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四畳半の無限


四畳半の無限

RC(鉄筋コンクリート)造の小さなマンション。
玄関の扉を開けると、わずか四畳半しかない空間が広がっている。
真新しいドラム式洗濯機がやや存在感を放つほか、持ち物といえばスマホ、ノートPC、サイフ、鍵、そしてマルチツール。
家具はほとんどなく、3点ユニットバスの扉もすぐ脇に見える。
足の踏み場には余裕があるような、ないような――けれど、その狭さの中に不思議と“無限”が広がっていた。

朝の光

東向きの窓から差し込む朝の光が薄暗い室内に届くと、四畳半の空気が柔らかく動き出す。
外の世界の気配を感じながら、スマホでニュースに目を通す。たったこれだけの行為が、何もない部屋の壁を超えて、新しい一日の始まりを告げてくれる。

図書館へ向かう

ふと思い立ってノートPCを肩掛けバッグに入れ、鍵を手にして部屋を出る。
「今日は図書館へ行こう」
四畳半での暮らしは、外の空間と常に地続きだ。大きな机がなくても、雑多な本棚がなくても、広い知の世界はすぐそばにある。

玄関の扉を閉めると、ひんやりとしたマンションの廊下に足音が響く。鉄筋コンクリート特有の反響は、まるで自分の意識を外へ押し出す合図のようでもある。エレベーターを降り、建物の入口を抜けると、街の空気が一気に広がった。

朝のピークを過ぎた通りを歩きながら、人々の足取りや声、車のエンジン音などを耳にする。
どこかに花壇でもあるのか、風に乗ってかすかに花の香りが漂ってきた。
コンビニの前を通り過ぎると、豆を挽く匂いがふっと鼻孔をくすぐる。そこには生活が詰まっている。
四畳半にはない、色彩や香りや音の多層的な世界を感じるたび、部屋の狭さはまったく苦にならなくなるどころか、むしろ“出かける”楽しみを深くしてくれる。

図書館の静かな世界

数分も歩かないうちに、煉瓦調の小さな図書館に到着する。
図書館は、静かな空気に満たされた別世界だ。入り口の自動ドアが開くと、かすかに空調の音が耳に入り、涼やかな風が頬を撫でる。
四畳半でぎゅっと凝縮されていた感覚が、ここでは本の背表紙が並ぶ視界の広がりとともに解放されていく。

奥の閲覧スペースには大きな机があり、柔らかな照明が落ち着いた雰囲気を演出している。
ノートPCを開き、ネットで調べ物をしながら、脇には読みたい本を数冊積んでおく。分厚い専門書から小説まで、ここには手に取れる知識や物語が果てしなく並んでいる。まるで四畳半とは別の“拡張現実”のようだ。
とはいえ、部屋に戻れば“無限”の感覚がまた待っている。その両方が同時に存在していることが、何とも心強い。

ふと視線を上げると、窓の外に緑が揺れているのが見えた。
街路樹の葉っぱが風にざわめき、静かな図書館の空気をわずかに震わせているように思える。
遠くからは子どものはしゃぐ声が聞こえ、すぐ脇の本棚を横切る人の足音が小さく響く。
音は少ないが、その少なさがかえって世界を際立たせている。

四畳半への回帰

読みたい本を一冊借りて、図書館を後にした。
外に出ると、さっきまでの静謐さとは打って変わって、少し湿り気を含んだ爽やかな風が頬を撫でる。
辺りを見回せば、太陽は南の空に高く昇っていて、白い雲がのんびりと流れていく。
少し遠回りして、緑の多い裏道を通って帰ろうか。そう思わせるほどの心地よい風だった。

歩きながら借りた本の表紙を眺める。帰ったらドラム式洗濯機を回しながら、四畳半の床にクッションでも敷いて読書しよう。
なにもない空間ゆえに、そこに一冊の本があるだけでその世界が大きく広がる――その贅沢に、ふと胸が満たされる感覚があった。

マンションの階段を上り、部屋の鍵を開ける。四畳半に足を踏み入れると、窓から入る光が部屋の隅を柔らかく照らしていた。
外でさまざまな気配に触れてきたせいか、この何もない空間がより落ち着きを増しているように思える。

バッグから本を取り出し、ちょっとしたマットを敷いて床に腰を下ろす。ドラム式洗濯機のスイッチを入れれば、ゆるやかな回転音が部屋を満たし始める。
この小さな世界に、ほんのひととき本の物語が広がるのだ――その想像だけで心が弾んだ。

最後に

ドアを開け放つと、先ほど感じたのと同じ爽やかな風がひゅう、と四畳半に吹き抜けていく。
柔らかい日差しと、一瞬の涼やかな空気。
外の喧噪が遠くに溶けていく中で、四畳半という“小宇宙”が自分を迎え入れる。
外へ出れば世界は広大に広がり、部屋に戻れば心の核が生まれる。
そんな行き来を繰り返すうちに、気づけば“四畳半の無限”は、もう生活の一部として心に根づいていた。

その余韻を感じながら、軽く閉めたドアの向こうには、まだ優しい風が通り過ぎているように思えた。

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