樋口円香は何を見ているのか?——"視線"から心情を読み解いてみる【シャニマス/考察】
円香は何を見ているのだろう——
樋口円香pSSR「カラカラカラ」「ギンコ・ビローバ」の演出を眺めていると、ふとそんな疑問が思い浮かんだ。
ノクチル1周目pSSRにおいて、透、雛菜、小糸の三人は真正面を見ている。一方で、円香は水上から差し込む光から目を逸らすかのように、視線を下に向けている。
かと思えば、「ギンコ・ビローバ」では、彼女は水たまりの上に立ち、輝く銀杏を見つめている。視線は上方向だ。この対比的な構図が、私はとても印象に残った。光から目を逸らしていた彼女は、なぜ銀杏の輝きを見つめることができたのか。どんな心境の変化があったのか。彼女が見ているものの正体は何なのか。
本記事は、樋口円香pSSR「カラカラカラ」→「ギンコ・ビローバ」における視線の変化から、彼女の心情を妄想する記事です。あくまでも妄想です。「美化しないでもらえます?」
(※樋口円香のW.I.N.G編、「カラカラカラ」、「ギンコ・ビローバ」、および浅倉透「10個、光」コミュのネタバレを含みます)
①輝きに目が眩む
これは、カラカラカラの思い出アピール([カラ]クレナイ)演出における一コマだ。円香は〝頭上〟から差し込む光で目が眩んでいる。
この構図は、アイドルの世界に飛び込んだ彼女の心情を表しているのだと思う。彼女にとって、アイドルの世界は目が眩むような輝きを放っていた。いちいち情熱を燃やさなければ仕事ができないプロデューサーがいつも隣にいる。キラキラとした表情で自分に握手を求めるファンがいる。オーディションがうまくいかず泣き出してしまう子がいる。そんな世界があまりもまぶしかった。まぶしすぎた。
「……あーあ
最近、まわりにいるのは簡単に泣くような人ばかり
………………疲れる」
樋口円香W.I.N.G.編共通コミュ「二酸化炭素濃度の話」より
「アイドルなんか知りたくなかった
期待なんか背負いたくない
必死になんか生きたくない
自分のレベルなんか試されたくない
何度も……何度も……
そんなの私は……
怖い……」
樋口円香W.I.N.G.編共通コミュ「心臓を握る」より
情熱を燃やして頑張り続けたところで、いずれは身の程という現実を知らされるだけ。彼女はその落差に怯えていた。
②輝きから目を逸らす
[カラ]クレナイの一枚絵。円香は光から目を逸らし、水中を眺めている。
カラカラカラのガシャ演出。円香は〝頭上〟にある夕陽のまぶしさに目を瞬かせた後、そこから目を逸らして、プロデューサーに目を向ける。
アイドルの世界はあまりにもまぶしい。目が眩んだ彼女は、その輝きから目を逸らした。しかし、夕陽に照らされるプロデューサーは目に入ってしまう。彼女はそれすらも拒もうとした。「夢はないのか?」というプロデューサーからの問いに対し、「トップアイドルなんて高望みしませんので まあ、それなりに」と答えた(バウンダリー)。「円香が望めば叶う」「円香が望めば、越えられないハードルなんてない」という励ましに対して警戒心を露わにした(心臓を握る)
しかし、どんな建前を使っても、彼女は衝動を止めることができなかった。心の底では輝きに惹かれていた。予定がない日もレッスン室の鍵を借りて、ずっと全力を出してきた。
少し話は逸れるが、円香が見ている光は、指を伸ばせば光に触れることができた透pSSR「10個、光」と対照的になっている言える。とまりますボタンと夕陽——透にとっての光は「身近にあるが忘れていた儚い光」で、円香にとっての輝きは「いつも手の届かない〝頭上〟にある強い光」だ。
③銀杏の輝きを見つめる
ギンコ・ビローバの一枚絵。彼女は〝頭上〟にある銀杏を見つめている。今度は目が眩んでいない。
ここでは、銀杏=プロデューサーの暗喩として読み解きたい。参考になったのはじょーじさんと、ブシドーPさんの記事。
元ネタと思われるゲーテの詩"Ginkgo Biloba"で描かれる「東洋から私の庭に移され、賢者の心をよろこばせる銀杏の葉」は、円香の心に住みついてかき乱すプロデューサーの言動と重なる。そして、銀杏の葉が金色に輝く様もまた「立派な肩書きを持ち、スーツも折り目正しく美しい」と円香が皮肉のように評するプロデューサーの表面的な姿と重なる。つまり、この一枚絵は「銀杏の葉のように輝くプロデューサーを円香が見つめている」という構図となる。
「円香が望めば叶う」「円香が望めば、越えられないハードルなんてない」そんな情熱を説くプロデューサーを、一見すると円香は真っ向から拒否しているように見えるが、実際は彼の意見を聞いた上で忌憚のない意見をぶつけている。アイドルの世界の輝きに目が眩んだ彼女だが、プロデューサーの輝きには目を眩ませることなく、はっきりと向き合っている。そんな彼女の態度を、この一枚絵は表しているのではないだろうか。
目も眩むようなキラキラとしたこの世界で、私はどう生きればいいのか——その答えをプロデューサーから学ぼうとしているのかもしれない。「ぐちゃぐちゃに引き裂かれてしまえばいいのに」と必ずしも良い捉え方だけをしているわけではないが、
「今日のところはやめておくけどさ
円香にもきっとわかる日が来るさ
だから、せめてそれまではここにいてほしい」
「…………わかりました
………………
とりあえず、あなたがこの車を止めるまではね」
樋口円香 カラカラカラ「エンジン」より
こうした台詞はまさに、プロデューサーという存在を(ほんの少しではあるが)受容している態度の表れだ。
④輝きを直視する
[フ]ゲンの思い出アピール演出。①と似たような場面だが、今度は〝頭上〟から差し込む光を直視している。
最初はアイドルの世界の輝きに目を眩ませていた円香だが、今度は目を逸らさずに、はっきりと直視できている。なぜか。それはプロデューサーの輝きに感化されたからだろう。
ギンコ・ビローバのコミュ「偽」において、円香はオーディションを前にして不安になっている子を励ましている。この子は無理だと内心では思っていても「願いは叶う」「願い続けることが大事」という言葉で励ます(人の為と書いて〝偽〟!)。その言葉はプロデューサーから言われた「円香が望めば叶う」「円香が望めば、越えられないハードルなんてない」と重なる。プロデューサーの言葉に励まされ、前に進む勇気を持つことができたからこそ、彼女は同じような言葉をかけたのだ。
共通コミュの円香は、オーディションがうまくいかず泣き出してしまう子を、ただ眺めることしかできなかった。しかし、今はその子を励ます存在になった。輝きから目を逸らさずに、対等な立場で対話する存在に変貌した。④でハッとした表情をしているのは、自分がそんな存在になったことに気づいて驚いたからのかもしれない。そして、そんな彼女の姿には、彼女自身がずっと見つめてきた銀杏のように輝くプロデューサーの影響があるのだ。
以上、個人的な解釈ではあるが、円香の"視線"を元にしてコミュを読むと、そんな彼女の心情や成長ぶりを垣間見ることができた。
樋口円香が見ているものは何なのか——それは輝きだ。それは、いつも手の届かない〝頭上〟にある強い光であり、「円香が望めば叶う」とプロデューサーが言ってくれたものだ。彼女はプロデューサーという存在に向き合うことで、それに手を伸ばす勇気を手に入れた。だからこそ——
⑤真正面を見る
今の彼女は、自らがアイドルとして輝きを放つ存在へと進化したのだ。
蛇足
はは……すまんな……(P口調)
後は本当に蛇足です。僕はノクチルが実装されたばかりの頃にシャニマスを始めました。そして、円香をプロデュースする最初の段階で抱いた印象は「あーこの子はヒール役なのかなー」でした。「笑っておけばなんとかなる アイドルって楽な商売」とプロデューサーやアイドルにアンチテーゼをぶつけて、より高次元に止揚させる、そんな脚本の都合のために配置された存在なのだろうと。
しかし、実情はかなり異なっていました。なぜ彼女がこんなにもシニカルな態度をとるのか、それにはちゃんと理由がありました。やがて彼女が抱える不安を垣間見た時、W.I.N.G敗退コミュで静かにうなずいた彼女を見た時、私はなんて軽薄な先入観を抱いていたのだろうかと思わされました。私にとって円香は、そんな風にシャニマスの魅力を教えてくれた存在なので思い入れがあります。
とはいえ、当初はギンコ・ビローバを引くつもりはなかったのですが、[フ]ゲンの凛々しい表情が頭にこびりつき、気づけばガシャを回していました。なぜ私は円香のこの表情にこんなにも惹かれるのだろう……とはっきり言語化された疑問があったわけではありませんが、本記事を執筆することで、その魅力に少しだけ近づけた気がします。
彼女は今後どのように描かれるのか。本記事で考察したような〝輝き〟を見つめる構図がまた出てくるのか。頭の片隅に入れながら注目してみようと思います。