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回想:自粛生活の始まり

少し前に緊急事態宣言が解除されて、原則在宅勤務から、在宅勤務推奨に切り替わったことを受けて、ステイホーム期間中の生活のダイジェストと、そのときのモヤモヤした気持ちを綴ってみたが、なかなかない経験だし、思い出しながら、2月末くらいからの出来事や思ったことをもう少し詳しく書いておくことにした。連作になる予定。

1.私に訪れた自粛生活

2020年2月。私は3月始めのフルマラソンに向けた調整に勤しんでいた。知名度、参加人数、抽選倍率のいずれもおそらく日本一の、あの東京マラソンに出るためである。ランニングを始めて以来、落選し続けていたが、ついに当選したのだ。

1月の後半に捻挫した時は一旦は絶望しかけたが、慎重な休息とリハビリで、大会2週間前には、コースの一部の試走を兼ねて、ゆっくり20km強を走れるまでに回復していた。コース沿いの都会の歩道は、観光客も多く、浅草寺や富岡八幡宮のあたりは、歩くのがやっとだったが、本番をイメージして気持ちは高揚していった。

大会がなくなるという噂も出始めていたが、東京マラソン1週間前の京都マラソンが無事開催されることを知っていたので、観光都市である京都でさえ大丈夫なんだし、あと1週間だしと、楽天的に捉えていた。

ところが突然、大会の中止が発表された。

これが実質的に私に訪れた、最初のコロナショック、コロナ自粛である。


2.自粛生活と向き合う

何しろ日本一有名なマラソン大会なので、ニュースでも結構大きく取り上げられた。おそらく国民の大部分にとっても初めての大きな自粛のニュースだったことも、世間から注目された理由だろう。

参加費が返金されないことは、割と議論になっていたが、ランナーからすれば、中止になった大会の参加費が戻ってこないのは、普通のことだし、すでに相当な金を使っているのは間違いないので、あまり気にならなかった。私の場合、交通手段やホテルの予約も不要だったので尚更だ。

そんなことよりも、せっかく当選したプレミアムチケットが台無しになったこと、大会に参加できないことが何よりも辛かった。

短い期間にこのショックから少しでも立ち直りたかった。そして自分だけでコースを走ることを思いついた。日にちは大会の前日。当日はエリートランナーによるレースがあるから。スタート時刻は合わせよう。

そう思いついたら、少し元気が出てきた。

その後の自粛生活も、こうしてなるべく前向きに乗り切って来れたと思う。


3.#俺の東京マラソン2020プロジェクト始動

私の私による私のための「俺の東京マラソン2020」プロジェクトが始動した。

着替えやシャワーに使うランニングステーションは、ゴール地点近くの早朝から開いているところに決めた。はっと気づいて、最近自粛閉店する店も出始めているけれど、大丈夫か確認したところ、翌月曜日、つまり使用予定日の2日後から、営業時間を短縮するとのこと。危なかったが、ともかくこれでランステは確保できた。

マラソン大会では給水ポイントが設けられる。同時に給食ポイントも。トップランナーのレースではないが、市民大会では、バナナ、アンパンなど様々な給食が用意されるのだ。ドリンクは最初から持つと重いので、適当にコンビニに寄る。都会なので困ることはないだろう。給食は散々考えて、15km手前の浅草橋で売っている鯛焼きと、30km手前の銀座のマネケンワッフルに決めた。

コースは慣れていない場所もあるので、前日入念にGoogleマップでチェックした。


4.自粛生活の始まりの終わり

2月29日。レース当日。関係ないけど、ニンニクの日であり、肉の日でもある。レース後は1人焼肉にしようかなとぼんやり考えていた。

気温は少し低め。風はほとんどなく天気がいい。絶好のマラソン日和。思い返すと、エリートランナーによる本当の東京マラソンがあった翌日は風が強く、この日の方がコンディションは良かったのはないだろうか。

丸の内のランニングステーションで着替えて、スタート地点の都庁前に地下鉄で向かうと、予想はしていたが、多くの同士。駅の構内でストレッチをしているグループも。

都庁前にはかなりの人数が集まっている。グループが多かったが、カップルもチラホラ。1人だけという人はあまりいない。思えば、遠くから参加する予定でホテルがキャンセルできなかったから来ている人も多いのかもしれない。

マラソンの参加者はとても多いので、過去の成績や自己申告の目標タイムに基づいて大会側が決めたブロックごとに整列する。普通は7つか8つだと思うが、参加人数の多い東京マラソンはAからLまで実に12のブロックに分かれて、予想タイムの早い人から順に並んで行く。最後の方からはスタート地点が全く見えない。

だが、今日はほとんどの人が1番前。エリートランナーがスタートする本来のスタート地点付近にいる。

中には律儀に、自分のスタートする筈だった場所と思われる、はるか後ろの方で時計を見ている人もいる。

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9時10分。俺の、いや俺たちの東京マラソンがスタート。

号砲は鳴らないし、声援もないが、みんなにこやかにスタート。

私もタイムを気にせず楽しむつもりだったが、仲間同士で来ている人たちはさらにその傾向が強く、ところどころで立ち止まって記念撮影をしたりしながら走っていたので、一緒に走っていた人たちの多くは、後ろにいなくなってしまった。

10km手前の神田のコンビニで最初のスポーツドリンクを購入。Apple Watchのおかげで小銭の出し入れが不要なのは本当に便利だ。

途中で、本来ならばここを走り抜けたであろう数万人のランナーを激励するために立てたものだろう大きな看板。

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予定通り浅草橋で鯛焼きを買い、食べながら走る。

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浅草へ。楽しい。そこで気づいた。2週間前にあんなにいた観光客が激減している。だからストレスもなくて楽しい。

蔵前橋の上は、スカイツリーが最も綺麗に見える場所だ。この日は天気がいいので、とても綺麗だ。記念撮影をするランナーも多い。

門前仲町に向かうと、富岡八幡宮の門前にたくさん並んでいた屋台がすっかりなくなり、人通りもまばらに。本当は、ここで何か買って食べてもいいなと思っていたので、ガッカリだ。同時にたった2週間でこれほどまでに事態が深刻化していたのかと改めて実感した。昼時になったので立ち食い蕎麦屋に入るのも考えた。さすがにそれは本番では有り得ない給食なので、楽しいかなと思ったが、やめておいた。

銀座の歩行者天国はそれなりに人がいた。ここは歩道を走らなくていいので気持ちいい。歩くと結構距離があるように感じるけれど、意外とあっという間で残念。

マネケンのワッフルは胃の負担にならないか不安だったが、意外にも食べた後で一気に回復した。

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日比谷を過ぎて品川の折り返しへ。スタートの時は見かけなかったランナーを結構見かける。スタート時間が違ったのかもしれない。

東京タワーのすぐそばを通るが、意外とゆっくり見ることはできない。余裕もない。

三田のあたりで足が痛くなってきた。捻挫した足首だけでなく、反対の足まで。少しストレッチして、また走る。

36km付近、品川の折り返しを過ぎ、そろそろ残り5km。歩いても1時間もすればゴールできるだろうと思ったら、途端に気力が落ちて、もう後は歩いてもいいかなと思い始めた。歩き始めた直後に、知らないおじさんから「あとちょっと頑張って!」と声をかけられる。この人は浅草あたりから何度か見かけている。おじさんの後を追って走り始める。急に最後の元気が出てきた。

最後はそのおじさんよりも少し先にゴール。ゴールと言っても本来のゴール箇所は明日のエリートランナーのレースに向けて封鎖されているので、行幸通りに着いたところまで。あとから来たおじさんに軽く会釈をしてシャワー。もう午後3時近くになっていたが、空腹感はなく、シャワーと着替えのあと、とりあえずスタバで休憩した。

故障から1か月強でのフルは、かなり体にこたえたが、とりあえず完走できてよかった。スタバでそんな満足感に浸りつつも、これからどうなって行くのかなとぼんやりと考えた。

結局最後まで焼肉を食べる気分にはならず、家に帰った。


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