家族との関係
今回の内容は精神的な影響を与える場合がございます。
精神的苦痛を感じてしまう方は投稿内容の閲覧をお控えください。
私は現在多数の精神疾患を持ってます
うつ、睡眠障害、解離性障害のひとつ離人症、そして《C-PTSD(複雑性PTSD》
そのほかADHD・ASD・LDの発達障害の疑いもあります。
そもそも複雑性PTSDとは…
組織的暴力、家庭内殴打や児童虐待など長期反復的なトラウマ体験の後にしばしば見られる、感情などの調整困難を伴う心的外傷後ストレス障害(PTSD)である。
(ネットより引用)
家庭内で起こる暴力や暴言、同級生からのいじめなどが原因とのこと。
振り返ってみると、今までのことを振り返るとそれに該当してるっぽいです。
両親の元に生まれ、愛情を感じられたのは4歳頃まで。
なぜなら弟と双子の妹たちの育児に忙しかったから。
4歳からある程度自立していた形です。
ネグレクトまではいかないけれど、それに近い形でした。
保育園から小学校1年生までは幸せでした。
でも両親からは厳しい言葉を。
特に母親から。
ほとんど毎日怒られていたような感じです。
喧嘩したら必ず言われたこと
「お姉ちゃんなんだからさ。」
今思うと全てその言葉で片付けられ、弟達にはあまり怒らないというね。
人生が不幸と感じるようになったのは小学校2年生の転校した時から。
家庭の事情で転校しました。
その学校で約5年間《奴隷》のような学校生活でした。
ボス的存在がいてその人が言ったことやらないと怒られる。
過度すぎる壮絶ないじめ。
でも両親には話せなかった。
聞く耳さえもってくれないから。
地獄のような小学校生活、そして中学校へ。
確か14歳の頃かな?
《死にたい》って感じたのは。
中学へ上がっても、馴染めない。
家庭内では常に誰かが喧嘩。
特に両親の喧嘩は日常茶飯事。
ほぼ毎日のようにありました。
そして初めてやった《自傷行為》
お守りという意味で《十字架》を刻みました。
その後、母親に見つかり初めて涙を流してましたね。
今まで流しもしなかった涙を。
《もうやらない》
と言ったけど、しばらくはやってました。
《私の存在を知らせる》ために。
この時、異変を両親が感じていれば今後の人生で苦しむこともないのに…
自傷行為はピアスへと変わりました。
オシャレのために開ける。
というより完全な自傷行為なもんです。
開いている数は《心の傷》の数。
そして完全に両親、きょうだいを含めて信じることが出来なくなった事件がありました。
すごく些細な事で、私の言った言葉を両親が信じませんでした。
その事があまりにも辛くて、泣いて自分の部屋に閉じこもりました。
その後謝罪がありましたが、それ以降家族を信じることをやめ自分自身だけを信じようと思いました。
帰省時も私はいつも厄介者。
実家に居座ることさえ出来ない。
帰省をする度必ず喧嘩が起こる家庭。
《姉》と認めない弟と妹達。
そんなところは私がいるべき場所じゃないと改めて感じました。
現時点で信頼できるのは母方の祖母、父親の妹さんのみ(親戚では)
今までの経験からか監視されてるような感覚、陰口を言われてるような感覚に毎回なっていて簡単に遠出など出来ないです。
そして先日、両親・弟達の連絡先とLINEを削除しました。
自分自身の精神的な状態をこれ以上悪化させない為に。
このことが正しいかどうかは分かりませんが、もうこれ以上苦しみたくないので。
発達障害の結果については後日投稿させていただきます。
長々と失礼しました。
最後まで読んでくださりありがとうございました。
アラン