見出し画像

水素エンジンとモリゾウさんの挑戦【第2回】

第1回の投稿から時間が経ってしまいまいしたが、モリゾウさんの挑戦を追うお話の第2回です。

前回は、カーボンニュートラルに向けた課題についてお話しました。
EVシフトへ加速する欧米諸国に対し、「日本らしいカーボンニュートラルを」と声を上げたモリゾウさんこと、トヨタの豊田章男社長。
EVだけではなく、様々なテクノロジーを使ってカーボンニュートラルというゴールを目指す道を説いたモリゾウさん。
言うは易し。しかし、モリゾウさんには大きな野望があったのです。

今回はエンジンやモータースポーツについて、初心者の方にもなるべくわかりやすく書いてみます。

水素を燃やしたらどうか?

エンジンとは、炭素が含まれる化石燃料(ガソリンなど)を気化させて酸素と混ぜた「混合気」を作ってシリンダ内に送り込み、圧縮して発火、爆発させてピストンを動かし、動力とするものです。「内燃機関」と言います。
最近では、事前にガソリンと空気を混ぜる方式から、シリンダ内に燃料を直接噴射し、空気と混ぜて爆発させる「燃料直噴式」のエンジンもあります。

爆発させた気体は排気ガスとなり、そこには様々な有害物質が含まれます。

ではその化石燃料を「水素」に変えるとどうなるか?
酸素と水素を混ぜて発火させると、発生するのは水だけ。二酸化炭素を含む有害物質は発生しません。

それならば、水素で動くエンジンを作って自動車に搭載し、EVと共に市場に出せば、二酸化炭素を劇的に減らすことができるはず!
(厳密にいうと、少量の潤滑油が燃焼して二酸化炭素が出るため、ゼロではありません)
しかも、既存のエンジン技術を流用することができる!

そして、クルマ好きやモータースポーツファンにとって重要な要素は「音」。
エンジンの排気によって出るあの音「エギゾーストノート」は、内燃機関にしか出せないもの。
街中を走る車が静かになれば心地いい暮らしができると思いますが、もしサーキットを走るマシンがすべてEVになってしまったらどうでしょう?

実際、モーターを積んだフォーミュラカーで行う「FormulaE」というレースが世界各国で行われていますが、「音」だけに注目すると、初めて見た時にはラジコンカーのレースを彷彿とさせたほどでした。何か迫力が感じられない。
それでも十分未来を感じさせるレースですが、車体も重く、F1ほどスピードが出ないのも事実です。

※2021 Formula E Monaco E-Prixのダイジェスト動画。FormulaE公式より。
 会場はF1も開催されるモンテカルロ市街地コースです。

モリゾウさんは、そういったモータースポーツの未来も考えていました。

昨年のコロナ禍の中、トヨタの研究所に「疎開」をしていたというモリゾウさん。
そんな中、研究中のクルマに数多く乗る機会があり、その中に水素エンジンの車もあったそうです。
その車に乗ったモリゾウさん、すぐにひらめいた!

「これでレースに出よう!」

自動車レースは技術者やドライバーの腕を競うものですが、それ以外にも「走る実験室」と呼ばれる側面もあります。
常にスピードを求められる過酷な環境。そこに新しい技術を持ち込み、鍛えるのです。
新しい技術ですから、過酷な環境下で当然壊れるでしょう。そのデータを持ち帰って研究し、またレースの現場で試す。
壊れては直し、また壊れては直す…。

実は水素エンジンの技術は、トヨタが初めて開発したものではありません。
2006年にBMWが水素を燃料としたエンジンを搭載した車を販売していますし、日本のマツダも長く水素を燃料としたロータリーエンジンの開発に取り組み、搭載車を一時リース販売したことがあります。
しかし課題が多かった。航続距離(1回の燃料充填でどれだけの距離を走れるか)の問題や、ガソリンエンジン車に比べて馬力も小さかったのです。

水素をエネルギーとする技術といえば、トヨタは世界で初めて燃料電池車「MIRAI」を市場に送り出しています。
燃料電池車とは、水素を酸素と科学融合させて発電し、その電力でモーターを回して動力を得る車のこと。
EVと共にカーボンニュートラルへ向けて注目されている技術です。

※トヨタ MIRAIの公式サイト。最近モデルチェンジされました。

初の燃料電池車を世に送り出したトヨタが、何故今水素エンジンを持ち出してきたのか。
それは自動車工業会でEVシフトへ警鐘を鳴らしたモリゾウさんの、ひとつの具体策だったのです。

前述のとおり、エンジン内で燃やす燃料が変わるだけですから、既存の技術が流用できる。今まで培ってきた技術でカーボンニュートラルを実現できますし、何よりエンジン技術者も職を失わずに済むでしょう。
必要なのは、水素を貯めておく技術と、エンジンへ水素を噴射させる技術、燃焼コントロールを行う技術だけ。
燃料を貯める技術はMIRAIで達成していますし、燃料噴射と燃焼コントロールは、現段階でかなり高い水準を達成しているそうです。

あとは燃料をどう調達するか。
MIRAIへ水素を充填させるには、「水素ステーション」が必要です。
現在、全国に144か所あるそうですが、今後もっと数が増えていくはず。
水素ステーションが全国に数多くあれば、ガソリンを給油するのと同じ要領で燃料充填が行えます。

必要な技術は揃いました。これを一般車へ搭載するのに必要なのは、「安全性」と「耐久性」。
これをレースの現場に持ち込み、鍛えようというのです。

モリゾウさんの新たな挑戦が始まりました。

相変わらずちょっと難しくて長いですが、この項のポイントは4つです。
・ガソリンを水素に変えてエンジンへ送り込めば、今までの技術を生かしながらカーボンニュートラルが達成できる
・エンジン車の魅力は「音」。既存の技術を生かし、一般車はもちろん、モータースポーツの未来も変えていく。
・開発中の水素エンジン車に乗ったモリゾウさんの鶴の一声「これでレースに出よう!」
・レースは「走る実験室」。新しい技術を持ち込み、壊して、直して、鍛え上げる。


「一般車鍛錬の場」でもあるスーパー耐久レース

自動車レースには様々なカテゴリーのレースがありますが、大きく分けると「フォーミュラカー」と「ハコ車」に分かれます。

フォーミュラカーレースはF1を頂点とした、タイヤがむき出しのフォーミュラカーと呼ばれる車を使って行われます。F1は世界中を転戦しますが、日本国内でも「スーパーフォーミュラ」を頂点としたレースが開催されています。

対して「ハコ車」とは、おおざっぱに言えば「屋根がついた車」を使って行うレース。
レースのために作ったプロトタイプカーを使ったレースもありますが、改造した一般車を使って開催されるレースも世界中で開催されており、ファンには人気です。
日本も「SuperGT」を頂点に、様々なレースが行われています。
中には、マイカーを使って行われるレースもあり、プロのドライバーではなくても参加できるものもあります。

モリゾウさんが水素エンジン車の鍛錬に選んだのは、「スーパー耐久」というカテゴリー。
プロトタイプカーの参加は認められておらず、一般車を改造した車を使って行われます。
ドライバーもプロ・アマ混合。GTRやNSX、海外のスーパーカーを改造したマシンを使ったクラスもあれば、街中でよく見る車を改造したクラスもあります。

※スーパー耐久シリーズ公式サイト。参加車両も紹介されています。

モリゾウさんのチーム「ROOKIE Racing」は、トヨタが販売しているスポーツ寄りの一般車「TOYOTA Gazoo Racing(トヨタガズーレーシング)」ブランドの車を鍛えるために「ST-Q」クラスに参戦しています。
参戦車両は2台。復活したスープラのスポーツモデル「GR Supra」と、WRC(ワールド・ラリー・チャンピオンシップ)で数々の戦績を残した技術を盛り込んだ「GR YARIS(ヤリス)」で参加していました。
GR YARISはROOKIE Racing以外のチームも使用されるようになったため、マシンを鍛える目的は達成されたとして、第2戦の菅生(すごう)サーキットで行われたレースでその役目を終えました。
GR YARISの意思を継ぎ、第3戦の富士24時間レースから投入されるのが、「ORC ROOKIE Corolla H2 concept」。レースの現場に初めて投入する、水素エンジンを積んだマシンです。

エンジンはこのために開発されたものではなく、GR YARISのエンジンそのままを使用。
実際に販売されているエンジンと同じものです。
そこに、水素をシリンダ内へ送り込むインジェクター(噴射装置)と、水素タンクを取り付けるのですが、YARISの車体が小さいため、やや大きめのスポーツカー「カローラスポーツ」にそれらを搭載しました。

タンクは燃料電池車MIRAIのものをほぼそのまま使用していますが、航続距離を延ばすため、タンクを4本搭載。クラッシュに耐えるため特別な装備を追加して、車体後部に収めました。
それでも、レーススピードで走れる距離は50kmほど。約20分に1回は水素を充填する必要があります。

使用する水素は、福島県浪江町で作られた「グリーン水素」。
水に電気を流して電気分解すると酸素と水素が発生するので、その水素を取り出して使用します。
電気分解するわけですから、火力発電所で作られた一般的な電気ではカーボンニュートラルは達成できません。
浪江町の水素プラントは、クリーンエネルギーを使って水素を作り出す巨大な施設で、水素の製造、貯蔵、輸送を行っています。

※福島県浪江町にある、「福島水素エネルギー研究フィールド(Fukushima Hydrogen Energy Research Field (FH2R))」の紹介サイト。

ピットビルの先の大きなスペースに水素トレーラーを配備。ピットで燃料充填は行わず、ピット作業の後にわざわざそのスペースへ移動して水素充填を行います。
水素は気体のまま充填。マシン後部座席を全部使った、4本のタンクに水素を満タンにするには、数分の時間がかかります。

耐久レースにはピット作業が欠かせません。
燃料補給はもちろん、タイヤ交換、そして長丁場のレースですからドライバー交代が行われます。
レースに勝つためにはピット作業にかかる時間も重要な要素ですが、水素充填だけ数分もかかるようではレースには勝てません。

しかし、今回の参戦目的はあくまで「水素エンジンを鍛える」こと。
浪江町の水素プラントから静岡の富士スピードウェイまでの大規模な移送から、レース本番でトラブルなく水素を充填する作業を遂行、そして撤収まで、世界のレースシーンを見てもこれだけの規模でのプロジェクトは初めての経験です。
たとえレースに勝てなくても、手を貸してくれた企業にとってもこれは大きな一歩、大きな前進でしょう。

5月の本番に向けて、4月下旬に24時間レースに参戦するマシンが一堂に会し、合同テストが開催されました。
ここで、水素エンジンを搭載したカローラスポーツがメディアに初めてお披露目されました。
未来のモータースポーツを変えるかもしれない注目のマシンにマスコミが殺到。
トヨタの技術者により、今回のマシンについての説明が行われました。
この時のニュースで、初めて水素エンジンの存在を知った方も多かったと思います。
注目の「音」も動画で初公開。ガソリンエンジンとほとんど変わらない、低く、よく響く音です。

そして、注目のマシンが満を持してコースイン。
ガソリンエンジン車と変わらぬエギゾーストノートを響かせ、力強く、そして慎重にコースインしていきます。

走行する姿も他のマシンに引けを取らず、コーナーを走り抜けます。
初走行だけあって各部のチェックも兼ねているのか、スピード感は感じられず、他のクラスのマシンに道を譲る姿が多く見受けられました。

注目の馬力も、ベースとなったGR YARISとほぼ変わらない数値を叩き出しているという話。真価が問われるのは、本番の24時間レースになるでしょう。

走行を終えたドライバーも、口々に「水素エンジンと知らずに乗っても違和感を感じない」と語ります。ガソリンに比べて水素は燃焼スピードが速いため、そこを意識する必要はあるそうですが、それでも今までのマシンと変わらず走行できるのですから、ドライバーも安心してドライブできるようです。
参戦発表から数か月でこのレベルですから、技術力の高さに驚かされます。

テストは大きなトラブルもなく終了。本番まで準備することは山積みだと思いますが、最初の一歩としては満足のいくものだったと言えるでしょう。
当然、レースに出場する「モリゾウ選手」もステアリングを握りました。
初走行に期待を寄せるコメントもありましたが、まずは肩を撫でおろしたことでしょう。

※トヨタイムズのYoutubeチャンネルより。
 テスト当日、この動画がいち早く公開され、モータースポーツファンの心を揺さぶりました。もちろん、私も!

そして迎える24時間レース本番。
モリゾウさんたちの挑戦は、どのような結末を迎えるのでしょうか。


この項のポイントです。
・一般車を改造したマシンで行われる「スーパー耐久」に、水素エンジン搭載車で参戦。
・選ばれたマシンは「カローラスポーツ」。市販されている「GR YARIS」のエンジンに、水素を注入する技術を搭載し、燃料電池車「MIRAI」の水素タンクを4本装備。
・浪江町で作られた「グリーン水素」をトレーラーでサーキットへ移送して使う。協力会社にとっても初めての経験。
・一般車と変わらないレスポンス。テスト走行も上々の結果に。


今回はここまで。お付き合いいただき、ありがとうございます。
次回はいよいよ24時間レース本番の模様をお話しします。


※トップ画像は、トヨタイムズのサイトより掲載させていただきました。
 テストに臨んだモリゾウ選手を始めとする各選手のインタビューをご覧いただけます。


いいなと思ったら応援しよう!