名も知らぬ蕾のように——トワコレ杜野凛世「花は」・感想【シャニマス】
・その名を知らずとも、路傍に咲く花は美しい。あなたがふと足を止め、身をかがめて花弁と香りを堪能して心に残ったのなら、それだけで真正の価値がある。
・花言葉や由来を説明されると、かえって興が削がれるかもしれない。それに、知らない方が良い事実だってあるのだ。「あの花の名前は何だったのかなあ」と訊かれても、私は知らないフリをするかもしれない。そう、もしあなたが好きになったその花の名前が——
・「イヌノフグリ(犬のキン○マ)」だったら。
・ごめんて。
・いきなり品のない話になってしまったが……「言わぬが花」という言葉がある。あれこれ言葉を尽くすよりも、あえて何も言わない方が、その奥底にあるものに思いを馳せることができ、風流である。そんな「奥ゆかしさ」の美学を一言で言い表した金言だ。冒頭で示した花の名前がその具体例で——と、こんな風に得々と解説することがまさに無粋そのものである。
・それでも、人は伝えたい思いがある。私もどうにか語りたい。トワイライツコレクション杜野凛世「花は」が、凛世の「奥ゆかしさ」を多面的かつ美しく表現した、総決算とも言えるコミュであったことを。かの少女はまさに名も知らぬ蕾(つぼみ)であることを。杜野凛世について語る時、私の語れる全てを——
(※以下、「花は」および杜野凛世関連コミュのネタバレを含みます。ご注意ください)
花のつぼみ①——凛世は「おしとやかで控えめ」?
・1話からあらすじを見ていきますと——凛世とプロデューサーは、グラビア撮影の件で雑誌編集者と打ち合わせ中。テーマは「花」。バラ園での撮影を提案される。「抜けるような青空の下、気高く咲き誇る色とりどりのバラの花々……その中にあってひときわ凛として佇む一輪の花——それが杜野さんというわけです」とのこと。
・褒め言葉の語彙力すごいな。どこぞの悪徳記者も見習っていただきたい❗😡
・凛世の反応はイマイチ。先方はそれを謙遜と受け取り、さらに提案をプッシュ。「おしとやかで、控えめで……だからこそ、真逆のイメージを見せたいと思ったんですよ 派手で、華やかで、ゴージャスに!」と。
・……う、うーん、確かに凛世が渋ってるのもうなずける。なんかちょっと違和感を覚える。
・雑誌編集者が凛世に抱いている印象は、シャニマスを始めたばかりの頃の第一印象と同じだ。凛世はおしとやかで控えめ。公式プロフィールの「落ち着いた佇まいの大和撫子。常に礼儀正しく、一歩引いて相手を立てる性格」を額面通りに受け取るなら、確かにそうではある。元気いっぱいのアイドルユニット・放課後クライマックスガールズ、その中において、凛世はおしとやかであるがゆえに奇異な存在のように思えるが——
でもちゃうねん。
凛世って3000色あんねん。
それ以上あんねん。
・思い出してほしい。誰もが凛世でギャップを味わったはずだ。感情の起伏がない子かと思えば、合宿では幽霊ドッキリをするし、ダブルピースで冗談を言うし、酔ったフリをするし、拗ねて頬を膨らませる。かなり茶目っ気がある。だからこそ放クラに溶け込んでいる。最近では、一人で大盛り牛丼をかっ食らったり(牛的情感盛り、一丁)、効果音で遊んだり(珈琲の牛乳いれたん)と……正直もうわからん。何なんだこの子。次から次へと予想だにしない三千兆凛世が出てくる。ふーん、おもしれー女……
・そして、それは見かけ上のことだけではなく、様々な感情を内に秘めているからこそだ。(あえて俗っぽい言い方をすると)プロデューサーへのクソデカ感情が筆頭に挙げられるが、 出会いであるW.I.N.G.編ですら、プロデューサー以外にも目を向けて、ファンの期待に応えたいという彼女の心情が語られている。サポートコミュでは、放クラメンバーを思いやり、共に未知の体験をしては、新たな感情に芽生える様子が描かれる。少女漫画グッズを智代子と買ったり(をとめ大学)、犬と触れ合ったり(ふれんど日和)、牛丼食ったりしてキャッキャッしてます。かわいいね😊
・凛世は単なるおしとやかな少女ではない。そういう一面はもちろんあるけど。雑誌編集者と話していたあの時、彼女はただ謙遜しただけではなく、やはり色々な思考や感情がせめぎ合っていたはのではないか。たとえば……「花」がテーマであれば、別に薔薇でなくてもよい。菜の花やチューリップなど、春の花はたくさんある(イヌノフグリも開花は春だそうです)。雑誌の方向性、トレンド、自分に合う花は他にあるかもしれない。しかし、先方の提案を無碍にするのは失礼なのではないか。そんなことを考えたのかもしれない。
・あるいは……凛世は放クラにおいて、薔薇の花々の中に凛と佇む一輪の花ではない。「調和」の中にある。そんなことを暗に示しているのかもしれない。そりゃまあ、ぱっと見は凛世以外のメンバーは薔薇に見えるだろうけど、完璧超人に見える夏葉さんだって色んな不安を抱えているし、お化けを怖がる。樹里ちゃんは——
\樹里ちゃんはー!/
\スッゴくスッゴく優しいでーす!/
・ワイトもそう思います。
・みんな同じなのだ。君が走る背中は君色の羽が羽ばたいてる(シャイノグラフィ)。凛世だって、放クラメンバーが自分を引き立てるためだけの道具と化すことは望まないだろう。と、そんなメタ的解釈もできる。想像の"翼"を広げる余地がある場面だ。"283"だけにつってな。ガハハ!
・もりちゃんはおしとやかさだけの女の子じゃないよね、色んな感情を内に秘めてる子だよね、そんなことを踏まえて読んでみると、プロデューサーの次の返答は示唆に富んでいる——
花のつぼみ②——すれ違いながらも、歩み寄る
・「いいんだよ、凛世 なんでも思ったことを言ってくれて」と。なんか思うことあったら言っていいんだぞ〜、と。
・一見するとなんてことはない台詞だけど、これまでの凛世コミュを踏まえると、なかなか象徴的だ。そう、プロデューサーはずっと凛世の気持ちに寄り添おうとしてきた。彼女の奥底に眠る感情を引き出そうとしてきた。二人はただただすれ違ってきたわけじゃない。
・凛世と出会ったW.I.N.G.編からそうだった。アイドルとしては間違いなく優等生、でも何かが引っかかるな……そう感じていたプロデューサーは、凛世に真摯に向き合い、やがて彼女の中に「自分を応援してくれるファンの気持ちに応えたい」という思いがあることを発見する。凛世はプロデューサーの言葉をきっかけに、自分のやりたいことを見定め、アイドル活動により一層邁進する。他にも——
・「水色感情」でも、
・G.R.A.D.編でも、
・「われにかへれ」でも、
・「ロー・ポジション」では、アイドルじゃない凛世さん、プロデューサーさまではないプロデューサーさまとして歩み出すところで、物語が終わる。ぱっと思いついたものだけ並べてみましたが、結構あるもんですね。
・自分の気持ちを伝えて、相手の気持ちも知ろうとする——プロデューサーのこういう姿勢がなかったら、凛世はもっと早い段階でアイドルを辞めていたのではないだろうか。それこそ、G.R.A.D.編で行方をくらませたあの場面の後、そのままプロデューサーの前に二度と姿を現さない、そんなifルートもあったのではないか。
・プロデューサーが気持ちをぶつけてくれるからこそ、「もっとわがままになっていいんだ」と言ってくれるからこそ、凛世も自分の感情を少しずつ表に出すようになる。Landing Point編では、過去の経験から文字通り「型」にはまってしまっていたが、厳しいレッスンの末に自分の限界を乗り越える。ライバルには負けない。「必ず……凛世が……魅了いたしますゆえ……!」と大胆に宣言。プロデューサーも凛世の覚悟をしかと受け止める。
・まあ結局こいつは肝心なところをこれっぽっちも理解できちゃいねえんですけどねえええええええ!!!!! もりちゃんには言えない気持ちがいっぱいあるのよっ!!!!!! このクソバカアホマヌケ鈍感プロデューサーがよおおおおおおおおおお!!!!
・……と叫びたくなりますが。最近はその気持ちも薄らぎつつある。
・そうだよな、と。わかんないよな。私達は他人の心を隅々まで理解することなどできない。全てを理解できると思うことは傲慢ですらある。学校で仲良くしている友人だろうが、生まれてきた頃から一緒に過ごしてきた家族だろうが、何を考えているのかわからないことがある。セリヌンティウスだって、竹馬の友であるメロスが約束を果たすために来てくれるかわからず、ちらっと疑ってしまうのだ。
・凛世とプロデューサーが挑戦しているのはそんな、人間が本源的に抱える他者との相違なのではないか。すれ違えども、お互いに歩み寄ることで心を重ねることができる……でもやっぱり根本的なところではすれ違ったまま。どれほど努力を重ねようと。それが人間の宿命なのだ。
・諦めるのは簡単だ。でも踏み出してみると、哀しみと同じくらい、喜びで満たされることがある。心という庭に色とりどりの花が咲き続ける。そんな甘くともほろ苦い思いが、凛世とプロデューサーの歩みには詰まっている。
・話が長くなってしまいました。コミュに戻りますと——なんでも思ったことを言っていいんだぞ、とプロデューサー。凛世は素直にうなずく。「凛世の気持ちを知りたいんだ」を選んだ時の回答が好きです。「なんでもは……難しいです……ですが……なるべく……お伝えできるよう……努力いたします……」と。
・「ふふっ」って微笑むんですよ凛世。(そうですね。プロデューサーさまはいつも、凛世の気持ちを知ろうと努めてくださりました。凛世も頑張ります)と。それでいて、(ですが、あなた様の知らない思いが、凛世の伝えられない思いが、たくさんあるのです……)という寂しさも含んだ笑顔であるように感じられる。凛世ぇ……😭
・しかし、たとえ全てが伝わらずとも、凛世は凛世なりに伝える努力をしている。決して諦めることはしない。
・その健気な姿に、私は背中を押される。私達は必ずしも本音だけで生きているわけではない。好きな人に好きだと伝えることができない、自分を騙しながらでないと前に進めない。そんな風に嘘と沈黙に満ちた生活の中で、孤独を抱えて枕を濡らす夜もある。それでも、誰かに歩み寄ってみると、思いが通じずに辛くなる時もあれど、喜びで満たされる瞬間もあるんだよと、杜野凛世という少女は教えてくれる。
・総じて、凛世とプロデューサーが歩んできた遠い道のりを感じられる——引いては、他者と心を通わせることの難しさと、それでもなお他者に歩み寄ることの可能性に目を見開かせてくれる、素晴らしいTrueコミュでした。本記事は以上です。ここまで読んでくださりありがとうござ——えっTrueコミュじゃないのこれ? まだ1話なの!?!?
急ぐ理由——まだ道の途中
・ほな続き読むかあ。プロデューサーからメッセージが届く。打ち合わせをしたいから、学校が終わったら事務所に来てくれないかと。
・英語の授業は「水色感情」を、授業が終わった直後にダッシュでプロデューサーの元に向かうのは「春告窓」を思い出しますね。第1話と同じく、今までの凛世コミュの光景がぶわーっと脳内に広がりました。何これ走馬灯か? 死ぬのか私は……?
・凛世は急いで駆けつける。第1話でプロデューサーは「なんでも思ったことを言っていいんだぞ」と言ったし、凛世もそれにうなずいた。きっと楽しいひと時が待っているんだろうなあ——
・(よしっ! いいぞ! いけっ! いけっ……!)
・(い、いかんっ! 頑張れ凛世……! ちゃんと伝えるんだっ!)
・……………………。
これ苦っ❗
きらい〜〜〜〜〜……😫
・第2話タイトルは「急ぐ理由」。凛世はプロデューサーに早く会うために急いだ。プロデューサーは仕事のためにコンビニに急ぐ。そんな二人のすれ違いが描かれる。(プロデューサー様は急いでおられるご様子……凛世が付いて行くとご迷惑に……それなら事務所で待ちましょう……)と、そんな心情が垣間見れるのが選択肢「汗をかいてるじゃないか」。
・「何か欲しいものでもあるのか?」という選択肢もあって……もりちゃんが欲しいのはあんたと過ごす時間に決まってるでしょ❗❓ と心の中のクラスメイトが叫びますけども。凛世は言わない。言えない。プロデューサーから「なんでも思ったことを言っていいんだぞ」と言われたけども。心から慕う相手だからこそ、気を遣って言えないことがある。難しい問題じゃよね……
・他のアイドルなら、こうはならなかったんじゃないだろうか。たとえば、愛依ちゃんなら「じゃあうちも付いて行こっかな〜。えっ? いいってそんなに気を遣わなくて! うちが付いて行きたいだけ❗😁」「あっでもうちがいると迷惑か。事務所で待ってるね〜👋」と話がすんなり進みそう。あさひなら「私も付いて行くっす〜! あっこれ面白そうっす!」になって、プロデューサーはあさひが目に留めたものを買う。冬優子なら「あらそう。じゃあ事務所で待ってるわ。それにしても用紙切れなんて用意が悪いわね。そんなことでふゆのプロデューサーが務まるのかしら?」「ははは……手厳しいな……」と。
・凛世はまだまだ成長の余地があるな、なんてことを思う。そりゃ他人と心を通わせるのは難しいけれども。伝えられない気持ちはあるけど……ええんやで凛世、もっとガンガン言っても。私の妄想の中のStraylightみたいにさ。
・「……じゃ、一緒に行くか!」を選ぶと、一緒にコンビニ行く。プロデューサーは「もしかして俺に付き合ってもらっちゃったかな……」と罰が悪そうにするが、凛世は顔を綻ばせながら否定する。(気を遣わずともよいのです……あなた様と一緒にいたかったのですから……)そんなことを思ったのだろうか。大事な思いをひしと心に留める、凛世らしい言動だ。
・「いえ……」の息遣いマジで最高です。息を上げながら言葉を紡ごうとする健気さ、その声色に滲む嬉しさ。私は5回リピートしました。
・いやはや。これからの凛世の成長に期待できるTrueコミュでしたね。「ふらここのうた」「微熱風鈴」Trueコミュのようなサクッとした食感。頑張れ凛世! のびしろしかないわ! \ay!/ それではこの辺で……えっ? まだ2話?
奥にあるもの——輝きの理由と意味
・第3話「奥にあるもの」。制作会社ディレクターが凛世の印象について「控えめで慎ましい印象なのに、目を引かれる存在感があって……なんというか、心の琴線に触れる子ですよね……」と語る。Je ne sais quoi(言い表せない魅力)ってやつか。
・「水色感情」で似たような発言がありましたね。「撮影が終わって印象が変わりましたよー」「ちょっと大人っぽい顔するんだなって、意外で」と語る人物がいた。
・当時、プロデューサーはその発言に驚いた。自分が知らない凛世の一面。「凛世のいいところ 俺が一番、知ってなきゃいけないのにな」——プロデューサーとしてもっと凛世のことを理解するために頑張らなきゃ、そう決意した。やがて、G.R.A.D.編で彼女の苦悩に触れ、「ロー・ポジション」で「知らぬ顔」を知った。
・そして現在。「水色感情」のように驚いたのではなく、「もっと心の……心の奥にあるものまで伝わっているんだと思ってさ」「そのことが、すごく嬉しかったんだ」と得々と語る。凛世の意外な一面に気づき、それを知ろうとしてきた、引き出そうとしてきたからこその言葉だ。第1話の「いいんだよ、凛世 なんでも思ったことを言ってくれて」と同じく、プロデューサーの歩みを感じられる台詞だ。
・私も嬉しかったですね。そうそう、もりちゃんはおしとやかさだけの女の子じゃないのよね、"理解"ってんじゃん……と。第1話の雑誌編集者も撮影が始まったら印象が変わるんじゃないかな。(あっ意外と冗談言うんだ。年相応にかわいげあるなあ)とか、(おしとやな子だと思ってたけど……不思議な魅力があるなあ……)とか。シャニマスに触れた人が誰だってそうなるように。
・「誰かに伝える、伝わるって、簡単なことじゃない」「凛世の内側が輝いてる証だなって、そのことも俺は嬉しかったんだよ」とプロデューサーは言葉を続ける。この台詞はG.R.A.D.編を思い出しますね。人の心を動かす。欲しがって、欲しがって、ようやく声になった。伝えるまでにとても苦しい思いをした。でもその過程があったからこそ、今の凛世は内側から光り輝いてるんだなって……
・凛世の反応はこんな感じ。これも1話と同じく謙遜というよりは……一番大切な人には中々伝わない、という感触があるからこそ、「過分なお言葉」だと感じたのかもしれない。ここで「そうだよな」を選びますと——
・これもう暴力だろ。起訴したら勝てるぞ。
・凛世にとっては「大事なもの」=「プロデューサーを思う気持ち」ですよ。それを、言葉にすることがすべてじゃない、心の中にしまっておいてくれ……? それはもう「あ」のない少女じゃんか……G.R.A.D.編後の明るい未来を描いてるかと思ったら……また傷を抉ってきやがった……
もりちゃんを曇らせるんじゃないわよ❗❗
ブチ○すわよ❗❗❗❗❗❗
・……まあでも。うん。わかってる。プロデューサーにはまったく非がない。「言語化できるものだけが全てじゃない。自分が感じたものは大切にしてほしい。そうすれば凛世の内面はもっと輝くよ」と。プロデューサーはそういうことを言いたいわけで。相変わらずいいことを言ってる。だからこれは受け手側の問題だ。凛世自身もそれは気付いてるはずだ。わかってる……わかってるんだけどね……
・やっぱり難しい。伝えることは。丁寧なものほど見えにくい。
・……でもなあ凛のお嬢ちゃん、「言葉にすることがすべてじゃないよ」ってのは実際その通りだぜ。プロデューサーのために味噌汁を作って、労ってあげただろ?(「ロー・ポジション」第3話) それと同じさ。言葉だけで伝わらないもんは行動で示せばいい。ま、お前さんの思い人が言いたいのはそういうことじゃねえだろうが——\ちょっとあんた! いつまで油売ってんのよ!/ ……っといけねえ。うちの鬼がカンカンだ。とにかく落ち込むなって! ガハハ!バシッ✋😁(乱暴に背中を叩く)
・謎の気前いいおっちゃんが現れましたが、さておき——
・選択肢「そうだよな」以外はパーフェクトコミュニケーション。たとえば「いや、待てよ……?」。ディレクターさんにわかってもらえたからいいってわけじゃない。もっとたくさんの人に知ってもらわないと、そのために頑張らないと。凛世はうなずき、「プロデューサーさまと一緒なら……どんなことでも……」と微笑む。これからも二人の歩みが続くことを感じさせてくれる会話だ。
・たくさんの人に、か。私もその中の一人だ。もっと凛世の輝きを知りたい。そして、ふと思う。伝わらない思い、背伸びして伝えようとする健気さ、そうして内面が輝いていく——私は凛世のその姿に、ままならない現実を、その中でも手に掬える一抹の希望を見出し、仮託しているのではないか、と。
・私達は愛が永遠ではないことを知っている。到達不可能な領域があることを知っている。愛する人の全てを知ったところで、やはり他者である以上は本源的な相違を抱えている。元も子もないことを言ってしまえば、いつか死が二人を分かつのだ。愛を知ることは、他者と繋がる悦びを知ることであり、同時に、相手が遠のいて行く感覚に身を震わせて、孤独に泣く夜を知ることである。
・これは恋愛に限った話ではなくて、たとえば……私には子どもの頃からずっと大好きなお婆ちゃんがいます。幸いにもまだ元気ですが、もう80歳を過ぎている。いつ会えなくなってしまうかわからない。いつ私の名前を忘れてしまうかわからない。そう思うだけで胸が苦しい。だから、会う機会があればいっぱい話すようにしているし、「孫の名前ちゃんと覚えててよ〜(笑)」なんて冗談を言うのだが……自分を騙している、という感覚が拭えない。悲しい気持ちを抑えたいから話すのだ、忘れたいから冗談を言うのだ。そう気づいてますます胸が苦しくなる。何なら私の方が先に交通事故で死ぬ可能性だってあるというのに。
・誰にだってそんな相手が1人や2人はいる。コンテンツが終了・衰退する時、推しが引退する時、人は悟るのだ——「いつかこうなることはわかっていた」と。ただただ偶然によって持続していた時間があったことを。
・だからこそ、杜野凛世という少女の物語は儚くも美しい。二人が結ばれるとは限らない。プロデューサーと共にいられる時間は永遠ではないのだ、絶対に。気持ちが通じ合わないことだって何度もある。それでも凛世は伝えることを諦めない。「エロティシズムとは、死におけるまで生を称えることだと言える」——哲学者ジョルジュ・バタイユの言葉だ。凛世という少女はまさに、いつか訪れる別れの日まで生を謳歌しようとする。愛する人と過ごせる今この時を、より良いものにしようとする。その内側の輝きが私を照らしてくれる。辛くとも、ほんの少し前に進ませてくれる。
・第1話はプロデューサーと凛世だけの視点でしたが、今回の話ではそれ以外の他者の視点も交えながら、凛世が歩んできた道のりを「内側の輝き」によって感じさせてくれた——そのおかげで、その道のりが、私にとって何を意味しているかを深く考えることができました。とても素敵なTrueコミュでしたね。私もたくさんの人に凛世の魅力を知ってもらえるようにさ、いいnote記事を書けるように頑張らないとな。
・……さすがに今度こそTrueコミュだよね?🤔 もしかしてまだ4話だったりして………………3話ァ!?!?!??!
朧月夜①——記念碑的ガシャ演出
・そんなわけで第4話「朧月夜」。例の撮影、ロケ場所は菜の花畑になりました。凛世の提案が通ったのだろうか。
・薔薇の花言葉は「愛」「情熱」「美」(色によりけりだけど)。薔薇といえば「赤」。「赤」といえば凛世、あるいは凛世がプロデューサーを思う気持ちの暗喩として、コミュでよく登場する。薔薇から予定が変更になったというのは……プロデューサーへの思いを覆い隠している、そんな暗喩が込められているんだろうか。
・菜の花の花言葉は「明るさ」「快活さ」。凛世にはそういう一面もあるんだってことをね、この撮影を通してぜひ知ってもらいたいですね。大盛り牛丼を一人で食うんですよこの子は。
・撮影現場では、タイトルの元ネタとおぼしき歌曲「朧月夜」と同じ光景が——朧月がかかる夜の菜の花畑が広がっている。息を呑むほど美しい風景だ。良好な雰囲気で撮影は終了。二人は確かな手応えを感じる。
・さて、そろそろ帰るか。プロデューサーが言い出したその時——
・(よし! いいぞ! 今度は伝えられたねっ!)
・(頼む……頼む……!! どうか……!!🙏)
「「「よっしゃああああああ❗❗❗❗」」」
〜W.I.N.G.優勝BGM〜
・私と、クラスメイトと、謎の気前いいおっちゃんが、肩を組んで喜んでおります。「見てください、凛世の表情!!」「うん……とっても嬉しそう……!!」「ったく……歳をとると涙もろくなっちまっていけねえなあ」
・二人は夜の菜の花畑を歩く。ここでガシャ演出が挟まりますが……これ、凛世コミュの歴史に残る名ガシャ演出です。前置きが長くなりますが、どうか聞いてください。本当にすごいんです。
・今回のガシャの演出にはプロデューサーがいます。後に画像をお見せしますが——凛世のガシャ演出において、プロデューサーの姿が明確に映っているものは2つあります。まずは「十二月短篇」。次の予定ですぐに発たなければならないプロデューサーを、どうぞ凛世のことはお気になさらずと、そっと見送る場面です。もりちゃん……😭
・次に「さよならごつこ」。お正月。凛世は実家に帰省中。遠く離れているからこそ余計に思いが募る。どうしてもプロデューサーの声を聞きたいと思った凛世は電話をかける。でも繋がらない——諦めかけたその時、プロデューサーが電話を取り、二人は通話する。遠くとも繋がる思いはある、という喜ばしい場面ではありますが……どちらのガシャ演出も、プロデューサーとは物理的な距離がありました。これはやはり凛世とプロデューサーのすれ違いや、立場の違いを表しているように感じられます。
・しかし、二人の距離は変わりつつあります。W.I.N.G.編ではプロデューサーに引っ張られていたし、初pSSR「杜野凛世の印象派」ではカップ麺の食べ方を教わったりしていたけれど……いつまでも半歩後ろから付いて行くだけではない。Landing Point編では、プロデューサーの手が及びづらい極地にまで到達する彼女の成長が描かれます。
・その成長は凛世自身の思いが変化しているからこそだ。「ロー・ポジション」第4話では、後ろで守られるばかりではなく、雨に濡れようとも隣にいたい、むしろ自分を犠牲にしてでもプロデューサーを守りたい、という気持ちを語る。つまり、凛世はいつまでも後ろにいるのではなく、行動も内面もどんどん前進しているんですね。
・……苗木くん、ここまで言えばわかるわね? そう、今回のガシャ演出では——
——凛世とプロデューサーが、
肩を並べて歩いているのです。
・………………いやよく見たら肩並んでないわ!! 頭ひとつ分ちっちゃいわ!! 身長差尊すぎ……もりちゃんちっちゃかわいい……頬をちょっと赤らめてるのもかわいい……ぎゅーってしたい……😊
・「十二月短篇」のように後ろにいるのではなく、「さよならごつこ」のように離れているのではなく、隣にいる。凛世の成長を、その歩んできた道のりを象徴している、記念碑的ガシャ演出と言えるでしょう。ありがとう。それしか言う言葉が見つからない。
・……しかし、そんなことはお構いなしに「もりちゃんいけーっ❗ そのまま腕にしがみつけーっ❗👊」「胸に飛び込むのにちょうどいい身長差だぞーっ❗」とクラスメイトが叫んでおります。ごめん、気持ちはわかるけど、歴史的な名シーンだから静かに——
おい❗❗❗❗
結婚だ結婚❗❗
今すぐここで挙式しろっ❗❗
・……失礼しました。デカい声が。ちなみに「月をそっと手で包み込む」という仕草が途中で挟まっています。これは「われにかへれ」ガシャ演出にある「蛍をそっと手から放す」と対照的ですね。「近くとも遠のいていく」から「遠くとも近くに感じられる」へ。これもまた凛世の成長や関係の変化を表しているように感じられます。
朧月夜②——眺むる人の心にぞ住む
・冷静になって二人のやり取りを振り返ってみますと……ハイコンテクストなやり取りですね。凛世は「このように……美しい景色……そう……見られるものでは……」としか言ってない。言外のニュアンスで「なので一緒に見て歩きませんか」と言ってる。何も伝えられなかった第2話と違って、伝えることができた。でもほんのちょっぴり。その小さな成長がなんとも健気でいじらしい。
・「一緒に見て歩く」が一番大事なところなんですが、まあプロデューサーにはあまり伝わっていないだろう。でも(凛世はもっとこの景色を見たいんだな)とは思った。相変わらずちょっとすれ違っているんだけれども、片や凛世の気持ちに耳を傾けようとする姿勢があり、片やプロデューサーに思いを伝えようとする姿勢があるからこそ、曖昧なままでも、二人の気持ちは確かに重なっている。
・そんな二人の状態を表しているかのように、朧月が空に浮かび上がる。霞がかかってぼやけて見える月だ。「はっきりと見える月もいいけど、こんなふうにぼんやりと見えるのも風情があっていいな」とプロデューサー。凛世もその言葉にうなずく。「月が綺麗ですね」……ってコト❗❓ 結婚だ結婚❗❗ 今すぐここに両家のご家族を呼べえっ❗❗
・第3話を踏まえると、やはり朧月は凛世を暗喩しているのだろうか。「控えめで慎ましい印象なのに、目を引かれる存在感」があると凛世は評された。それは朧月の情景と重なる。
・………………風情があっていい、か。あの頃から随分変わったな——
・「われにかへれ」第4話。タイトルは「月があたらしい」。一連のコミュにおいて、二人はすれ違いを繰り返す。誰かの心を知るのは難しい。なかなか聞こえるようにはならない。凛世は湖の上を舞う蛍の光を見てつぶやく——蛍は何と言っているのでしょう、と。「聞こえたらいいんだけどな」「はい……聞こえたら……よいのですが……」
・心が通じ合わない自分達の状況を、蛍の光に重ね合わせていたわけだが——それが今となっては、多少は曖昧でも思いが通じるようになり、その象徴とも言えるおぼろげな月の風情を味わうまでになっている。これもまた二人の歩みを感じら獲れる場面だ。
・唐突な自分語りですが、私がシャニマスを始めたのは2周年の時。月ノ美兎さんの配信がきっかけでした。その年に凛世に何があったかっていうと、G.R.A.D.編と「われにかへれ」。いやもういきなりドスで刺されたようなもんよ!?!? ……それが「ロー・ポジション」やLanding Point編で成長を遂げて、今となっては「われにかへれ」からの確かな変化を感じさせてくれるまでに至っている。本当に嬉しい限りです。
・閑話休題。月といえば、こんな宗歌がある——
・月の光が届かぬ人里はない。けれど、月の光を眺める心があってこそ、人は初めてその美しさに気づくことができる。転じて、「阿弥陀様はあまねく人々に救いの手を差し伸べており、それを心から信じて御念仏を唱えることが大事」という浄土宗の教えを説いたものだ。
・凛世もそれと同じだ。朧月のように儚くも美しい光を放つ。それを見て、「凛世はおしとやかで控えめ」とだけ思う人もいれば、それだけではない不思議な魅力があると惹かれる人もいる。そして、プロデューサーはずっと隣で見てきたらからこそ、凛世の光を「凛世の内面が輝いている証だ」と信じることができ、その光をより一層多くの人に届けるために頑張ろうと思える。まさに月影は眺むる人の心にぞ住む、だ(ま、肝心なことに気づけないクソバカ鈍感野郎なんだけどねっ💢)
・プロデューサーが朧月の風情を味わっているのは、そんな風に今までの歩みを感じさせてくれる。そして、凛世がプロデューサーの言葉にうなずくのは……多くを知られずとも、語らずともよいのです。こうして心を通わせて、美しい月をあなた様と眺められる、今この瞬間がたまらなく愛おしいのですから——そんなことを思いながら、プロデューサーと菜の花畑で過ごす時間に浸っているように感じられる。
・やばい……
・皆まで言うと無粋ではありますが、このじわっと込み上げてくる感動、得も言われぬ情緒、これこそが凛世コミュ(引いてはシャニマス)の魅力だなと思う。凛世コミュを読み始めると「この暗喩を読み解くと……」「花言葉から察するに……」「この対比表現の意味は……」と次から次へと想像を膨らませることになる。そうして月を眺めようとする心を持って眺めてみると、凛世の内に秘める感情や、言葉では容易に言い表せない情緒を発見し、カタルシスへ至る。
・その要領で本コミュも自分なり読み解いて、凛世が歩んできた道のりを感じられるとか、もりちゃんはこんなことを考えてたんじゃないかなーとか、ここまで色々書いてきたわけですが、まあ所詮は私が勝手に言ってるだけで。何ならいったん綺麗さっぱり忘れて、ぜひフラットな視点でコミュを読んでほしい。各々が感じたことが大切なんだやっぱり。このコミュを読むとそう思わされる。凛世とプロデューサーがお互いの気持ちを知ろうとするように、読者も行間や暗喩から心情を読み取ろうとする——そんなメタ的構造のシナリオが実に巧妙。本記事が参考程度になれば幸いです。他の人の凛世コミュ記事を読んでみると「私の解釈まだまだ浅かったな〜……」と思わされてばかりです。
・話が長くなりました。総じて、杜野凛世という少女の「奥ゆかしさ」、その美学が結集したTrueコミュだと感じました。凛世が奥底に秘める名もなき様々な感情、それが朧月のように儚い輝きを放つからこそ、第3話のように「なんというか、心の琴線に触れる子ですよね……」と不思議な魅力を感じる人もいるし、私のように行間に思いを馳せる人もいる。じわっと込み上げてくる感動や、得も言われぬ情緒が、自分の心の中にもあることを知れる。
・大変お待たせしました。次こそが正真正銘のTrueコミュです。
花の名は——名も知らぬ蕾のように
・Trueコミュ「花の名は」。ここまで省いていましたが、そもそも第1話は、凛世がとある庭にある花のつぼみに目を留める場面から始まります。
・第4話で、凛世は花のつぼみに再び目を留める。第1話とは違い、今度はプロデューサーの言葉を思い出す——「おしとやかで、控えめで、慎ましくて」「凛世の内面が輝いてる証だなって」。つぼみに自分を重ねたのである。そして、「つぼみであっても……」とつぶやく。つぼみであっても、その慎ましい美しさに目が留まった。それと同じように、プロデューサーに伝わっている思いはあるのだと。
・蕾(つぼみ)。草冠に「雷」と書く。雷は本来「靁」と書く。「畾」は雷のごろごろとした音が重なる様を表したもの。つぼみにそんな雷という字が当てられているのは、積み重なっている様子や、開花に向けて力を凝縮させている様を表現している、と考えられているらしい。これを凛世に当てはめてみると……つぼみのように慎ましく見える彼女は、実は内に様々な思いを秘めている、そんなことを言い表しているのかもしれない。プロデューサーが「凛世の内面が輝いてる証だなって」と語っていたように。
・完凸ライブスキルは「スキル履歴が多いほど効果アップ」。自分だけの思いだけではなく、そこには放クラメンバーとの絆や、共に学んできたことも含まれているのだろう……いやエッッッモ!?!?
・Trueコミュで開花。プロデューサーと一緒にそれを見る。プロデューサーはその花を牡丹(ぼたん)だと勘違いする。ちょ、ちょ、ちょ!?wwwぷぷぷプロデューサー殿ぉ〜wwwそれは牡丹ではござらぬよ〜wwwやはり一般ピーポーは牡丹しかご存知でない!?wwwボタバラ世代ですかな?www教えてやってくだされ凛世氏〜www
・芍薬(しゃくやく)でした。「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」でおなじみの花ですね。牡丹と芍薬は、そうと言われなければ普通は見分けがつかない。つぼみであればなおのこと。「凛世も咲くまでは見分けられません」と言葉を続ける。
・…………ここからが難しいところで。だいぶ妄想を爆発させます。あくまでも解釈の一つということで。プロデューサーは牡丹と芍薬の見分け方を教えてくれないかと訊く。凛世は教えるのだが——
・ここねえ……このわずかな沈黙、凛世は答えるのをためらったと思うんですよ。それは怖さか、あるいは覚悟か。自分が思いを秘めるつぼみであれば、開花を迎えて、自分という花の正体が知られた時、秘めたる思いを知られた時、どうなるのか。
・見分け方を教えてしまえば、もはや勘違いさせたままにしておくことはできない。W.I.N.G.編のこの台詞、凛世にとっては「一生添い遂げる」という意味だけど、プロデューサーは(おっアイドルにすごく意欲的なんだな)と思ったのだろう。「想ひいろは」でも「凛世のご家族には一度きちんとご挨拶に伺った方がいいのかもな……」という台詞で似たような勘違いが発生したけれど——
・はたして、今は離れている赤と青が混じり、紫となる時、何が起きるのか。それは恐ろしいことかもしれない。W.I.N.G.編や「想ひいろは」では、二人の思惑はすれ違っていたけれど、凛世は甘い夢に溺れることができた。そんな現状の方が、あるいは彼女にとって幸福なのかもしれない。知らないまま、知られないままの方がいいことだってある。「イヌノフグリ」という名前を知ってガッカリするかもしれないように。
・それでも凛世は伝えた。牡丹と芍薬の見分け方を。恐ろしい出来事が待ち受けているかもしれなくても。いつかこの根本的な勘違いが解消され、本当の思いが伝わる日は来る。他ならぬ凛世自身がそれをやり遂げる。そんなことを思わせる描写だ。シナリオ上でそこまで描かれることは当然ないだろうけど——シャニマスで描かれる凛世の物語は、思いを告白するその未来に向けて、開花に向けて内で思いを膨らませる、名も知らぬ「蕾」としての彼女を描いた物語なのかもしれない。
・薔薇の香りがするのが芍薬。プロデューサーはこの香りを覚えておくよと言う。凛世が開花した時、プロデューサーは見分けることができる。隣で見てきたからこそ。少女漫画のようなすれ違いギャグには決してならない。踏切の音にかき消されることも、「俺も黄身(君)が好きだよ」とアンジャッシュ状態になることもない。「その日」はいつか必ず来るのだ。なあなあの関係で終えることはない。それが凛世の覚悟である。
・——以上が私が一番しっくり来た解釈ですが……牡丹や芍薬の花言葉、第1話の薔薇なども考慮すると、別のものが見えてくるかもしれません。ぜひ想像を膨らませてみてください。今はただ、杜野凛世という「蕾」に思いを馳せたいと思います。
完走した感想
・全部Trueコミュだった。ガチで。
・行間の情報量がえぐい。今までの凛世コミュの光景がぶわーと脳内に広がりました。無論、ただのリフレインではなく、二人が歩んできた「過去」を、苦難を乗り越えて成長を遂げた「現在」を。Trueコミュにおいては「未来」すらも描いてみせた。
・そして、軌跡をただなぞるだけではなく、要所要所において、彼女の内面を映し出している。杜野凛世——一見すると、おしとやかな少女。しかし、彼女は内に様々な感情を秘めている。大切な人への熱い思いも。それは容易に伝えられるものではなく、時には挫折を覚えることもある。それでも彼女は諦めない。伝えるために健気に努力をする。得も言われぬ感情に身を委ねて、大切な人と共に過ごせる時間に浸る。そして、未来へ。そのいじらしさ、たおやかさ。力強さ。草花が芽吹く様に生命のエネルギーが満ち満ちていることを感じられるように。彼女の「奥ゆかしさ」を多面的に、かつその奥底にあるものを、美しく丁寧に描いている。
・……ふと考えさせられる。私にとって杜野凛世とは何であるか、と——
・つい最近、シャニマスは5周年を迎えた。自分語りになるが……先に述べた通り、私がシャニマスを始めたのは2周年の時、月ノ美兎さんの配信がきっかけで、さらに言えば【凛世花伝】のガシャ演出を見たことがきっかけだった。雨に濡れる閑静な繁華街。少女は唐傘をひょいっと上げ、雨に打たれながら、ゆっくりと微笑みを浮かべる——その幻想的な情景と、繊細な仕草。「とんでもないものに出会ってしまった」という当時の衝撃は未だに覚えている。ソシャゲは軽薄なコンテンツ、という偏見を見事にぶっ壊してくれた。翌日、すぐにブラウザ版を始めた。
・凛世がきっかけだった。その時以来、私は彼女を愛して止まない。3年間——そう、3年間だ。長い歳月だ。高校1年生だった生徒は学校生活を終えている、大学1年生だった学生は就活を始めている、新入社員だった社会人の約3分の1は離職している。私自身も色々あった。あんまりにも生きるのが下手すぎて辛くなる時もあったが、自分の知らない空間に出会う喜びを知る時もあった(具体的に言うと志摩スペイン村)
・それほどの期間愛することができたのは、私にとって彼女が強く意味のある存在だったからだ。あるいは、辛さも喜びも味わったからこそ、今の私には、凛世の輝きがより印象的に思える。月影は眺むる人の心にぞ住む、か。確かにそうだ。私にとって杜野凛世は闇夜に浮かぶ朧月だ。儚い光であるからこそ私の心に住みつく。……でもそんな仰々しいだけの存在ではなくて。シンプルかわいい。プロデューサーと二人きりのカラオケ部屋でドキドキしちゃうの(「水色感情」第3話)さすがにかわいいがすぎる。薔薇のような大輪の花ではなく、かわいらしい小さなつぼみだ。草木が芽吹くように儚きものへ愛情がふっと発露することを萌えと呼ぶなら、私は凛世に萌えているのだろう。改めて思う——
・「もりちゃんやっぱやばいわ〜……」と。さすがトワコレだ。やばすぎた。Trueコミュを5回も浴びせられた。危うく死んでしまうところでした。それほどの熱量を持った物語だからこそ、私も語り尽くすことができた。杜野凛世について語る時、私の語れる全てを。さて、最後に思い出アピールを見るか——
おお〜〜……
おっ?
おおおおおお!?!?!???!?
う゛っ゛っ゛っ゛っ゛!゛!゛!゛!゛
・——以上、トワコレ凛世を全身に浴びて死んだオタクの感想文でした。約2万文字。ここまで読んでくださりありがとうございます。これからも、杜野凛世という「蕾」を、彼女の中で膨らみ続けるものを、空から見届けていきます。遺灰は故郷の海に撒いてください。それではまたどこかで。
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