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ひろゆきとゾロアスター
ひろゆき(以下、ひろ)
いやー、僕、最近「ゾロアスター教」とか「善悪二元論」って言葉を耳にしたんですけど、あんまりピンと来てないんですよね。なんか「善と悪が戦っている」みたいなイメージはあるんですけど。
ゾロアスター(以下、ゾロ)
はじめまして、私はゾロアスター教を説いたとされる預言者ゾロアスター(ザラスシュトラ)といいます。西暦紀元前1000年頃から600年頃くらいに活躍したと伝えられています。私の教えでは、この世界は「善なる神アフラ・マズダー(Ahura Mazda)」と「悪を司るアンラ・マンユ(Angra Mainyu)」が対立する構図にあるのです。
ひろ
善なる神と悪なる神がそれぞれ存在して、世界が二つの力に引っ張られてるっていう感じですか? なんか漫画の設定みたいですね。
ゾロ
たしかに、現代のフィクション作品の“正義と悪の闘い”の源流のようにも見えます。ゾロアスター教では、アフラ・マズダーが唯一の至高神であり、最終的には善が勝利するとされます。しかし現実の世界では、善と悪が混じり合っているようにも見えますよね。そこで「宇宙規模での善悪の戦い」が背後にあるのだ、というのがゾロアスター教の基本的な図式です。
ひろ
なるほど。そういうのって、後々の宗教思想にも影響を与えたりしたんですか?
ゾロ
一般的によく言われるのは、ユダヤ教、キリスト教、イスラームといったアブラハムの諸宗教に対して「終末思想」「最後の審判」「天使と悪魔の明確な対立」といった概念が、ゾロアスター教から何らかの影響を受けたのではないか、という説です。特にユダヤ教は、バビロン捕囚後(紀元前6世紀頃)にペルシア帝国の支配下に入りますが、その頃ペルシアではゾロアスター教的思想が国家の中枢を担っていた。そのため、ユダヤ教がペルシアのゾロアスター教的世界観の要素を取り込んだ、という見方があるのです。
ひろ
バビロン捕囚って、ユダヤ人がバビロニアに連行されてから解放されたあの時期ですね。歴史的にはペルシア帝国のキュロス2世(キュロス大王)がユダヤ人を解放してエルサレムに戻ることを許可したんでしたよね。その頃から交流があったと。
ゾロ
そうです。もちろん、一方的に「ゾロアスター教がユダヤ教を変えた」というよりも、当時のユダヤ人がペルシアの世界観や思想を吸収・再解釈した、という形が近いかもしれません。学者によっては「偶然の類似」や「共通の古代オリエント文化的背景」だという議論もあり、影響の程度は議論の余地があります。
ひろ
ユダヤ教ってもともとは一神教でしょう? でも旧約聖書を読むと、時期によっては神や悪魔のイメージってだんだんと変化しているように見えますよね。例えばサタン(サタン/悪魔)とかが、初期の段階では“神に仕える天使のひとり”みたいなポジションだったって話もあるじゃないですか。それがだんだん「神に敵対する悪の支配者」みたいなイメージにシフトしていった、と。
ゾロ
その通りです。旧約聖書の前のほう(例えば『ヨブ記』など)では、サタンは「神によって任務を与えられ、試練を課す存在」というニュアンスが強い。しかし捕囚後や第二神殿期以降に書かれた文書や外典・偽典などでは、サタンは神に敵対する勢力、いわば「大きな悪の権化」のようなイメージに変化していきました。こうした悪の原理の独立性が強調される流れには、ゾロアスター教の「善悪二元論」が少なからず影響を与えたのではないか、というわけです。
ひろ
なるほど。まぁ「天使と悪魔の対立」のイメージが鮮明になるのは、ユダヤ教よりむしろキリスト教やイスラームのほうで顕著に表れてる気もしますけど、源流はバビロン捕囚後に遡れるんじゃないかってことですね。
ゾロ
そうですね。キリスト教における黙示録的な終末思想や、イスラームの中の天使・ジン・悪魔(イブリース)などの概念も、ゾロアスター教的な対立軸の影響を受けたとする説は根強くあります。
もちろん、すべてがゾロアスター教由来と断定することはできず、古代オリエントの神話や周辺宗教の発展過程全体を考慮に入れなければなりません。あくまで「ゾロアスター教は重要な一因だった可能性が高い」という話なんです。
ひろ
了解です。つまり、善悪二元論というか「世界の背後で善と悪が戦っている」っていう見方が、紀元前のペルシアあたりでかなり体系的に説かれた。それが当時バビロン捕囚を経ていたユダヤ教にも影響を与え、やがてユダヤ教の後に続くキリスト教やイスラームにも受け継がれていった。
正直、僕みたいな一般人からすると「なるほど、言われてみればありそうかも」ぐらいの話なんですけど、学説としては有力なんですか?
ゾロ
かなり有力視されている説です。ただ歴史学や宗教学の分野では、新発見の資料や研究者の解釈によって議論が絶えずアップデートされています。「決定的にこうだ!」とは断言しきれない部分もある。ですが「バビロン捕囚後のユダヤ教が、ペルシアの宗教文化から影響を受けた」という大枠は、わりと定番の見解です。
ひろ
なるほど。一神教のなかの悪の位置づけって実は色々動いてきたんですね。神一人しかいないのに、どうして悪が存在するの?って問題が「神正義論(theodicy)」とかいうやつですよね。そのへんを説明するためにも、「神に敵対する悪の原理」が必要になったから、ゾロアスター教のような善悪二元論的世界観がちょうどマッチしたのかもしれない。
ゾロ
いい観点ですね。ユダヤ教やキリスト教、イスラームのような厳密な一神教では、「全知全能で善なる神が支配している世界に、なぜ悪があるのか?」という問いが常に課題になります。その点、私の教え(ゾロアスター教)においては、宇宙の根本原理である「善」と「悪」が戦っている、という構図があらかじめ想定されています。結末としては善が勝利して世界が更新される、という希望もセットになっています。
ひろ
割とわかりやすいですよね、「善と悪が戦って最終的に善が勝つ」という物語構造は。現代の漫画やゲームの設定にもすぐ使えそう。
でも当時としては、人々が抱く「どうして世界には苦しみがあるのか?」という疑問に対して、ある種の説得力を持っていたということでしょうね。
ゾロ
そういうことです。そして、この善悪二元論的な歴史観・終末観・救済観が、ユダヤ教の黙示文学や、後のキリスト教の黙示録思想(『ヨハネの黙示録』など)に活かされた可能性が高いですね。
まとめ
• ゾロアスター教の善悪二元論
• アフラ・マズダー(善)とアンラ・マンユ(悪)が世界の背後で戦っていると考える。
• 最終的には善が勝利して世界が救済されるという終末観がある。
• ユダヤ教への影響
• 特にバビロン捕囚(紀元前6世紀頃)以後、ペルシア帝国の支配下でユダヤ教がゾロアスター教的世界観をある程度吸収した可能性が高い。
• それまであいまいだった「悪の勢力」の独立性(サタンの独自性など)が、より明確に意識されるようになったのではないかという説が有力。
• 天使や悪魔の対立、終末論的世界観など、黙示文学の発展にも影響したとされる。
• 学問的な留意点
• どこまでが直接的な影響か、どこからが古代オリエント世界全体の共有文化なのかは、研究者の間でも議論がある。
• ただし「ペルシア支配期にユダヤ教がゾロアスター教から何らかの刺激を受けた」という大筋は多くの研究者によって支持されている。
エピローグ
パリ郊外のカフェで、ひろゆきはいつものようにエスプレッソを頼み、外の景色をぼんやりと眺めていた。目の前を車が行き交い、人々の足早なリズムが聞こえてくる。どうやら長い夢から目覚めたような気分だ。だが、夢にしてはあまりに生々しい。
「まさかね……」
そう呟きながらコートのポケットを探る。すると、指先が冷たい金属に触れた。取り出してみると、それは小さなブロンズ製の彫刻。アフラ・マズダーをかたどった翼のついた姿が浮き彫りになっている。
気のせいだと思い込むには、あまりに精巧だ。次の瞬間、あの遥か遠い昔の炎のゆらめきと、善と悪の果てなき闘いを説くゾロアスターの声が耳の奥で蘇った。ひろゆきの脳裏に、バビロン捕囚の時代やペルシアの風景、エルサレムに向かう人々の足取りまでもが一瞬のうちに走馬灯のように流れ込んでくる。
「ほんと、信じられないことって起きるもんですね」
フランス語の会話が飛び交う店内で、日本語を呟くひろゆき。コーヒーの湯気が、さも意図的に演出しているかのようにぼんやりと立ち昇る。
あの不思議な対話が見せてくれた世界は、善悪が鋭く分かれて戦うだけでなく、その混ざり合いの中にこそ人々の物語が生まれていくのだ、と教えてくれた。最終的な善の勝利を信じるかどうかは人それぞれだが、「なぜ悪がこの世界にあるのか?」という問いに向き合う大切さは、今も昔も変わらないのだろう。
そして、あの夢のような体験が残したのは、小さなブロンズのアフラ・マズダーの彫刻だけではない。善悪の彼方へと思いを馳せる、ひろゆき自身の新しい視点と、かすかな熱を帯びた好奇心。それはパリの喧騒に溶け込みながら、確かに彼の胸の奥を温めていた。
ひろゆきは静かに微笑んで、コーヒーを飲み干す。外の通りには相変わらず忙しなく人が行き交う。いまはただ、ポケットの中の“世界の記憶”を感じながら、新しい一歩を踏み出してみようと思う。
小さなブロンズ像を握りしめた指先が、先ほどよりもほんのりと暖かい気がした。