見出し画像

さよなら、君を愛してた。 -Janne Da Arc解散に寄せて-

Janne Da Arcが解散した。

そんな言葉、聞きたくなかった。

待ち続けたファンにとって、最悪な終わりを迎えた。

yasu
you
ka-yu
kiyo
shuji

ボーカル、ギター、ベース、キーボード、ドラムの5人編成バンド

だった。


20代前半くらいのみなさんは、ほとんど知らないかもしれない。

Acid Black Cherryの影響もあり、もしかしたら耳にしたことくらいはあるかもしれない。

2007年(実質2006年)からの、およそ12年の活動休止を経て、解散。
あっけない終わりだった。

青春だった。

夢だった。


ぼくがジャンヌを知ったのは、1999年。
おそらく1stシングルのRED ZONEが出たころ。
実際にハマりはじめたのは、2ndシングルのLunatic Gateから。

このころ同時期にヴィジュアル系という文化に傾倒し始め、同じタイミングでは、

FANATIC◇CRISIS
Raphael
Pierrot
TRANSTIC NERVE

あたりを聴いていた頃だった。


『メロディックハード』と呼ばれたジャンヌダルクのその音楽は、とてもキレイにぼくに流れ込んできた。

『胸の空いたドレス 僕が君に贈るのは着せるたいからじゃない そのドレスを淫らに脱がせたいだけ』

『今夜も君をメロディアスに奏でてあげるから』


なんだそれは。

歌詞なんて音楽のオマケでしかないと思っているぼくに、直情的な詞が刺さって頭から離れなくなっていた。


学生時代、カラオケに行くことが多くなった。

周りの友人が次々とジャンヌを聞き始めた。
嬉しかった。

初めてライブに行けたのは、

tour 2005 "JOKER"
宮城県民会館。

単独参戦。
はっきりと覚えているOASIS。
楽しかったD DROP。

翌年にアルバムやツアーはなく、
企画ライブもほぼ都心部のみ。

地方住みのぼくに行ける機会は恵まれず、
まさかこれが最初で最後の参戦、最後のツアーになるなんて思いもしなかった。


Acid Black Cherryが始動し、メンバー各々のソロも始まっていた。
その初期はほぼすべてを追いかけていた。

YUKIもAKIHIDEも千聖も、みんなずっと前から好きなギタリスト。
嬉しかった、けど。。。


2007年、Acid Black Cherry始動。

ライブに参戦したのは一度きり。
2008 tour “BLACK LIST“
たぶん郡山のHip shotか仙台のJunk Boxだったと思う。

淳士のスティックをゲットした。


2009年、2010年、2011年、、、

そろそろ復活するかな?

まだなのかな?

準備中なのかな?


2012年、2013年、2014年、、、

ABCが順調過ぎてまだ戻れないのかな??


2015年、2016年、2017年、、、

もうyasuは戻る気がないのかな???



そしてABCの活動休止を経て2018年。

kiyoやyouも参加したKa-yuの新作発売中止のお知らせ。

不穏な言葉。


暫くの公式アナウンスもなく、

2019年に入ってyou公式からアナウンスされた憩い部ライブ。

しばしのわくわく感。


ジャンヌに関しては諦めも果てたタイミング、2019年4月1日。


Ka-yu脱退とJanne Da Arc解散のアナウンス。

みんな泣いた。

悲しくて悔しくて。

連絡を取り合った。

悲しみを共有するように。



メンバーからの言葉は、

脱退したka-yuの不自然なまでの一言だけのメッセージ。

あっけなかった。


その後、youちゃんがいろいろと伝えてくれた。

4月末の憩い部ではもっとたくさん話してくれるんだと思う。



4月はジャンヌの曲、たくさん聴こう。

もう桜の季節。


-風が運んだ4月の香は
遠い、遠い、記憶の君を蘇えらせる。

-君は、新しい季節を誰かと生きてるの?

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?