見出し画像

思わずやってしまう"職業病"についてシフカのデザイナーに聞いてみた

どんな職業にも、その職ならではの「職業病」があります。ここで言う「職業病」とは、腱鞘炎や腰痛のような辛い体の不調ではなく、仕事をするうちに自然と身についてしまう習慣や、無意識のうちにやってしまう行動のこと。電車の運転士さんがマイカーに乗っているときにも信号を指差して安全確認してしまったり、看護師さんが通勤電車で吊革を掴む人の腕の血管を見て採血ポイントを脳内シミュレートしてしまったりと、職業ごとに色々な「職業病」があるようです。では、デザイナーの場合はどうでしょうか。普段からデザインすることに心血を注いでいるシフカのデザイナーに、思わず出てしまう職業病について聞いてみました。


・・・


デザインをチェックしてしまう

フォント周りが気になる

話を聞いてまず最初に出てきたのは、フォントが気になってしまうという職業病でした。屋外広告や看板、チラシ、ポスターなどが目に入ると、そこで使われているフォントについ意識が向いてしまうのだそうです。文字のプロポーションから使われているフォント名を探りつつ、場面や目的に合ったフォントが使われているかといったデザイン面も気になります。読みやすさを意識してサイズやウェイトを使い分けられているのを見ると嬉しくなったり、カーニングが未調整で「ト」の前に隙間があると惜しい気持ちになったりと、脳内で一喜一憂することも。チラシで行間が狭すぎて読みづらい説明文に遭遇すると、行数を減らせないかと文面の調整案を勝手に考え始めることもあるのだとか。

結局、広告の内容よりデザインが気になって、何の広告だったかを覚えていないこともしばしば。このフォントが気になるという職業病、程度の差はあれ話を聞いたほとんどのデザイナーから似たコメントが出ていたので割とポピュラーなものと言えそうです。

視認性を気にしてしまう

同様に、世の中のデザインを見るたびに視認性を気にしてしまうというコメントもありました。デザインを目にすると「その色の上にその色の文字だと読みづらいのでは」「白フチやシャドウを付けると見やすくなるのに」「細いフォントが白抜きだと不安」などと無意識のうちに考えてしまうのだとか。UIデザインではアクセシビリティの観点から、文字やイラストの色と背景色とのコントラストを一定以上確保することや、弱視の方が識別しづらい色の組み合わせを避けることが重要になります。常にそういった意識でデザインをしているので、視認性を気にする症状が出てしまうのでしょう。

視認性の心配という意味では、余白の取り方が気になってしまうというコメントも複数人から出ました。例えば壁に掲示されている手書きの案内文などで紙の端ギリギリまで文字が書かれているのを見ると、読みやすくするため余白を確保したい衝動に駆られるのだとか。また飲食店でメニューを見ているときに余白のバランスがつい気になってしまったという報告も。余白の取り方もデザインの重要なファクターですので気持ちは分かりますが、メニューを見ているときは「何を頼むか」に集中したいものですね。

ピクトグラムも見てしまう

公共施設などにある案内用のピクトグラムをついつい見てしまうというデザイナーもいました。最近はインバウンド対応のためかピクトグラムが使われる場面が以前より増えていることもあり、外出中にピクトグラムのある案内表示を眺めてしまう場面も増えているとのこと。トイレを示す絵柄が分かりづらいといった指摘が話題になることも多いなか、今まで見たことのなような、それでいて分かりやすいピクトグラムに出会えたときにはテンションが上がってしまうのだそうです。

これを聞いて、エレベーターに乗るたびに開閉ボタンのマークを確認してしまうと報告するデザイナーも。開閉マークには「◀▶」と「▶◀」という表現がよく使われますが、これがひと目では把握しづらいと以前から感じているそうです。もっと分かりやすい表現が無いかとずっと思案しているため、エレベーターに乗るたびに開閉マークに目が行くようになってしまったのだと話してくれました。

UIを見逃せない

ニュースやドキュメンタリー番組などでたまたま映ったモニターにUIが表示されていると、それを凝視してしまうという話も出てきました。まるでUIを嗅ぎつけるセンサーが付いているのかのように、小さく映っているUIを目ざとく見つけては、その色使いやレイアウトを気にしてしまうのです。発電所や交通機関の司令室のように、普段見られないような巨大システムのUIが映ると大興奮。番組の内容よりUIのほうに意識が向いてしまいます。映画やアニメを見ているときに、そこにUIが出てくるとストーリーよりそちらが気になってしまうのも同じ症状ですね。昔の作品に登場する「頑張って未来感を出しているUIデザイン」に出会うと微笑ましい気持ちになったりもします。

この話題の中で、組み立てブロックの「レゴ」にはUIがデザインされたブロックが何種類もあり、そのUIデザインを分類した記事があるとの情報が共有されました。レゴは小さな子どもも遊ぶ玩具ですので、そういった子どもたちが「いかにも操作画面」だと感じるデザインになっているはずです。レゴの長い歴史の中で、その時代ごとの雰囲気を反映したUIになっていると考えると俄然興味が湧いて来ますね。

デザイナー同士でそんな話をしながら記事を読んでいると、記事冒頭の写真で分類に使っているマトリックスを区切るラインが、レゴのポッチ数の都合から中央になっていないことが気になってしまうという職業病をその場の全員が発症したのでした。


改善案を脳内検討してしまう

勝手に比較レビュー

ネットバンキングアプリなど、同じ機能を持つアプリを複数使い分けるとき、無意識にアプリ同士を比較してしまうというデザイナーもいました。アプリを操作している最中に「ここの手順はあのアプリのほうが分かりやすかった」「この会社はこの部分を工夫しているんだ」とついつい比較レビューしてしまうのだそうです。また操作感が気になったときは、「トリガーからイベント発生までのウェイトを少し変えるだけで良くなるのに」などと考えながら何度もその操作を繰り返してしまうことも。アプリだけでなく、普段とは違う端末を使う機会があると、スワイプの挙動一つとっても違いを楽しみながら脳内比較レビューが始まるのだとか。やがて端末やアプリの差から設計思想の違いを読み取るところまで脳内の旅が続いてしまい、本来の目的が後回しになっていることに気づいて我に返るとのことで、これは立派な職業病と言えそうです。

一人UIチェック

初めて使うアプリの画面を見た際に「いま自分が画面内の要素をどんな順番で見たのか」を検証してしまう、という症例の報告もありました。「最初に目が行った場所がここで、そこからこの見出し文字を追って…」と自らの目線の動きを分析してしまうのだそうです。そこから、なぜ目線がその順番を辿ることになったのかを推測したり、アプリのUIをデザインした人はこういう目線の動きを想定したのだろうと想像したりもするのだとか。初見時の行動は一度しか体験出来ないので、それを無駄にしたくないという気持ちが生んだ職業病なのかもしれません。似た症例として、Webページのデザインに見入ってしまうという報告もありました。単にWebページのデザインが気になるというレベルではなく、そのページに来た本来の目的忘れて分析を始めたり、ときには押す必要のないリンクまで押してしまうとのこと。必要のないリンクを押してしまうのは、その先のページのデザインが気になるため。「さあ入力ページの出来栄えを見せてくれ!」といった気持ちを抑えられないのだとか。なるほど、これも職業病の疑いが濃厚ですね。



業務の影響がここにも

マイルールで整頓したくなる

データのファイル名を自分のルールで揃えておきたくなるという報告もありました。業務の中で制作するデータは事前にファイル名が決められていることが多いものの、自分だけが使うファイルであれば自由にファイル名を付けることができます。そんなときに自分の命名マイルールが発動するのだそう。そのマイルールとは、例えば2〜3個しか作らないデータなのに連番を「01」と二桁で始めたり、単語同士の接続はアンダースコア「_」と決めていたり。ファイルの整理もフォルダを利用してキッチリ整頓しておきたい症状に見舞われます。もちろん、整理しやすい命名は悪いことではないのですが、他の人から受け取ったファイルの命名がカオスだったりすると、見るたびにモヤモヤしてしまう副作用も。この話題には、症状自体は良くあるもので特にデザイナーに限った職業病ではなさそうとの指摘もありました。

一方、意見が分かれたのはデスクトップの整理整頓です。デスクトップにファイルが散らばるのは嫌なので常に整理しているというデザイナーがいる一方、逆に散らばったファイルでいっぱいになっているというデザイナーもおり、人によって症状が異なることが判明。加えてPCの中のデスクトップは整頓が行き届いているのに、それを映すモニタが置かれている現実のデスクの上は物が散らかっているというハイブリッドなタイプも結構いることがわかり、興味深い結果となりました。

決定の裏側が気になってしまう

機能とは直接関係しない部分なのに、そのおかげで分かりやすさや心地よさが格段に向上するような素晴らしいUXに触れると、巨大なプロジェクトの中で誰がこれをやろうと言い出して実現できたのかが気になってしまうという報告もありました。プロジェクトにはデザイナーやエンジニアを始め多くの人が関わっている上に、スケジュールやコストなどの制約もある中でなされたであろう提案や検討、承認のプロセスに思いが巡ってしまうというとのことで、これはちょっとレア度が高めの職業病と言えそうですね。

現実の世界を仕事の目で見てしまう

雲ひとつない青空を見ると「なんて切り抜きやすいんだ」と感じてしまうという、言葉だけ見ると荒唐無稽ながら同意するデザイナーも多そうなコメントも出ました。似た例で、チラシや雑誌の人物写真を見ると「この髪型は切り抜きが大変そうだ」と勝手に心配が浮かんでくるという報告や、街を歩いているときに見える風景に「これは良いパースだ」といちいち感じてしまうという声も。現実の世界を見るのに無意識のうちに仕事の目を持ち込んでしまうという職業病ですね。

何かを見かけるたび、つい「素材として使えそう」と考えて写真を撮影してしまうという報告も。確かに地面を覆う苔やひび割れたレンガの壁を見かけるとつい撮影してしまうことがありますね。普通に撮影する写真とは別に、素材としての使い勝手を考えたレイアウトで1枚余計に撮影してしまうとのコメントもありました。

色が目に入ったときに、色の数値を推し量ってしまうという重篤な病の報告もありました。見かけた色について「HSVだとこのくらいの値だな」と頭の中に数値が浮かんでしまうのだとか。これは人によって色の値がRGB値だったりHex値だったりと、その症状にもバリエーションがあるようです。


・・・


今回はシフカのデザイナーが思わずやってしまう「職業病」について聞いてみました。いろいろな症例が出てきましたが、「見かけたデザインに反応してしまう」系の報告が多くを占める結果となりました。話を聞いたどのデザイナーも、まだ経験が浅く表現の引き出しが少なかった頃から、様々なデザインを目にするたびに自分ならどうするかを常に考えていると言います。そういった、良いものを見たい・吸収したいというデザイナーの気持ちが思わず漏れ出したものだと考えれば、こういった「職業病」も決して悪いものではなく、むしろ懸命に取り組んできた証だと言えるかもしれませんね。

いいなと思ったら応援しよう!