【日記】ポカめく、染まる、憧れる
染まると流されるについて考える
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1週間の初め、息切れしないように頑張りすぎないうちにPCを閉じる。
ご飯を食べ、日課の散歩に出る。
「ポカめく」という言葉がずっと頭の中にある。
確かあの人が言っていたはずだ、という確証は7割で残りの3割は別の人が握っている。
活字で出会ったはずなので、多分探せば答えはすぐに出るのだろうけれども、「ポカめく」と話した人がたった一人いるよりも、「ポカめく」と言いそうな人が数人いる方が、良き人間関係だと思う。答え合わせはしない。
太陽がポカめく。空気がポカめく。ポカめいた季節。
「ポカめく」という言葉の美しさを考える。
まず、ぽかぽか/ポカポカから来たはずの前半部分は必ずカタカナであるべきだと思う。
なぜならわたくしはカタカナが好きだからです。
カタカナの、堅牢すぎない硬さが好き。
どういうことかというと、ただ「チープな」というタグだけつけられたプラスチックみたいなところがいい。
「ポカ」はそんなカタカナの硬さと併せて半濁点の丸みを持つのだ。
「゜」
なんて愛くるしいのだろう。
そして、「ポカめく」は暖かい。
冬の澄んだ世界を抜けて迎える春先、コントラストを落としたような柔らかい水色の空が似合う。
声に出しても可愛く、口を転がしやすい響きもいい。
なぜ今日の私の頭の中をポカめきが支配したのかはわからない。
梅雨入り直前の曇り、傘はいらないくらいの雨が降る。
傘を要する雨が振ったとしても差す傘がないので、容赦/ヨウシャがあってよかった。
既にポカめくなんて言葉ではぬるすぎる暑さを感じるようになった。
まぶたに落ちた、雨の混じった汗を指で拭う。
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昨日、ある人の数年分の日記のようなものを読んだ。
『今日の[人名]』と題されたそのサイトは、一度だけ、半年くらいぽっかり空いた期間があったが、それ以外はおそらく毎日更新され続けている。
(一月ごとにまとまったリンクで過去のある時へ遡れるような親切な作りではなかったので、私は一日ごとに「次へ」を押し続けた。全ての日付を確認していたわけではないので、もしかしたら飛んでいた日もあったかもしれない。見た覚えのある日付は全て連続していた。)
「日記のような」と書いたのは、日記というほど長くなく、大半が短い一文のみであったからだ。
数年のうち8割以上のページにはiPadで開いて2行目を必要としない長さでその日にしたこと、考えたことを書いてあった。
標準的には『触れたはずの手がなくなって空を切る』くらいの長さの文だった。
触れたはずの手がなくなって空を切る
触れたはずの手はひんやりしていたのか。しっとりしていたのか。
そのような説明を必要としない文の集合体が心地よいリズムを生む。
素敵だと思った。ある種の様式美がある。
「次へ」を押して、一日ずつ前へ進む手が止まらなかった。
それでも、この世の全ての出来事がこの簡素な様式にまとめられてしまったら、私は寂しいとも思うけれども。
毎日色んなことが頭に浮かんでは沈んでいく中で、「ポカめく」をこうして言葉に残しておこうと思ったのはきっと、そんな他人の数年間の蓄積に触れたからだ。
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久しぶりにまとまった文章が頭に浮かんだ。
歯切れが良く、装飾が少ない文章だと思う。
間違いなく、『今日の[人名]』の影響を受けている。
好きな作家が何人かいる私は、偶に文章を書くが直前に読んでいた作家の癖がとても出やすい。
流されやすいのだろうか。
いや、流されやすくはない、と思う。
流されやすかったら、多分もう少し20代・女性で想像されるのに近い姿をしているはずだから。
もう少し綺麗な服を探すのを好んで、髪を頻繁に染めて、流行りの音楽のサビを口ずさむ。
その方がよかったかもしれないよね。
染まりやすい?
染まるって何?
結論を出す前に家につき、ここに至る。
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流されるのでも染まるのでもなかった。
単に、美しい文章を書く人に憧れていたのだと気づく。
この文章の一文目は、『今日の[人名]』に書かれるのであればこうまとまるだろう、と想像して書いた。