農耕、身分、伝統宗教はセットである、人類は生業で思想が変わる
農耕、身分、伝統宗教はセットである。
人類は生業で思想が変わる。
農耕とは多様な植物が生えている土地に対して特定の種子を生やす植物のみを栽培する技術である。
結果人類は農耕以前は不安定ではあったが多様な食事をしていたが、肉体の構造に合わない重労働と不健康な炭水化物の多い食事をする羽目になった。
それに土地にも縛り付けられる。
しかし、農耕以前には戻れない。
何故ならば狩猟や簡素な農耕で養える人数以上に増えてしまったから。
農耕の問題点は以下であるように感じる。
.貯めた食料は略奪部族に狙われる、また浪費しないように管理する必要もある。
種籾は死守する必要がある。
.農地の境界、水で争いが起きる。この仲裁で王権が発生し身分制度も発生し人等の自由が奪われる。
.最大の暗部である非人間的である奴隷制度、これは農耕社会である限り避けがたい実態であるように思う。
しかし、奴隷の使役管理も楽ではなく、奴隷も最低限安定した食物は手に入る。
ここに主人と奴隷の共依存があると思っている。
狩猟採集、部族社会に比べて農耕は大変に魅力があったが個人に多大なストレスがかかりその解消、代償が宗教であるように思うね。
西欧キリスト教から産業社会が発展してきたが、獲得出来る資源エネルギーが農耕してより圧倒的に増えてしまったので宗教色が薄れてきた。
日本中華圏はキリスト教社会ではないが技術模倣で脱農耕化すら果たした。
人類はエネルギー、資源獲得をする生業次第で思想が変わる。
それでもかみさまは意味があると思う。