隠されし遺産を求めて〜あるいはエデン条約編After Story〜感想【ブルーアーカイブ】
ごめんウイ。本の話に全っっっ然集中できない。この角度はガン見しちゃう。弱い先生を許してくれ……
かくなる上は、セレチケで水着じゃない方をお迎えするか——と、個人的な話はさておき。ブルアカは間もなく2.5周年を迎えます。それに先だってシナリオイベント「隠されし遺産を求めて~トリニティの課外活動~」が開催されました。いつも通りドタバタコメディなのかな〜と思って読み進めていたら「これもうエデン条約編After Storyじゃん❗️❗️😭 𝑩𝑰𝑮 𝑳𝑶𝑽𝑬……」になりました。不意打ちすぎた。せっかくなので、各生徒に焦点を当てながら、ちょこっと感想をまとめてみます。
(※以下、「隠されし遺産を求めて」、エデン条約編、最終編、水着ウイ絆トークのネタバレを含みます。未読の方はご注意ください)
若葉ヒナタ、歌住サクラコ——経典と解釈
経典をどう解釈するか、という話が本シナリオの終盤で出てきます。これについて、エデン条約編における経典への解釈の違いを踏まえてまとめてみます。
エデン条約編では「全ては虚しい。どこまで行こうとも、全てはただ虚しいものだ(vanitas vanitatum, et omnia vanitas)」という一節が題材になった。これは旧約聖書「コヘレトの言葉」1章2節が元ネタ。一見するとため息にも似た厭世的な言葉だが、続く9節9章では「太陽の下、与えられた空しい人生の日々 愛する妻と共に楽しく生きるがよい。それが、太陽の下で労苦するあなたへの人生と労苦の報いなのだ。」(新共同訳聖書より)と、現世を達観しながらも、神から与えられた生を享受する積極的な姿勢を垣間見ることができる。あるいは、そこから白洲アズサのような「全て虚しくとも抵抗を止める理由にはならない」と、積極的ニヒリズムの姿勢を読み解くこともできるだろう。
このように、決して絶望や憎悪だけを説いているわけではない、むしろ虚しさに襲われる私達に寄り添い勇気づけてくれる、というのがこの文言にまつわる一般的な解釈である。
アリウス分校を裏で支配していたベアトリーチェもそこは理解していた。しかし、恣意的な解釈によって生徒達に洗脳教育を施す。その結果、アリウススクワッドは彼女の傀儡になった。経典に書かれていることは同じでも、どう読み取るかは個々人や集団の思想・行動よって異なる。そして、事実や論証はどうであれ、人はそうして解釈に依拠しながら世界を認識していく——「事実というものは存在しない。存在するのは解釈だけである」という哲学者ニーチェの言葉を彷彿とさせる出来事であった。
ではエデン条約事件の災禍を経た今、生徒達は世界に対してどんな解釈を持ち始めたのか? その変化を象徴しているのが、「隠されし遺産を求めて」の終盤において、若葉ヒナタが語った経典への解釈のあり方であるように思う。一応、その台詞に至る経緯ざっくりまとめると——ヒナタ達一行は、ユスティナ聖徒会の遺跡の調査結果を、歌住サクラコに報告することになった。しかし、「あの子(タイムカプセル)の役割を最後までまっとうさせたい」という古関ウイの強い希望により、タイムカプセルについては報告せず、元のままにしておくことになった。
ヒナタは敬虔な信徒でありながら、シスターフッドの長であるサクラコに意図的に隠し事をしたことになる。それでよかっのたかというウイからの問いに対して、ヒナタはこう答える——
ヒナタほんま純粋でええ子や……まぶしい……ウイの気持ちめっちゃわかるな……
嘘は良くない——経典は旧約聖書が元ネタであるようなので、これはエデン条約編4章感想記事でも触れた「カインとアベル」の逸話に基づく教えだろうか。兄カインは弟アベルを殺害。その後、神に「アベルはどこ行ったんや?🤔」と訊かれたが、カインは「知らんがな。ワイは弟の番人っちゅうんかい? ええ?」とシラを切る。すぐに嘘バレ。カインは罰として、エデンの東にあるさすらいの地ノドに追放された。そんな逸話だ。
この逸話を重んじるのであれば、確かに嘘をつくのはよくないことだ。しかし、ヒナタは自分の心の声に従って、成すべきだと思ったことを成したのである。それが慣習に反することであっても。
……と、ヒナタにそんな教えを諭したサクラコは、シスターフッドの秘密主義が世間に陰謀論の種を撒いていることを理解しており、それでも何とか他者と平和的に協調できるようにと努めているようだ。エデン条約編や最終編においても、彼女は救護騎士団やティーパーティのナギサと積極的に協力し、事件の解決を目指した。厳格な秘密主義や律法主義だけに依拠せず、自分が成すべきことに真摯に向き合い、真の平和を築くために他者との共存の道を探る。一連の事件を経て、その使命をより深く身に刻んだことだろう。そんなサクラコの姿勢と成長ぶりが、経典のこうした解釈のあり方を成り立たせているように感じられる。
そして、この成長はヒナタやサクラコだけのものではない。経典をどう解釈するか。世界をどう解釈するか。「全ては虚しい」という文言は、ベアトリーチェのような一意的な解釈だけが存在するわけではない。サオリはその解釈が絶対的なものであると依拠していた、せざるを得なかったが、それは劇的に変化した。ベアトリーチェの支配から逃れて、アズサのように別の世界があることを知り、不安の中で自分探しの旅に出ることを決意した。アリウススクワッドも、追手から逃げるためだけではなく、自分達の青春を謳歌するために歩み始めた。そう、生徒達は新たな解釈を手にしたのである。大いなる運命を前にして、それに抗う道を模索してみることを。未来を信じてみることを。経典や戒律をただただ盲信するだけではなく、大切なのはそれを通して己に向き合うことであると。
経典と解釈。ほんの些細な描写であり、かつ行間を読む形ではあるが、「全ては虚しい」にまつわる解釈に振り回されながらも、そこから一歩踏み出して、新たな解釈を胸に「青春の物語」を紡ぎ始めた生徒達の心境の変化を感じ取れる場面であるように思う。ヒフミのブルアカ宣言、新たな道を歩み始めたアリウススクワッド 、自分自身に正面から向き合うミカ——本シナリオに登場していない生徒達ですら、私の脳裏には浮かんできた。……みんな元気でやってるかな。困ったことがあったらいつでも呼んでね❗️👍
と、これだけでもお腹いっぱいですが、他にもエデン条約編を思い出させる描写があります。続けて取り上げていきます。
古関ウイ——歴史認識、交わる道
ユスティナ生徒会の遺跡は、何のために建造された施設であったのか。古関ウイはその謎を解明するために調査を進める。そう、真夏の島で水着姿のまま、薄暗い遺跡の中へ、先生と二人きりで潜り込む……
たすかる。コハルの死刑宣告は万病に効く🙏 さて、遺跡の内部を直接目の当たりにしたウイは、こんなことをつぶやく——
……これねえ、やっぱりアリウス分校の歴史を思い出しますね。
アリウス分校はかつて、トリニティ総合学園として連合になることに猛烈に反対。その結果、経典に関するちょっとした解釈の違いがあった程度の差異しかなかったにも関わらず、連合側から徹底的に弾圧され、やがて歴史の闇に葬られた。これはまさに、ウイが語るように、大切にされてきた物語が、誰かの勝手な都合や決めつけによって踏みにじられてしまったと言える。結果、長年に渡って憎悪が蓄積され、エデン条約事件が勃発する遠因になり、サオリ達のような過酷な境遇で育つ生徒を生み出してしまった。
私達は先人達のその咎から学ばなければならない——と、そこで光を当ててくれるのが、ウイのこの姿勢だ。怖いとか、陰気とか、不快とか、そんな風に決めつけるのではなく、まずは水たまりに落ちる水滴の音に耳を傾けてみること。埋もれてしまったものに向き合うこと。白洲アズサの転校を機に、いつかアリウスとトリニティが和解できる日が来るのなら、ウイのようなフラットな視点が必要になるだろう。アズサだって、一見するとガスマスクをかぶってゲリラ戦術をしかけてくるやべーやつだけど、ペロロ様を愛して止まない普通(?)の女の子なのだ。
それでも現実的な問題として、やはり人間の先入観はそう簡単に直せるものではないし、トリニティとゲヘナの確執も続いているわけだが……しかし、古関ウイという生徒は聡い。自分の厭世的・露悪的な先入観が歪んだものであることをメタ認知的に自覚し、自省し、少しずつでも「外の人」と接するようにしている。そんな彼女の誠実な姿勢が、本シナリオの終盤において活かされることになる。
遺跡調査の末に発見した宝箱、もといタイムカプセル。考古学的価値があることは間違いない。しかし、ウイは「"この子"たちの意志を尊重したい」という思いから、元の場所に残しておくことを選んだ。「こんなところに置き去りにされているなんて可哀想だ」と自分の物差しで勝手に決めつけるのではなく、何がこの子たちにとっての本当の幸福なんだろう、と真摯に向き合ったからこその選択。それは、先入観で人を決めつけてしまう自分を反省し、そして成長しようとしているからこその誠実な態度なのだろう。
……いい子だなあ。厭世家だけど、自分の悪癖に向き合いながら、少しずつ人と関わろうとしている。本やタイムカプセルを「この子」として捉える思いやりがある。ショーペンハウアー、シオラン、カミュとか読んでそう。いっぱい語り合いたい。さっきはほんとごめんね、ガン見しちゃって……
話を戻しますと。エデン条約編はある種、歴史の話でもある。それについて本シナリオでは古関ウイという表舞台にはいなかった生徒によって、こうして新たな視点で語られている。闇に葬られた歴史に対面した私達はどう生きるべきか、他者とどう手を取り合っていくのか。エデン条約編から地続きな未来への展望を見せてくれている。
それから、宝箱=青春の思い出として捉えれば、「青春の物語」を誰にも歪めさせず、自分達の手で紡いでいく——という、ヒフミの「ブルアカ宣言」と重なる描写としても読み解くことができるだろうか。これもまた、エデン条約編以後の生徒達の心情の変化を象徴しているように思える。
……何だかすでにまとめっぽい文章ですが、本シナリオはまだ終わりません。この古関ウイという生徒の過去、あの生徒に似ているように思えます。
浦和ハナコ——わがままな自分を
浦和ハナコ。その類稀なる才能を我が物にするために、トリニティ総合学園の各組織は彼女に様々な甘言を弄した。そんな悪意と独善に満ちた数々の思惑を、ハナコは秀才であるがゆえに鋭敏に読み取ることができてしまう。ベアトリーチェ曰く、アリウス以上に憎悪が渦巻いているというトリニティのどす黒い渦の中にハナコは晒され、捻れて歪められていった。こう言い換えられるだろう——あの時、浦和ハナコという宝箱を、誰も「この子」として扱おうとしなかった。彼女の意志を尊重せず、都合のいい道具として利用した。宝箱を残すというウイの提案に、ハナコは自分の境遇を重ねていたのかもしれない。
やがてハナコは、あるがままの、丸裸の姿でいられる場所に、補習授業部に出会った。かけがえのない仲間達とそこで過ごせる日常を、今では大切にしている。こうしてハナコは自分の本心を少しずつ打ち明けるようになったが——
だくねす佐倉さんは上記記事で「かなり感情本位で動いているシーンにおいても、そう思わせないように振る舞いがち」と考察している。確かに、ハナコは本心を詭弁や言い訳ではぐらかすような言動が多い。それは最終編において、ヒマリとリオの関係をそっと取り持ったように、対人関係における振る舞い方を心得ているからであり——その一方で、上記記事で取り上げられているような、「お節介だけど何か言ってあげたい」「友人を傷つけた者を懲らしめてやりたい」「先生に甘えたことを言ってみたい」といった抑えがたい感情が漏れ出すゆえの、本音と建前が混ざった言動なのだろう。
己の心と書いて忌まわしい——浦和ハナコは秀才であるがゆえに、見えすぎてしまう。他人の悩みも。そして、自分の内に宿る醜悪さやエゴさえも。誰かを思いやる気持ちは本心だ、そのために何をすべきかは瞬時に導き出せる。しかし、自分の感情だけは。うまくいかない。様々な葛藤が心の内で渦巻き、うまく外に出すことができない。
そんなハナコが、
器用で、スク水姿でうろつき、その実、誰よりも本心をうまく打ち明けることができずにいた少女が、
こう打ち明けるのである——
誰のためでもない、
ただ自分のために、
「みんなと海に行きたかった」と。
「……としたら、どうでしょう?」「(普段と言動が違うのは)夏ですからね」と逃げ道を用意しているのがいかにもハナコらしい。「そっか、ハナコはずっと我慢してたんだね……」と先生に余計な心配をかけてしまうかもしれない、という遠慮があったのだろう。
それでも甘えてみたかった、わがままを素直に言ってみたかった。
……言えたじゃねえか。それは、かつてトリニティに渦巻く数々の思惑に左右され続けたハナコが、今では、自分の丸裸の心を誰かに委ねることができる安息を、仲間を、そして、楽園の存在を信じてみるという一歩踏み出す勇気を、手にしたことの何よりの証拠なのだろう。ここにたどり着くまでに、どれほど深い葛藤があったのか。その胸中に思いを馳せていると、不意に涙がこぼれた。そう、振り返れば、本当に本当に長い道のりだった――
ハナコ……
ハナコぉ…………
ハ、ハナコぉ……❗️❗️
ハナ——
コオオオオオオオオオッ❗️❓❗️❓❗️❓
補習授業部、正真正銘の水着パーティー開催。……まさか「夏空のウィッシュリスト」がここに繋がってくるとは。最高のサプライズでした。感情のジェットコースターかよ。ハナコのお願いを聞いてくれてありがとう先生……😭🙏
きっと夏のせい。そう言い聞かせて身を委ねてしまおう。わがままになってみよう。様々な事件を経て渡されたバトンは、これからも私達を勇気づけてくれるのだから——
完走した感想
エデン条約編After Story。そう呼ばずして何と呼ぼう。
もちろん、このシナリオ単体でもお話として成り立っていますが、経典の解釈、歴史・他者との接し方、ハナコのわがまま、といった数々の描写はやはりエデン条約編を、そしてその事件を経た生徒達の成長を実感させてくれる。いやもう最高すぎるわ……そんなわけで、初めてイベントシナリオの感想文を書くに至りました。ちょこっと感想を書くつもりが、気づけば7,000文字超。やっぱ大好きなんだよなエデン条約編。
エデン条約編1章の公開から2年。実に2年。その歳月を経てもなお、物語は新たな幕開けと共に紡がれていく。——きっと人生に正解はない。様々な葛藤がせめぎ合う中で、それでも少女達は証明しえぬ楽園を信じて歩み続けているのだ。その小さな数々の歩みが、これからも私達の日常に「奇跡」を生み出すだろう。まさに「Constant Moderato」。それではまたどこかで。
<エデン条約編感想記事>