恋てふ色はなけれども——杜野凛世pSSR「晩秋ろまんす」感想【シャニマス】
「秋は誰にでも平等に訪れるというのに、私だけが特別に寂しく感じてしまう」そんな心情を謳った和歌である。何とはなしに、凛世とプロデューサーのすれ違いを重ねてしまう歌だ。
この歌のように、小倉百人一首には、秋を題材とした和歌が収められている。その数は実に十七首。春六首、夏四首、冬六首なので、他の季節に比べて圧倒的に多い。
なぜ秋だけが異様に多いのか——作成を依頼した宇都宮蓮生が、当時不遇な状況にあったことが影響している、という解釈がある。秋という季節は、それだけ物悲しさを重ねやすいのだろう。紅葉の壮大な景色を叙情的に表現する歌もあれば、先に引用したようなひっそりとした悲秋の歌も尽きない。それが色彩豊かな百人一首の世界である。
前置きが長くなりましたが2022/10/31、杜野凛世pSSR「晩秋ろまんす」が実装されました。凛世の心情がころころと変化する様が、秋の様々な情景にリンクする——さながら、小倉百人一首を読んだ時のような読後感に浸れるコミュでした。本記事で私の感想をまとめてみます。
(※以下、「晩秋ろまんす」および他の杜野凛世コミュのネタバレを含みます。ご注意ください)
こがらし——紅葉の秋
まず第1話「こがらし」。凛世視点では、プロデューサーが急に髪に手を伸ばしたり、顔をじっと見つめながら「真っ赤だな」とつぶやいたりするものだからドキドキしたけれど……実際は髪にくっついた紅葉のことを言ってるだけだった。そんな一幕が描かれます。
有名どころ(?)でいえば「芋けんぴ髪についてたよ」のやつですね。さながら少女漫画の世界に迷い込んだような一コマ。悶絶して腕噛みながら読んだらめっちゃ歯形残りました。もりちゃんやばいわ〜!!
さて、紅葉といえば「赤」、「赤」といえば凛世コミュではお馴染みの表現です。なんと今回含めて限定凛世pSSRでは皆勤賞。凛世自身、あるいは凛世がプロデューサーを思う気持ちとして象徴的に描かれる色です。
この「赤」を踏まえてコミュを読むと、美しい「赤」色の秋模様と凛世の恋心が重なる、さながら和歌のような趣を味わうとができます。たとえば——
紅葉が木枯し(こがらし)に飛ばされる様は、プロデューサーに手を伸ばされて驚いた凛世に重なります。
私の顔色は夕焼けに照らされる紅葉のように真っ赤です、って書くと和歌の現代語訳みたいですね。風情があるなあ……
しかし、時はすでに晩秋。紅葉の美しさはいつまでも続かないもので……いずれの選択肢でも、「赤」い紅葉が、秋の終わりを告げる木枯しに飛ばされてしまうという描写が共通しています。これは第2話「ひらひら」、プロデューサーと凛世が離れ離れになる日々にかかります。
ひらひら——寂しさの秋
😭😭😭😭😭
仕事が忙しくて会えない。凛世はそんなプロデューサーの姿を、ひらひらと舞い落ちる紅葉に重ねます。
私服ボイスはこんな感じ。これで思い出す和歌はやはり——
真っ赤な秋模様に人は情熱を覚える。しかし同時に、青葉が色を変えて枯れゆく過程には哀愁を感じてしまうもの。「ひらひら」では、そんな秋模様に潜む一抹の寂しさが表現されており、これまた凛世の心情に重なっています。
仕事の関係で会えなくなる、というのはこれまでの凛世コミュでもありましたね。しかし、同じく秋を題材とした最初のpSSR「杜野凛世の印象派」に比べると対比的な変化があります。あの時はプロデューサーが凛世を労る側でしたが、今回はその立場が逆転しています。
「印象派」では、プロデューサーは出張先で凛世にメッセージを送り、帰りにお土産を用意する形でフォロー。
しかし「晩秋ろまんす」では、プロデューサーはとっさに言い訳じみたことを言ってしまい——
凛世がすかさずフォローします。これは「ロー・ポジション」にも似たような場面があって——
珍しく弱音を吐露したプロデューサーに対して、凛世はプロデューサーと同じものを背負いたいとの思いからこの一言。
成長したなあ凛世……寂しさをこらえながらも、思い人を労る少女の健気な姿が胸を打つ。そんな一幕でした。
さめやらぬ——「赤」と「青」
ガシャ演出をデカい声で褒めるだけの章です。よければお付き合いください。
第3話「さめやらぬ」では久しぶりに、プロデューサーとの時間を過ごします。仕事も上々。さらに埋め合わせとして食事の約束をしてもらえました。凛世は喜びに浸ります。
ここでガシャ演出が入ります。先に述べた「赤」を頭に入れて見てみますと——
落ち着いた色合いの車内灯で、凛世がほんのり赤く照らされています。そして——
絵画タッチかつ燃えるような赤い紅葉の景色へ変わります。車内の落ち着いた風景とは対比的。凛世の熱情がこもった心象風景であることの表現でしょうか——その中で、凛世はひらひらと舞い落ちる紅葉を掴みます。捕らえられなかった紅葉が手に……二人がようやく会えたんだなって……その喜びをじっくり感じてるんだなって……😭
彼女の脳内に広がる景色は、見渡す限り真っ赤で——
「少し……のぼせました……」とつぶやく凛世は、確かに熱に浮かされたように頬を染めています。
……開幕からずっと真っ「赤」じゃないですか!!!!! 身体が火照り、息苦しくなり、ぼうっとしてしまうほどにプロデューサーを強く思う……そんな極限まで張り詰めた凛世の「赤」い思いを、秋模様の「赤」に融合させて視覚的に表現した最高のガシャ演出です。文句なしの100点だオラァ!!!!!
ただ……よーく見ると、車内にいる凛世には青みがかった影がさしています。「青」も凛世コミュで「赤」の対比としてよく用いられる表現。プロデューサー、あるいは凛世視点では冷淡に見えてしまう彼の態度の暗喩として用いられます。
このガシャ演出の後は、凛世が寂しげにプロデューサーを見送る場面で幕を閉じます。考えすぎかもしれませんが、この時に表示されているのも「青」い星空。
まあ紅葉っていつまでも色を保っているわけじゃなくて、いつか枯れちゃうもんな……プロデューサーと過ごせる時間もずっと続くわけじゃないんだ……青い影がうっすらと差し込まれているのは、こうした秋特有のひっそりとした寂しさを、プロデューサーとの時間が過ぎゆく寂しさを視覚的に表現するためのものであるように感じました。秋の物静かな夕焼けの情景に浸る、そんな感覚が芽生えますね。120点だオラァ!!!!!
赤いもの、寒さをこらえ——豊穣の秋
秋はどこか寂しさを感じる季節。しかし、豊穣をもたらす季節でもあります。コミュ終盤ではその情景が表現されます。
プロデューサーと会えない日々が続く。でも再会したら食事のお誘いを受けたので、その喜びを噛み締める——そんな寒暖差で恋の熱に浮かされてしまったのか、第4話「赤いもの」にて凛世は風邪でダウン。そこにプロデューサーが真っ赤なりんごを差し入れとして持ってきました。またしても「赤」ですね。
りんごつながりで、白雪姫のたとえ話も出てきます——
ん……?
こらーっ!!
ちゅー😘する場面思い浮かべたでしょ!!
あからさまに動揺して声がうわずってるから、何を思い浮かべたのかわかっちゃうじゃん!! っていうかこの台詞で会話途切れるけど、プロデューサーはこの後絶対「ははっ、必ず起こしにくるよ 約束する」って言ってるでしょ!? こんなの余計に熱上がっちゃうって!! きゃーっ!!(枕に顔埋めて足バタバタ)
……失礼しました。話を戻しまして。「りんごが赤くなれば、お医者さまが青くなる」という実在することわざが登場します。栄養満点の赤いりんごを食べれば健康になり、医者は仕事がなくなって顔が青くなる。そんな意味です。
言わずもがな「赤」と「青」の対比表現ですね。んーーーー……これどう解釈すればいいのかだいぶ悩んだのですが、私が一番しっくり来たのは、
凛世コミュ全体における力関係の逆転を暗喩している、という解釈ですね。W.I.N.G.編では常にプロデューサーに支えられていた凛世ですが、Landing Point編では逆に、プロデューサーが自分の無力さを悔やむ場面があります。りんごが赤く、すなわち凛世が傑物となるほどに、プロデューサーの力が及ばない部分が大きくなる。
しかし、凛世が風邪を引いてしまった今の状態では、プロデューサー(=医者)が必要になる。持ちつ持たれつ、共に手を取り合う。そんな二人の関係性が言外に表されているように感じました。
閑話休題。りんごはどうすれば赤く、甘くなるのか。True End「寒さをこらえ」では、凛世がりんごの返礼として作ってくれたアップルパイを味わいながら、プロデューサーは「秋の終わりの寒暖差で甘みが強くなるんだよな」と語ります。
寒さをこらえて甘くなるりんごに、凛世は自分の姿を重ねます。プロデューサーと会えない日々が続き、寂しさが募っていた。だからこそ、その日々を乗り越えた後、車内でのぼせてしまうほどに熱い思いが芽ばえ、今はこうして夜遅くまで仕事するプロデューサーを労ることができる——その喜びをひしと実感するのです。
今回のコミュだけじゃなくて、今までの凛世コミュの展開を思い出しながら読むとカタルシスが増しますね。辛いことたくさんあったね……でも冬来たりなば春遠からじなんだって……はぁ〜…………(余韻) たとえるなら、厳寒の下で歩き回って身体の芯まで冷えた後、こたつにくるまった時のような暖かい読後感です。
冒頭で述べたように、本コミュは秋の様々な情景と、凛世のころころと変わる心情が見事なまでにリンクしています。燃えるような「赤」色の秋模様と、凛世が抱くプロデューサーへの思い。寂しげに舞い落ちる紅葉と、凛世が寂しさを募らせる様子。そして、寒さを乗り越えた林檎が晩秋において「赤」く実るように、凛世も寂しさを乗り越えて、プロデューサーとの暖かな時間を過ごす——凛世が歩んできた道のりを、そこで感じた様々な感情を追体験できるからこそ、True Endでは彼女が感じたであろう暖かな気持ちを味わうことができます。
単純な秋ではなく、寒さが強まる晩秋というさらに限られたシチュエーションだからこそ描けた風景。今回も凄まじい読後感に浸れる良いコミュでした。ありがとうございます。
おまけ
以下、雑記。
思い出アピール名は「[慕]秋のみぎり」。「暮秋のみぎり」という時候の挨拶があり、「暮」れるが「慕」うに変化した形で、凛世の思いが表現されています。
ってのが私の解釈ですが、他に素敵な解釈あったら教えてください。ツユモシラズさんの「[510]ひかりさす」の解釈がすごすぎて自信なくなってきた……
糸魚さんは凛世コミュの様々な描写や、楓の花言葉を踏まえた記事を書いてます。私では気づけなかったことばかりで驚かされました。よければこちらもご一読を。
はあ……他の人の記事を読む度に自分の解釈は浅いなって落ち込みますね……フェスイラストでも見るか。ま、私は凛世の手と脚にはうるさいので。ちょっとやそっとでは満足しな——
眼鏡、萌え袖、絶対領域。パーフェクトだシャニマス。エレガンスオブホワイト衣装と、小宮果穂sSR「キング・アンド・ヒーロー」で眼鏡凛世のお披露目はありましたが、ついにフェス衣装で実装されたか……ん?
パーフェクトだシャニマス!!!!!!!!!!!!!!
語りたいことは尽きませんが、蛇足になりそうなのでこの辺で締めます。最後に——今回はいつにも増して「赤」の表現が強く、それだけ凛世の思いが強く伝わってきました。恋心は本来目に見えないものですが、こうした細かな「色」の表現で、かつ秋の情景に乗せて、目に見える形で美しく表現するのは何とも素敵。凛世コミュのこういうところが好きです。
そんな思いを込めて、波乱の恋に生きた平安時代の歌人・和泉式部から、この和歌を引用します。またどこかでお会いしましょう。それでは——
<杜野凛世記事まとめ>