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世直し下痢便ドローン

 日本の政治史に、これほど奇妙で不可解な一幕があっただろうか。国会が開かれるたび、あるいは何らかの重要法案が採決されるたびに、突如として現れる小型ドローン。そしてドローンから噴射されるのは、見るだけで吐き気を催すような悪臭を放つ下痢便――。それはまるで、国民が抱える鬱屈した思いを、物理的にしかも激しくぶつける行為のようにも見えた。

 当初は悪質なイタズラか、新手のテロリズムか、と警察庁や防衛省までが色めき立った。しかし、調査を進めるほどに分からないことばかりが増えていく。ドローンの機体に独自の通信方式が使用されているらしいことや、何者かが緻密な計画のもとで一瞬にして実行・撤収しているらしいことは断片的に判明したが、決定的な手がかりは皆無。目撃証言はあれど、その場にいた人間は「臭いで何も考えられなかった」「いつの間にか消えていた」と口をそろえ、誰も犯人の姿も操縦者の気配すらも掴めていない。
 中でも際立っていたのが、そのドローンが発生するタイミングだった。必ずといっていいほど「国民に不利な法案」が国会で可決された、まさにそのときに合わせて現れる。例えば、消費税増税の強行採決が決まった翌朝には、国会議事堂の正面入り口が下痢便まみれに。続けて、教育現場の予算削減案が通ったときには文部科学省が、環境規制の緩和案が可決されたら環境省が――まるで、通した法案の“的”がどこなのかを理解しているかのように、ピンポイントで狙われるのだ。
 そんな中で、特に強い反発を呼んでいたのが「福祉・医療の見直しをせず、社会保障料ばかりを安易に増額する」新法案の審議だった。高齢化社会を迎える日本において、国民がもっとも切実に求めているのは安定した医療体制と手厚い福祉の充実だ。ところが政府は、具体的な制度改革や再配分の検討を後回しにし、まずは財源を確保するためだと称して社会保険料・年金保険料などの引き上げに踏み切った。景気が停滞し、賃金も伸び悩む国民からすれば、負担だけが増えていくのは納得がいかない。

 国会周辺では、こうした政府の動きに抗議するデモが起きていた。しかし、近年は大規模デモ自体への規制も強まり、参加者は以前に比べて大きく減少している。メディアもデモを大々的には扱わず、ささやかな記事で終わらせる。日常の忙しさや先行き不安から、結局多くの人々は「またか」とテレビやネットニュースを眺めるだけで、深く声を上げようとはしなかった。
 ところが、いざ国会本会議で「社会保障料の大幅引き上げ法案」が可決されると、あの下痢便ドローンが再び姿を見せる。しかも、今回はいつも以上に大量だ。まるで噴水が如く、複数台が一斉に省庁周辺を飛び回り、茶褐色の液体をあちらこちらにまき散らしていく。国会議事堂の正面口、裏門、衆議院・参議院の議員会館前はもちろん、厚生労働省や財務省の敷地内にまで容赦なく降り注ぐ。まもなく警備員たちが防護服を着て対応するが、あまりに数が多すぎて手に負えない。遠くから眺める人々は思わず息を呑む光景だった。

 その被害はすさまじい。窓ガラスや壁面についた汚物の洗浄に膨大な費用がかかるだけでなく、庁舎内にまで侵入した液体の清掃が必要となり、役所の業務は麻痺する。しかも悪臭がしばらく残るため、庁舎周辺の空気がどこか淀んだような雰囲気になる。一部の国民からは「それくらい徹底的にやらないと政府は目を覚まさない」といった声や、逆に「不衛生だし、やりすぎだ」といった批判も上がり、SNS上では賛否入り乱れた。
 警察庁は対策本部を強化し、ドローンを撃ち落とすための特殊ネット砲や電波妨害システムを導入するが、犯行を阻止できない。今や国会敷地内は、あらゆる角度に監視カメラとセンサーを張り巡らせているにもかかわらず、下痢便ドローンは防御をかいくぐってやってくる。犯人側も最新の技術を駆使しているらしく、機体には不可解なステルス機能が搭載されているとの観測もあった。周波数を撹乱する技術も日進月歩で、政府の技術チームが「次こそは検出できるはずだ」と息巻いても、次の襲来でまたしても封じられてしまうのが常だった。

 この過激な行為に関して、世論は「やり方が極端」「政治家へアピールするには効果的」「テロ行為として法で厳しく罰すべき」など、さまざまな意見を噴出させる。しかし、一方で無視できないのは、これら一連のドローン攻撃を奇妙にも“支持”する層が一定数存在する事実だ。というのも、あまりに一方的な法案の強行採決が続き、しかも今回は福祉や医療制度の見直しをほとんどせずに社会保険料だけをいきなり増額してくる政府に対して、多くの国民が強い不満を抱いていたのだ。「声を上げてもどうせ届かない」「投票しても変わらない」と半ば諦観していた人たちが、下痢便ドローンの存在を“代弁者”のように感じ始めてしまっている。

 当然、政府は「テロに屈しない」と強気の姿勢を取る。一方で、事態が深刻化していくにつれ、防ぎきれない無力感と世論の批判が重なり、内閣支持率は急落する。会見に出席した内閣官房長官は、険しい表情で次のように語った。
「このような悪質な妨害行為は断固許されません。早期検挙に向けて全力を挙げてまいります。国民の皆様に不安を与えていることを非常に重く受け止め、治安維持に万全を期す所存です」
 しかし、その言葉がどれほどの説得力を持つものか、疑問に思う国民は多かった。むしろ「不安を与えているのは、本当にドローンなのか?」「下痢便まみれにされても強行的な増額を止めない政府の方が不安を与えているのではないか?」と揶揄する声が上がるほどだ。

 いよいよ政府は、社会保障の問題に正面から取り組む気配を見せず、さらに別の増税案や規制緩和を強行しようとする。すると次第に下痢便ドローンの出現頻度は激しさを増し、ついにはドローンが集団で突如として現れる“大襲来”のごとき事態に発展した。まさに蜂の大群が飛来するかのように、小型から中型まで何十台ものドローンが省庁や国会を取り囲み、一斉に悪臭を放つ液体を噴射していく。その日、財務省はもちろん、首相官邸ですら壁面から内部の廊下まで、まっ茶色に染め上げられた。国会議事堂内は厳戒態勢のまま一時封鎖となり、議員たちは動揺を隠せない。

 この前代未聞の事態を受けて、与党内でもさすがに危機感が高まる。「これ以上、国民の怒りを買うような政策を乱暴に進めれば、ドローン攻撃がエスカレートして手がつけられなくなる」という切迫した空気が流れた。政治家は“自分たちの安全”が脅かされる事態に直面して、ようやく重い腰を上げ始めたのだ。
 そこで各党の幹部や有力議員たちが集まり、あわてて協議を始める。国民の生活を脅かす法案の強行は避けよう、社会保障や医療制度に関して改めて実態を検証し、より国民の負担を減らす方向性を模索しよう――といった議論が表立って聞こえるようになった。ここにきてようやく、これまで形骸化していた与野党協議も活発化し、世論の声をある程度くみ取る姿勢が示されはじめたのだ。

 ところが、である。政治に詳しいジャーナリストたちは口を揃えて言う。「そもそも、なぜこんな局面になるまで放置していたのか」と。かつて、政府は福祉や医療の専門家からの建言を無視して、場当たり的に保険料を引き上げただけだった。超高齢化社会において、どのように医療を支え、介護や年金制度を持続可能にするかの大枠をきちんと示すことが急務だったはずなのに、それを先送りにしてきたツケが今まさに噴出している。その結果、経済的に厳しい立場に置かれている国民は切り捨てられ、余裕のある層だけが生き延びる格差社会が拡大。そうした不満や不安が“何か”を引き寄せ、ドローンによる下痢便攻撃という極端な形で表面化したのではないか――そう分析されていた。

 下痢便ドローンが登場してから、警察庁は無数の捜査線を引いた。ハッカーグループやテロ組織との関係、あるいは特定の政治勢力の陰謀説まで洗ったが、決定的な証拠は何ひとつ挙がらない。SNSを監視し、ドローン販売会社やパーツの流通経路も徹底的に調べたが、関連を示すデータは一切なかった。誰もが想像を絶する手際で犯行が行われ、しかもその狙いは極めて一貫している――「国民に負担を押し付ける法案」が通るたびに反応するのだ。
 日々、下痢便まみれの省庁や国会の映像がテレビやネットを賑わし、海外メディアからも「日本の政治がクソまみれにされている」と揶揄される始末。既存の手段では食い止めることができず、政府は恥をかき続けた。

 やがて、こうしたドローン攻撃を“呼び込む”ような国民不在の政治運営が改めて厳しく糾弾されるようになり、与党は方針転換を余儀なくされる。とくに社会保障の問題については、さまざまな検討会が急ピッチで立ち上がった。医療現場の負担軽減や介護制度の再検討、年金財政の透明化など、長い間タブー視されてきた課題にも踏み込み始める。もちろん、それが一夜にして解決できるほど簡単なテーマではない。しかし、少なくとも「増額だけでごまかす」という安易な方策からは離れざるを得なくなったのだ。

 不思議なことに、そうした政治の方向性が少しずつ「国民本位の改革」に向かい始めると、下痢便ドローンの来襲回数は徐々に減っていった。最初は、「どうせ油断させておいて、また増額法案を通した途端に一斉攻撃されるんじゃないか」と身構える議員や官僚も多かった。しかし、社会保障関連の公聴会が次々に開かれ、専門家や一般市民の意見が取り込まれはじめるにつれ、ドローンの来襲はぱったりと鳴りを潜めていったのだ。
 防護体制はむしろ以前より強化され、上空監視網も倍増していた。それでも、どこからかすり抜けてくる可能性は否定できず、当初は皆がピリピリしていた。が、拍子抜けするほどに何も起こらない日が続き、気がつけば下痢便ドローンはまったく姿を見せなくなった。

 下痢便ドローンの消滅――その瞬間を正確に捉えた者はいない。メディアは「ついに政府の厳戒態勢が奏功したか?」と伝えたが、同時に「政治の姿勢が変わったことで、犯行側も役目を終えたのでは」と推測する声も上がった。いずれにせよ、長らく政権を苦しめた“汚物攻撃”は幕を閉じたかのように見える。

 その後、政治は大きな過渡期を迎える。新たに発足した内閣は、少なくとも表向きには「国民一人ひとりの生活を守る政治を最優先する」と明言し、医療制度改革や高齢者福祉の充実に取り組む姿勢を強調した。もちろん、実際にどこまで実行力を伴うかは未知数だが、以前のような国会での強行採決はめっきり減り、与党と野党が激しくやり合いながらも合意点を探る場面が増えてきた。少なくとも、かつての「数の力で押し切ればいい」という雰囲気は薄れ、政治家もメディアも、慎重に国民の目を意識せざるを得なくなったのだ。

 それでも多くの国民は忘れてはいない。ほんの少し前までは、福祉も医療もおざなりにされ、一方的な社会保障料の引き上げだけが決まっていたという現実を。あのとき突如として登場したドローンは、間違いなく社会の閉塞感を破る“衝撃”をもたらした。恐怖心や不快感を抱かせるテロ行為とも言えるが、同時に「このままではいけない」という国民の鬱屈が凝縮された象徴のようにも思えた。

 「あのドローンが誰の手によって操られ、どのように飛んできたのか、結局わからずじまいだったね」
 そんな風に人々は時折思い出したように語り合う。真相は藪の中だ。警察庁は捜査を継続中と公言しているものの、事件性を示す決定打がなく、“下痢便ドローン”は実体のない都市伝説へと変わりつつある。かつての国会周辺を覆った悪臭や、茶色に染め上げられた壁の痕跡は、徹底的な洗浄と修復工事によって今はすっかり消え去っている。
 しかし、あの忌まわしい光景とともに、社会に突きつけられた「国民をないがしろにする政治への警鐘」は決して色褪せない。政治家たちも官僚も、自分たちの政策がどれほど国民を苦しめているのかを、少しだけ真剣に考えざるを得なくなった。もし再び傲慢な政治がまかり通るようになれば、いつまたあのドローンが空を舞い、激しい怒りをまき散らすかもしれない――その恐怖が一部の良識派を後押ししているのだ。

 季節は巡り、新政権が掲げる社会保障改革はまだ道半ばではあるものの、小さな改善の兆しも見え始めている。医療費の自己負担軽減、介護保険料の見直し、財源確保のための富裕層への課税強化など、ようやく本格的な議論が形になりつつある。国民にとっては、ほんの少しだけど息がつけるようになった気もするし、またいつ裏切られるかわからないという疑念も拭いきれない。
 どこかで「どうせ政治家なんて、選挙が終われば知らんふりするんだ」と呟く声がある一方で、「いや、今回こそは変わるかもしれない」と淡い希望を語る人もいる。

 夜になると、国会議事堂や官公庁の建物はライトアップされ、以前と変わらない重厚な姿を闇の中に浮かび上がらせる。あのときの混乱と悪臭の記憶は、まるで何事もなかったかのように消されている。けれど、つい数年前にそこが“下痢便”の雨に晒され、全国から呆れと怒り、そしてある種の共感が集まっていた事実は揺るぎない。
 遠目に見れば、ただの平穏な夜景だ。だが、その闇を見つめる人々の想像力のなかでは、いまだに小さなドローンが音もなく飛び交っているかもしれない。あるいは再び背後から忍び寄り、頑迷な政治の鼻先に強烈なにおいを突きつける日が来るのかもしれない――。

 今はただ、静寂が広がるだけだ。国会の廊下には、閑散とした深夜の空気が漂っている。議員たちは退庁し、一部の職員が遅くまでデスクに向かっているだけ。その窓の外を見れば、夜風に乗っていつかの下痢便ドローンがひょっとして現れるのではないか――そんなありえない想像が、一瞬頭をよぎる。けれども、闇はただ静かで、ビルの屋上に点々と灯る赤い航空障害灯が瞬くばかり。
 風が通り抜ける。ドローンの羽音は聞こえない。平和といえば平和、ただしその平和がいつまで続くのかは、誰にもわからない。
 ――政治が、再び国民を踏みにじる時が訪れたなら。もしあの時と同じように、理不尽な負担増や社会保障の切り捨てが横行するような事態が起こったなら。
 はたして、そのとき空から舞い降りるのは、静寂を破る新たな怒りの使者なのか。それとももう何も来ないのか。
 夜は深まる。暗い議事堂の向こうに星が瞬き、ただその静謐な世界だけが、まるでこの国の行く末を見守るようにきらめいていた。

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