好きなものは好きと言える気持ちを抱きしめていたかった
何か創作する人は皆、原動力のようなものがあると思う。
子供のころ、私は不登校でとても精神的にしんどい毎日を過ごしていた。
たまに学校に行けば一部の友達と話をしていたけれど、その中でもいつも一緒に帰るグループがあった。
ただ皆がまとまって居るときはいいのだが、私とそのうちの誰か二人と帰るとき、よく仲間内の相容れない存在に対する文句を聞かされた。
元々その子達はそれぞれ私を介して知り合ったため、価値観が異なっていたのだと思うし、今ならしょうがないなぁ…と思う程度なのかもしれないが、当時の私は「一体友達ってなんですか?」と心底うんざりした覚えがある。
今思えば“あなたは逃げてるからいいけど私たちだって大変なんですよ”という意味だったのかもしれないな…とも思う。
そんな殺伐とした学生時代の私は、家でよく何時間もかけて絵を描いていた。
当時好きだったアイドルと歌手の絵だ。
今に言う、ファンアートというやつである。
私の原動力はいつもそこだった。
好きという気持ちが謎の力と行動力を生んだ。
最近、その好きが誰かの迷惑になっているんだとしたら…?
と考えることがあった。
(高校生ぐらいの年頃に悩めよバカってぐらい、人によってはとってもくだらない悩みに思えるかもしれない。申し訳ない。)
でも、私から“好き”を取り上げてしまうと何が私を動かせると言うのだろう?とも思う。
怒りか?
憎しみか?
それはそんなに長持ちしないぞ。
好きなものは好きと言える気持ちしか抱いてないような人間だけれど、どうやらここから抜け出すにはその概念だけではダメらしい。
それは結構、私には衝撃だった。
電池抜かれた感じだ。
自分なりの展望がぼんやり見えてきた気がしいたけれど、再びどこへ舵を切るか全くわからなくなった。
少し時間が必要だと感じる。