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狂乱の母
狂乱の母
かつて、名もない地方都市に一人の女が住んでいた。彼女は幼い頃から「周囲を自分に注目させたい」という欲求が強く、十代から二十代にかけては絶えず男を求め、刹那的な関係を繰り返してきた。地元では「ヤリマン」の蔑称が付き、時に彼女自身「メンヘラ」と揶揄されることすらあった。精神的に不安定な日々を送っていた彼女だが、その混沌とした心が突如として狂気の方向へ弾け飛んだのは、とある“啓示”がきっかけだった。
天からの声
ある夜、彼女は奇妙な夢を見た。どこまでも白く輝く世界の中央に、威厳をたたえた存在が立っている。その存在は「地上を蹂躙する天の軍団を作れ」と告げた。
目を覚ました時、彼女は己の未来を確信していた。「自分は神に選ばれた存在だ。天の軍団を作らなければいけない。そしてこの腐った国を一から浄化するのだ」という新たな使命感に燃え、まずは“兵士”となる子どもを産み続けることを決意した。
子どもを量産する女
彼女は男を次々と誘惑し、子どもを次から次へと出産していった。収入はあまりに足りない。普通なら路頭に迷うところだが、彼女には“したたかさ”があった。役所に頻繁に足を運び、生活保護を受給するばかりか、インターネットを駆使して大々的なクラウドファンディングを立ち上げ、「少子化問題を解決するために、日本の未来のために出産を頑張っています!」と謳った。SNSでは日々新しく生まれる我が子の写真を並べ、「いいね」を得るたびに資金が集まる。
世論は賛否両論だった。ある者は「何十人も子どもを産んで育てられるわけがない」「無責任だ」と非難する。しかし一方で、「少子化解決のシンボル」「子どもを産まない日本人へのカウンター」として彼女を絶賛する動きも出てきた。政治家の一部も「彼女の出産支援」を公約に盛り込み始め、自治体も国策として“多産”への補助金強化を検討するなど、いつしか彼女は**“少子化問題のヒロイン”**のように扱われるようになった。
同志の集結
しかし彼女の真意はまったく別のところにある。彼女が求めているのは、天の軍団、つまり武力による革命であった。
SNSを通じて彼女の“啓示”に共感する者たちが増えていく。精神的に社会に不満を抱える若者、過去に組織を退職し居場所を失った元警察官や元自衛隊員など、武器や戦術に明るい者までもが、彼女の周囲に集まりだす。荒廃する社会に嫌気がさしていた人々の鬱憤は、やがて「この国を変えたい」「ここまで腐ったシステムは崩壊させるしかない」という革命思想へと煽られていった。
日々生まれる子どもたちは、軍隊でいうところの“新兵”である。幼少期から「神の啓示」を刷り込み、彼女の協力者である元自衛隊員は戦闘訓練と称し、サバイバルゲームに実銃同然のエアガンや密輸武器を持ち込み、いずれ本物の武器を扱うための予行演習を始めた。
「この国は腐っている。尊王攘夷だ!」
いつしか、そうしたスローガンがSNSや街宣で頻繁に叫ばれるようになり、人々は「何やら危ない宗教が勢力を拡大しつつある」と薄々感じながらも、具体的な対処策を打ち出せずにいた。
革命の幕開け
ついに、彼女たちの行動は暴力の域に突入する。過激派となった同志たちは警察署への襲撃を試み、自治体の庁舎を放火するなど、一部地域を混乱の渦へと引きずり込んだ。地方行政が麻痺し、緊急対応がままならなくなると、今度は国家機関までもが徐々に麻痺していく。
報道機関はこの動きを“天の軍団”と呼び始め、連日トップニュースで報じるようになった。火の海となる都市部の映像は全国へ、そして海外へも流れ、彼女の“革命”の惨状を世界中が目撃することになる。もはや日本政府が止められるレベルではなくなっていたのだ。
老いてなお微笑む母
年月が過ぎ、国家の中枢が完全に崩壊するまでに、それほど時間はかからなかった。経済は止まり、政治家や官僚たちも国外脱出する者が相次ぐ。街には暴力が溢れ、そこかしこから火の手が上がり続けていた。
その頃、彼女は—多くの子どもを産み落とし、そして孫すら生まれ、さらにその孫たちまでもが“天の軍団”の一員として戦っていた—年老いた身となっていた。かつての激しい執着や狂気は衰えぬまま、しかし身体は明らかに朽ちつつある。
廃墟と化した市街地の片隅、小さな暗い部屋で彼女は最後の息を引き取る。壁越しに聞こえるのは銃声と爆音、窓の外には赤い炎の光。荒廃した風景の中、彼女は産み育てた子どもたち、そしてその血筋を引く者たちが暴力を駆使して“理想の社会”を創るべく戦っている現実を見届け、**「神の啓示は成就した」**とばかりに満足げな笑みを浮かべていた。
その後
やがて、ある者たちはこの革命を**「暗黒の革命」**と呼び、歴史的に最悪の暴力と炎上の時代として記録するだろう。別の視点からは彼女を「母なる英雄」として崇め、「彼女が産み出した軍団こそ新時代の鍵だった」と称賛する者も現れるかもしれない。
しかし、この不条理な物語が現実に残したものは、焦土と化した街と数え切れぬ犠牲者、そして、時代の激流に巻き込まれながら狂気へと突き進んでいった人々の絶望であった。
暗い煙と炎の広がる空の下、ほんのかすかな風だけが、彼女の息絶えた部屋の窓を揺らしていた。もうそこに、彼女の笑い声も泣き声も存在しない。だが、彼女の血を引き“啓示”を受け継いだ子孫たちの足音だけが、新たな時代の闇を踏みしめていくのだった。