生存確認定期24’09
誰得でもない自分のために生存記録とってみる
9月もよくぞ生きた
ひとりになって10ヶ月
昨年の今頃は2人でゲームしてた
楽しかったな
答えを出すつもりもないのに死にたいのか生きたいのか考えてたら9月終わった
結局、涙は昼夜問わず生成をつづけ、何かの合図とともに一斉にわたしめがけて出てくる
いつまで涙と闘わなければならないのか
わたしにはこれから後悔の10月11月が襲ってくる
思い出さないように努力しても、昨年のことが目の前にまざまざと蘇ってくる
こわい
一生10月も11月も来なくていいとまで思う
「わたしは自分の好きなことをしてていいのだろうか」
何もかもいやになって、興味なくしたものは結構処分した
最近じゃ遊んでても、内心はうわの空で心が晴れないのが申し訳ないところ
こんなんじゃそもそも友ともそれ以上とも思ってもらえないなって思ってしまうテンション激下がり思考を誰か追い払ってほしい
今月読んだ本
本が読めるだけでも幸せと言い聞かせる
この本のチョイスからすると、自分はどうやら自分で死ぬつもりはないらしいし、どうにかして人生を楽しみたいらしい
涙止まらなかった時に届いた「〜パンク的読書」と一緒に入ってた寄稿が、その時のわたしの疑問にもならない考えに答えをくれた
人には「別れ」がつきものだ。
物理的な別れはあっても、真の別れは存在しないと思っている。
わたしと一緒にいてくれた事実は今までもこれからも変わらない
ただ隣にいないだけ
小説すばる10月号は、北方謙三の新連載を目的に読み始めたら違う作家の一文で、アドバイスもらった
たとえ、自分自身をどれほど不本意に感じたとしても、自分の『今』を否定するのは百害あって一利なし
自分で自分を否定したら終わりだ
今のわたしにとってこの号は神回である
いい人が現れたらまた結婚すると思う?と仕事先で聞かれた今日
こんなやつ好きになってくれる人がもしいるなら感謝感激で気分も右肩上がりでしかないが、はてさてどうなるやら誰にも見通せない
9月もおつかれさまでした
よくがんばりました