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伝えなければ。でんぱ組に愛を、感謝を。(1.出会い_2012~)

でんぱ組に救われた宇宙の1つとして、感謝を出力しておかねばと思いました。
自己満です。このnote単体に意味は無いかもしれないけどためらわず書き出すことにしました。資料が沢山残っている状態に意味があると思ったから。将来博物館とか建てる時に役立つかもしれないから。

ここでは私のでんぱ組との出会った2012年秋冬に触れます。
0.序文 はこちら

出会いの事はよく覚えていて。
知人から「スイパラにいたら写真撮られたからお店のブログに載るかも笑」と連絡があった。
なんのきなしに眺めていると、前後の記事ででんぱちゃんの来店イベント写真が載っていたのだ。(この話が無かったら出会いは数年遅れてたのかも。今思えば凄い偶然だ)

スイパラさんのブログはちょっと見つけられなかったのだがメンバーブログは掘る事ができた。

(初々しい…そりゃそうか12年も前だ。画質に時代を感じる)
「メイドさんかな。いや待てやけにかわいい金髪ショートの人がいるな。
え、アイドルなの!?」の衝撃といったらなかった。

その後少しして色々調べ始め、その名の通り電波曲を歌うグループと知る。
ハルヒ→らきすた→ニコ動で多感な時期を過ごした私にとって電波曲は人生に欠かせないものだったし、畑亜貴、桃井はるこ、MOSAIC.WAVといった超一流電波曲クリエイター達は当時のオタクの嗜みだっただろう。
脳を溶かすピコピコ音と訳の分からん歌詞が生み出す情報量に魅せられた青春時代を過ごした自分にとってでんぱれーどJAPANはあまりにも古巣。一気に惹かれた。その後リリースされ代表曲となったW.W.Dも、当時社会人なりたてで辛い生活を送っていた自分に刺さりまくった。
でんぱ組は私にとって「今めちゃくちゃ気になってるグループ」になった。

(オマモリーのCMも衝撃だったなあ…今発見されたってウケるよ。世界に。)

2012-13年、当時アイドルといえばAKBで、ももクロがようやく頭角を現し出した頃。
色んな人が色んな所で言及しているので今更語るべくもないが、
"アイドル"との掛け合わせとして"根暗"も"電波曲"も"金髪"も一般的ではなくむしろある種のタブーであった。現代アイドル史には明らかに"でんぱ組以降"”最上もが以降”が存在する。
もっと言えば「アイドルに何かの要素をかけ合わせて個性とする」自体の駆け出しだったのだとも思う。
もちろん同時多発的に発生したものであって、でんぱが唯一の祖と言いたい訳ではない。ただその中で、時代のニーズ×実力派クリエイター×ビジョンあるプロデューサー×メンバーのやれる事やりたい事×ストーリーを作れる土台と、複数の要素をかけ合わせる事のできたグループとなると数は少なく、その1つがでんぱだったのだろうと思う。結果として多くの要素でフォロワーを生み出しており、そうしたエポックメイキング実績の多さもまたでんぱちゃんの大きな大きな功績の1つだと感じる。

その後の躍進については私が語るまでもない。
(というか早く現代まで遡らないともう間に合わない!笑)
どこまで書けるか分からないけど、次は2017年くらいまで一気に飛ぶかもしれません笑

(これとかめっちゃ観たなあ…。4:25辺りの相沢さん「できるはずだ!」は若干めめ様みあるね)

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