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己を呪う、その果てに——エデン条約編4章・感想【ブルーアーカイブ】

[……]事実、ボードレールは、子供のように、錯誤のなかにいることをえらんだ。しかし、彼をへまな男だと判断するまえに、この際、どんな種類の選択が問題になっているかを問わなければならないだろう。つまり、その選択は、うかつにされたものか、単になげかわしい錯誤にすぎないか。あるいはその反対に、力の過剰のせいか。おそらく悲惨な思いをしながら、しかし断固として、意志されたものか。わたしはさらに問うてみたい。このような選択は、本質的に詩の選択なのではなかろうか、これは人間の選択ではなかろうか、と。
 それがこの本の意味なのだ。
 わたしの考えでは、人間とは、必然的に自分自身と対立するものであり、自分を肯定することのできないものであり、したがって、みずから自分を断罪の対象としないかぎりは、自分を徹底的に愛することはできないものなのである。

「文学と悪」p.54 ジョルジュ・バタイユ
山本功訳

・自由とは、厳密には「子ども」だけが持ちうる能力だ。行動という強制命令や秩序に囚われている「大人」にとっては単なる夢想でしかない。子どもの自由は、大人によって限界づけられている。

・その限界に対して盲目を装うこともできるが、それは欺瞞でしかない。同様に、人間を秩序のくさびから解き放ち、精神を自由にしようとする詩人の行為もまた、絶えず欺瞞が付きまとっている……しかし、自分の悲惨さを告白しようとするその行為こそが、まさに詩の選択、人間の選択ではないか。バタイユは「文学と悪」のとある章でそう論じた。章題はこうだ——「人間は、みずから自分を断罪するのでないかぎり、自分を徹底的に愛することはできない」

・私達は自分の一部を呪い続けることを止められない。自分自身を断罪するために、常に何かを為そうとし、あるいは、差し伸べられた手を拒絶する。そんな「行動」に支配された私達には、真の楽園も、真の自由も、訪れるはずがない。

楽園はよほど我慢のならぬところだったのだ。そうでなければ、最初の人間は楽園に安住したはずである。この世はというと、どうやら輪をかけて我慢のならぬところであるらしい。なぜなら、人びとはかつての楽園を愛惜し、別種の楽園を未来にあてこんだりしているのだから。では、何を為し、どこへ行けばいいのだ? 何もしないこと、どこへも行かぬこと、それに尽きる。

「生誕の災厄」p.21 E.M.シオラン
出口裕弘訳

・何もしない、どこにも行かない。そんなことは不可能だ。しかし、自分がそんな存在であることを知った時に、初めて見えるものがあるのではないか。傷つけた手首から血が滴り、手を真っ赤に汚して歩み続けて——ふと立ち止まると、見上げた空が思ったより広いことを知る。そんな瞬間があるのではないか。エデン条約編4章はそんな物語だ。初見感想をお届けします。

<前回の記事はこちら>


贖罪、己を呪う魔女

左:歌住サクラコ
中:桐藤ナギサ
右:蒼森ミネ

・左から順にシスターフッド、ティーパーティー、救護騎士団のトップ。3人集まると絵になるなあ。せ、先生はお茶汲みでもしてようかな……!

・エデン条約に関する騒動の情報共有、および事後処理について会議中。喫緊の課題は、事件の元凶であるアリウスに関する情報収集。しかし、アリウス自治区は、トリニティ自治区の複雑怪奇な地下遺跡群の中にある。入り口が定期的に変わってしまう不思議なダンジョンなので、部外者が突き止めることは不可能。

・関係者から聞き出そうにも、アリウススクワッドは現在行方不明。ならばと白羽の矢が立ったのは聖園ミカ。アリウスと結託していたのだから、アリウス自治区に入る方法を知っているのではないか。彼女はまだ何かを隠しているのではないか——

「……いえ、私はミカさんを信じます。」

たしかに……ミカさんは善良な生徒とは言えませんが……。
それでも私はミカさんを信じます——それが、今回悟った教訓ですから。
他の方にも信じていただけるよう、明日の聴聞会に出席してミカさんを弁護いたしましょう。

・ナギサの成長が垣間見える一幕ですね。彼女はセイア襲撃の一件を受けて、他人を信じることができなくなり、補習授業部の4人に疑いの目を向けて、退学処分にしようとした。結果、対応を見誤り、ミカを止めることができなかった。その教訓として、他人を信じることを学び、今まさに実践している。

・ナギサがミカの近況を伝える。学内掲示板ではミカについて非難の書き込みが殺到し、あろうことか彼女の持ち物を焼却する生徒まで現れた。さながらSNSで炎上した人物に過剰な叩き行為が横行するかのような光景。過剰な正義の行く先は、やはり暴力か。

・明日、ミカの聴聞会が開かれる。ミカは自分を弁護する意思するがなく、欠席するつもりでいる。このままでは退学処分は避けられない。先生がミカを直接説得する運びに。なぜ彼女は自分を弁護しないのか——

これは全て、私が払わなきゃいけない代償だから。
「セイアちゃんが、また無理をしてしまったら……私は……自分のことを許せないと思う……

それはミカ自身が自分を赦するつもりがないからだ。

・セイアはミカを「自傷的」だと評した。3章で集団リンチに抵抗せず、その暴力に身を委ねたのは、自分への罰という意味合いがあったのだろう。また、礼拝で聞くKyrie(憐れみの賛歌)について、ミカはこう述べている——

そうかな?聞いてて退屈じゃない?「ご慈悲を」とか「憐れみたまえ」とか——
Kyrie eleison(キリエ)なんて、名前も気に入らない。どうして見えもしない存在に縋らなきゃいけないの?
「憐れみたまえ」だなんて口にしたところで悲惨なだけじゃん。そんなの自分にも、他人にもするものじゃないよ。

・神に縋ろうとも、自分を憐れもうとしても、やはり自分を赦すことができない。神様が急に現れて「お前の罪を全部赦すやで〜」と言われて、楽園へ導かれようとも。ミカ自身が納得しない限り、救われることはなく、本人にとってはどんな環境も地獄の業火と化す——「人間は、みずから自分を断罪するのでないかぎり、自分を徹底的に愛することはできない」。ミカの中では、まだ自分への断罪が足りていないのだ。彼女が求めているのは正当な罰ではない。骨の髄まで焼き尽くすほどの罰を受けて、初めて自分を赦せる気がしている。だから自分を弁護するつもりがない。単なる自暴自棄とは少し違う、自分を肯定するための自傷行為が、マゾヒズム的感情がそこにある。……ミカ、大丈夫かな。DV夫に沼るタイプかも。先生は心配です。

・しかし、罰を自ら欲するということは、それだけ赦しを得たいと思っていることの裏返しで。まだセイアちゃんにちゃんと「ごめんね」を言えてない、そう語るにミカに対して、先生はじゃあセイアに会おうと提案。ミカはその言葉に縋るように、聴聞会に出席することを約束。

・セイアの方もちゃんとミカに謝れていないと自分を恥じている。この際なので、二人きりで腹を割って話す機会を設けることになった。いやもう話し合うんじゃなくてさ!! 河原で取っ組み合いの喧嘩しようぜ!? 腹の探り合いだと埒が明かないから、拳で語り合った方がいいっしょ❗❗👊😁 ああん、最近だらしねえな!?

・セイアが体調不良なのでそれは断念。ミカとセイアが二人きりで話す。しかし、運命の悪戯は突然やってくるもの。

「廃棄しようとしていた消耗品ですが、先生を殺せば許す機会を与えると伝えました。」

・セイアが夢を通じてゲマトリアに接触。事件の全貌を知る。アリウス自治区はベアトリーチェの支配下に置かれている。同校の生徒を傀儡にして、エデン条約を改竄して守護者の力を得ることが目的だった。その過程で「先生」が危険な存在であるとの認識に至り、現在はアリウススクワッドに先生の殺害を命じている。

・一連の事件のきっかけになったのは、アリウスがトリニティに接触する機会を与えたのは、そして先生が狙われる原因を作ったのは——

「君が、アリウスと接触したことによって……。」
「君が、先生を連れてきたから……!」

・本心ではない。予知夢によって意識が混濁として、とっさに出てしまった言葉だ。直後に「いや、君のせいではないな……済まない。」と発言を取り消す。しかし、時すでに遅し。ミカにとっては、本気で謝ろうとしていた相手から「何もかも君のせいだ」と糾弾されたも同然。その誤解が解けないまま、セイアは意識を失ってしまう。

・考えうる限り最悪の事態だ。ミカと対話する前に、セイアは先生にこう語っていた——

だが……そんな彼女にも救いがあるとすれば……。
私が一命をとりとめた事で、彼女が辛うじて人殺しには堕ちなかったという点。
ミカがこの地獄のような状況に耐えていられるのは……その事実があるからなのだろうね。

人殺し!この魔女め!!」

ミカは人殺しになってしまった。事実は全く異なるが、当事者視点ではそう見えても仕方がない。ミカ視点では、セイアはミカを糾弾して倒れた。他生徒視点では、セイアはミカに接触したことで容態が急変した。痙攣も血も止まらないガチの重体。こんな状況では、ミカに全ての非があるように見えるはずだ。

「私がバカだから、セイアちゃんが……私は全然、許されていなかったんだ……。」

・唯一の救いであるセイアを失ってしまった。やはり私は赦されてなんかいなかった。そこでミカが至った結論は——

「私の大切な人たちがこんな目に遭っているのに、錠前サオリだけ安穏と過ごしてるなんておかしくない?」
「私が奪われた分だけ、同じように奪われなきゃ不公平でしょ。」

待て待て待て待て!!!!✋💦

・ねえなんで!? なんで急にそっちに舵切っちゃうの!? ねえ!! ……と、最初は大困惑したけど、最後の希望を失ってしまった彼女の心境を考えると、理解できる感情だ。不条理や矛盾に直面した時、理性を持つ者はどんな行動をとりうるか——

 人間には理解できないことや矛盾を超えてすべてを認め理解できる存在として浮遊制御体は造られていた。制御体は、原因さえ与えられれば、莫大なデータであろうとも、それを処理して未来を予想することができた。
 だが今回はそうではなかった。
 制御体は選択を迫られていた。不明体を消去するか、自らの価値を放棄するか、の二つだった。それ以外に矛盾を解決する方法はなかった。浮遊制御体群は前者の道を実行することに決めた。もちろん、そうだった。制御体は自らの価値を放棄すべきだという事態に直面してはいなかった。

「ブラック・ウィドウ - プリズム」神林長平

・この場面のミカ、世の不条理や矛盾を無理やりねじ伏せて自己を再確立するか、自分の喉を掻っ切って死ぬか、その二択しかなかったと思うんですよ。これまでの言動を鑑みると、それぐらい極端な思考をする子だ。解釈違いだったらすみません。

・で、ミカは正すことのできる矛盾を見つけた。見つけてしまった。最悪の形で。「元凶であるあの女も奪われなきゃ不公平でしょ」と。嫉妬という言葉だけでは表現しきれない、生死に差し迫った問題がそこにはある。To be, or not to be, that is the question.

・しかも、ミカはなまじクッッッソ強いだけに実行できてしまう。生徒達を易々と蹴散らしてトリニティから脱出することに成功。実際、ゲーム面でもかなり高性能らしい。私は引けませんでした。ブルアカ始めて2日目がガチャ最終日だったからね。つれぇわ……

・何となく思い出したのは、旧約聖書における人類最初の殺人。兄カインと弟アベルが神に供物を捧げる。神はアベルの供物には目を留めたが、カインの供物には目を留めなかった。怒ったカインはアベルを殺害する。3章でサオリが「経典に出てくる最初の「人殺し」は、たったひとつの石ころで人を殺めたそうだ」と語っていたのはこのエピソードが元ネタ。まさしく、「なぜ自分だけが/あいつだけが」から生じる人間の衝動や殺意の凄まじさを物語っている。

・カインはエデンの東、ノド(さすらい)の地に追放される。誰にも殺されることがないように刻印を施されたので、その罪を死ぬまで背負うことになる。ミカもまた、サオリのヘイローを破壊——殺して、正気に戻ったら、己の罪の深さにもがき苦しみながら、さまようことになるだろう。

・なんつーか……ナギサとミカって対照的ですね。ナギサは器用なんですよ。他人を信じられなかったばかりに、補習授業部を始めとする色んな生徒を傷つけてしまった。だから今度はミカを信じる。それが彼女なりの贖罪だ。建設的だ。自分自身の成長にも繋がっているので、プラスの方向に働いている。ミネやサクラコからも信頼を得た。

・ミカはとにかく不器用。彼女にとっての贖罪といえば、暴力を我が身で受けることだった。そして、そんな受動的態度を急激に反転させて、暴虐を尽くす行為に走り始める。行き当たりばったりだし、マイナス方向にしか働いていないし、やること成すことが全て裏目に出ちゃってる。

・常に最善の道を選んでいるつもりなんだろうけど、自分で自分の首を絞め続けているし、「あいつ言ってることころころ変わるし、やること極端だし、やばすぎるだろ。近寄らんとこっ」と周囲に理解もされない。ずっとそんな人生を歩んできたんだろうな。生きづらいだろうなあ……

・ミカを表現する言葉がネガティブで申し訳ないです。ミカを貶めるつもりは微塵もなくて。「ミカぁ……ごめんね気づいてあげられなくて……😭」ってなってます。他人事とは思えない。私も人間が下手なので。

挫折によって、たえまなく相貌を変えさせられる生活。

「生誕の災厄」p.68 E.M.シオラン
出口裕弘訳

・かくして、トリニティの裏切り者、悪役令嬢、塔の中のお姫様という道筋を辿ったきた聖園ミカは今、憎悪を撒き散らす魔女と化した。しかし、彼女が心の奥底で最も憎んでいるのは他の誰でもない、自分自身だった——


反抗と自殺——アリウス"スクワッド"

「……今の私は落伍者だ。トリニティにも、ゲヘナにも——同じアリウスにだって助けを求めることはできない。」

・一方その頃、ミカの攻撃対象である錠前サオリ。先生に接触。

・スクワッドはアリウスから逃亡していたが、襲撃を受けたことで離散。アツコ(姫)はベアトリーチェの元に連れ去られてしまった。このままでは明朝、姫は儀式の生贄にされてしまう。サオリは他に頼るべき相手がおらず、すがるようにして先生に助力を嘆願する。姫を救い出すためならどんな指示にも従うと。

・ん? 今何でもするって言ったよね? じゃあ……たまにはお腹が冷えないような服装をしてもらおうかな。先生は心配で心配でたまらないからね。つかヒヨリの絆トーク見たけど、あの子もお腹が無防備だったよ!? あんたがそんなんだからあの子もそうなっちゃうんでしょ❗😡 まったくもう……

・生徒の頼みなら断らないよと、先生は快諾。まずはヒヨリとミサキを探すことに。いいねー。バラバラになったパーティーと合流する展開。RPGの王道よね。 解散前よりレベルが上がってたら「色々と大変なことあったんだね……」って行間に思いを馳せるやつ。

「それはリーダーだって同じじゃないですか?だから私を助けに来たんですよね?」

・ヒヨリと合流。リーダーであるサオリの居場所を吐けば、おう、考えてやるよ(助けるとは言ってない)とアリウスの追手に迫られたそうだ。でも従うつもりはない。私一人だけが助かるよりも、アツコちゃんを助けられるならその方がいい、リーダーだってそうですよね——ヒヨリは痛みや苦しみに敏感だが、これに関しては何にも臆することなく言葉を紡いでいる。それだけみんなのことを大切に思っている証拠だ。

・第8話タイトルは鍵括弧付きの「アリウススクワッド」。スクワッド(squad)は「部隊」の他にも、「仲間達」という意味があるのだそう。死線を越える度に絆を深めてきた、彼女達の道程が垣間見れる一幕だ。アズサが補習授業部を大切にしたこと、みんなを守るために人殺しになる覚悟を決めたことと、どこか重なる。根っこは同じなんだな。

「帰る場所もないこの世界に取り残されて、泥水を啜って生きるだけの……この無意味で苦しい人生が続くだけでしょ?」

・続けてミサキと合流。何やら様子がおかしい。どしたん? "橋"の"端"っこに立ってたら危ないよ……なんつってな❗😁 がははは——

よく聞け、ミサキ。お前がそこから飛び降りるなら——
私もすぐに追いかけて飛び込む。
服の中に何か重りを入れていたとしても無駄だ。川岸まで連れて行くのに時間もさほどかからない。
そこまで20秒。もしもお前が気を失ったところで、何度でも心配蘇生を繰り返す。
お前がそうやって脅そうと、私はお前を生かしてみせる。

今まで何度やっても無駄だったのに、今回は成功できるとでも思っているのか?」

嘘だろオイ…………

・ブルアカを始めて一ヶ月半、今までで一番の衝撃でした。このゲーム、自殺未遂を繰り返す少女を描けるのか……なまじ大量の銃弾を受けても平気な肉体を持っているのだから、自殺にも相当な手間がかかり、想像を絶するほど苦しいものになるだろう。それでも彼女は死のうとする。……ねえミサキ、首と手首に巻いてる包帯はもしかして……いや、何でもない。ごめんね。話したくなったら聞かせてね。

・アリウスの生徒は、過酷な環境で生きることを強いられる。「全ては虚しい」と教え込まれながら。では、なぜこの苦痛に満ちた人生を歩み続けなければならないのか、無意味に苦しみ続けなければならないのか。それならいっそ、というのが彼女が自殺へ至る動機だ。

そう、おのれを殺すとは、《苦労するまでもない》と告白すること、ただそれだけのことにすぎない。もちろん、生きるのはけっして容易なことではない。ひとは、この世に生存しているということから要求されてくるいろいろな行為を、多くの理由からやりつづけているが、その理由の第一は習慣というものである。みずから意志して死ぬとは、この習慣というもののじつにつまらぬ性質を、生きるためのいかなる深い理由もないということを、日々の変動のばかげた性質を、そして苦しみの無益を、たとえ本能的にせよ、認めたということを前提としている。

「不条理な論証 - シーシュポスの神話」p.16
カミュ 清水徹訳

・過酷な環境を強いられたミサキ特有の選択ではない。毎日の通勤、食事、睡眠、その繰り返しに「苦労するまでもない」と何の価値も見出せなくなった時、人はあっさりと死を選びうる。自殺へ至る普遍的な心理がそこにある。

・人知れず死ぬのではなく、あえてサオリの目の前で実行するのは、ミサキなりの意思表示なのだろう。リーダーはどうして戦えるの? 私にはわからないよ。ねえ、教えてよ。ねえ——そんな彼女の心の叫びが聞こえてくる。

・ヒフミは青春の物語を目指し、ミカは矛盾をねじ伏せようとし、サオリは仲間を守るために立ち上がる——しかし、全ての人間が、そんな風に迷いなく苦境に反抗する高潔さを持っているわけではない。心が折れてしまう人だっている。ミサキは、自殺という行為は、その象徴と言えるだろう。それを一切ごまかさずに描く度胸よ。ブルアカ舐めてたわ。

・しかし、ミサキはサオリの言葉で再び立ち上がる。苦難に満ちた人生に意味を見いだせない、そんな彼女の挫折は、苦難に耐えうる意味を持って生きることへの憧憬があってこそなのだろう。サオリはまさにそんな生き方をしている。だから付き従っているのか。

・かくして、スクワッドの3名と先生はアリウス自治区の最深部を目指す。当然ながら戦力には圧倒的な差がある。それでもサオリは、かつて敵対していた先生に助けを求め、ヒヨリとミサキを導き、アツコを救出するために立ち向かう。たとえ全てが虚しいことだとしても、それは今日最善を尽くさない理由にはならない——アズサがそう語っていたように。不思議なものだ。4章では一度も顔を合わせていないのに、今のサオリには、アズサの面影がちらついている。

「お、お前は……知ったのか? お前には……その答えが分かっているのか…………?」

・サオリの回想シーンによると、彼女は元より、アズサの生き様に影響されていたようだ。サオリはアリウスの過酷な環境下で必死に反抗していたが、度重なる挫折でついに心が折れてしまった。大人=ベアトリーチェの命令に盲目的に従うのみなっていた。精神的な自殺、というのはさすがに言葉が強すぎるが、これはミサキと同じ選択だと言える。反抗を続けることに深い意味を、苦しまなければならない理由を見出せなくなり、自分の信条を放棄するに至った。しかし、アズサはなおも反抗を続けた。トリニティに潜入後、セイア殺害の任務を拒絶し、補習授業部という居場所を見つけていた。

・サオリの心情を踏まえると、3章はより深みが増しますね。たとえば、サオリがアズサに銃を連射するシーン。こんなことを書きました——

この銃撃シーン、サオリがアズサに「全ては虚しい」という真実を押し付けている構図ではない。サオリもアズサと立場は同じで、振り回されている側に過ぎない。二人の問答すら包括してしまうほどに「全ては虚しい。どこまで行こうとも、全てはただ虚しいのだ」——その報われない現実を提示しているのが、この銃撃シーンの本質なのだ。虚しいという言葉の連呼は、サオリが自分自身に言い聞かせているようにも聞こえる。

「地獄の岸辺で祈り続けよう——エデン条約編3章・感想【ブルーアーカイブ】」より

・この解釈はあながち間違っていなかった、どころか、サオリの屈折した思いが見えてくる。「これが正しいはずなんだ。私はここにしか意味を見いだせなかった。なのにアズサ、お前は、どうしてお前は……」そんな羨望と拒絶が入り混じった、アンビバレントな感情が。銃口を突きつけていたのは、むしろアズサの方だったんだ……

・そして現在。サオリはアズサと同じく、アリウスに立ち向かう。かつての自分を取り戻した。道を違えていた二人は、こうして交錯を迎えた。二人を繋いだ言葉は、そう——

vanitas vanitatum, et omnia vanitas
(全ては虚しい。どこまで行こうとも、全ては虚しいものだ。)

スキル発動の口上が同じなの最高すぎんか!?!? 二人は「全ては虚しい」という言葉に、先陣を切って立ち向かい、道を切り拓いた。そう、サオリにとっては、アズサもスクワッド=仲間だったのだ。過酷な運命に立ち向かう仲間なのだ。意外とサオリもペロロ様のぬいぐるみを気に入るかも?🤔

「さ、サオリ姉さん……」

・ちなみに回想シーンでは、サオリは姉さん呼びで慕われていました。前回の記事で「サオリの長女感。ヒヨリの末っ子感」って書いたけど……えっ本当にお姉ちゃんしてたの!?!?

・長女サオリ、実家(末っ子ヒヨリがリビングで雑誌読んでる)に全然帰省しないけど、仕送りは欠かさず、母の日と家族の誕生日には何か贈ってくれそう。あって困るもんじゃないからと私も事あるごとに食べ物を送って、その度にサオリは「いつまで子どもあつかいするんだ」とため息をつくんだけど、何だかんだ嬉しいから断れず、そんなある日、病院から電話が……っていかんいかん、病床でサオリに看取られる場面まで書いちまうところだった。


地獄とは他人のことだ——聖園ミカ、錠前サオリ

・ミカとスクワッドについて語るだけで9,000文字になってしまいました。どんだけ狂わされとんねんこいつ。で、長文書いてるうちに気づいたんですが——

ミカ:
①トリニティの裏切り者になり、
②生徒達から糾弾される身になり、
③大切な人(セイア)を失い、
④自分にとっての悪(サオリ)に立ち向かう。

サオリ:
①アリウスの裏切り者になり、
②生徒達から追われる身になり、
③大切な人(アツコ)を失い、
④救出するためにベアトリーチェに立ち向かう。

・ミカとサオリは全く同じルートを辿ってますね。自分のいた居場所と大切な人を失い、一度は挫折を覚えたが、そこから這い上がり、倒すべき敵へ立ち向かう。そこに至る過程や動機は違えど、本質は同じだ。なのに——

なのに、あなた達は……どうして?

私は大切なものを全部失ったのに!
——ぜんぶ奪われたのに!!

・……そりゃ叫びたくもなるよな。

・そもそも先生をトリニティに呼んだのはミカだ。なのに、先生はいつの間にか自分の手を離れてサオリ側にいる。サオリにはヒヨリもミサキもいる。なのに私には。誰もいない。そんなことが許されていいはずがない。

あなた達が何の代償も支払わないで、何も奪われないでいるなんてそんなの……。
そんな事、許したら……私は……
私は……何者でもなくなってしまう……。
私には、何の意味も残らない……。

・嫉妬とか、自分より幸せな人を叩こうとする心理とか、そういう刹那的な感情も含まれてはいるだろうが、それだけで一括りにするのは違う気がする。ミカの奥底にはもっと深い、実存的な不安があるのではないか。

・私達は自意識によって自己にまなざしを向ける対自存在でありながら、他者からまなざしを向けられる対他存在でもある。そこには絶えず相克が生じる。ミカはまさにその例だ。自分自身を塔の中のお姫様にたとえてみせたが、セイアの言葉によって自分は赦されていないと思い込み、「魔女」と呼ばれたことで暴走。やがてサオリを通じて、何者でもない、何の意味も残らない自分がいることを悟った。

・振り返ってみると、エデン条約編は「他者のまなざしとの相克の中でいかに共生するか」がテーマのひとつであったように思う。ナギサはトリニティの裏切り者に怯えた。ハナコは誰も本当の自分を見てくれないことに苦悩した。ヒナは本当は先生に構ってほしかったけれど、周囲の期待から風紀委員長として威厳を保っていた。コハルはかわいいね😊 ……じゃなくて、成績が悪いことを気にしたり、えっち本を隠し持っていることがバレて動揺したり。それは正義実現委員会の高潔なイメージと、実際の自分に落差が生じているからだ。

・エデン条約編をそんな物語として俯瞰して見ると、聖園ミカという少女はまさにこの物語の象徴として——大衆の目に晒され、それを通じて自分の罪を突きつけられる存在として、残酷なまでに丁寧に描かれていることに気づく。彼女は独房の中で何を思ったのだろう。どれだけ苦しい思いをしたのだろう。彼女がキリエを、憐みの讃歌を傾聴しないのは、他者が自分を責め立てるものとしてのみ機能しているからなのか。それでもセイアちゃんならもしかしたら……と、伸ばした手は振り払われた。その傷をサオリによって深く抉られた。

他者との接触は地獄である……互いが憎しみ合うことで、その実在を証明しているに他なりません。」

「地獄とは他人のことだ」——哲学者サルトルが戯曲「出口なし」で残した言葉だ。今のミカにとっては世界中が自分の敵だ。サオリを殺した後は、また別の理由で誰かを手にかけるだろう。「そもそもトリニティとゲヘナが争っているから、私もこんなことになっちゃったんだ。みんなも奪われなきゃ不公平でしょ」とか。死ぬまでそうして殺戮を繰り返すに違いない。

・……で、先に触れた通り、サオリはミカと同じルートを辿ってきましたが、ここで再び重なります。⑤他者のまなざしを通じて、自分の罪を突きつけられる。よくできたシナリオだなあオイ!?(デカい声)

「お前に幸せな未来が訪れない事も、すべてを奪われた事も、孤独になった事だって……私に原因がある。」

・ミカの心情を聞いたサオリは、その憎悪を否定せず、自分に原因があることを認める。ミカはアリウスとの和解を本気で目指していた。サオリも心の奥底ではその希望に惹かれていた。しかし、歯車はいつからか狂い始め、エデン条約にまつわる事件が勃発し、セイアは重体になり、ミカは魔女になってしまった。そして同時に、サオリはアズサのような生き方を、アリウスの呪縛から逃れて生きる道があることを知った。なのに私はアリウスに身を委ねてしまった。そんな自分の数々の過ちが、全ての災いの元凶であると。

・ミカとアズサによって自分の罪を突きつけられたサオリは、ミカに命を差し出す。それが彼女なりのけじめのつけ方だ——「人間は、みずから自分を断罪するのでないかぎり、自分を徹底的に愛することはできない」。

「私も、あたなたのように……先生にもう少し早く会っていたら。そうしたら……過ちを取り返せたのかな……って思ってた……。」

・しかし、ミカは銃を投げ捨てる。サオリが自分と同じ存在であることを知った。数々の過ちを犯し、自分が全ての元凶であるという罪にもがき苦しんだ。やり直すチャンスを得る資格なんてないと思いながらも、心の奥底ではずっと救済を求めている。「私が、あなたの結末をこんな風に決めてしまったら……。私に救いなどないと、自ら証明する事になってしまう……。」なるほどね、なるほど——

こらーーーー!!!!
待ちなさーーーーい!!✋

・さっきから黙って聞いてれば❗❗😡 殺すだの殺されるだの!! やり直すチャンスがないだの!!

「まだ私にチャンスがあると信じさせるの……?」

あるよ!!!!!

作るよ!!!!!

・ああんもう、こまけぇこたぁいいんだよ!!! 勢いだ!!! パッションだパッション!!!! アツコを助けに行くぞオラア!!

・……すみません、取り乱しました。私達は他者のまなざしに絶えず苦しむ。そして時には自分自身を呪う。でも自分を変えるきっかけを与えてくれるのも他者だったりする。自分と同じ境遇に立たされる人を知ったり、「チャンスはあるよ」と道を示してくれる人と出会ったりする。自分がそんな存在になることだってできる。だから、私達にはできるはずだ。己を呪う、その果てに。世界は何も変わらないけれど。十字架を背負いながらも、血だらけの手でも、誰かの手を握ることが。


Kyrie eleison(キリエ)

っしゃいくぞオラァ!!!!!!!
ぶちかませ!!!!!!

ん……? カメラが急に後ろに寄って——

いや後ろから来るんかーい!!👆💦

・3章のヒエロニムスみたいに、目の前にどかっと鎮座してる方がさあ!! ボスとしての威厳があっていいんじゃないの!? ……いやでもこれ、まずい展開だな。このままだ挟撃で集中砲火を浴びて——ん?

ミカあああああああ!!!!!😭

・ミカは身を挺して、サオリを、復讐の対象だったサオリを守る。絶望的な戦力差の中、敵の猛攻をたった一人で防ぎながら、彼女は祈る。自分と同じように苦しむサオリに、慈悲がもたらされますようにと。スクワッドの道が険しいものになることを、悪役である自分には救われる資格がないことを承知しながらも、Kyrie eleison(キリエ)を口ずさむ。

・悲壮な覚悟を抱きながらも、彼女が浮かべているその微笑みは、慈愛に満ち溢れている。それはきっと、救いの道を見出したからこその表情なのだろう。「「憐れみたまえ」だなんて口にしたところで悲惨なだけじゃん。そんなの自分にも、他人にもするものじゃないよ。」——かつてミカはキリエについてそう語った。他者から救いを得られることなんてないと思っていた。そんな彼女は今、あれほど憎んでいたサオリを憐み、祈りを捧げている。自分のために力を尽くしてくれる先生=他者に感化されて、ほんの少し考えが変わった。

・きっとこれは、不器用なミカなりの、世界を祝福する賛美歌なのだろう。全ては虚しい。どこまで行こうとも、全てはただ虚しいものだ。されど、世界は色とりどりに美しく、小さくとも救いはあるのだと——

「いと高きところには栄光、神にあれ、
地には平和、御心に適う人にあれ。」

「ルカによる福音書」2:14 新共同訳聖書


責任

・ミカの祈りが届いたのか、スクワッドはベアトリーチェの撃退に成功。アツコを救出する。

「私がすべての元凶だ……エデン条約事件も、セイア襲撃も、ナギサ襲撃も…………ミサキも、ヒヨリも、アツコも……みんな私のせいでこうなってしまった。」

・サオリは全ての責任を引き受けようとする。どんな処罰でも受けると。ん? 今何でも……って言うとる場合かっ。先生は語る。アリウスの環境がそうさせたといえ、確かにサオリ達が罪を犯した悪い生徒であることは変わらない。けれど——

「子供たちが苦しむような世界を作った責任は、大人の私が背負うものだからね。」

・……ああ、そうか。そうだったんだ。先生も——「人間は、みずから自分を断罪するのでないかぎり、自分を徹底的に愛することはできない」。そこまで消極的な動機ではないだろうけど、ミカのように何者かでありたいと、サオリのように責任を果たさなければならないと、そんな思いを抱いているのか。先生も同じなんだ……

先生は生徒に、無際限に赦しを与える神ではない。全知全能ではない。生徒達と同じように、悩める子羊であり、痛みをこらえながら生きるひとりの人間。先生が唱える言葉は、ゲマトリアと同じく、世界に対するひとつの解釈に過ぎない。絶対的な正解ではないのだ。

・だからこそ、先生の言葉は生徒にとって説得力がある。上から目線ではない。完璧な答えなんてわからないまままに。困っている時、苦しんでいる時に、同じ目線で、同じように痛みを感じながら。私達が心の奥底で眠らせていた衝動を言語化し、未来に導いてくれる。そんな存在が隣にいてくれることが、どれだけ救いをもたらしてくれることか。

「大人の私が保証するよ——その答えは、必ず見つけられる。」

「責任を負うのは、自分の人生そのものだよ、サオリ。」と先生。今すぐ安易に罰を与えたところで、独房にいた時のミカと同じように罪の意識に苛まれて、間違った方向へ歩み出しかねない。過ちを犯した私はどう生きるべきか——長く苦しい歩みになるけれど、時間をかけて自分なりの答えを見つけるしかない。カルバノグの兎編でもそうだったけど、優しさと厳しさを同時に含み、生徒を独り立ちさせるための言葉を贈る行為は、やはり「先生」と呼ぶにふさわしい。

・……先生、なんかバックボーンあんのかな。人生経験がある大人だからこその言葉だよなこれ。「大人のカード」とか謎も多いし。そういえばプロローグでは——

……私のミスでした。
私の選択、そしてそれによって招かれたこの全ての状況。
結局、この結果にたどり着いて初めて、あなたの方が正しかったことを悟るだなんて……。

・ブルアカを始めると、最初に聞くことになる少女の言葉。先生はその少女(連邦生徒会長?)と「責任を負う者」について話したことがあるらしい。二人には何があったのだろう。ミカやサオリのような、取り返しのつかない過ちが、かつてあったのだろうか……

「初めて……この世界にいてもいいのだと、思う事ができたよ。」

・さておき。サオリは先生の言葉を受け止める。生まれて初めて、自分のやりたいことに、自分の未来に目を向ける。「サオリは責任感強いし、教え上手だし、真面目だし、先生に向いてそうだよね」とスクワッドのみんな。

・サオリが先生か、ふむ……ブラックマーケットの不良生徒に襲われた私(銀髪低身長文学少女)は、担任のサオリ先生に助けられる。厳しい先生だと思ってたけど、優しい一面があることを知って、次第に交流を深めるように——

・って妄想膨らませてる場合じゃねえ! 今助けに行くからねミカ!!

「私はそんな価値のある存在じゃないよ……今からでも逃げて……!!」

・このおバカさんっ! 逃げるわけないでしょうが! なーにが悪役だ! ミカは魔女じゃないよ! もし自分ではそう思えなくてもね、最近は悪役令嬢が主役の作品も珍しくないんだから、主人公になれるんだよ! だから……生きててもいいのよ!!

・立ちはだかる敵は多数。しかも特殊装甲。大丈夫だよミカ。任せて。なんたって先生は——

正月ムツキと正月カヨコを
お迎えしたばかりだからねえ!!!!

FOOOOOOOOO❗❗
HAPPY NEW YEAR❗❗❗❗🎉🎉

・ありがとう便利屋68。ありがとう百鬼夜行連合学院。正月ムツキが人権と呼ばれる理由を実感できた。たった2コストで雑魚敵達が木っ端微塵になったわ。ちょっと引くほど強かったわ……


エピローグ

・その後、セイアとナギサの尽力により、トリニティの生徒達が介入。先生とミカを救出。スクワッドもアリウスの支配から逃れた。かくしてエデン条約に関する事件は幕を閉じる。そして、各々が新たな道を歩み始める。

「二人ともありがとう……そして、ごめんね……。」

・ミカ。セイアとナギサに、「大好き」と感謝と謝罪の言葉を述べる。他者に救いを見出し、自分をほんの少し赦せるようになったからこそ、ようやく本心を打ち明けることができたのだろう。ようやく……ようやく「ごめんね」が言えたね……長かったね……苦しかったね……😭

・ミカの聴聞会が開かれる。退学はワンチャン免れるかもしれないけど、失った信頼を取り戻すには長い時間を要するだろう。それでもミカは歩み始める。かつては予知夢で未来におびえていたセイアも、その能力を失った今は、「現在」に注力し、努力を重ねて試練を乗り越えることを決意する。

「私たちの青春は、私たちだけのものだから。」

・スクワッド。サオリは一人で答えを探すために脱退。残されたヒヨリ、ミサキ、アツコは共に流浪の旅を続ける。アリウス、トリニティ、ゲヘナの追手から逃げなければならない。辛い状況が続くだろう。それでも彼女達は歩み始める。アズサがトリニティに居場所を見つけたように。サオリが自分のやりたいことを考え始めたように。誰かから与えられた憎悪に振り回されるのではなく、私達の青春を、私達だけのものにするために。

・離れていてもお互いに影響を与え続ける。やはり彼女達はスクワッド(仲間達)だ。いずれまた道が交わる時が来るだろう。

・最後にサオリ。ブラックマーケットで仕事を引き受ける。裏社会の流儀を心得ていないため、悪どい業者に騙されてしまった。すると——

〜例の愉快なBGM〜

・なんと便利屋68と邂逅する……って、えええええええ!?!?!? ここまで一度も登場してなかったじゃん!! 意外な組み合わせすぎるだろ!? Cパートでおいしいとこ全部持っていきやがった!!

・当時のリアタイ勢もそんな反応だったらしい。

・でも感謝だな。ありがとうアル。気づかせてくれて。そう、鳥籠から抜け出した私達には、まだ見ぬ出会いが待っている。私達の物語は、「青春の物語(Blue Archive)」は、終わらない。ここから始まるんだ——


完走した感想

点と点が線で繋がったわ。マジですげえなこれ。

・3章は「人は暴力と過ちを繰り返す。その大いなる流れの中で、私達は何を取捨選択できるか」というマクロ的視点での語りだったんですよ。カメラは俯瞰視点だった。ところが4章では、カメラが一気にクローズアップして、個人レベルの問題として話が掘り下げられる。「私達は一人ひとりが、人生の中で数え切れないほどの過ちを犯し、やがて自分を呪う。それでも自分の可能性に志向(投企)しながら生きることはできるか」と。

・加えて「他者のまなざしとの相克の中でいかに共生するか」というテーマが明確に形になったことで(私が勝手にそう感じだけではあるが)、1章から続くこの物語に太い縦軸が出来上がった。そうだ、みんなそうだったな、と。バラバラな物語の寄せ集めではない。ひとつの過酷な運命に翻弄され、そして立ち向かう少女達の群像劇が姿を現した。この、点と点が線で繋がる感覚。息を切らしながら山を登り、頂上に辿り着くと、そこには想像を越えるほどの開けた景色が目の前に広がっていた。そんなカタルシスに満ち溢れている。エデン条約編4章ではそんな読後感を味わえた。

・唯一繋がらなかったのは「"忘れられた神々"のためのキリエ」というタイトルでしょうか。これ結局何だったんだ?🤔 私の読み込みが浅いのかもしれないけど……ねえブルアカ、もしかして、まだ釘バットを隠し持ってる? こんなに綺麗に終わったのに? いやもうマジで勘弁してください……と、名残惜しいですが、クソ長え感想文になってしまったので、そろそろ締めに入りましょうか。

・私達の人生は苦難に満ちている。偶然が支配するこの世界で、どこまでが自由意志なのかわからないままに選択を迫られ、何度も過ちを犯し、不条理に直面する。その過程で他者を憎んだり、妬んだりしてみるけれど、結局は、自分がどう生きるかという問題に帰結し、確かな答えが得られないままにあてもなくさまよう。

・やがて私達は「なぜ」という疑問に行き着く。なぜ自分はこうなのか。なぜ世界はこんなにも虚しいのか。なぜ苦しみながら生きなければならないのか——そんな私達の悲痛な叫びも虚しく、世界は何も答えてくれない。

・それでも私達は、目の前の光景に、他者に目を向けると、そこに慎ましくとも確かな理由を見出すことがある。アズサが路傍に咲く花を見て「虚しくとも抵抗を止めるべきじゃない」と決意を固めたように。先生によって、ミカは救いを見出し、サオリは自分の未来に目を向けたように。ブルーアーカイブでは透き通るような青空が何度も表示されるが、それは「世界の広がり」を表現しているように、今の私には思える。そう、この物語において、少女達は——


どこにもない(Nowhere)
そう思っていたけれど——


今、ここに(Now / Here)
可能性を見い出し、
生きることを選んだ。


・そんな些細な変化の積み重ねこそが、エデン条約編という物語であり、「青春の物語」であり、私達の人生の物語なのだろう。

・以上、エデン条約編の感想でした。1章から合計すると約47,000文字。それだけ語りたくなってしまうほどに濃密な物語でした。最後まで読んでくださり本当にありがとうございます。それではまたどこかで。

あなたが思うほどあなたは悪くない
誰かのせいってこともきっとある
痛みを呪うのをやめろとは言わないよ
それはもうあなたの一部だろ
でもね、失くしたものにしか目を向けてないけど
誰かがくれたもの数えたことある?
忘れてしまったなら 無理にでも思い出して
じゃないと僕は悲しいや

ちゃんと話してよ 大きな声で さあ目を開いて わっはっはは
自分嫌いのあなたのことを愛する僕も嫌いなの?
いつだってそうだ 心臓の奥で 誰彼彼も見下しては
見下される恐ろしさに苛まれて動けずに

どこにもないと泣く前にさ
目の前の僕をちゃんと見つめてよ

「WOODEN DOLL」米津玄師

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