シャニマスにおける『私』の在り処~Twitter企画と「YOUR/MY Love letter」に寄せて~
はじめに
アイドルマスターシャイニーカラーズ(以下シャニマス)は 2022 年 4 月 24 日にサービス開始 4 周年を迎える。
令和のアイドルマスターシリーズとしてブランド内でも独自の方向性を伸ばして成長してきた。その中でもアニメ化される前から作中の「主人公」であるプロデューサー(以下シャニ P )のキャラがしっかりと肉付けされているのは独特で、もちろん考え方は個々人に委ねられているものの、シャニ P とプレイヤーを切り離して考える人も多いだろう。
この記事ではこの読者としてのプレイヤーという立場について、4 年目の各種施策やイベントコミュ、そして 2022 年 4 月 1 日に追加されたアルストロメリアのイベントコミュ『YOUR/MY Love letter』を振り返る。
Twitter 企画の物語性と「私」
4 年目のシャニマスは Twitter 企画が活発だった。
「ノー・カラット」の感想をつぶやこうみたいな人の心を疑うようなものから少しずつ様子が変わっていった。8 月にはその後公開されるイベコミュに合わせたノクチルの Titter 企画が、さらに年末年始にはその SNS から見えるアイドルの姿に焦点を当てたイベントコミュと連動した企画ではおむすび恐竜が再評価されそうになるぐらいには桑山千雪がこじあけていた。
後ろ 2 つのツイッター企画で特徴的だったのはリプライを返す企画だ。Twitter でハッシュタグをつけてツイートするとその中から質問を拾って解答されたり、直接リプライを編集されたりと、アイドルと直接的なやりとりが発生するという企画だ。
さて、このときに質問などを投稿する人たちの立場を考えてみると、その立場は作中のプロデューサーではなく、そのアイドルの一人のファンとして投げかけているものになる。もちろんプロデューサーもファンの一人ではあるのだが、ここではアイドルに近い立場にいるファンではないようないわば「モブ」的なファンの立場を演じることを求められる。つまり、アイドルのプロデューサーではないということを限定的にではあるが要求してきたのだ。
他ブランドでもそのようなことはあったと思うが、イベコミュ『283をひろげよう』ではリプライパーティーに参加することによって我々自身がプロデューサーではない登場人物として登場することができるという構造になっていた。シャニ P という個性を持った登場人物の物語の読者として読むという文化醸成をしてきたからこそ許されるものであるが、「壁になる」という言葉が定着している昨今、新規層にアイマスを触れる人たちにとってもそういった立場は受け入れやすいという傾向があるのかもしれない。
『私』への Love letter
話が変わるが、シャニマスでは作中で初期から貫いている思想がある。それは、イベコミュ「Catch the shiny tail」の選択肢セリフである
「みんな特別だし、みんな普通の女の子だ」
という言葉に由来する思想だ。ステージで輝くアイドルはみんな特別だし、とはいってもアイドルである前に一人の人間でもあることを説いていて、多少ご都合的な展開があったとしても、超能力や魔法が使えるわけでもない一般人の延長にあるアイドルというあり方が作中では描かれている。
このシャニマスの根幹を形成する思想が、「YOUR/MY Love letter」によってその対象がアイドルだけではないすべての人間へと拡大された。
自分がいなくても回っていく社会人、なりたい自分になりきれなかった高校生、毎日が今日の連続と感じる大学生、先生らしくないと言われて悩む高校教師、娘を心配するも距離感に悩む新規ファンの壮年男性。
すべての人に名前がある。もちろんこのコミュを読み終わる前まで私はその人たちの名前を知らなかったし、その人たちも例えば 1 人目の社会人と 2 人目の高校生は互いに名前を知らないまま、互いを「普通」の人と認識して生きていく。そして、アイドルすらも「普通」の人でありうる。
しかし、この社会人と壮年男性がそうであったように、単なる「普通」の人ではない特別な関係はこの世に数えきれないほど存在する。それは互いを名前で認識する関係だ。
Twitter企画を通してプレイヤーはアイドルのツイートに集まる「ファンの人たち」の立場を経験したが、「YOUR/MY Love letter」はプレイヤーたちが「ファンの人たち」であることを許さなかった。リプライを送られた人は「ファンの一人」ではなく、たとえばドレッドヘアみたいな牛丼をアイコンにしている「あなた」になったのだ。
リプライパーティーでリプライをもらっていた人たちはもちろん注目を集め、そこから広がったコミュニティもあるだろう。この企画の前までは互いに「普通」のファン同士だった人々が、アイドルの活動を通じて「特別」な人になっていく。「YOUR/MY Love letter」はその過程とそこに根差す思想をコミュとして描き切ったのだ。
とはいっても、すべての人がすべての人を名前を知っている「特別」な人として認識することは到底無理なことで、誰かにとって「普通」の人として私たちは生きてく。それでもアイドルという媒介を通じてその「特別」が差す範囲を広げ、私が私であることを自分でも周りの人からも認められるようになっていこう。自分が特別な存在として輝くことそのものに疑問を持ち向き合ってきた人、頑張るということを誰よりも哲学してきた人、アイデンティティを取り上げられるような経験をして新しい私になった人。社会で必死に生きるあらゆる人に向けてあなたは特別な存在だとエールを送るのにはこの三人は適役だった。
最後に
シャニマスはアイドルゲームにしては思想の強いコンテンツだ。もっとアイドルが輝くステージを観たい(できれば 3D で)と思う人にとっては全然違うものが提供されることも多い。
ただそこで提供されるものはシャニマスをプレイしていないときにも社会の中で生き続けている私たちにとっての一種の救いや赦しになりうるもので、最近のコミュを踏まえるとかなり宗教に近いところまでたどり着いるようにすら感じる。
シャニマスを心の拠り所としている人たちがたくさんいることはライブの映像を見たり Twitter 企画に投稿している人たちを見ていて認識はしていたが、今回「YOUR/MY Love letter」を読んでその人たちの名前なんて全然知らないと改めて思い知らされた。
まだ私にとって特別な人でない人たちが、シャニマスだけでなく、いろいろなきっかけで特別になり、逆に私も必要とされたときに特別な存在としていられたらという願いとともに、このとりとめのない散文を終えることにする。