スピリチュアルと現実世界のギャップ♪
スピリチュアルといえば、前世が観えるとか
天使がどったらこったら
霊と話ができるやら なんちゃらかんちゃら
ありますが、これってオカルト?
なんつって
オカルトとスピリチュアルの区別もつかんまま
現実的な人にスピな話をしようものならば
「なんかこえ~」
なんつって思われる話題です。
スピな人に龍の話とか出雲大社の波動が
入っている塩の話とかエネルギー体の話を
しても、理解できると思いますが
現実主義者で目で見えるものしか
信じていませんよ てきな人に
そんな話をしても鼻ほじおならぷ~な話
なのですからね(笑)
結局はサンタクロースと同じ理論で
サンタさんを信じている子供には
クリプレが来るという現実があるわけでして
サンタクロースなんて親がプレゼントくれて
サプライズを楽しむものであって
本当にサンタクロースがいるのならば
家宅侵入罪でえらいこっちゃやでぇ~
とか
「サンタがママにキスをした」
なんて歌もあるが、それが本当に
サンタさんが現実に存在しているならば
夜中にこっそり部屋に侵入してきた
間男夜這い野郎な話やでぇ~(笑)
なんて子供が言っていたら
それからのクリプレはもらえなくなります(笑)
大人の階段のぼっちまったってことだな(笑)
この話は極端な話なだったのだが
仏教の南無阿弥陀仏(ナムアミダブツ)
の南無(ナム)という言葉は
「信じなさい」
という意味でして、とにもかくにも
「信じることからはじめましょ!」
という意味なんどす。
とにかく、なんでもそうなのだが
疑っていたらなんにも成就しないのが
この世界なんだよね。
キリスト教でもなんでも
「信じる者は救われる」
なんつって言われていたらしいが
やはり、自分が聞く話や教えてくれる人
のことを信じていないと
聞く耳をもたないでしょ?
たとえば、投資系不動産セミナーなどに
参加してさ、セミナー講師の人を
「この人は売れない物件を売る為に
セミナーを開催してるんじゃね~の?」
なんつって疑っていたら、この講師から
学んだことを実践して行動するかい?
私なら疑っている人の話を聞いても
「はいはい、わかりました。そうですね。」
って、てきとうに返事して行動しないと思う。
素直な心で行動する時って、学んだことを
信じているから、行動するのだと思うんだ。
その情報を教えてくれた人を信じているから
聞いた事を実践し行動するのです。
だって、疑っていたらやらない。
人は騙されるとか、自分が損をすることを
嫌うからね。
では、なぜ人は「疑い」を常に持ち歩いて
いるのか?
それは、「自分のことを信じていない」
だからなのね。
自分のことを信じている人は
「信じることからはじめること」
を実践できるので、行動することは
人に騙されないようにとか
疑いの損得勘定とかよりも
「経験&体験をすること」
を優先にするのよね。
ここには、どちらが「正しい」とか
「間違い」とかの善悪の正否が入ってないわけ。
この中庸(ちゅうよう)の意識のことを
「観察者の目線」とか「目覚めた者」
とかって言われているみたいね。
沖縄では流行しているお笑い言葉の
「わかるよね!」
みたいな言葉ね(笑)
言葉って主観か客観か、わかんねぇ言葉
ってあるんよ♪ 面白いね。
そんな感じでさ、スピリチュアルと
現実世界のギャップが生じることって
「信じている」か「信じていないか」
ってことなのね。
あなたは何を信じて生きているの?
親?学校の先生?
会社?
お金?愛?
本?ネット情報?
いったい何を信じて生きていけばいいのだろう・・・
結論を言うと
スピリチュアルと現実世界の
ギャップが無くなることは無いと思う。
だって、ひとそれぞれ「信じる世界」が
違っていてあたりまえなのですからね。
SMAPの「セロリ」の歌詞のように
「育ってきた環境が違うから
好き嫌いはイナメナイ」
という歌詞のように
それぞれが経験&体験して感じたこと
も違っているので起こる出来事の
「とらえかた」は違ってくるのですからね。
それを、スピリチュアルの思想と
現実主義者との思想とのギャップで
論破対決していても
賛否両論すぎて収拾がつきません。
だからね。
「色んな考えの人がいるんだな~」
って感じで、人の思想や考え方をとらえて
いくほうが健康的な人間関係になると思います。
そうでないと、宗教戦争のように
それぞれの思想での争いになっちまうからね。
スピリチュアルな人にたいして
「そういうのが好きなんだ~」
現実主義者の人にたいして
「そういうのが好きなんだ~」
って感じでそれを観察者の目線で
見てあげるほうが
世の中っておもしろいね♪
というファンタジー目線でこの世を
楽しむ秘訣なのかもしれませんね♪
ではまた!
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