その人をその人と足らしめるもの
つい最近、昔好きだったグループのボーカルさんをとある自動車のPR動画でたまたま見かけた。
昨年の映像だったが、ちっとも変わらない笑顔は紛れもなく本人だった。
元気そうな姿に私は安堵した。
アーティストというのは大体が作品自体に関わる部分がその人の価値なのだとは思う。
曲なり、声なり、風貌なり…。
ただ、声というのは不変ではない。
特に女性はホルモンバランスの変化などで変わりやすい。
男女関係なくストレスなどが原因で歌えなくなってしまったというアーティストさんも多い。
曲もまた作曲家の癖のようなものがあっても、常に新しいものを作らなくてはいけない。
風貌なんていうのはもちろん日々闘っている部分だろう。
それらの“変化する部分”を除くと、顔を見せているタイプのアーティストの場合『その人をその人と足らしめるもの』はなんだろうと考えたとき、私たち一般人はどこでその人だと感じるかといえば、それは『話し方』や『仕草』なのだろうなと思う。
歌が自分の価値を証明するものでもあるにも関わらず、結局のところそういった至極当たり前な部分でその人個人を感じるのだから、考えてみればちょっと皮肉なことだし、アーティストからすればやや残念であるのかもしれない。
笑い方や頷き方、歩き方や身振り手振り、声のトーンや口癖。
“その人”を感じる部分。
例えばもしあるアーティストのステージのパフォーマンスだけで判断できるなら、その人はよっぽどそのアーティストが好きなんだなと感じる。
そのアーティストを本当によく見ていて、よく知っているということだ。
アーティストの歌が好きで本人にはさして興味のない人もいれば、アーティスト自身の見た目や人柄、雰囲気などが好きな人もいるのだと思う。
歌だけあればよいというならば、現代の進歩した技術により、もう本人が必要ないほどに再現することが可能だ。
曲もその人の癖を把握して新しく作れるし、声もデータが多ければそっくりに作れる。
(もちろんコストは嵩みそうだが…)
しかし、仕草や話し方は難しく、例えばミラクルひかるの宇多田ヒカルのようなクォリティにもそうそう辿り着くことはできないはずだ。もちろん寸分違わぬほどには絶対にできない、とは言い切れないが。
(やや脱線してしまうが、海の向こうにはミリ・ヴァニリ(そもそも歌っている人とパフォーマンスしている人が別人)とかの事例もあったわけだからもちろん現実には奇妙なこともあるのだろうけれど…)
アーティストは売り物だが、人間だ。
人間にはキャラクターがある。
もちろん、キャラクターというのは作れるから真実とは限らないが、そのへん使い分けるのが苦手な人もいて、全てが全て虚像とも言い難い。
たとえ99.98%作られたものでも、人間というのは完璧ではないから、端々にその人のその人らしさが滲み出る。
人の心に真の意味で残るのは、そういった部分なのではないかと思う。
歌手が歌手として活動していることは素晴らしいことだが、本業で活動していなくても“ま、元気でいればそれでいっか”とも思える。今の推しさんが、充電期間に入ったときもそんなふうに思ったものだ。
記憶に残るその人とは何なのか、何がその人と足らしめるのか…。
早朝、SNSの話題を見てそんなことをふつふつと考えたのだった。