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東欧、ロシア連邦、戦後日本はソビエトの子孫である、そして近親憎悪。

以下では、東欧や日本が抱えるロシア連邦への憎悪を、歴史的・地政学的背景からひもときながら、さらに満州国時代の計画経済や戦後日本の高度成長政策とのつながりを深掘りする。最終的には、ロシアへの憎悪が「巨大な近親憎悪」として機能している可能性を論じてみたい。

1. 東欧が抱えるロシア(ソビエト)への複雑な評価

1-1. 圧政の記憶と成長基盤の提供

東欧諸国は第二次世界大戦後、ソビエト連邦の強い支配下に置かれた。これは政治的には圧政であり、自由を奪われた苦い歴史として記憶されている。一方で、識字率や基礎教育の整備、また重工業分野などの急速な工業化という側面は、ソビエトの大規模な国家主導型開発政策から多大な影響を受けている。ソビエトの「五カ年計画」を部分的に継承したシステムが東欧各国の産業構造やインフラの礎となり、結果的に今日の成長基盤を形づくった面も無視できない。

1-2. 誇張される“巨大ロシア”像

冷戦期の西側メディアによるプロパガンダや、自国民が実際に被った被害の記憶によって、東欧諸国の人々はロシア(旧ソ連)を「巨大で脅威的な存在」として捉える傾向が根付いている。たしかにソビエト連邦は軍事的・政治的に超大国であったが、ソ連崩壊後のロシア連邦は急速な人口減少と経済格差に苦しみ、もはやかつてのような全面的覇権は維持できない。それでもなお、集団意識の中には「ロシア=恐るべき圧政者」というステレオタイプが強く残り続けている。

2. 日本が抱えるロシア憎悪の根源

2-1. 地理的・歴史的な圧迫感

日本は島国でありながら、北方に位置するロシア(かつてのソビエト)の存在を常に警戒してきた。日露戦争や第二次大戦末期の対日参戦、さらには北方領土問題を通じて、「大国ロシアが一方的に侵攻してくる」という認識が形成され、メディア報道もその固定観念を強化してきた。実際にはロシアの人口は広大な国土に対して少なく、その多くが首都圏や都市部に偏っており、いわゆる“過疎の国”の様相を呈している部分も大きい。だが、日本の集団意識においては、依然として「脅威的な大国」というイメージが拭えない。

2-2. 満州国での計画経済実験と戦後日本への継承

日本とソ連(ロシア)の関係を捉えるうえで看過できないのが、満州国における計画経済の試みである。満州国は日本の傀儡国家ではあったが、同時に国家主導型の経済開発が進められた“実験場”でもあった。ここには岸信介をはじめとする革新官僚が携わり、農工業の総合開発やインフラ整備など、大規模な官僚主導型経済の基礎が築かれた。その背後には、当時世界恐慌の影響を受けず急速に重工業化を進めたソビエト連邦の五カ年計画にも通じる「統制経済」的発想が存在した。

戦後日本が高度成長を成し遂げるにあたり、こうした官僚主導の計画性や管理手法は一部継承された。西側陣営の自由主義経済の一角を担うように見えつつも、産業政策や金融行政を通して政府が重厚長大産業の選別や育成に積極的に関与した事実は、ソビエト式計画経済を“間接的に借用”した面があるとも言える。ところが、日本の歴史叙述では「自由主義陣営の優等生」というイメージが強調されるため、ソビエト的管理手法の影響については意識的に封印されがちだ。

3. “巨大な近親憎悪”としてのロシア憎悪

3-1. 類似性ゆえの拒絶

人間関係において、自分と似た性質を持つ相手ほど激しく嫌悪する「近親憎悪」という心理現象がある。同様に、日本はソビエトの計画経済モデルを(意図せずとも)取り入れつつ高度成長を実現してきたが、それを公に認めづらいという複雑な事情がある。結果として、表面では「自由主義 vs. 共産主義」という対立構造を強調し、ロシア(旧ソ連)を強く拒絶する態度を示すことで、似通った部分の存在をよりいっそう隠蔽しようとしているかのようにも見える。

3-2. 過大評価された脅威像と歴史トラウマ

ロシア連邦の現実的な国力低下や過疎化は、一部の専門家を除けば一般にはあまり知られていない。むしろ、「裏切り者としてのソ連」や「北方領土を占拠するロシア」という否定的なイメージがメディアを通じて増幅され、結果的に“大国ロシア”という虚像が保持されている。こうした先入観は、戦中・戦後の痛ましい記憶(シベリア抑留など)や領土交渉の難航を背景に、一種の被害者意識として国民感情に根づく。そこに「実は日本の経済政策がソ連型計画経済と一部親和性があった」という事実が加わると、当時の革新官僚たちが模索した多面的な思潮がすり替えられ、「あちらは敵」としてのみ認識したほうが都合がよくなってしまう。

4. 結論:東欧・日本のロシア憎悪に潜む“内なるソビエト”

東欧においては、ソビエト支配の圧制と同時に、教育やインフラ整備という基盤の恩恵を受けたという相反する要素が混在し、複雑な感情を呼び起こしている。一方、日本は北方領土問題や満州の崩壊で大きな打撃を受けつつも、計画経済の一部発想を満州国から戦後政策に引き継ぐという側面があった。表向き「自由主義の成功例」としてアメリカ寄りの姿勢を取りながらも、実はソビエト型の国家管理のノウハウを間接的に取り込んだという背景があるからこそ、ロシアへの憎悪は単なる歴史的対立を超えた“近親憎悪”の色彩を帯びていると言えるだろう。

実際のところ、ロシア連邦はかつてのソ連のような“超大国”ではなく、人口減少や産業の偏りなど数多くの課題を抱える国に変貌している。それでもなお、「強大で恐るべきロシア」というイメージが消えないのは、歴史的トラウマと共に、かつてのソビエト要素を部分的に引き継ぎながらもそれを表立って認められない日本や東欧の複雑な心理が投影されているからではないだろうか。裏返せば、ロシア憎悪の根底には、自分たちが無意識に取り込んだ“内なるソビエト”を否定したいというジレンマが潜んでいるのかもしれない。

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