生きるってことは、愛だよ4~手術室から戻って思う。子供のころからの祈りは叶えられている
前回の記事は、手術台に向かっているときの気持ちを書きました。
今回は、手術室から戻った夜の経験について書きます。
やっぱり、痛い
全身麻酔から覚めて、部屋に戻ったら午後2時半。
手術開始から4時間以上たっていた。
私は、まったく記憶なく、
さっきまで手術台で先生が
「今から麻酔しますよー」と安心な声掛けをしてくださったことしか覚えていません。
気が付いて
「おトイレに行きたい」
そういいましたが、
導尿の管がつながっているそうで、尿はしっかり出ているとのこと。
それでも
おトイレに行きたいと感じる。
これまで、導尿の方の介護もしてきましたが
実際にはこんな苦しみがあるのかと、体で実感しました。
そして、
しばらくして、手術口の痛みが本当に感じられるようになりました。
少し体を動かしてもいたい。
ちょっと咳をしても痛い。
痛み止めの点滴をしてもらいましたが、それでも痛い。
体は動かせません。
しんどかったら体位を変えてもらいますが、これも痛い。
「コミュニケーションの介護」の大切さ
万が一の事態に備え、
私の体にはいろいろなものが取り付けられました。
心電図のモニター
呼吸状態をはかるセンサー、
点滴、
いろいろな電子機械が、ピーピーと鳴り
時々、ピピピピっとアラームが鳴ります。
寝返りを打とうとするが痛くて打てない。
看護師さんが入ってきたときに動かしてもらう。
痛いのは傷口だけではない、
同じ格好をしていると、腰が痛い、首が痛い・・
その都度私は、看護師さんに細かい注文をして動かせてもらいました。
しかし、そうしながら
とても大切なことに気付きました。
私は、口が利けるから、訴えたりお願いできる。
しかし、
口がきけない人はどうだろう。
口がきけても、私のようにズバッと頼めない人はどうだろう?
これまで、そういう方の介護をし、体の位置を動かしたりしていたが、
どうすればいいか、その人に聞いていたか?
返事ができない方でも、どんな気持ちか表情などで確認していたか?
そういう基本的なことも忘れて、
忙しいからと、機械的な、「仕事的」な介護をしていなかったか?
痛烈な反省をしました。
自分がそういう立場になって、初めて、感覚で実感することがあるんだなと
つくづく思いました。
そう。
介護は、コミュニケーションです。
会話のできない方とも、気持ちを見て、コミュニケーションをとって
これでいいですか?
これで楽になりますか?
こういつも問いかけることが本当に大切だとつくづく思いました。
「祈り」の力は本当にある
夜、あまりの痛さにナースコールを押し
体の位置を変えてもらったときに
手術前に引き出しに入れた、妻のロザリオを出してもらいました。
「祈ってるからね」
妻の言葉をじっとかみしめてロザリオを握りました。
そうしたら、
信じられないかもしれませんが、
痛みがスーッと引いていきました。
祈りの力なのかどうかはわかりません。
しかし、心の作用と何らかの関係があるのでしょう。
退院して帰ったら、このことは真っ先に妻に報告します。
「祈っても祈っても、かなえられなかった」のか?
私は、「これだけ祈っているのに、叶えてもらえないのか?」
そういう思いにこれまで
よく苦しんできました。
しかし、
叶えられていないと思っていても、もう叶えられているのではないか?
手術から戻って、じっくり考えました。
私たちに見えている世界、見えている時間はほんの小さなものかもしれない。
祈りの先にある本当の未来は、
その人にとって理解も想像も超えているかもしれない。
思うようになることだけが、本当に最もいい道でないのかもしれない。
だから、
思うようにならないからと言っても
それは
本当の目指すべき未来に向かう一時的な姿に過ぎない。
今の姿に、単純に愚痴るのではなく
大局を見てじっくり、人生に向き合うのがいいのかもしれない。
ふと思い出した「グリフィンの祈り」
ニューヨークリハビリ研究所の壁に
誰が書いたのか不明の文字があります。
通称「グリフィンの祈り」と言われています。
私が覚えている範囲でご紹介するので、
正確ではありませんが、おおむねこういう内容です。
「お金持ちになりたいと思って、稼ぎたいと祈ったが
ささやかな感謝を失わないように、貧困をいただいた。
世の中の名声を得たいと思って、出世を祈ったが、
謙虚であるようにと、平凡をいただいた。
自由に動き回りたいと思って、健康を祈ったが
人生をもっと深く探求できるように、病気をいただいた。
願ったことは何一つかなえられなかったが、
本当に望んでいたことは、全て叶えられた。
私は、神様に、誰よりも祝福されている幸せ者だと、
やっとわからせていただいた」
おおむねこういう内容です。
この祈りの意味は本当に深い。
苦しい時こそ出会いにしっかり気づくこと
手術後の痛みに耐えながら、この「グリフィンの祈り」の意味をじっと黙想しました。
目をつむると
ルカという人が書いた聖書の中の一場面が心の映画館に映されました。
イエスが十字架につけられて、まさに命尽きようとしている一場面です。
そのとき、ちょうど、めぐりあわせで、
イエスの隣で十字架につけられていた泥棒がいるのです。
泥棒は、まさに命尽きようとしていました。
最後の力を振り絞って、イエスに向かってこう言います。
「王よ、あなたが天に昇られたら
私を思い出してください」
イエスもまさに命尽きようとしていましたが、その泥棒に向かって
穏やかに、優しくこう答えます。
「確かに私は言っておく。
今宵、あなたは、
私と一緒に楽園(パライソ)にいる」
ルカの記述はここまでです。
最も苦しい時に思考した価値あることこそ、生涯の宝
私は目をつむって、このルカの書いた一節の意味をかみしめました。
この泥棒は、これまで、最悪の人生だったかもしれない。
しかも、最悪中の最悪の状態で人生を終わろうとしていた。
「これまでオレは、何のために生きてきた?」
「オレは、こんな姿で終わるのか?」
体の痛み、
心の痛み、
魂の痛み(スピリチュアル・ペイン)
痛かっただろう、悔しかっただろう、怖かっただろう。
わたしは、
病気の身の上になって、改めて
この泥棒の当時の気持ちを
ありありと想像できました。
しかし、最悪の中で、最も意味のある出会いに
この泥棒は気づいたんです。
ちょうど偶然にも同囚として十字架につけられたイエス。
そのイエスのふるまい、言葉、
自分を傷つける人々も赦す優しさを
泥棒は一緒に十字架を背負いながら
じっと見ていたのでしょう。
そして、イエスにほれ込んだのでしょう。
これこそ、
泥棒にとって、「最悪」の場所での「最高」の出会いだったんだ…
きっと泥棒は、
イエスとほんの短い言葉を交わした瞬間に
これまでの人生の意味が180度変わったのでしょう。
「生きてきて、良かった。
この方に、この時、この場所で、出会えて
良かった」と。
私たちは、これまでのことの意味を変えることができる
「過去に起こった出来事は変えることはできない。
しかし、
私たちは、その意味を変えることができる」
この言葉は、これから私が出版する
7つの奇跡の言葉の中で書いている一節です。
本当に、
出来事の意味を洞察し、その意味を変えたら、
これからの生き方が変わるんだと実感します。
ルカの福音書を黙想して思いました。
イエスの隣にいた泥棒は
イエスと出会って、過去の意味を変えることができたと。
「天国は実在するか」は人それぞれ考えはあると思いますが、
ルカの書いた文脈から考えると、
この泥棒は
イエスという人との出会いに気付き、
自らイエスに話しかけたことで
これまでの「泥棒」というマイナスのポジションもスティグマもなくなり、
一人の、名前のある人として
イエスと一緒に、天国にまっすぐ行き、
愛情と穏やかさに満ちた会話を楽しんでいることと思います。
マイナスの経験が「価値観」を深める
確かに手術のあとが痛みますが、
目をつむって、こういう黙想をすることで、
やりかけていたワークの課題を思い出しました。
企業や個人の価値観を明らかにし、ミッションを言語化するワークで、
ドクターディマティーニが開発した個人ワークです。
この
ドクターディマティーニの「価値観ワーク」の中で
「苦しい出来事と、本当の幸福は、同時に起こっている」
と書かれていました。
まだやりかけですが、
幼少期のころから、
どんなことで嬉しかったか、どんなことで足りなかったか、
どんなことがつらかったか、
こういうことを徹底的に洗い出し、
自分の価値観を文章化するワークをぜひ再開しようと思います。
自分を知り、価値観とミッションをはっきり知ること(ミッション・ヴァリューワーク)、
それと同時に
自分がやろうとしているライフワークがクライアントにどんな幸せを届けられるかをはっきり言語化すること(コンセプトワーク)
この両方をしっかり行う基本を、今回の入院で体感したと思っています。
この記事に至るまでの投稿記事
この記事に至るまで、入院してからの思いを以下の記事に投稿しています。
生きるってことは、愛だよ~成し遂げようと思って生きている今、もう成し遂げているんだよ。矢印を向けなさい。その先に思う姿に矢印を向けている今、もうその姿になっているんだよ。
https://note.com/sigehiro/n/n0b3bd2e6ec78
生きるってことは愛だよ~病院入院日記1 緊急に手術になっても、「苦しい人」だけではない
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生きるってことは、愛だよ~手術台の上で
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