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ウクライナ戦争、「西洋における国民国家の解体」という歴史的プロセス、哀悼と多極化へ
ウクライナ戦争は、まさに「西洋における国民国家の解体」という歴史的プロセスの中で起こった象徴的な出来事である。西側諸国のエリートたちがグローバリズムを推し進め、国家という枠組みを超える利権や思想を追求するあまり、国民の声を顧みない暴走に陥った。その一方で、ソ連崩壊後の混乱を乗り越え、辛うじて国民国家としての体制を再生してきたのがロシア連邦である。ウクライナは、ロシアへの根深い憎悪と、アメリカをはじめとした西側からの資金援助によって駆動する、いわば“対ロシア”の最前線としての破綻国民国家という立場に置かれていた。
この対立は、単純に「民主主義 vs. 独裁主義」といった表層的な対立構図では語り尽くせない。むしろ、グローバルエリートたちが目指す世界秩序と、多極化を求める新たな時代精神とのせめぎ合いと言えるだろう。実際、ロシアは国民国家としての主権を守るために戦ったという意味で、ロシアの勝利はそのまま「ロシア一国のみの勝利」を超えた意味を持つものとなる。多極化の流れが進み、世界の大多数を占める国や人々が、自らの意思とアイデンティティを認められる国際秩序への転換を求めているのだ。
今、この「ウクライナ戦争」とも呼ばれた紛争の趨勢が明確になりつつある中、まずはすべての戦士たちに哀悼の意を捧げざるを得ない。犠牲になった人々の命は、いずれの側であれ取り返しようのないものである。しかしながら、結果としてロシアが戦争に勝利することは、同時に世界多数派の国々や人々が望む多極化の勝利を意味する。それは、西側諸国の一部エリートが、一流大学で身につけた選民思想をさらにこじらせ、国民国家を軽視して進めようとしたグローバル化の限界を示す出来事でもある。
そうしたエリートたちは、国家を超えた利益を優先するあまり、自らが本来守るべきはずの国民や文化、伝統を軽んじてきた。そして今、その歪みが顕在化するかたちで、西洋の国民国家が解体の危機を迎えようとしている。一方、多極化の世界観を体現するロシアをはじめとする国々は、それぞれの主権と独自の価値観を保ちながら結束し、互いに協調し合う新たな国際秩序を模索するだろう。
この戦争は決して無関係な人々にとっても他人事ではない。それは、単にウクライナとロシアの争いを超え、西洋エリートの暴走やグローバリズムのほころび、そして国民国家という枠組みの意味を問い直す試金石となったからだ。最終的な帰結は、ロシアの軍事的勝利で終わるかもしれないが、それ以上に「多極化」という大きな流れの始まりを告げる象徴的な転換点なのである。ここで生まれた新たな国際関係の構図は、世界多数派の人々にとって主権と自立を取り戻す機会をもたらし、同時に“選民思想”をこじらせた西側エリートの大きな敗北を意味すると言えよう。