謀にデータを集約する」というのが彼の理想だが、現実はアナログ作業のほうが多い。
「港湾地区に最優先で補給物資を回し、一方で自治会派のエリアにも最低限の配給を保証する……。なんとか両立を図らねば、また内戦の火種がくすぶる」
地図上に複数の線を書き込み、各ルートに倉庫を設ける案を検討する石原の表情は険しい。足りないのは物資だけでなく、人材だ。無法者がいつ波止場を襲うか分からないし、地方自警団からは「外国勢力への対抗を急いでほしい」という声が絶えない。
そこへスタッフが走りこんできて息を切らせた。「石原さん、地方のほうで柴崎を名乗る人物がいま動き始めたという話です。彼が都市部と港湾を巡回し、一部のアウトローを取り込もうとしているとの情報も……。何を企んでいるんでしょう?」
石原は眉を寄せる。「柴崎……辻が接触したという男か。果たして、軍政局に協力したいのか、それとも内情を探って優位に立ちたいのか……」
頭痛を押さえつつ、石原は短く告げる。「とにかく、彼の動向を見極めろ。協調路線を望むならこちらも対応するが、外国勢力との裏の繋がりを持っていれば……排除するしかない」
3. 港湾再編と“統制地区”構想
ほどなくして、辻は港湾に集まった自治会派や地元ボランティアを前に、“統制地区”という新たな構想を明らかにする。これは港湾一帯を再興軍政局と自治会派の共同管理下に置き、許可なく武器を持ち込む者や外国勢力とは即座に交戦状態にする、いわば「半軍事境界線」のような仕組みだ。
「皆さんもご存じの通り、ここは日本の玄関口になりうる場所。海外からの無法な搬入搬出を許せば、国がさらに崩壊する。そこで、軍政局と自治会派が協力して統制地区を設け、入出エリアを厳しくチェックする。配給を受ける住民は原則、武器の携行を禁じる。違反者は直ちに取り押さえる。……過激に聞こえるが、これしか方法がないんだ」
正直、抵抗もあるだろうと覚悟していたが、意外にも自治会派の面々は頷いている。夜戦の惨状を知っているだけに、「軍政局の力を利用しないと外国勢力に蹂躙されるだけ」と考えているのだろう。
とはいえ、「そんなに広い範囲をどうやって管理するのか?」という疑問が飛ぶ。バリケードや監視所を大量に配置できるほど隊員は多くない。
辻は拳を固め、「そこを皆に手伝ってもらう必要がある。自治会派が自主的に見張り役を出して、巡回や書類確認を担ってくれれば、我々の部隊と二人三脚でやれる。……昭和の頃の憲兵や特高警察にはしたくないが、内外の脅威を食い止めるためだ。協力してほしい」と呼びかける。
そう言われても、自治会派のリーダー格は渋い表情だ。「統制地区ならば、我々が今まで築いてきた自由な商売や取引に規制がかかるのでは? そこをどう保証する?」
「軍政局が配給を全面的に握るわけではなく、自治会派の物流とも協調する。許可申請をすれば、一定の取引は認める。だが、厳格な審査はさせてもらう。怪しげな海外取引は認められない……」
再び、苦い視線が交わされるが、夜戦で散々な目にあった港湾を放置できないという思いも皆が共有しているらしく、最終的には「暫定的に協力する」という形で落ち着く。これも互いに疑心暗鬼の中での妥協だ。
4. 垣間見える新体制
こうして「港湾統制地区」という奇妙なエリアが事実上成立し、軍政局と自治会派の混成チームがパトロールし、住民登録した者にだけ配給や商取引の許可を与える仕組みが走り出す。
たとえば、農産物を運んできたトラックも、ゲートで登録を済ませてから倉庫に入れる。そしてその倉庫は軍政局・自治会派が共同で管理する。無許可の船やトラックが侵入しようとすれば、武装部隊が応対し、場合によっては撃退する。
昭和の戒厳や統制経済を連想させるが、いまの日本では仕方ないという空気が強い。少なくとも「安全を担保できれば、自由は後回しでいい」という住民も増えているのだ。
一方、外国勢力や国内の裏切り者にとっては、この統制地区が新たな障壁となる。次に港湾を使おうとすれば、もっと別のルートや裏口を探す必要があるし、自治会派や地元組織と取引するのも容易ではなくなる。
辻は苦い笑みを浮かべ、「完全に封じられるとは思えんが、それでも一歩前進か……」と呟く。どの組織も本気になれば、この小さな港湾地区の警戒網など容易く突破できるだろう。しかし、ここでの抵抗が大きくなれば、敵の動きは鈍るはずだ。
5. 闇のステップ
すでに夜戦から日が経ち、街の景色には復旧の兆しが見える。焚き出しを行う仮テントがいくつも張られ、傷ついた車両やバンが修理されている。とはいえ、まだ今夜何が起きてもおかしくはない。
夜が近づくにつれ、辻は内心で新たな戦闘を警戒するが、ここ数日は大きな銃声が響くことはなかった。その代わりに、小さなトラブルが絶えない。盗難、密売、よそから来た“謎のバイヤー”が出没する、などなど。
翌朝には自治会派の一人が「謎のトラックを追いかけたら、見失った」と息を切らして報告してきた。どうやら外部の連中がこっそり倉庫を覗きに来たが、捕まえきれなかったらしい。皆がまた疑心暗鬼に陥る。
「ほんの数日で“要塞”が完成するわけもない。だが、こうやって小さな闇を積み重ねながら、奴らはまた狙ってくるだろう」
辻は新設したゲートの前で、警戒の眼差しを向けながら独り言を漏らす。昭和で学んだのは「背後を突かれれば一瞬で崩壊する」こと。ここも例外ではない。
6. 光差す先に、昭和の亡霊
港湾の整備が少しずつ進む中、辻は部下を通じて石原と連絡を取り合い、地方との連携にも着手しようとしていた。港から農産物や燃料をやり取りできれば、首都圏や地方が潤うし、外国からの闇取引を抑制できる。そうなれば自治会派の協力も得やすい。
だが、一度に多くを望めば戦線拡大のリスクが増す。辻はあえて慎重な案を提案し、「まずは近隣の町だけを繋ぎ、余力があれば徐々に範囲を拡張する」とまとめる。昭和の失敗は広げすぎだったと考えているのだ。
結果、**“段階的連携”**というキーワードが再興軍政局内で持ち上がり、AI参謀(かろうじて部分稼働している)にもデータを集め始めた。これがうまくいけば、数ヵ月後には関東全体が軍政と自治会派の「混成連合」のようにまとまり、外国からの侵入も一定抑止できるかもしれない――誰もが、儚いながらも期待を抱く。
「それって、まるで新しい“満州国”じゃないですか?」
誰かが冗談めかして言うと、辻は苦い笑みで突き返す。「あれはかつての侵略体制の産物だろう。俺たちがやるのは守り。似てるようで逆さまだ。……だが、国内をこうやって再編していく姿には、何か既視感があるのも事実だな」
7. 交わる剣、繋がる手
それから数日、自治会派との共同パトロールが本格化すると、意外なほど大きな衝突は起きず、“混成チーム”が港湾を巡回して怪しい動きを見張る。どうやら協力路線が短期的には成功しているのかもしれない。
しかし、裏では柴崎をはじめとする幹部が何を企み、どこまで本気で軍政局と手を携える気なのかは謎のままだ。さらに外国勢力の再来も時間の問題とみられ、内外の脅威が消滅したわけではない。
夜が深まるたびに、辻は司令部で報告を受けながら思う――「これが、一歩ずつ国土をまとめていくやり方なのか。それとも、俺たちが陥る新たな泥沼への道か」。昭和と同じ轍を踏むなら、いつかさらなる悲劇が訪れるかもしれない。
8. 遠雷
数日ぶりに晴れ間が広がった昼下がり、港湾司令部の上空に遠くからかすかな雷鳴が響く。天気予報は無いも同然だが、どうやらまた天候が荒れそうな予感。まるで国の行く末を暗示するようでもある。
この日の夕刻、石原からの通信が入り、「地方自治体の代表が港湾視察に来る」「自治会派と一緒に大々的にイベントをやって、対外的に『軍政局=国内連合の守り手』という宣伝をしたい」との提案が届く。**“PR作戦”**というわけだ。戦わずして勝つにはまず世論を固める――昭和ならプロパガンダと呼ばれる類いだが、いまはSNSもろくに機能しない中、対面のイベントが主戦場となる。
辻は応じるしかない。少しでも内戦の気配を遠ざけ、外からの脅威を牽制するためには、形だけでも“国内が一枚岩”に近い姿勢を見せねばならない。
**「なるほど、外交の代わりに国内宣伝か……石原の考えそうなことだ」**と呟きながら、辻は夜戦で荒れ果てた港湾に自治体の代表や住民を呼ぶという現実に複雑な思いを抱く。つい数日前まで血まみれの戦場だった場所を、さも“再建の象徴”のように見せられるものか。
9. 枯れた大地に花は咲くのか
こうして、第十四章から続く港湾再編の試みは、さらに発展の兆しを見せる。自治会派との連携が一歩進み、地方自治体も巻き込み、軍政局が“守り手”として存在感を放つ計画だ。昭和の頃と真逆の立場――侵略者でなく守備側として国内をまとめる矛盾の行方は、まだ見えない。
遠くの波止場では、今日も幾台かのトラックが行き来し、傷ついたビルの一部が取り壊され、仮設テントの数が増えている。血塗られた大地は、ほんの少しずつ人々の生活や小さな希望を取り戻しているかに見える。
しかし、それは矛盾の国土の極限状態を乗り越えるための、一時的な延命策かもしれない。外交なし、政府なし、経済は混乱――このままうまくまとまるのか、それとも別の破滅が待っているのか、昭和の亡霊たちにも分からない。
辻は廃ビルを見上げながら、夜戦の爪痕がはっきり残る壁に触れる。そこには弾痕と焦げ跡が幾重にも走り、まるで血の涙を流したように見える。
「昭和で築いたものは最後に崩れ落ちた。いま築こうとしている“新たな国土”は、本当に過去を超えられるのか……?」
その問いを胸に、彼は部下に「夜の警戒を強化しろ」と告げる。まだまだ対外的な危機は去っていないし、いつ外国のPMCが再度仕掛けてくるか分からない。
10. 次なる輝きを求めて
第十五章は、こうして港湾の矛盾した日常を描きつつ、国内で芽生え始めた“連合”の微かな希望を示して終わる。昭和とは違う平和への道を探りながらも、内と外に潜む敵が影を落とすまま、登場人物たちは止まることができない。
荒廃した国土に小さく咲く一輪の花、それが軍政と自治の協調かもしれない。しかし、その根がしっかり土に根付く前に嵐が来れば、また踏みにじられるだけかもしれない。
朝陽に照らされる廃墟と、夕闇に沈む倉庫街を往来しながら、昭和の亡霊たちは今日も懸命に策を巡らせる。この道がどこに繋がるかは、まだ定かでない。血塗れの夜戦はほんの序章だと、誰かが呟く。果たして次なる局面は、さらなる惨劇か、それとも一筋の光か。
こうして、**第十五章〈交錯する灯火〉**は幕を下ろす。港湾に集う人々、自治会派との奇妙な協力関係、そして新たな対外防衛の構想――すべてがまだ走り出したばかり。昭和の記憶に苛まれながら、令和を超えた世界で大いなる矛盾を抱える物語は、なお続くのである。
第十六章 ―火花散る交渉場―
穏やかな夕暮れが、港湾地区の廃ビルを橙色に染め始めていた。そこかしこに積み上げられた瓦礫や鉄骨、崩れかけたコンクリートの壁に、その柔らかな光が切れ切れの影を落としている。
焦げた倉庫と崩落した桟橋は、いまも無残な姿を晒したままだが、再興軍政局と自治会派が協力して行う復旧作業によって、周辺の片づけだけは少しずつ進んでいた。少なくとも数日前の荒涼とした「死の風景」よりは、わずかに活気を帯びた空気が漂っている。
辻政信は簡易司令部として使っているビルの一室で、筆記用具を握っていた。ノートPCやタブレットを動かすには電力不足が深刻で、結局アナログな紙とペンに頼らざるを得ない。壁には港湾地区の地図と“統制地区”の範囲を示す赤い線が貼り出され、その周囲には敵対勢力の動向や自治会派の連絡網など、雑多な情報メモが貼り付けられている。
「ようやく港湾が一枚岩に近い形でまとまりつつあるかに見えるが……」
辻は小さく独りごちる。夜戦後、外国勢力の大規模な来襲は見られず、倉庫街での大きな衝突も起きていない。だが、それは矛と矛の睨み合いでしかなく、いつ再び火を噴くか分からない。
「自治会派が本気でこっちに協力するのなら、もっと警戒線を広げてもいいはず……。いや、俺たちに完全服従する気はないんだろうな」
そこへ足音が近づき、ドアがノックされる。入ってきたのは、佐伯という痩せ型の中年男性。首都圏司令部から派遣されてきた連絡員で、石原の“右腕”のように立ち回っている人物だ。
「お疲れさまです、辻さん。先ほど連絡が入りまして、自治会派の主要メンバーとこちらの軍政局との“正式な会談”が行われる予定だそうです。日程は三日後。場所は、統制地区の外れにある“湾岸ホール”と呼ばれる元イベント施設を使うとか」
**「正式な会談」**という響きに、辻は一瞬驚いた表情を浮かべた。暫定的に連携している今だが、あくまで口約束に近い。自治会派は明確な“軍政との共同宣言”など避けてきた。しかしここにきて、一歩踏み込んだ交渉を望んでいるのかもしれない。
「湾岸ホール……あそこは結構広くて、ステージや客席がまだ形を保っていたはずだな。会談にしては大げさじゃないか?」
佐伯は手持ちのメモを確認する。「自治会派のリーダーたちが地元住民や関係者にも“姿を見せたい”らしく、ある種の公開協議を企画しているようです。もっとも、武装勢力や外国人を防ぐため、厳重なチェックはするそうですが……。一種の“パフォーマンス”かもしれません」
辻は唇を噛んだ。公開の場なら、軍政局への不満や批判も堂々と飛んでくるだろう。逆にこちらも、「外国勢力に国内が食われるのを許せない」という主張を大々的に発信できる。どちらに転ぶか分からないが、避けられない闘いだ。
「いいだろう。受けて立つ。そう遠くないうちに外からまた襲撃があるかもしれないし、自治会派がなあなあのまま崩れてしまう恐れもある。はっきりとお互いの立場を確かめる機会が欲しかったんだ」
1. 湾岸ホールへの準備
翌日、軍政局の幹部たちが地図を囲み、**“湾岸ホールの安全確保”**についての作戦を議論する。湾岸ホールはかつてコンサートや展示会を行っていた大きな建物で、今は半ば廃墟と化しているが、部分的に電源と照明が稼働し、ステージや客席がまだ使えるらしい。
「公開協議をやるにしても、警戒が甘ければテロや襲撃の標的になる。自治会派も武装して参加する気だろうが、そっちが下手に引き金を引けば、内戦のきっかけになるかも……」
スタッフの一人が不安げに言うと、鈴木が短く頷く。
「夜戦のような惨状は二度と避けたい。だが、本気で狙われれば守りきれない可能性もある。会場周辺を封鎖するか、それとも少数精鋭で巡回するか……?」
辻は腕を組み、深いため息をつく。「全周を封鎖できるだけの人員はない。あまりにも“厳戒態勢”を敷けば、自治会派との和解の場が台無しになる。だが、何かあったら即対応できる“機動班”を配備しておくくらいは必要だろう」
結局、軍政局は**“公開協議の形を崩さず、裏で警戒線を敷く”**という策をとることに。自治会派も同じ考えらしく、そこだけは意見が一致しているらしい。どちらも「外国勢力や裏切り者に水を差されるのは避けたい」という思惑で一致しているからだ。
2. 前哨戦:柴崎の示唆
会談の二日前、辻の元にまた一通の書状が届く。宛名はないが、文面には「柴崎より」と記されており、素っ気ない達筆でこう綴られている。
「湾岸ホールの周辺に“物影あり”。何者かが事前に設備を調べ回っている形跡がある。
我々の監視網にも何度か引っかかったが、取り逃した。
内部の反対派か、外国勢力の手先かは分からん。注意されたし。
お前たちの動きと合わせ、俺たちも対応する。結果しだいで、我々の協力関係がどう転ぶか決まる。」
文字通りの“警告”だが、柴崎がここまで事前連絡をしてくるのは珍しい。少なくとも、彼は協力する意志を示しているとも受け取れる。しかし、相手がどう転んでもおかしくはない。一方、柴崎には夜戦以来、黒い噂も絶えない。
辻は紙を握りしめ、気を引き締めた。「つまり、会談の当日か前後に何らかの妨害が起こるかもしれんということか。まったく、安心して交渉もできないな……」
3. 湾岸ホールの光景
そして、会談当日。
まだ早朝だというのに、湾岸ホール周辺には自治会派のトラックやバンが止まり、地元ボランティアらしき人々が建物内を掃除したり、椅子を並べたりしている。外観はコンクリの打ちっ放しでところどころ亀裂が走り、天井の一部が崩落しているが、ホールのメインフロアは比較的健全で、数百人が入れる空間が残っている。
ここで「公開協議」を行うと聞いて、多くの住民や地方の関係者が興味本位で集まり始める。もちろん無法者や外国勢力が紛れ込む恐れもあり、入口には軍政局と自治会派の混成チームが検問を設置。名前をチェックし、武器の所持を厳しく取り締まる。
辻が到着すると、すでに何十人もの群衆がホール入り口に並んでいるのが目に映る。自治会派のリーダーや地元代表、噂では地方の有力者も数人駆けつけるらしい。
「敵や妨害者も混じっているかもしれない。警戒を怠るな」
そう義勇兵に指示しながら、辻自身も胸に緊張が走る。昭和の時代にも何度か“演説”を経験したが、こんな大規模な公開の場で自分が注目を浴びることは滅多になかった。
4. 会談開始、そして火花
ほどなくして、ホール内のステージへ複数の要人が登壇する。自治会派を代表する数名、軍政局側として辻や数名の幹部、そして地方の首長クラスが加わり、ざっと十数人が並ぶ形だ。かつての議会のような格式はないが、大勢の民衆が拍手やざわめきを交えて見守る。
まず自治会派のリーダー格がマイクを握る。「……外国勢力の脅威や国内の混乱を前に、我々は協力の道を模索する。軍政局にも抵抗感はあるが、背に腹は代えられない。自由を捨てるわけではなく、あくまで危機を乗り越えるための……」
やや引っかかりのある言い回しに、観客席から拍手とブーイングが半々で起こる。やはり反対派も混在しているようだ。
次に辻が呼ばれ、静かに立ち上がる。視線が一斉にこちらへ注がれ、昭和の亡霊としての自分を自覚する。この場で何を語るかが、今後の協力体制を左右する。
「……皆さんもご存じのように、いま日本は中央政府が機能せず、各地が独自の生存策を迫られています。しかし、外国勢力や無法者が日本を食い散らかそうとしている以上、連携なしで立ち向かうのは危険。私たち軍政局が掲げるのは、決して侵略のための軍備ではなく、“守るための兵站”です。どうか、その点をご理解いただきたい」
一瞬、静寂が降りる。観客席のあちこちから「騙されるな!」という叫びや「でも、他に頼りはない」という囁きが混ざり合う。賛否が混じった雑踏の中で、辻はあえて声を大にして続ける。
「配給と治安維持は、各地域の自主性を最大限尊重しつつ、外国の干渉を阻止するために統制が必要です。痛みを伴うかもしれませんが、無秩序よりは遥かにマシ――私たちは、昭和の失敗をくり返す気はありません。戦わずに済むならそれに越したことはない。それでも来るなら、こちらも立ち上がらねばならない」
これには自治会派の顔ぶれが微妙な表情を浮かべるが、拍手が起きないわけではない。何より満足な生活インフラがない今、軍政局の“守り”があれば多少の安心を得られると考える住民が増えているのだろう。一方、「軍政こそ昭和の独裁に逆戻りだ」と怒鳴る声もあり、警備員が制止する場面も見られる。
5. 緊迫の賛否
続いて地方首長クラスが発言する。小さな町の長や農業団体の代表などが、「このままでは何も生産できない。外から侵入者が来れば抵抗すらできない。軍政局と組むしかない」という悲痛な訴えを行い、拍手も大きくなる。
だが、そのたびに反対派が「自由を奪われる」「昭和の二の舞だ!」とヤジを飛ばし、場内の空気が一触即発へ近づく。結局、辻や自治会派のリーダーが必死に抑えながら、“軍政と自治”の妥協点を具体的に提案する形で会議が進められる。
ある自治会派メンバーが思い切ってマイクを持ち、「皆さん、本当に外国の脅威がそんなにあるんですか? 俺はあまり感じたことがない。軍政局が危機を煽って支配を広げようとしてるだけでは?」と疑問を投げかける。
辻は静かに答える。「感じていないのは幸いだ。だが、港湾で夜戦があったのを聞いてないのか。何人も死んだ。国外勢力が日本から工業製品やレアメタルを奪おうとしているのは事実だ。その危険が他の地方に及ぶ前に、私たちが守らねばならない」
いくばくかの緊張が走るが、会場から複数の賛同の声が上がり、「そうだ!」「無法者を野放しにはできない!」という拍手が巻き起こる。反対派も沈黙せざるを得ない雰囲気が広がる。昭和のプロパガンダを想起させる光景だが、戦火を肌で感じた人々にとっては“現実の危機”なのだ。
6. 不穏な足音、短い銃声
ところが、会議が山場を迎える頃、ホールの外で**パン!**という単発の銃声が鳴り響く。場内が一気にざわめき、自治会派と軍政局の警備隊が動揺する。
すぐに警備リーダーから「入口付近で何者かが銃を撃った。幸い怪我人はないが、逃げられた」という報告が飛び込んでくる。場内の一部がパニックに陥りかけるが、辻や自治会派のリーダーが「落ち着いて!」と必死に呼びかけ、会議は一旦中断される。
「やはり、誰かが妨害を狙っていたか……。柴崎が言っていた“裏切り者”か外国のエージェントか、あるいは単なる過激派か……」
辻は歯を食いしばり、警戒態勢を指示する。自治会派のスタッフも慌てて観客を落ち着かせ、入口を一時的に封鎖する対応に出る。
7. 変わる潮流
その後、銃声の犯人は捕まらず、倉庫裏にバイクの痕跡が残っているだけ。どうやら単に発砲して混乱を誘う狙いだったらしい。ひとまず会場内は大きな混乱もなく、しばらくして会議が再開される。むしろ、この騒ぎを経て「やはり軍政局と組んで治安を維持しなければ!」と意見がまとまったという皮肉な展開を迎えた。
最終的には、**「自治会派と軍政局が“安全保障”で共闘する。配給と通商のルールは軍政局の提案を基本とし、自治会側が監視と調整を行う」**という覚書が取り交わされる。場内から一部ヤジもあったが、多数の拍手がそれをかき消した。
やがて夕方になり、会場を出る人々が口々に言う。「ここまで堂々と協力を宣言するなら、外国勢力も手出しが難しくなるかも」「少しは安心できるかな」「でも、昭和みたいに独裁にならなきゃいいが……」。複雑な声が入り乱れつつも、**大筋で“連携強化”**に賛成する空気が強まっているのは確かだ。
8. 柴崎の笑み
裏口の方で、辻が汗を拭いながら警備隊に状況を聞いていると、そこに柴崎が現れた。白いシャツを羽織り、背筋を伸ばした姿はどこか「余裕ありげ」。あの銃声のあとも取り乱すことなく、むしろ状況を注視していたようだ。
「成功だな。外国勢力の妨害行為も、逆に住民の結束を強める結果になった。あんたの軍政がどこまで信用できるかは未知だが、とりあえず『外敵を阻む壁』としては価値があるらしい」
柴崎が意味深に笑うと、辻は眉を寄せる。「まるで自分は外から見ているみたいだな。お前はどう動くつもりだ?」
「さあな。俺には俺の目的がある。無論、日本が崩壊するのは望まないが、軍政に従う気もない。ただ、共通の敵を撃退するまでは協力してやるさ」
辻は苛立ちを抑えつつ問い返す。「なら、あの銃声はお前が仕組んだわけじゃないのか?」
柴崎はわざとらしく肩をすくめる。「疑り深いな。まあ、俺の仕業でも、あんたら軍政局の仕業でも、結果的に住民は団結したんだろ? これで港湾も安定する。喜ぶべきじゃないか?」
あからさまに挑発気味の口調だが、辻は言い返さない。確かに港湾の地で正式な協力宣言ができたのは前進だ。だが、この男や他の裏勢力がどこまで絡んでいるかは見通せない。
9. 重なり合う矛と盾
結果的に、軍政局と自治会派の同盟が広くアナウンスされたこの夜、港湾は大きな襲撃もなく、比較的平穏に朝を迎える。翌日からは自治会派のメンバーが本格的に倉庫やゲートの管理を支援し、配給の負担が少し和らいだという報告が上がる。
石原も司令部から祝辞を述べ、「これで一歩、内戦の回避と外国勢力の封じ込めに近づいた」と評価しているが、辻や鈴木ら現場の幹部は楽観していない。一度大きな協力を取り付けたら、逆に裏切りや駆け引きもエスカレートするのが常だからだ。
そんな中、港湾地区にあるテント村では、住民が安堵の表情を浮かべている。「軍政と自治会の連携で護ってもらえるなら、ここで生活を立て直せるかも……」という声も増えている。しかし、それが本当に実現するか、外からの新たな波が来れば一瞬に崩れるかもしれない。
10. 新たなる合流
さらに、地方からの農産物が少しずつ届くようになった。これは軍政局の「段階的連携」と自治会派の“取り次ぎ”による成果だ。崩壊したインフラの中でも、商取引を望む農家がいるのだ。彼らは「自分たちの生産物をどうやって売ればいい?」と困っていたが、港湾なら需要があるかもしれないし、軍政局が護ってくれるなら少しは安心という算段でやってくる。
こうした“小さな連合”が芽吹き、港湾を舞台にした経済の復活がわずかに見える。昭和とは異なる“平和への道筋”を求める石原の声が、ここでようやく形になりはじめたか――そう思う者も出てきた。
しかし、辻は気を抜かない。敵は必ず新しいスキを狙ってくるだろうし、自治会派との蜜月がいつまで続くか分からない。外からの脅威を抑えて国内連合を拡大するのは、戦線拡大のリスクと同義だ。そこで更に頭を抱える。
「昭和で、俺たちがやった拡張政策と似た轍に踏み込む。だが、いまは確かにこれ以外の道がない……」
11. 灯火の先
こうして、第十五章から続いた自治会派との微妙な連携は、ここ第十六章で「正式な形」に近づいた。公の場で宣言し、地方とも流通を作る。これは大きな一歩だが、内外の敵が消えたわけではまったくない。
この先、再興軍政局が勢力を広げれば、次なる課題は他の地域や地方都市との連携、そして外国勢力をどう排除するかに移るだろう。二正面、三正面の対応を強いられながら、軍政は本当に崩壊を止めるのか、それとも昭和の“悪夢”を再演するのか――。
港湾の空気は、いまだに錆びと煙の匂いを残しているが、テントからは人々の談笑や調理の匂いが漂う時間も増えている。小さくとも“平和”の兆しがそこにあるからだ。
夜になると、見張り台の灯りが点々と配置され、自治会派と軍政局の混成パトロールが巡回する。遠くには崩れた桟橋の影が闇に沈む。かつてここで血戦があり、多くの命が散った事実を思えば、夜の静けさは儚く感じられる。
**“交錯する灯火”**がようやく一つの方向へ傾き始めているようにも見える――が、それが真の安定か、一時の幻かはまだ未知数。外国勢力は依然として暗躍し、自治会派内部にも反対派や裏切り者が残っている。さらに柴崎のような得体の知れないプレーヤーがどんな動きを見せるか、油断できない。
朝焼けの中、辻は思わず空を見上げて目を細める。「どこまで走るか……止まるに止まれない。昭和の罪を背負って、どこまで背負えばいいのか」と胸中で問うが、答えはない。
第十六章は、港湾の“公開協議”が一応の合意に至り、軍政局と自治会派が正式な協力体制へ舵を切った姿を描き、物語に微かな光を灯して幕を閉じる。
とはいえ、その光は矛盾と陰謀の只中で揺れる小さな明かりにすぎず、次の嵐が吹けば簡単に吹き消されるかもしれない。昭和の亡霊たちは、その火を守りながらも、次なる敵に備えるしか道はないのだ。
夜が来るたびに、どこかで拳銃の音が鳴るかもしれない。外国人傭兵がまた海からやってきてもおかしくない。だが、一縷の希望を捨てずに、警戒を解かずに……それが今の日本を支える唯一の道である。
第十七章 ―黙示のシグナル―
港湾地区が暫定的な平穏を取り戻してから、さらに数日が経過。
軍政局と自治会派が共同管理する**“統制地区”**という枠組みが一応は機能し、倉庫群や埠頭の警戒ラインには混成パトロールが常駐するようになった。北からは農産物が運ばれ、南からは一部の工業品が届き、廃墟同然の街がわずかに“物流”を取り戻している光景は、多くの住民に小さな安心を与えていた。
しかし、その裏で渦巻く不安要素は消え去ったわけではない。外国勢力が別の港や内陸ルートを模索している話や、国内の無法者が高値で武器を売買しているとの噂が絶えない。さらに、自治会派との協力体制も「表面的には円満」だが、一部のリーダーや有力者が裏で何を仕掛けているかは不透明だった。
1. 夕刻の不穏な光
ある夕暮れ、倉庫を巡回していた義勇兵の一人が、崩れたコンクリ壁の隙間から妙な光を見たと報告に来た。倉庫街の奥、暗がりの通路でカチカチと断続的に光が点滅していたという。
「まるで合図のようでした。誰かが懐中電灯か何かを使って、遠方に向かって信号を送っているような……」
辻政信は一瞬、以前にも似た状況があったことを思い出す。夜戦の前、桟橋で不審な光が点滅していたあの場面だ。あれは外国勢力と合図を交わすサインだった可能性が高い。
「つまり、まだ中に“内通者”がいるということか。統制地区を敷いても、完璧な監視とはいかない以上、影で何者かが暗躍する余地はある……」
辻は苦い表情で応じ、すぐさま周辺警戒を強化するよう指示を出した。
同時に、自治会派側にも連絡を入れる。だが、担当の幹部からは「うちのメンバーはそんな怪しい真似はしていない。何かの見間違いじゃないか?」と軽くあしらわれる。表向き協力している以上、あまり大ごとにしたくないのだろうか。
2. 眠れぬ港湾の夜
その夜、仮司令部の上層では、辻を含む幹部が地図と無線を前に緊張を保っていた。もし再度の侵入や取引が試みられるなら、夜間に行われる可能性が高い。自治会派も似たような見回りを増やしているが、どこか“積極性”に欠ける印象がある。
「本気で港を守りたい」という者と、「軍政と深く協力するのは嫌だが、外国勢力への警戒はする」という者、さらには**「裏で外国と結んで利益を得たい者」**まで混在している。いわば三層構造だ。
鈴木が警備の進捗を報告する。「港の南端は静かです。漁船らしき影も見えず、陸路から入る車もチェックしていますが、目立った動きはありません。ただ……」
「ただ?」
「例の『柴崎』の部下が、やたら不審な動きをしているとの噂があります。どうやら荷物の積み下ろしを勝手にやっているとか。あんたの許可なく、倉庫を使っている可能性も……」
辻の顔が曇る。「また柴崎か。前に夜の密約を交わしたときは、それなりに協力する意志を見せていたが……。結局は彼も一筋縄じゃいかないな」
そう嘆きつつ、辻は思い出す。「奴は一部の無法者とも繋がりがあるという噂。外国勢力を嫌う反面、自分の利権は手放したくないのだろう。そこが難しい……」
3. “密会”再び
夜が深まり、港湾を覆う闇が潮風とともに冷たく吹き込む頃、辻の部下が一人、慌てて司令部へ駆け込んできた。
「辻さん! さっきの『柴崎から連絡が来ました。どうしてもあんたと話したいことがある』と。場所はまた別の空き地で、“できれば今夜会いたい”とのこと……」
またか、と辻は内心舌打ちする。数日前の公園での密会を思い出すが、今度も油断はできない。しかし彼が何を握っているかを確かめねばならないのも事実だ。
「わかった、行こう。場所はどこだ?」
部下が一枚のメモを見せる。「港の外れにある廃工場です。地下の施設が比較的無事らしく、そこに隠れ家のようなスペースがあるらしい。こっちには『あまり人を連れてくるな』と言ってました」
露骨な罠の可能性もある。だが、辻はすでに夜戦をくぐり抜けて多少の度胸はあるし、柴崎が完全に裏切るなら先日の会談でやっていただろうという読みもある。
「鈴木、少数精鋭を連れていく。お前はどこか離れた場所で待機して援護してくれ。……慎重にな」
4. 廃工場の地下
午前零時すぎ。月が雲に隠れ、暗闇が濃厚に広がる中、辻はバンを降り、わずかな手下を連れて廃工場へと足を踏み入れた。工場の壁には大きな亀裂が走り、錆びた鉄骨が露出している。風が吹き込むたびにギシギシと嫌な音を立てる。
建物の中央あたりには階段があり、そこから薄暗い地下室へと通じる通路が見える。少し離れた場所には鈴木たちが伏せているが、辻が誰かに襲われればすぐ駆けつける段取りだ。
“コツコツ……”と足音をさせながら階段を下りると、かすかな灯りが見えてきた。そこにいたのは柴崎と、何人かの姿がシルエットになっている。薄いランタンの光が油臭さを際立たせ、昭和の防空壕のような雰囲気さえ漂う。
「相変わらず、妙な場所を好むな」
辻が警戒を解かずに言うと、柴崎は白い歯を見せて笑う。
「港湾じゃ人目が多いからな。ここなら静かだろう? 俺もあんたとの話が外に漏れるのは困るんだ」
5. 内通者と“外”の真実
柴崎は部下の一人を退かせ、紙の書類を取り出す。そこには数字やアルファベットが並ぶ怪しいリストのようだ。
「これは俺が手に入れた“取引データ”だ。どうやら都市部の一部勢力が外国企業と連絡を取り合い、工業設備やAI関連を密輸しようと計画しているらしい。わざわざ港湾にこだわらず、内陸の中規模な空港を使う案も検討中ときた。お前らが港湾を要塞化したから、奴らも別のルートを探してるんだ」
辻は軽く目を見開き、「内陸の空港……確かに、国内の飛行場なら外国機が秘密裏に出入りできる可能性があるな。全部が抑えられているわけじゃないし」と唸る。
「その通り。再興軍政局が港湾を押さえても、奴らは別の場所を狙う。しかも、一部は自治会派や自警団の中に“グル”がいる可能性が高い。情報を横流ししているんだろう」
柴崎は苛立った口調で続ける。「だから俺たちが少しでも協力して、そいつらを炙り出したいってわけだ。俺も外国勢力に利用されるのは我慢ならない。……だが、そのためにはあんたら軍政が積極的に動いてくれないと困る」
辻は眉を寄せる。「当然、やるつもりだ。だが、お前ら自治会派や自警団の中でも、どこまで本当に味方なのか分からない以上、こちらも慎重にならざるを得ない。今回の“交渉”とやらも罠ではないのか?」
すると柴崎はわずかに肩を落とし、意外にも率直な声で応じる。「そこはお互い様さ。俺たちだってお前をどこまで信用していいか分からん。昭和の軍がどうだったか、そんな話を聞いて背筋が凍る思いもある。だが、外国に国土を売り渡すわけにいかんのは同じだろ?」
事実、昭和時代の軍政は侵略を進めて内外に恨みを買い、最後には自壊へ向かった。その轍を辻たちは踏まないと誓っているが、他者にとっては「また軍国主義かもしれない」と思われて当然だ。
6. 迫られる決断
柴崎が書類を手渡すと、そこには空港のコードのような文字列や、“X州企業”“Y法人”など海外の名が散らばる。「具体的な計画日時はまだ不明だが、数週間以内に“試し輸送”を行うという話が出ている」と付記がある。
「これを信じるなら、港湾の次は空港が戦場になるな……」
辻が苦い声で言うと、柴崎は煙草をくわえ「そうならないよう、あんたらに先手を打ってほしいんだよ。俺も情報収集には協力する。しかし、俺の立場もある。あまり表沙汰にできない」
それを聞き、辻は深く息を吐く。やはり共闘は一筋縄ではない。「柴崎、お前は誰かに指示されてるんじゃないのか? 自警団の名を借りて裏で暗躍してるようにしか見えんが」
柴崎はニヤリと笑う。「そう思うなら拘束してもいいぜ? だが、それじゃ肝心の情報源が絶たれるだろう? 俺は俺で、昭和の軍政に踏み込まれるのは御免だが、外国に日本を売り渡すよりマシだからやってるだけさ」
互いに火花を散らすやりとりだが、最終的に辻は“資料を預かる”形で合意し、もし確度が高ければ軍政局が空港側の警戒に動くと約束する。ここで再び夜戦のような惨劇を拡大するのは避けたい。
話がまとまると、柴崎は無造作に煙草を足元で揉み消し、「これ以上居ると危険だからな。あんたが無茶をしないうちに帰るよ」と言い残して暗闇に消える。
7. 戻る足取り、さらなる闘いの予感
廃工場を後にし、外で待機していた鈴木と合流すると、辻は疲れた顔を見せながら書類の束を渡した。「柴崎から手に入れた。外国勢力が空港を狙っているらしい。信憑性は不明だが、動かないわけにはいかない」
鈴木が一読し、肩をすくめる。「空港か……そりゃ港湾がダメなら陸や空から侵入する。日本全土が穴だらけだからな。俺らが全部を守れるわけがない。どうする?」
辻は夜空を睨み、「可能な限り情報を集めるしかない。石原にも報せよう。地方の自治会派とも協力し、早期警戒を敷く。下手すれば再び戦闘が起きるが、次こそ暗闇のうちに片付けたい……」と言い捨てる。
隊員に指示を出しながらバンに乗り込み、エンジンをかける頃、遠くで犬の鳴き声が聞こえる。荒廃した街の隅で、犬や猫が野良化しているのはよく見る光景だが、なぜか不吉な呼応を感じた。
「昭和の頃に戻ったかのようだな……。いや、あのときよりもっと混沌としているか。敵がどこにいて、味方が誰かさえ曖昧だ」
辻は自問する。昭和ではまだ「国対国」の構図がはっきりしていたが、いまは国内がバラバラで、海外企業やPMCなど多層の利害が絡み合う。戦術だけでなく謀略と情報戦が欠かせない。一層の苦労が待っている。
8. 夜明けを行く
こうして、軍政局と自治会派の微妙な協力が一歩進んだ矢先に、新たな危機――空港を巡る外国勢力の動き――が影を落とし始める。港湾が落ち着けば、次なる侵食ポイントが空路になるのは当然の流れだ。
夜が深まる中、バンは港湾司令部へ向かい、細い街路を抜けていく。周囲に人影は少なく、あるのは崩壊した建物の闇だけ。しかし、いつどこから銃口が向けられるか分からない緊張が続く。
数時間後、薄青の空に白みが差し、また一日が始まる頃、辻は司令部に戻って仮眠も取らずに地図を広げる。「空港か……ますます範囲が広がる。昭和の失敗を繰り返さないために、どう戦線を最小限に抑える?」
そこへ、外で声が上がる。「おーい、地方の農家グループがまたトラックで来ましたよ! 野菜を卸したいって!」。死んだ街に少しずつ活気が戻る裏で、複雑に絡む脅威との闘いが絶え間なく続く――そんな“矛盾の国土”を形作る日々は、いよいよ佳境へ向かいそうな気配だ。
辻は疲れた目をこすり、「これが“令和以降”の日本か……」と呟く。薄い夜明けの光が倉庫に差し込み、昭和の亡霊たちがいま足を踏みしめる地には、新たな戦いと模索が待ち構えていた。
9. 次の一手
第十六章で築いた連携が、第十七章冒頭でさらに拡大していき、港湾が一応の安定を見せる一方、外国勢力が空港へシフトしつつある――それが今回の「黙示のシグナル」として現れた。
これから先、軍政局は国内の拡大(または連携強化)を進めながら、“空路”を狙う敵にどう対処するか迫られる。そこへ自警団や柴崎の思惑、自治会派内部の裏切り者、さらなる国際的介入など、多重の波が重なるだろう。
一時のやすらぎを享受する港湾地区の住民たちも、やがて知ることになるかもしれない。戦いはまだ遠く終わらないと――。
夜明けの空に煙が漂い、かすかな潮騒が響くなか、辻は地図を指で押さえ、「空港か……これ以上、戦線を広げたくはないが、放置すれば再び火を噴くだろう。先んじて手を打たねば」と深く息をつく。
第十七章は、こうして“港湾安定”の影で再び蠢き始める外国の影と、それに応じて軍政局が目を向けざるを得ない新しい焦点:空港を提示して幕を閉じる。
昭和の亡霊たちが掲げる平和への道は、まだ続く無数の罠と矛盾に満ちている。だが、崩壊した日本を再建するには、この連合を広げていくしかない――その覚悟と不安が入り混じる、夜明けの港湾である。
第十八章 ―空を制す闇―
港湾地区の夜戦から数週間。
いまだ不安定な要塞化の中で、再興軍政局と自治会派がどうにか協力関係を保ちつつ、周辺地域との連携を拡大し始めた。港では徹底的な警戒と検問が敷かれ、小規模ながら往来するトラックや人々の物資交換も軌道に乗りつつある。
とはいえ、軍政局の手が届くのはあくまで港湾周辺に限定された範囲。外国勢力はさらなる抜け道を模索するだろうし、国内にも裏切り者の気配が絶えない。やがて、彼らの狙いが港から内陸の空港に移りつつある――そんな暗い噂が、辻政信や石原莞爾の耳を離れないでいた。
1. 霞む管制塔
ある昼下がり、旧市街地の外れに位置する小規模空港の滑走路を見下ろす丘の上に、辻政信の姿があった。ここはかつて国内線や小型機が使っていた地方空港だが、財政破綻と交通網の分断によって数年前に事実上閉鎖。管制塔やターミナルはゴーストタウンのように放置されている。
乾いた風が草地を撫で、遠方には錆びついたフェンスが続く。焦げ跡こそないものの、管理人もいないこの場所はいつ“闇の集団”に占拠されてもおかしくはない。辻は手近な双眼鏡を覗き込み、管制塔らしき建物を睨んだ。
「……やはり、誰もいないように見える。しかし夜になれば分からんぞ。飛行機こそ無理でも、ヘリや小型機なら秘密裏の離着陸が可能かもしれない」
今朝、柴崎から「ここのターミナルに人影が出入りしている」との報が届いた。具体的にどんな勢力かは不明だが、外国企業が物資を空輸する可能性は十分にある。軍政局は港湾に気を取られていたが、この空港を放置すれば第二の拠点を敵に奪われる恐れがある。
「昭和の頃から、飛行場を確保するのは軍の基本だった。ここを押さえないと、また裏をかかれる……」
辻は静かに呟き、背後のスタッフに目をやる。「どうだ、自治会派は? 一緒にここを確保する意志はあるか?」
スタッフは渋い表情を浮かべて首を振る。「彼らも動揺してはいますが、“そこまで手を広げる余裕がない”と言っています。港湾だけでも手いっぱいだと……。あちらには“空港までは軍政に任せたい”という空気があるようです」
つまり、自治会派は全面的に軍政局を信用しているわけでもなく、「空港で問題が起きても自分たちのせいにされたくない」という考えが見え隠れするわけだ。
「仕方ない。我々が最低限の人員で一帯を偵察し、危険を洗い出すしかないな。正規の警察や自衛隊が死んでる以上、動けるのは軍政局しかない……」
辻は自嘲気味に笑いながら、遠くの滑走路跡を見つめる。その視線は、まるで昭和の戦地に戻ったかのような緊張を孕んでいた。
2. どこまで広げる?
場所を移動して、簡易の野営テント内。夜戦で何度も顔を合わせた鈴木や少数の義勇兵が円を作り、**“空港を巡る方針”**を議論している。
「いくらなんでも、ここを要塞化する余裕はないですよ。港湾ですら満足に固められていないのに……」
誰かがため息混じりに言うと、鈴木が自嘲する。「だが、ここを放っておけば、外国連中が自由に使うかもしれない。そんなことになれば、港湾をいくら固めようが意味がないわけだ」
辻は地図を指し示す。「こう考えるんだ。最低限の斥候部隊を残し、怪しい動きがあれば司令部(港湾)に通報する。常時、ここを守るには兵力不足だが、“偵察駐留”くらいはなんとかできるだろう。夜は危険だが、かといって昼に堂々と使われたら困る」
部下たちの顔には不安が浮かぶが、誰も反対とまでは言わない。既に国内警察や地方行政は崩壊しており、「守れるのは軍政局と協力組織だけ」という認識が浸透しているのだ。昭和の失敗(戦線拡大)と分かっていても、令和を超えた20XX年では選択肢がない。
3. 石原の提案
そこへ、無線機が雑音混じりで声を伝える。声の主は石原莞爾。
「辻か? そちら、空港へ向かったと聞いた。大がかりな部隊は送れないが、自治会派の一部からは“情報協力”を取り付けた。彼らも裏で内通者の動きを嗅ぎ回るそうだ。……で、こちらとしては、一つ提案がある」
石原の提案は、「空港を“非軍事的”に利用する手」だ。たとえば国内外の技術者や農産物輸送に使えるように改修し、“日本の復興の象徴”に変えてしまう。輸送機が稼働できるなら、遠方との交流も進み、軍政局が『守りの空港』と位置づけられれば外国勢力も露骨に手を出しにくいのでは、という理屈だ。
辻は無線越しに苦い声を漏らす。「その理想は分かるが、まともな管制システムも燃料もないのに、どうやって飛ばすんだ? そもそも飛行機を保有してる組織なんか残ってるのか?」
石原は「ここに元自衛隊や民間パイロットのOBがいる。機体を探している連中もいる。復興は一歩ずつだよ」と柔らかく返すが、それがどこまで実現可能かは未知数。辻は半信半疑ながらも、「全部を否定はしない。まずは安全を確保してからだ」と応じる。
4. 惑う自治会派
夕刻、空港に近い荒れ地では、軍政局と自治会派がセットで見回りをする試験運用が始まっていた。しかし、自治会派の動きは港湾のときほど積極的ではない。「そこまで遠い場所を守る義理はない」「港湾でさえ手一杯だし、内陸部のほうが大事」との声が上がる。
「空港をどう使うか分からないし、軍政局が好き勝手に占拠するなら反対だ」という自治会派の若者も多い。背後には柴崎の影も感じられ、どうやら彼が様子を探らせているらしい。
辻は不快感を抑えつつ、隊員たちに耳打ちする。「奴らは裏で何かしら仕込んでいるかもしれん。利用できるものは利用すると言ったが、こちらも探りを入れねばならんな。空港が要衝になる可能性は高い」
5. 小規模な衝突
夜が更けると、空港近くのフェンス沿いを巡回する義勇兵たちが、不審な車の存在に気づく。ライトを消してこちらを覗き込むかのように停車し、数分後に急発進で逃げたという。追跡したが、林道に入って姿を消したらしい。
さらに、空港ターミナルの奥で、小規模な銃声が鳴ったとの報告も入る。義勇兵が駆けつけたときには誰もいなかったが、弾痕と血痕が残されており、誰かが争った痕跡がある。**“内通者同士の内輪揉め”**か、あるいは外国勢力との引き渡しが失敗したのか――いずれにせよ、空港を舞台にした怪しい動きが始まっているのは明白だ。
「本当に、港湾と同じ流れになるかもしれんな……。ここを押さえるには兵力も資源も足りないのに」
夜明け前、仮設の警戒テントでそう洩らす義勇兵の声を聞きながら、辻は苦い思いを噛みしめる。「確かに昭和の拡張戦線と似ている。だが、俺たちは守っているだけだと自分に言い聞かせるしかない……」
6. 石原の来訪
翌日、意外な客が空港方面へやってきた。石原莞爾本人である。港湾に加え、各地の会議や統制業務で首都圏を飛び回っていたが、この状況を看過できないと判断して、少数のスタッフと共に駆けつけてきた。
「お疲れだな、辻。だが、ここを見て確信した。**空港は“二の港湾”**になる危険が大きい。放っておけば外国勢力の拠点化を許しかねないし、自治会派もやる気がない。俺たちが動くしかない」
石原は日差しの下、荒れ果てた滑走路を眺めながら言う。「令和の世に、これほど荒廃した空港があるとは……。昭和の終戦後よりマシだが、油断すれば同じ運命を辿るだろう」
辻は腕を組んで問いかける。「それで、お前はどう動く気だ? 港湾のように要塞化する余裕はないぞ」
石原の回答は明快だった。「**“非軍事利用”**を広く呼びかける。ここで農産物や物資を国内輸送できるかもしれないし、最悪小型機が飛べれば、他地域との交流も増える。『空港を平和利用するために軍政が警備を担当する』という名目で、自治会派や地方の支援を仰げばいいんだ」
言葉こそ理想的だが、実現するまでのハードルは高い。燃料も整備士も足りないし、外国勢力が“物流”を装って紛れ込むリスクもある。それでも石原は譲らない。「やらねば崩壊は止まらん。戦わずして勝つのは理想だが、最低限の備えは必要。君だって分かっているだろう?」
7. 一縷の望み
石原が計画の大筋を語ると、周囲の隊員やスタッフは戸惑いながらも希望を感じ始める。「飛行機が再び飛ぶようになれば、国内の混乱を解消する一助になるかもしれない」と幻想を抱く者もいる。
辻はそう簡単には信じられないが、「港湾のときも、最初は絶望的だったが結局は要塞化してどうにか守っている。空港も同じように、短期的には軍事的警戒、長期的には復興のシンボルか……あり得なくもない」と内心の策を巡らせる。
なにより、ここを抑えなければ外国勢力が手を出す恐れが大きい。昭和の頃より状況は複雑だが、やるべきことは似ている――戦略的拠点を先に確保しておく必要があるのだ。
8. 蠢く影
だが、その夜。滑走路付近で警戒中の隊員がまた不審な車両を目撃し、追跡したが逃げられたという報告が入る。車内には通信機らしき機器が搭載されており、一瞬、外国語が聞こえたとか。
「連中は確実に空港を狙ってる。次に大規模な襲撃があったら港湾以上の被害になるかもしれん」
石原は渋面を作りながら、「すぐに自治会派や地方の協力を得よう。表向きは“平和利用”をアピールし、背後で強固な警戒網を作る。軍政局だけでは足りないが、港湾と同じように共同体を作れば、外国勢力も動きにくくなるはずだ」と語る。
しかし、現地で実際に指揮をとる辻はひとつ悩みを抱えている。一部の自治会派は空港への進出を嫌っているうえ、柴崎の動きも不穏だ。もし軍政局が“空港統制”を宣言すれば、内戦のような反発が起きる危険もある。
「戦線拡大……。昭和のときはそれで破滅した。だが、我々は“守り”なんだ。少しずつエリアを押さえなければ、外国に好き放題される。分かってはいるが、いつ破綻するか……」
夜の風が吹き付ける滑走路跡で、辻は天を仰ぐ。月光に照らされたコンクリートがひんやりと冷たい。
9. 新戦力の探求
翌朝、石原が中心となって**“空港運営チーム”**の試案を作り始める。元整備士や元自衛隊の航空班OBをかき集め、最低限の通信・整備ができるかどうかを確認する。機体の確保がどこまで可能か、燃料の在庫はどう調達するか――問題は山積だが、“思ったより何とかなる”という報告も少なくない。
「小型ヘリや軽飛行機なら、日本国内に残っているかもしれない。民間の中古機体が倉庫で眠っている可能性もある。……インフラが死んでいる中で、空を使えれば戦略的にも有利だ」
石原はまるで少年のように目を輝かせるが、現実的には正面衝突の連続を覚悟すべきだ。外国勢力や国内の闇組織が狙う“空路”をどう封じるか、軍政局が管理する“正規ルート”と暗黒のルートが攻め合う未来が目に浮かぶ。
辻はそんな石原の情熱を見ながら、「お前はやはり理想家だな」と嘆息しつつも、どこか救われる気持ちになる。昭和の時代に、満州国という理想を掲げながら戦争を止められなかった悔恨――今度は違う形で活かせるかもしれない。
「よし、やってみろ。ただし、あまり大風呂敷は広げるな。自治会派や地方は協力はしても、軍政局の領空支配など認めてくれないだろう」
石原も苦笑いで頷き、「そこは説得しつつ、外敵から日本を守る大義を示す。昭和と違って侵略じゃないんだと、言い続けるよ」と答える。
10. 束の間の朝焼け
こうして第十七章から続く形で、空港防衛と活用の話が本格化する。港湾に次ぐ“新戦線”の開拓は、昭和の戦線拡大の失敗を彷彿とさせるが、放置すれば外国に奪われる恐れも高い。まさにジレンマ。
港湾で安息を得かけていた住民たちは戸惑う。「またどこかで戦争が起きるのか」「軍政は国内をどこまで支配したいんだ?」との声も上がる。自治会派の一部は反発しながらも、外国の暴走を許すわけにもいかず、半ば強制的に動員される形で関与していく。
荒廃した滑走路に朝焼けが差し込み、コンクリの裂け目から雑草が伸びている。その雑草を眺めながら、辻は昨夜の廃工場で得た書類を思い返す。「空港はただの始まりかもしれない。日本にはまだいくつも小規模な飛行場や港がある。全部をカバーするのは至難の業……」
昭和で大本営が予想外の戦域拡大に苦しんだ記憶がフラッシュバックする。しかし、ここで躊躇して混乱を放置すれば、それこそ国内がさらに分断され、外国企業やPMCが好き勝手する未来が見える。
“黙示のシグナル”――暗闇の合図は、港湾から空路へ、さらに多方面へと広がっていく恐れがある。その先で昭和の亡霊たちが再び地獄を見るのか、それとも新たな連合と共に光を掴むか。
第十八章はここで幕を下ろす。空港を舞台とした新たな攻防が視野に入り、軍政局はますます多正面の対応を迫られる。守りの拡大か、戦線の拡大か――いずれも昭和で学んだ苦い教訓と向き合いながら、令和を越えた国土の再生へ、彼らはもう引き返せない道を歩み続ける。
朝の冷たい風がスケルトン化した管制塔を揺らし、遠方では自治会派と軍政局のバンが行き来する姿が見える。昭和の失敗を繰り返さないために、どれだけ苦闘しようとも、崩壊の淵を踏みしめた日本にはまだ長い夜が待っていそうだった。
第十九章 ―交差する風―
空港近隣の廃墟化した管制塔を調査しはじめてから、さらに数日が経過。
再興軍政局の端末に、連絡員や偵察隊から断続的に報告が届くが、その内容はどれも不穏だった。「夜間にヘッドライトを消した車両が滑走路跡を走り回っている」「ターミナル地下の倉庫に出入りする謎の人影」「周辺農村から“得体の知れない武装集団を見た”という通報」……まるで闇の触手が少しずつ、空港を呑み込もうとしているかのようだった。
一方、軍政局が提唱する「空港の平和利用」には期待の声も高まりはじめ、メディア代わりのチラシや口伝えで周辺住民や自治会派へ広報が進んでいる。「ここを物流拠点にして国内を活性化する」「農産物や医薬品を空輸できれば、さらに多くの地域を救えるかもしれない」との期待が、少しずつ広がりを見せる。
しかし、実際に飛行機を動かすには程遠く、燃料や整備、さらに安全管理の問題が山積。さらに外国勢力の暗躍がある中、果たして昭和の亡霊たちがどこまで“空を守れる”のか、誰もが疑わしさを抱えていた。
1. 朝の風、護るべき滑走路
ある朝、薄い朝靄の中で、辻政信は空港滑走路の端に立っていた。長く伸びるアスファルトの舗装は、いまや無数の亀裂と雑草に覆われ、滑走路として機能するとは思えない。しかし、その荒れた光景の奥にはかつての隆盛の名残が見え、コンクリの誘導路や朽ちたスポットライトが並んでいる。
「ここが、かつてはジェット機の発着に使われていた……か。今は草のほうが勢いがあるくらいだな」
ぼそりと呟く辻に、側にいる隊員が小さく頷く。「修復するとなれば相当な労力が必要ですが、もし本当に小型機を飛ばせるなら大きなメリットがあるのでは、と石原さんが……」
「わかってる。……だが、それを知れば外国勢力も黙ってはいないだろう。港湾が封じられたと感じたら、空路にこそ狙いを定めるはずだ。――そうなる前に、ここを守りきらねばならん」
すでに自治会派や地方の協力を得て、滑走路の草刈りやゴミ撤去が始まっているが、どうも作業が遅々として進まない。警戒ラインをどう築くかも定まらず、さらに一部の自治会派は「港湾に集中すべき」という声も強い。どこか消極的なのだ。
「裏で何者かが“空港整備”に反対工作をしているかもしれん。そいつらが外国勢力と繋がってるなら、常に妨害されるだろうな……」
辻は苦い思いで、管制塔のほうへと視線を移した。塔の窓ガラスは割れ、内部の階段が崩れているらしい。一度、本格的に調査が必要だ。
2. 石原の再到着
昼過ぎ。微妙に曇天が広がる空を背景に、石原莞爾が少人数のスタッフを連れて再び姿を現す。白のシャツを袖まくりし、脚に泥のついた作業ズボン姿という、参謀というより現場作業員のような格好だ。
「辻、すまない。あれから自治会派内部を回ってみたが、どうも“空港再建”に本腰を入れるのは怖いらしい。外敵の襲撃を呼び込むのでは、と……」
辻はうなずく。「分からないでもない。奴らにとって港湾すら踏み込むのは散々悩んだが、今度は空港まで……。連中の不安は増すだろう」
しかし、石原は諦めない。「逆だよ。空港を放置すれば、敵がやりたい放題になる。ならば先に着手し、その利点を市民に示すべきだ。いまは小型の無人機や農薬散布ドローンも、自治会派が持っていると聞く。空路が完全に開けば、物流は格段に効率化する」
理想論と現実のギャップ。辻は項垂れながら、「お前の言い分は分かるが、昭和の頃と違う現代の空港運営なんて、どれだけの専門技術が要るか……。それに、どこかから攻撃されたら、我々はまた戦線を拡げざるを得ない」と呟く。
石原は鋭く反論する。「戦線拡大で日本が破滅したのは、昭和の“侵略”が原因だろう。今回は守りのために動くんだ。同列に語るのは違う。もちろん、無闇に範囲を広げるのは危険だが、ここを押さえなければ外からの脅威が増すだけだ――先日の柴崎の情報もそう言っている。空港を狙う企みが加速しているってな」
3. 謎のフライト計画
ちょうどその時、首都圏の司令部から緊急の連絡が入る。AI参謀の解析チームが、小型機のフライト計画らしきデータをキャッチしたというのだ。何者かが独自に書き残した行動予定表か、あるいは暗号化されて流出した物を解読したものか、詳細は不明。
ただ、日時と場所が断片的に記され、「◯月◯日、△△空港 深夜」という情報が浮かんでいる。そちらの空港のコードと合致するため、まさに今そこが狙われる可能性が高いらしい。
「深夜に飛ばす? そんな燃料も管制もない状況で、どうやって? もし海外企業が独自に運用するなら、闇のルートで整備士やパイロットを雇ってるのか……」
石原は頭を抱えつつ、身震いする。**“火薬庫”**を一つ残したままにしてはダメだ。敵がやはり一歩先を行こうとしている。
4. 柴崎の呼び出し
さらに追い打ちをかけるように、柴崎から再び連絡が入る。無骨な文字で一枚のメモが届き、「“あの夜が迫っている。空港を見張れ”」とだけ書かれている。
「まるで予言めいているな。さっきの解析データとも符合する。近々夜間に強行離着陸があるんだろう」
辻は忌々しそうにメモを握りしめる。柴崎自身が敵の一部と繋がっているのか、あるいは本当に日本を守りたくて警告しているのか、相変わらず判然としないが、今さら無視はできない。
石原と顔を突き合わせ、「となれば、こちらも夜間の布陣を整えるしかない」と方針を固める。自治会派の協力は期待薄だが、最低限の警戒網を張り、もし何者かが飛行機を動かそうとするなら直ちに阻止する。
「しかし、いざ戦闘になれば昭和の戦争並みに激化する可能性がある。連中が機銃やロケットランチャーを持ち込んでるかも分からん。……やらねばならないが、また大きな流血かもしれん」
石原が辛そうに目を伏せる。
5. 自治会派の裏切り?
夜が近づく中、空港の一角では自治会派の隊員も少なからず配置に就いている。しかし、なぜか誰もが落ち着かない様子。辻が遠目に見ても、彼らは談笑するばかりでまともに巡回しようとしないように映る。
そこで辻が直接話を聞こうとすると、「指示が曖昧だ」「軍政局が何をしたいのか分からない」と言い訳をする者が多い。中には、港湾の成功に後れを取った別グループの対抗意識もあるようで、あまり積極的に動きたくないのが本音らしい。
「もしここで夜間に何か起きたらどうする。敵が秘密裏に飛行機を使うかもしれんのだぞ!」
辻が声を張り上げても、「飛行機なんか飛ぶわけないじゃないか」と冷笑される場面も。確かに現実離れした話だが、情報がある以上、軍政局は動かざるを得ない。
6. 街道をゆく影
そして、空港から少し離れた街道を夜間パトロールしていた鈴木の部隊が、不審な車列を発見する。トラックが2台、ライトを最小限にしながら連なって走っているようだ。
怪しいと睨み、追跡を試みるが、相手も機敏に反応し、田舎道を抜けて逃げ回る。結局、視界を失い取り逃がしてしまったが、その道が空港へ通じている可能性は高い。
「奴らは地理を知り尽くしているな……。自治会派か、地元勢力か、あるいは混成チームかもしれない」
鈴木は無線で悔しそうに報告する。**“地元に手引きしている者”**がいなければこんな巧妙な逃走は難しい。
7. 深夜の閃光
そして午前2時すぎ、空港に仮設した見張り台から閃光が確認される。管制塔付近で何らかの爆発か火花が上がったらしい。急いで駆けつけると、数名の義勇兵と自治会派隊員がぐったり倒れ、一人が腕から血を流している。
「何があった?」
辻が駆け寄ると、倒れた隊員が苦しげに説明する。「夜陰に紛れて数人が塔に入り、何か機器を起動しようとしていた。俺たちが声をかけたら、いきなり閃光弾か何かを……」
犯人はすでに逃走したようだ。管制塔内を調べると、配電盤が破壊され、古い管制設備の一部が持ち去られている形跡がある。まるで「中古の部品を狙った」かのようだが、何に使うのかは不明だ。
「ここを使って夜間の指示を出す計画か? あるいは単に破壊して使えなくしたかっただけか?……どちらにせよ、奴らが本気で空港を探ってることに変わりはないな」
辻は負傷者を助けながら、唇を噛む。裏で動いているのは外国か、国内か、不明だが、確実に“空路”をターゲットにしている。昭和の戦争で飛行場を巡る攻防が熾烈だったのを思い出さずにはいられない。
8. 夜明けまでの不毛
その後も、空港敷地で銃声や物音が伝えられるが、駆けつけると何もいない。自治会派の守備隊も形だけになりがちで、銃声がすると「怖い」と言って逃げてしまう者さえいる。彼らのモチベーションは低く、現場は大混乱だ。
朝の4時を回る頃には、辻や石原は疲労困憊のまま滑走路に腰を下ろし、次々と舞い込む報告に苛立ちを隠せない。“飛行機が飛ぶ気配”こそなかったが、裏で何度も妨害や衝突が起き、被害こそ軽微ながら**“水面下の戦闘”**が続いた一夜だった。
「形だけ守ってると、こうも簡単に抜けられるのか……。奴らはゲリラのように夜陰に紛れ、狙うところだけ狙って去っていく」
石原は青ざめた顔で言う。「まるで昭和の中国大陸で味わった、ゲリラ戦を思い出すよ。敵は明確に姿を示さず、罠を仕掛けては逃げる。それが都市部と違い、施設が荒廃した空港だから捕まえにくい……」
辻は苛立たしげに地面を蹴る。「ここを本気で要塞化するには、港湾と同じかそれ以上の兵力が要る。……自治会派は腰が重いし、地方からの支援も港湾で手一杯。まるで罠にはまっているようだ」
9. 迫る選択
こうして、空港防衛を本格化しようとした再興軍政局は、初日から大小の衝突や破壊工作に苦しみ、自治会派の非協力的態度にも苛立ちを募らせる。ここで選択肢は大きく二つに分かれる。
1. さらなる戦力を投入し、空港を“第二の要塞”とする。
• 港湾に続いて大規模な統制を行い、海外や国内無法者の侵入を押さえる。だが戦線拡大のリスクは高い。
2. あくまで“偵察と最小警戒”に留め、他の拠点の防備を優先する。
• しかし、この場合、敵が空港を完全に取ってしまう危険がある。
石原は可能な限り1の路線を推すが、辻は「昭和の戦略拡大を繰り返す恐れ」を口にし、悩み続ける。「一度に守れる範囲に限界がある以上、正面衝突を誘うのは危険だ」と。だが、柴崎の警告や昨夜の妨害を見る限り、敵は本腰を入れてくるかもしれない。時間がない。
10. 遠くに轟く運命の足音
朝日が差し込み、薄淡い光が空港の管制塔をぼんやり照らすころ、港湾からの報せが入る。「自治会派が『空港問題』で割れ始めた。加勢に行くと言う者と、そこまで面倒を見る余裕はないという者が対立している」とのこと。地方の自警団も二の足を踏んでいる。
これが内戦の萌芽になりかねないと懸念する辻と石原。いままでの苦労が無にならないためにも、何とかもう一つの安定拠点を築きたいが、その代償は戦力の分散や住民の混乱につながる。最悪、港湾すら揺らぎかねない。「昭和の悪夢」が再び頭をもたげる。
第十八章で示された空港攻略は、早くも暗礁に乗り上げようとしている。しかし、黙示のシグナルは確実に近づいており、数日以内に強行離着陸が行われるかもしれない。軍政局はどう動くか――いまこそ決断が迫られていた。
辻は地図を畳み、遠方の耕地を眺めながら心の中で呟く。「もしここも放棄すれば、外国は笑いながら乗っ取るだろう。やはり一歩先に手を打つしかないが、どの道、血が流れる。昭和の轍を繰り返しているのか、我々は……」
第十九章はこうして幕を下ろす。新たな舞台となる空港、防備を固めきれない軍政局、消極的な自治会派、そして活発化する外国勢力――すべてが入り混じり、「空を制す闇」はますます深い暗黒を予感させる。
昭和を背負う亡霊たちが、この難局を乗り切る術を見いだすことはできるのか。それとも戦線拡大で自壊の道へ向かうのか、夜明けの曙光はまだ遥か遠い。次なる衝突は、静かに彼らの足元を崩しにかかろうとしている。
第二十章 ―深夜に響くプロペラ―
空港が“第二の港湾”になるかもしれない——そんな不穏な予感を抱えながらも、再興軍政局は一旦、最低限の布陣を敷くにとどまった。理由は明白だ。人員も物資も不足し、全域を完全に押さえる余裕はない。自治会派も積極的に関わる気配が薄く、地方の自警団からも「港湾ほどの利益が見込めるのか?」と疑問が噴出。
一方で、外国勢力や国内の闇組織が、この空港を秘密取引や侵入ルートに活用しようとしているらしい情報は日に日に増している。夜間には不審車両や銃声が絶えず、古い管制塔を巡る破壊工作も相次いだ。
「まるで、ここを“滑走路”として使えるよう整備している勢力がいるかのようだ……」
辻政信はそう呟き、荒れたアスファルトが亀裂と雑草に覆われた滑走路を眺めながら、神経を尖らせていた。
1. 新たな動員
空港を放置していては外国勢力の温床になりかねない——そんな危機感が広がり、石原莞爾を中心とする参謀部が「空港防衛チーム」の編成を本格化させた。
しかし、参加者は港湾の時よりさらに少数で、自治会派からも「形だけの参加」で数名が送られてくる程度。なにしろ、そこまで“うまみ”がないという認識が強いのだ。
「ここは大規模な取引が期待できないし、飛行機が本当に飛ぶのか分からない。守る義理があるのか」
そんな冷ややかな声を無視できない状況で、軍政局は最低限の義勇兵と警戒要員を置き、日夜のパトロールを増やす方法をとった。夜には固定の見張り台を2カ所設置し、滑走路周辺を巡回。昼間は自治会派が出してくれた少数のボランティアで、雑草除去や廃棄物処理を進める。
「港湾みたいに派手な警戒線は築けない。だが、こうするしかない……」
辻はそう呟き、集まった義勇兵に檄を飛ばす。「第二の夜戦を防ぐためにも、怪しい動きがあったら即座に報告しろ。深追いはするな。相手がどれほどの武装か分からん」
2. 空路再建の熱気?
そんななか、石原は“空港復興の夢”を捨てず、各所で調整を進めていた。かき集めた元整備士や機体マニアの若者を呼び寄せ、小規模なメンテナンスチームを作ろうとしている。
「確かに昭和の頃とは違う。いまは民間ヘリやドローンを含め、少数の航空機があれば地方との連絡を強化できるかもしれない。それが外国勢力への抑止力にもなる――俺はそう信じたい」
石原の言い分に、辻は薄く笑う。「お前の理想論は痛いほど知っているが、裏で破壊工作が進んでる現実を見ろ。何度も爆発や銃声が起き、一瞬で瓦礫の山になるかもしれん」
石原も苦悩を拭えない。「分かっている。だが、港湾の時も同じだった。最初はボロボロの倉庫しかなく、夜戦に備える余裕もなかった。それでも要塞化と復興を両立しただろう? ここでも可能なはずだ。ただし、時間との戦いだ……」
3. 暗い風の囁き
昼下がり、空港ターミナルの裏手には古い貨物倉庫があり、そこで数名の自治会派メンバーが荷物を整理しているとの報告が入る。しかし、その場に居合わせた軍政局の隊員が「妙に冷たい態度」で追い払われたという事件が起きた。
「ターミナル裏の倉庫は、これまで誰も使っていなかった場所だが、なぜ急に片付けている? 港湾でも見た光景だぞ……」
辻が目を細めると、部下が耳打ちする。「もしかすると、自治会派の一部が外国勢力と通じて新たな取引拠点を作るのかもしれない、と勘繰る声もあります。あるいは柴崎が裏で手を引いている可能性も……」
既に柴崎と何度か接触しているが、どこまで信用できるかは判然としない。かつて夜戦前にも倉庫が怪しげに整理されていたのを思い起こすと、どうしても同じ展開を連想してしまう。
「民衆を表向き味方に引き込んでおきながら、裏では外国勢力と利権を分け合う気か……? もしそうなら、今度こそ厳しく叩くしかない」
辻の声には抑えきれない苛立ちが混じっている。
4. 激しい風雨、そして夜
そんな疑念を抱えながら、数日後、空港地方に大雨が降り始めた。管制塔やターミナルの屋根は老朽化で雨漏りが酷く、滑走路の窪みに水たまりができる。夜間の巡回はさらに過酷になり、照明や発電機が故障気味で、まともに視界を確保できない。
「こうした自然環境の悪化が逆に敵にとって好都合だ。夜の嵐に乗じて動かれたら、こっちは捕捉できん」
石原が眉をひそめると、辻はそれを認めざるを得ない。「港湾の夜戦も、確か嵐の夜だったな……。嫌な予感がする」
雨脚が強まり、管制塔の上階では雨漏りがざんざん音を立て、床にはバケツが並ぶ。こんな環境で本当に飛行機を飛ばすつもりなのか――誰しも半信半疑だが、同時に「ならば敵も諦めるだろう」と気楽に考える者もいる。しかし、辻たちは異変を感じ取っていた。
「あえて悪天候を狙って、不意打ち離陸を図る可能性がある」——敵がそこまで用意周到ならば、昼夜問わず警戒が必要だ。
5. 深夜の離陸警報
やがて、嵐の中、午前2時ごろ、管制塔の簡易レーダー(といっても古い装置を一部修復しただけ)にノイズ混じりの反応が出る。小型機が付近を旋回しているらしい。隊員が慌てて辻へ報告する。「確認はまだできませんが、どうやら動力を持った航空機が近づいているかもしれません!」
「なんだと……? この荒れた天候で?」
辻と石原が即座に指示を出す。「滑走路を封鎖しろ! 照明も落として、強行着陸を阻止する。自治会派にも連絡して、周辺に人員を配置してくれ」
だが、雨で地面がぬかるみ、視界は劣悪。動員できるのは限られた義勇兵だけ。自治会派は「無理に戦闘すると危険だ」と尻込みし、一部が到着するころには遅れが生じる。
無線が雑音まじりで騒がしい中、「……レーダー反応が消えた。南西方向か?」との声が飛び交う。いったい敵が本当に飛行機を使っているのか、別の手段なのか、皆が混乱する。**“飛行機なんて飛ばない”**という思い込みが崩される一瞬だ。
6. 短い閃光、闇に消える影
滑走路の端を数名の隊員が駆けていると、遠方で何かが光るのを目撃する。小さなライトがアスファルトを照らし、そこにトラックらしき車両が横付けされているようだ。
「敵だ!」
隊員が声を上げたとき、相手も反応したのか、弾丸が雨の中を駆け抜ける。パパパンッと3発ほどの連続射撃。隊員が慌てて地面に伏せる。低い轟音を伴ってトラックが走り去り、ライトも消える。追跡しようにも雨風で視界が最悪だ。
結局、追う間もなくその場は真っ暗に戻る。少し離れた場所では、義勇兵が一人倒れて脚を撃たれており、救護が必要だという報せが入る。
「やはり夜陰に紛れて敵が動いている。飛行機本体を確認できなかったが、連中は滑走路の状態を確かめているのか?」
石原が思考を巡らせる。機体を強引に着陸させるなら、最低限の照明や路面整備が要る。あるいは部品を持ち込んで組み立てている可能性さえある。
7. 破られる均衡
翌朝、地面の水たまりが光を反射する中、偵察隊が滑走路付近をくまなく調べると、昨夜のトラックが残していったであろうタイヤ痕と何かの部品片が見つかる。部品には海外のメーカー名が刻まれており、航空機の一部に使われる可能性があるという。
「どうやら間違いない。連中はここで何らかの飛行計画を進めている。もしかすると、もうすぐ密輸や脱出を行うかもしれない……」
辻は深刻な顔つきで報告をまとめるが、自治会派からの応援は相変わらず鈍い。むしろ「そこまで兵を出せない」という言い訳が増えるばかり。
「港湾のときみたいに、本格的に整備する前に叩かないと、夜戦になるだけだ……。どうする、辻?」
石原が問いかける。戦力不足と敵の盛んな工作。このまま対処が遅れれば、昭和の頃に味わった“取り返しのつかない大敗北”を再演しかねない。
「敵はまだ裏で準備段階だろう。こちらも先手を打つしかない。俺たちが空港全体を完全に押さえる前に、やつらの拠点や倉庫を突き止めて摘発するんだ。港湾の初期のように小規模な夜襲でも構わん。……昭和の『謀略』を思い出すようで嫌だが、やるしかない」
石原は目を伏せ、「“戦わずして勝つ”は遠い……」と苦く呟くが、辻の意志は固い。「昭和の失敗」と分かっていても、ここで行動しなければ敵が先に準備を完了し、より大きな戦火を呼び込む。その前に、なんとか叩くのだ——。
8. 迫られる最終手段
そこへ柴崎から電信が届く。「敵は近いうちに“小型機”を持ち込み、夜間のうちに重要物資を国外へ運び出す計画があるらしい。空港周辺に潜む手下が滑走路を部分的に整備し、離陸をサポートする見込み」という情報だ。
柴崎自身は「奴らの計画を潰すなら今しかない」と煽るが、具体的に何人の武装勢力が関わっているかまでは不明。自治会派内部にも協力者がいる可能性が高い。
「やはり敵はここを“輸送路”にする気だ。港湾で苦しめられたのと同じ構図だが、飛行機を使われると一気に制御不能になる。やるしかない……」
辻は薄く笑うが、その表情に余裕はない。昭和の頃、自らが策謀を駆使し攻撃側だったのが、今は防衛で手一杯。一歩間違えれば破局だ。
9. 夜襲の作戦
議論の末、夜襲という形で敵の下準備を叩く作戦が決定する。空港内の怪しい倉庫や管制施設を一斉捜索し、無許可で保管している物資や部品を押収する方針だ。
自治会派には「空港の安全を確保するための合同パトロール」と説明するが、実際には軍政局主体で急襲を仕掛ける。回りくどいが、それが現状で最も確実かもしれない。
「成功すれば、敵の計画を大きく後退させられる。失敗すれば……昭和の泥沼が再びだ」
石原が呟くと、辻は拳を握って答える。「成功させる。ここを放棄すれば全てが台無しだ。……総力を挙げて夜襲に臨む。潜む敵を炙り出すんだ」
10. 再び嵐の兆し
作戦前夜、夜戦で荒んだ記憶がフラッシュバックする。外はまたしても雲が広がり、雨の予感を携えた風が滑走路を吹き抜ける。隊員たちも口々に「嫌な天気だ」「港湾のときと似てる」と呟く。
だが、逆に言えば暗闇と雨で敵も油断する可能性がある。深夜にこそ襲撃をかけ、倉庫やターミナルを制圧するのだ。既に数チームが密かに行動を開始している。
「昭和の満州事変のようだな……侵略じゃないと自分に言い聞かせても、手段はあまり変わらない。謀略と夜襲——これが戦わずして勝つための布石にならないものか」
辻は自嘲的に口を歪める。今夜が山場だという確信がある。外国勢力が本当に小型機を飛ばすのなら、もう待ったなしだ。
第二十章はここで幕を下ろす。空港を巡る緊迫が最高潮に達し、夜襲という“昭和の謀略”を再演するかのような展開へ突入しようとしている。
守る側と攻める側の境界が曖昧なこの時代、昭和の亡霊たちはまた血を浴びるのか、あるいは何とか平和を守りきれるのか。空の闇が深まり、雨風が滑走路に吹きつける中、次の瞬間には新たな戦火が上がるかもしれない。戦わずして勝つどころか、どこまで拡大するのかすら読めない状況が、ここに刻一刻と迫っていた。
第二十一章 ―夜襲の呼び声―
夜の帳が深く降りる頃、灰色の雲が空を覆いはじめ、ひんやりとした風が空港の滑走路跡を吹き抜けていた。やがて遠くで雷がかすかに光り、空は再び嵐の前触れを漂わせる。
辻政信と石原莞爾は、荒れた空港ターミナルの一角を「仮司令部」として今宵の作戦会議を始めていた。昼間に決定したとおり、謎の夜間離陸や外国勢力の裏工作を防ぐため、夜襲によって怪しい倉庫やターミナル内部を一斉検分する方針だ。すでに義勇兵や信頼できる自治会派メンバーが少人数ずつ散開しており、定刻になれば合図を出して一斉に動く手はずになっている。
「すべては、敵が本格的に“飛行機”を使う前に潰すためだ。もし滑走路を勝手に整備され、機体を持ち込まれたら手遅れになる」
そう言いながら、辻は地図の上の複数地点を指し示し、声を低くする。
「まず、旧貨物倉庫の周辺に怪しい動きがある。そこで部品や燃料を集め、夜中に滑走路へ搬入しようという目論みかもしれん。第二に、管制塔付近で複数の破壊工作が起きている――あそこを足がかりに、無線で外部と連絡している恐れがある。第三に、ターミナル地下。自治会派の一部が勝手に整理しているが、どうも様子がおかしい」
石原は懐中電灯を手にしながらうなずく。「我々は三手に分かれ、一斉に突入して“現行犯”を押さえる。もし外国勢力や国内の裏切り者が仕掛けているなら、今宵こそ決着をつけるんだ。昭和の悪夢を繰り返したくないが、背に腹は代えられない」
通信兵が合図を送ると、外で待機していた複数のチームが密かに行動を開始。空はすでに風が強く、時折、遠くで稲光が走る。雨は小降りだがいつ強まるか分からない。夜戦の苦い記憶が頭をよぎるが、躊躇していては“連中”が準備を整えてしまう。
1. 倉庫街の奇襲
最初の標的は空港の旧貨物倉庫。鉄骨が剥き出しになった薄暗い内部に、格子状の通路や荷物の搬入口が残されている。そこに怪しい積荷が隠されているとの通報があった。
辻が率いる小隊は懐中電灯を最小限にして外周を包囲し、一気に中へ突入。すると、コンテナ風の箱が並ぶ奥でガチャンと金属音が響き、何者かが慌ててドアを閉める気配がした。
「逃がすな!」
義勇兵が叫び、分隊が左右に散開。物陰から飛び出してきた数名が手に鉄パイプや拳銃を握り、威嚇射撃をしてくる。弾が鉄柱に当たり、火花が散る。まるで昭和の戦場で見た光景を再現するようだ。
辻は伏せながら指示を飛ばす。「撃ち方は慎重に! なるべく生け捕りにしろ、敵が何を狙っているのか聞き出すんだ」
しかし相手も必死だ。数発の銃声が倉庫内に響き、棚が崩れてガラスの破片が飛び散る。あちこちで激しい足音と金属の転げる音が交錯する。暗闇の中、義勇兵の一人が至近距離で相手を組み伏せようとし、もみ合いになる。
「くそっ……! 離せ!」
相手は外国語を口走っているのか? 辻が耳を澄ませるが聞き取れない。とにかく暴れる男を殴り倒し、そこに別の隊員が飛びかかって拘束する。
「落ち着け! 観念しろ!」
息を切らす辻の背後で、別の分隊が「箱を発見! 内部に金属部品らしきものがあります!」と声を上げる。ライトを照らせば、確かに航空機用と思しきパーツやケーブル、配線が並んでいる。加えて燃料缶のような物もあるが、中身は確認できない。
「これか……やはり奴らは小型機の離発着を狙っている!」
辻は思わず唇を噛む。どこから入手した燃料か。もしこれが他所の空港や外国から持ち込まれたなら、かなり大掛かりな作戦が裏にある。
2. 管制塔での激突
同時刻、石原莞爾が率いるチームは管制塔へ侵入。暗い階段を慎重に上がると、上層階から声が聞こえる。何者かが機器をいじっているらしい。
「上から光が漏れてる……!」
隊員の一人が囁くと、石原は手で合図を出す。すぐさま静かに駆け上がってドアを蹴り開ける。そこには、既に古い通信卓を改造しようとしている二人組の姿——反射的に相手が銃を構え、弾丸が壁を削る。石原たちも応戦し、短い銃撃音が塔内にこだます。
「やめろ! 抵抗すれば撃つぞ!」
石原が声を張り上げるが、相手は激しく抵抗。中には外国人らしい気配もある。古い管制機材が倒れ、ケーブルが絡み合って足元を邪魔する混戦だ。昭和の満州で経験した屋内戦を思い出させる。最終的に石原は背後に回り込もうとするが、狭い空間で激しく身をよじり合う形となり、一人が窓ガラスを突き破って落下しかける。
何とか相手の銃を奪い、もう一人は仲間が取り押さえ、床に這いつくばらせる。荒い息をつきながら石原は尋ねる。「お前たち、どこの指示でこんなことをしている?」
反応は罵声と息の切れた叫びだけ。日本語を理解していないのか、それとも口を割りたくないのか。とりあえず無線装置らしきものを押収し、館内の破壊や敵の増援がいないか確認する。
3. ターミナル地下の暗黒
さらに、義勇兵の別班が向かったターミナル地下でも衝突が起こる。自治会派が“整備”していると聞いていたが、実際には小部屋に怪しげな機材や薬品が並び、そこへ数人が入り込んでいた。
「こっちも銃声あり。連中が派手な抵抗してます!」という無線が飛び交い、あちこちで短いバースト射撃が響く。石原と辻はお互いの状況を把握する余裕もなく、自分のエリアでの制圧に全力を注ぐ。
結果、ターミナル地下でも数名を取り押さえ、彼らが“自治会派メンバーと会話していた”という証言が散見される。やはり内部協力者がいるのかもしれない。
4. 夜襲の結末
やがて夜明けが近づく頃、義勇兵たちは滑走路とターミナルをほぼ制圧し、急襲対象だった倉庫や管制塔の制圧にも成功する。一連の銃撃と乱闘で負傷者は出たものの、決定的な死者は避けられた模様だ。確保した容疑者は十数名にのぼり、日本人・外国人入り混じっている。
「これだけの人数があちこち潜んでいたのか……。連中、ちゃんと連携していたんだな。港湾を固めたからこそ、こっちへ回ってきたのかもしれん」
石原が言うと、辻は険しいまなざしで頷く。「ああ、まさしく昭和の拡大戦線を思い出させるが、これを放置すれば大惨事になっていたろう。何とか最悪を回避できたか……」
夜襲で押収された部品や燃料、通信機器はいずれも**“小型機の運用”**を想定していたものと推測される。密輸か脱出か、外国勢力の具体的な目的こそ不明だが、今後間違いなく別のルートを探るはず。
「すぐに自治会派や地方に通知して、“これだけの工作が実在した”事実を見せつけるんだ。ここを守らないと、国が更に食われる。そう言えば多少は協力してくれるかもしれない……」
辻は血や埃にまみれた姿で、捕虜や押収品をチェックしながら、心底疲れた表情を見せる。夜襲に成功したとはいえ、根本的な脅威が去ったわけではない。
5. 明け方の報酬
朝日が昇り、空気が白んできた頃、作戦班の幹部が駆け寄って一枚の書類を見せる。「奴らが持っていたメモに、“秘密飛行計画”らしき記述がありました。日時は今夜か明日、場所は確かにこの滑走路……」
さらに書類の余白には、**“第2プラン:○○飛行場”**という走り書きがある。つまり、ここでダメなら別の飛行場へ行こうとしている可能性も大。日本にはまだ小規模な飛行場やヘリポートが点在している。ひとつ守っても、敵は他を突いてくる。
石原が吐息をつく。「昭和の満州事変が小出しに続くような感覚だな。根を断てない限り、どこかでまた動かれる。ここを踏ん張るしかないが、いずれ戦線が増えれば破綻しかねない……」
辻は夜戦の疲労で目を赤くしながら、「分かっている。だが、我々が撤退すれば、あっという間に外国勢力が滑走路を制するだろう。港湾と同じく、ここで堪えるしかない」と言い切る。
夜襲は成功したものの、その先にあるのは“さらなる波”だ。まるで終わりのない連鎖を覚悟しなければならない状況——昭和での悪夢と何が違うのか、それを問いながらも今は止まれない。
6. 連携拡大、内なる綻び
日中、押収品の存在が公になり、自治会派や地方の人々は衝撃を受ける。「本当に空港を使おうとする外国勢力がいたのか!」「まさかこんな大規模に動いているとは……」と驚きの声が上がり、軍政局の危機警告が“嘘ではない”と認める空気が強まる。
それによって**「空港を軍政局と共同で管理すべき」と賛同する派閥**が増える一方、「だからといって軍政の拡大は怖い」と反発を強める意見もまた高まり、自治会派が内部で分裂しかねない危うさも見える。
無人となった倉庫街では、隊員が証拠品を撮影し、浸水箇所を修理する作業に忙殺される。落ち着く間もなく、地方から「他の飛行場も怪しい」との報告が入り、港湾からは「自治会派がまたゴタゴタしている」と連絡が飛び込む。
戦線拡大の危険と分かっていても、やはり放置はできない状況になりつつある。昭和の拡張路線が頭をかすめても、令和を超えた今の日本では逆の選択肢が見当たらない。
7. 見えないゴール
夜襲後のバタバタが一段落した夕方、辻と石原は空港ターミナルのロビーで一息ついていた。そこには荒れた床と割れた窓ガラス、廃棄された看板が散らばり、昭和の廃墟を彷彿とさせる寂れ具合。外では隊員が見回りを続け、漆黒の雲がまた空を覆い始めている。
石原がコーヒーの缶を渡して、「お互い、よく生き残ったな」と微笑む。「港湾から空港へと走り回って、まだ先があるかもしれないけど……」。
辻は缶を受け取り、苦く笑う。「昭和で戦場を渡り歩いたことを思えば、この程度……とも思うが、守る範囲が増えるたびに俺たちが消耗している事実は消えない。次はどこを狙われる?」
しばしの静寂がロビーを包む。外では風が鳴り、遠雷のような低い振動が微かに耳に届く。この国を支配しようなどとは思っていない。それでも、崩壊を阻止するには“支配”に近い形で各拠点を固めねばならない――そんな矛盾が、二人の心を締めつける。
8. 遠い点の光
夜になると、滑走路にわずかな照明を設置して周辺を警戒するが、大きな衝突は起きなかった。昨夜の夜襲でダメージを受けた敵が一時撤退したのか、別の動きに移ったのか不明だ。柴崎からは特に新情報はなく、自治会派内でも意見が真っ二つ。
朝方、少しだけ晴れ間が見え始めると、遠方の丘の上に車のヘッドライトが点滅している。まるで監視されているかのようだ。軍政局が空港を押さえる限り、外からの視線も絶えないだろう。
こうして荒れた空港に朝陽が差し込み、濡れたアスファルトが鈍く光を反射する。夜襲の余韻を背負いながら、昭和を超えた亡霊たちは**新たな“一日”**を迎えるのである。
最終章 ―そして大団円へ―
激闘と暗闘が続き、20XX年の日本は、いつ爆発してもおかしくない火薬庫を抱えながら、なおもかろうじて沈黙を保っていた。
――政府の崩壊。警察・自衛隊の機能停止。各地で広がる無法地帯と外国勢力の浸透。
そんな混迷のなか、辻政信と石原莞爾が率いる再興軍政局は、首都圏・港湾・空港など拠点ごとに警戒と復興を進めながら、“昭和の反省”を胸に、どうにか国内各地の連携を模索してきた。侵略や拡大ではなく、“守るための兵站と統制”を掲げ――その矛盾を抱えつつも、戦う以外に道はなかったのだ。
だが、勢力が広がるほど、昭和の悪夢「戦線拡大の果てに自壊する」危険も増している。外国勢力も国内の裏切り者もなお活発に暗躍し、いつまでも局地的な夜戦や謀略の連鎖が続くかに思えた。
しかし、幾度もの衝突を経て、あるとき辻と石原は「最後の大勝負」に出る決断を下す。これまで港湾や空港など、拠点ごとの対応で凌いできたが、結局は大本の問題――「国内をどうまとめ、外国勢力にどう対抗するか」――を一気に解決しなければ、破滅を先延ばしするだけだと痛感したのである。
1. 「東亜連合」構想の噂
ちょうどその頃、柴崎をはじめとする地方自警団や自治会派の中枢には、「東亜連合」という怪しげな単語が囁かれていた。ある外国企業が音頭を取り、崩壊した日本を新秩序の一部として取り込もうとする動きがあるとか。
たとえば、中国東北部やロシア極東、さらには東南アジアの民間軍事会社が結託して「戦後日本を再編する」計画を打ち出す可能性があり、既に一部の国内勢力が交渉をしているという噂である。――もしそんな同盟が組まれれば、外国勢力は堂々と日本の拠点を押さえ、国内の自治会や自警団の一部を傀儡として運営するかもしれない。
「昭和の満州国が“日本側の傀儡”と呼ばれたように、今度は“海外の傀儡”として日本が切り取られるかも……」
柴崎が苦い顔で辻や石原に情報をもたらす。どうやら、この動きは既に水面下で進んでおり、もし形になれば港湾や空港どころか全土が“連合統治”の名目で外国の支配を受ける可能性がある。――昭和と真逆の立場だが、結末は同じく悲惨。
軍政局がいくら局地で勝利しても、外から桁外れの数と資金を引っ提げた企業連合が来ればひとたまりもない。いよいよ最終決戦が近いのでは? そんな空気が国内にも漂いはじめる。
2. 軍政局の「大動員」と自治会派の苦悩
そこで、辻政信はかねてから準備していた策を打ち出す。「これまでバラバラの自治会派や地方自警団を、首都圏や港湾、空港と一体の“国内連合”に仕立て上げる。特に警戒拠点を繋ぐ高速道路や鉄道を確保し、“中央”と“地方”が互いに補完できる統制網を築く」という案だ。
昭和で言う“大本営指揮”に近いが、辻は強調する。「侵略ではない。あくまで外国の介入を止めるためだ。自治も認め、軍政局は必要最低限の統制を敷くだけ」と。とはいえ、その規模はもはや“全国統制”の色合いが強く、自治会派は警戒を露わにする。「結局、軍政が日本を支配するんじゃないか」と。
しかし、外から“東亜連合”が押し寄せれば、国内をまとめられないまま分断され、戦わずして従属を強いられる可能性が高い。そうなれば港湾や空港など、拠点防衛だけでは国全体を守れない、と納得する者が増え始める。
「昭和と違うのは、海外が侵略軍ではなく“企業連合”という形で来るかもしれない点。表向きは経済支援や秩序維持を唱え、実質的には日本を切り崩すだろう」
石原が各地の幹部に語りかけると、「外国頼みは確かに危険だ」「この国を俺たち自身で再生しなきゃならない」と同意する声が少しずつ増す。――**“守るための統制”**という大義が、ぎりぎりで人々を動かし始める。
3. 「夜戦」から「大集結」へ
一方、港湾と空港では散発的な衝突が続くが、軍政局が優勢なうちに厳格な検問を敷き、不審者や物資を押さえ込む力が高まっている。夜襲に成功したことで、大きな夜戦には発展せず、相手は一時的に沈黙している様子。
その隙を突いて、辻と石原は「全国から義勇兵やボランティアを集め、一度に大きな**“結束式”**を開き、そこに自治会派や地方の代表を集めよう」と提案。いわば、**軍政下での“国民会議”のような大イベントだ。
「ここで外国勢力の暗躍や『東亜連合』の危険性を明らかにし、国内が一致団結するしかないと宣言する。既にSNSやテレビは死んでるが、こうした生の集会で人々に実感を持ってもらうんだ。昭和の国民統合のように、プロパガンダに堕ちない“自発的結集”を目指す……」
石原が熱く語るが、実態は昭和の“挙国一致”**に近く、それを嫌う声も少なくない。とはいえ、他に妙案もなく、海外の介入が迫る以上、やむを得ないという空気が高まる。
4. 柴崎の忠告
そんな折、柴崎からも連絡が入る。
「お前ら、いよいよ大風呂敷を広げるらしいな。でも外国勢力は黙っていない。どこかで確実に妨害を仕掛けるだろう。せっかく結束式を開いても、血の惨事になれば台無しだぞ」
辻は反発を押さえ、「分かっているが、やらずに潰されるよりマシだ。お前がまだこっちの味方なら、協力してくれ」と頼む。柴崎は曖昧な笑みを浮かべ、
「俺は俺で、日本を守りたいだけさ。外国に売り渡すのはごめんだ。でもな、あんたら昭和の軍部と同じ末路にならないよう祈ってるよ……」
とだけ答え、姿を消す。
はたして本気で連合に加わる気なのか、それともまた別の野心か——今となっては、辻も確かめる術がない。
5. 結束式の前触れ
そして運命の日。荒廃した首都圏の一角にある広大な広場(かつてイベント会場として使われた場所)が急遽会場に選ばれ、軍政局と自治会派、地方の自警団、さらには農業団体、元警察・自衛官らが集結することに。
周囲はバリケードや仮設ゲートが並び、港湾要塞や空港からも警備要員が派遣され、まるで昭和の軍事パレードめいた雰囲気に。だが、表向きは“日本を守るための結束”と謳われ、各勢力が一堂に会する珍しい光景となる。
日が昇るにつれ、延々と人々が集まり、数千規模の群衆ができあがりつつある。鉄柵のそばには検問が敷かれ、義勇兵や自治会派が見張っているが、一部で揉め事や暴力も起き、緊迫感は消えない。
控室には、辻政信と石原莞爾が姿を見せ、久々に整えた背広姿で書類を確認している。昭和の軍装ではなく、あくまで“令和以降の政治会合”を意識した服装だ。お互い苦笑を交わしながら、「ここまで来たらやるしかない。敵も動くかもしれんが、勝負を賭けよう」と意を決する。
「この国がもう一度生き延びるには、昭和の独裁でもなく、外国に支配される道でもない、第三の選択肢しかないんだ……」
石原がそう言うと、辻もうなずく。「たとえ昭和の参謀と呼ばれようが、今は守らねば。覚悟を決めよう」
6. 集会の始まり
午前中、広場の簡易ステージに次々と有力者が登壇する。自治会派を代表するリーダー、地方の首長や農業団体の責任者、さらには軍政局からは辻政信と数名の幹部が姿を見せ、大きな拍手とざわめきが巻き起こる。
これだけ多種多様な人々が一堂に会するのは、事実上の政府消滅以来、初めての大規模集会かもしれない。皆それぞれ思惑や感情を抱えながら、遠巻きにステージを囲む。ここには不満や反対の視線も潜んでいるが、外国勢力への危機感が上回っているのだ。
司会役を買って出た自治会派の若者がマイクを通して「本日は、今の日本を守るための“結束”を皆さんで話し合いたい」と語り出し、拍手の中で辻と石原を紹介する。
会場からは「港湾と空港を抑えた奴らだ」「本当に昭和の亡霊らしいぞ」というささやきが飛び交うが、同時に「外国を食い止めたのは軍政局だろ」という賛同も聞こえ、やがて拍手が場を支配する。
7. 決意表明
辻政信は一歩前に出て、昭和で培った堂々たる口調で語り始める。
「皆さん、私は昭和を生き抜いた“亡霊”と呼ばれている。かつて大本営参謀として、多くの失敗をこの身に刻んだ。……だが、いまの日本は、あの頃とは違う形で滅びかけている。外国の企業やPMCがこの地を切り取り、自治会や農民が苦しむ姿を放置すれば、我々は歴史の底に沈むだけだ。
軍政局は確かに強い統制を使っている。反感を覚える者も多いだろう。だが、昭和の軍国主義を目指しているわけではない。私たちは“守るための兵站”を貫き、ここまで港湾や空港を守った。これからも各地を連携し、一つの“国内連合”を作りたいと願う。これは侵略でも独裁でもなく、我々が自らを救う唯一の道なんだ!」
会場がどよめき、拍手とヤジが入り混じる。周囲の警備兵が警戒し、トラブルを止めに入る場面もある。だが、少なくとも辻の言葉には、かつての昭和に培った迫力と説得力があり、多くの者が聞き入るように静かになっていく。
続いて石原莞爾がマイクを握り、より穏やかで理想主義的な口調で補足する。
「……私もまた昭和を知る者だ。あの時代、世界連邦論や最終戦争論を唱えながら結局、戦争を止められなかった。今度こそ、私たちは崩壊の縁にあるこの国を、外敵から守り、国内で無益な内戦をせずに再建する道を探したい。
港湾や空港を守ったのは、その第一歩にすぎない。皆さんの自治や自由を奪うのが目的ではない。どうか信じてほしい。外国に頼らず、私たち自身の手で平和と生活を取り戻すために、軍政局と自治会派、地方自警団が手を繋ぐ‘新しい形’を築こうではありませんか!」
拍手が広がり、しばらく抑えきれない熱気が続く。ここで、地方の首長や自治会派リーダーも次々に意見を述べ、先日の空港夜襲で押収された部品や燃料などがどれほど危険だったかを改めて報告する。「やはり外国の介入を止めるしかない!」という声が大きくなり、集会は一種の“国民決起”のような熱さを帯びていく。
8. 敵の妨害
しかし、そう簡単には進まない。ちょうど集会が盛り上がり始めたころ、会場後方で爆発音が轟き、人々が悲鳴を上げて散り散りに逃げ惑う。何者かが仕掛けた爆弾か、あるいはグレネード弾か——立ち上る黒煙と炎で後方のテントが吹き飛んでいる。
「しまった、やはり妨害が来たか!」
辻は即座に隊員に指示を出し、義勇兵が爆発現場へ駆け寄る。周囲は混乱し、悲鳴と土埃が渦巻く。ヤジや罵声を飛ばしながら逃げる住民も多く、ステージ上の自治会派リーダーも動揺を隠せない。
追い打ちをかけるように、銃声がピタピタと響き、会場脇の柵付近に数名の武装者が姿を見せる。**「軍政を潰せ!」「外国が救ってくれる!」**などと叫ぶ者もおり、彼らが外国語を混ぜているのが判別できる。どうやら裏で指示を受けた反対派かPMCか、少数精鋭でテロを仕掛けているようだ。
すぐに義勇兵と自治会派の警備班が反撃し、激しい銃撃戦が会場外周で起こる。ステージ上では、石原がマイクを握ったまま顔を強張らせ、「落ち着いて! 会場中央は安全だ。逃げずに伏せて!」と声を張り上げる。混乱は収まらないが、指示は一応通りはじめる。
「こんな集会でまで戦闘かよ……!」
辻は歯ぎしりしつつ、最前線の指揮を執るが、すでに爆発と銃撃で数名が負傷した模様だ。
9. 終わりなき混沌を越えて
数分ほどの激しい撃ち合いの末、武装勢力は車両で逃亡し、一部が捕縛される。爆発で炎上したテントも消火され、混乱が収まりつつある。住民の多くは恐怖で震えながらも、軍政局や自治会派が必死に収拾を図る姿を目撃し、ここを去らず見届ける者も少なくない。
ステージに戻った辻と石原が、呼吸を整えながらスピーチを再開する。
「……皆さん、見てのとおり、もう敵は堂々と妨害する段階に来ています。放っておけば日本全体が外国や無法者に乗っ取られ、あなた方の暮らしは二度と戻らない。
昭和の戦争から学んだ教訓を、今こそ活かさなければならない。侵略ではなく防衛、独裁ではなく共同統制――私たちはそのために“新しい連合”を作りたいんです! どうか力を貸してほしい!」
場内は一瞬沈黙し、やがて割れんばかりの拍手が起こる。一方、反対や疑念の視線も混ざるが、少なくとも大多数が爆発テロを目の当たりにして、「軍政局が脅威を煽っているわけではなかった」と悟ったのだ。
自治会派リーダーや地方首長も順番にマイクを握り、「いまこそ軍政との協調を強める。二度と外国に蹂躙されぬため、一時的に中央集権的な統制を認める」と発言する者が増える。昭和の大本営に近いが、今回は自分たちの意思で結束しようという建前が強い。そこに拍手と歓声が巻き起こり、辺りを埋め尽くす。
10. 大団円の行方
こうして、再興軍政局は国内各地の自治会派・自警団・地方自治体との正式な**「防衛連合」**を結成することに成功する。具体的には、港湾と空港を中核に、主要都市や農村部を連携ルートで繋ぐ計画を公表。外国企業との取引は軍政局が認可しなければ無効とし、違反者は共同で取り締まる方針を明確化。
テロを仕掛けた武装勢力も、捕縛されたメンバーから外国の資金提供を受けていたことが判明し、「やはり海外が裏で仕掛けていた」という事実が世間に知られ、世論は軍政局への支持を高める。もちろん、それを危険視する声もあるが、港湾や空港での実績が認められ、「二度の夜戦を乗り越えた彼らこそ必要」との流れが支配的になった。
昭和の亡霊たちがついに築こうとしているのは、軍政による統制経済でも独裁政治でもなく、「国民連合」を標榜する新たな形に近かった。過去の侵略失敗を反省しながら、崩壊国家を防ぐために必要な権限を手にしている——外から見れば**“現代版大本営”に見えようが、国内の切迫した危機感がそれを後押ししているのだ。
果たしてこれが本当の大団円**なのか、それとも一時的な“全体主義”への道なのか――その評は分かれる。ただ、少なくとも外国勢力が堂々と日本を食い物にする余地は狭まった。
11. エピローグ:昭和を超えて
結束式の後、港湾・空港・首都圏、さらに地方を繋ぐ連合が急速に形を取り始める。軍政局と自治会派の合同パトロールが各地で活発化し、外国からの違法輸送・PMCの潜入は徐々に抑えられていく。石原が描く「農産物の空輸」や「全国物流の効率化」も、少しずつ具体案が動き始め、昭和では成し得なかった“新たな社会のビジョン”がかいま見える。
もちろん、柴崎をはじめとする裏勢力や外国の妨害が消えるわけではなく、国内各地で散発的なテロや抵抗が続く。だが、今や軍政局と自治体連合が圧倒的主導権を握り、昭和のように泥沼に突き進むよりは、むしろ「守りの拡張」で各地を一つに束ねる状態が続くのだ。
辻政信はある日、浄化作戦の進む空港の管制塔に立ち、かつて激戦が繰り広げられた滑走路を見下ろす。そこには雑草を取り除き、アスファルトを修復する人々の姿があり、さらには小型ヘリの試験飛行に挑む整備士やパイロットらの姿も見える。
「昭和では考えられなかったな……。今度は俺たちが、侵略ではなく防衛と復興のために航空路を使うわけだ」
遠くで雑務をこなす石原莞爾を見つけると、辻は心の中で呟く。「あいつは理想家だが、最後にこうして形にしつつある。俺も鬼参謀と呼ばれたが、今回は鬼ではないかもしれない……」
港湾と空港、首都圏と地方――それらを繋ぐ“国内連合”がようやく骨格を成し、外国が根を張る前に一定の態勢を築き始めたのは、まさにこの結束式以降のことだった。数ヵ月後には、新たな“暫定中央機構”の発足が宣言され、軍政局と自治体リーダーが共同統治する形が定められる。国民の中には「これで本当に自由が戻るのか?」と疑念もあるが、少なくとも崩壊の淵からは遠ざかったと感じる者が多い。
大団円、そして核心へ
こうして、昭和の亡霊である辻政信と石原莞爾が、20XX年の日本を救うために躍起になり、最終的に“国内連合”の確立と外国勢力の封じ込めに成功する形で物語は大団円を迎える。
もちろん、その後も課題は山積みだ。軍政下の強権がどこまで拡大するか、海外との外交をどう再開するか、自由や人権をどう保障するか――どれも難題だが、とりあえず財政破綻による無政府状態は脱しつつあり、少なくとも再興軍政局が確立した流通と警戒網が国民を飢えと暴力から守っている。
しかし、辻と石原は安堵の笑みを浮かべることはない。昭和の戦争で学んだ教訓がある以上、“拡大しすぎればいつか歪みが爆発する”と分かっている。
「この先、本当に平和と民主の両立が可能か、外からの攻撃を防ぎきれるのか……。俺たちの挑戦は終わらんさ」
辻が石原にぼそりと語りかける。
石原は穏やかに頷く。「昭和の失敗を思えば、いまはまだ小さな成功だ。けれど“戦わずして勝つ”理念に近づけたなら、先に希望がある。いつの日か、本当に兵を必要としない日本を実現できるかもしれない」
周囲では、自治会派のメンバーや農家の若者が笑顔で「次の農地回復作業も手伝ってくれますか?」と義勇兵に声をかけ、空港の滑走路の傍では整備士たちが「小型機を修理できれば医薬品の空輸も可能だ」などと未来を語っている。わずかながら人々の顔に生きる希望が垣間見える。
それは昭和の荒野とは違う、令和を超えた時代の新たな再生の芽生えかもしれない。
こうして物語は大団円へ至る。
財政破綻で秩序崩壊した日本に、再興軍政局という“昭和の亡霊”が降り立ち、様々な矛盾と血戦を経て“新たな国内連合”を打ち立てるに至った。海外からの挑戦も続くだろうが、ひとまず“大崩壊”の流れは止められたかに見える。
昭和の失敗をどう乗り越えるか、令和以降の日本をどう再生するか――この結末が本当の終わりではなく、むしろ始まりなのかもしれない。だが、少なくとも今は、一旦の決着がついたと言えよう。
爆発と銃声が絶えなかった国土には、久々に安らかな朝が訪れ、あちこちで笑い声や作業音が響き始めている。かつて昭和の敗戦で焼け野原から復興したように、いま再び日本は自らの手で立ち上がらんとしている。
昭和の亡霊はもう消え去ったわけではない。辻と石原は今も国内を奔走し、各拠点の安全確認や海外との折衝に走り回っている。彼らの背中に巣食う戦争の影はずっと消えぬだろう。しかし、その影を知るからこそ、多くの命を守るために彼らは走り続ける。
「侵略」ではなく「防衛」を掲げ、“理想”でなく“現実”を軸に――それが昭和の反省を踏まえた彼らの結論だ。
雨上がりの空港滑走路に一筋の虹がかかる。鉄条網の向こうでは、農家たちがトラックに野菜を積み込み、遠くの空から小さなヘリの羽音が微かに近づく音がする。
**“もう戦わずに済む日”**はいつになるか分からない。それでも、この日本がすべて崩壊することを防ぎ、“希望”を繋げたという事実に、大きな意味がある。昭和の喪失を繰り返さぬよう、令和を超えたこの国で、人々はまた一歩を踏みしめていくのだ。
大団円、ここに至る。
辻政信と石原莞爾の「転生譚」は、確かに波乱と血を伴った。だが、その結末は、崩壊国家を再興し得るだけの結束を生み、理想にも似た秩序の萌芽を残す形となった。昭和の負債を抱え、令和後の混沌を生き抜く人々が、再び立ち上がる舞台が整いつつある。
――これこそ、血と涙を経た「大団円」。しかし、真の戦いは続くだろう。いつかこの地に、完全なる平和と自由が根付くことを信じて、昭和の亡霊たちは静かに姿を消し、新たな時代へと歩みを進めるのである。