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54.「俺さまか?俺さまの名前は」
「おい?大丈夫か?死んじまってるのか?」
タルトは頭痛がしていた。割れ鐘のように誰かの声が頭に響く。だれかが大声で彼のことを読んでいるのは判るのだが、それが今は頭痛になっているのである。
タルトはその声に聞き覚えがあった。そう … 聞き覚えはあるのだが、それが誰だか思い出せない。懐かしい … 何年も前に聞いた声である。若さと野生の不思議な力にあふれた … その声を聞いただけで元気が出てくるような、そんな魔力のこもった声だった。
困ったことに今のタルトはそういう元気な声に返事をする状態ではない。「顔無き女」の仕掛けた罠にまともにはまった彼は、『灼熱の迷宮』 … 帝国女神の生み出した牢獄に落ちたはずだった。そう … 文字どおり落下して、強くどこかを打って、意識を失って …
そのくせ、牢獄の世界という割に、聞こえてくるのは拷問を受けている罪人のうめき声や悲鳴ではなくて、こんな元気な声だとは …
「打ちどころが悪かったのかなぁ … 死んじまったんだったらかわいそうだし埋めてやろうっと。」
生き埋めにされてはたまらない!慌ててタルトはいたむ頭を押さえつつ目を開け、抗議した。
「だ、大丈夫 … まだ生きてるぜ … 」
タルトの抗議に声の主はいっきに喜色をあらわにした。よほどうれしかったのだろう、タルトの顔をうれしそうにのぞき込み、あふれんばかりの笑顔を見せた。
しかしタルトはそこまで言ってもう一度頭を殴られたようなショックを受けた。目の前にいる … さっきから彼を起こそうとしていた若者の姿を見てのことである。そう … 信じられない人物が目の前にいたのである。
* * *
その若者はタルトの見慣れた人間族ではなかった。「若者」というのはよく判る。ほとんどのところはよく日焼けした赤茶けた肌を持つ、背の高いたくましい青年という姿だった。垂れのついた鮮やかな色彩の腰布だけの姿なのだが、見事な筋肉質の体とあいまって、独特のエスニックな雰囲気をかもしだしている … そこまではいいのである。
彼が人間族と違うのは、その鮮やかな髪の毛だった。いや … 髪の毛というのは正確ではない。人間の頭髪のところにあったのは、赤々と燃えあがる炎だったのである。さらに額の上部、無造作に踊る髪との境くらいの場所から、燃える石炭のような色をした短い角が一本生えている。
炎で出来ているのは髪の毛だけではない。背中から生えている見事な翼 … これも人間族とは明らかに違っているところなのだが … これもやはり真っ赤な炎で出来ていた。燃える炎の翼の熱気でタルトは熱さを感じるほどである。
これだけ見れば、いかに落下のダメージで頭痛がするタルトといえども、彼が人間ではなく「魔神」であることが理解できるだろう。イフリート … 炎の力を持つ上位精霊か何か … それがこの青年の正体なのである。
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が、本当のところを言うと、タルトは目の前の若き魔神のことを知っていた。いや、知っているも何も … いっしょに旅をしたことがある友人といってもいい。「右手大魔神」 … タルトやレムスの仲間だった砲 赤砦の右手に宿っていた同盟精霊である。
赤砦のことは既に何度か話には出たので覚えている方も多いと思うが、草原から来た不思議な(少なくともタルトのような都会人からみると不思議としかいいようが無い)若者である。誰とでも仲良くなれる … ほとんど才能といってもいい笑顔と神技の弓の腕前を持つ青年で、混沌神を封じ込めたという伝説の弓である「げいの鉄弓」の持ち主である。
赤砦のことはともあれ、目の前にいる右手大魔神 … 確か本名はフレイム何とかというはずなのだが、タルトは思い出せなかった … とはタルトは仲が良かった。ほとんどけんか友達といってもいいのだが、声しか出演できない(通常空間では炎の精霊であるこいつは寒すぎて本体をあらわせないのである)右手大魔神は暇をもてあましてタルトとよく雑談やくだらない喧嘩などをしていたものである。しかし、赤砦が恋人とともに彼らの元を去って、その時に同盟精霊である右手大魔神もいっしょに行ったのである。
それ以来、タルトは赤砦たちの消息を知らない。ただタルト自身は … 確信めいた予感として赤砦はもう二度と姿を見せることはないだろうと思っていた。いろいろ理由は思いつくのだが、まず何よりもあの「鉄弓」が驚くべき事に隷属の鎖教団にわたったらしいということがある。最高神官マヌエル … 過去への扉をこじあけ、タルトたちがこの時代にくる原因を作ったあの初老のエルフ僧侶が鉄弓を手にしている姿をタルトたちは … 確かに見たのだ。
そのマヌエルは今やイサリオス帝の秘密を得るために暗躍しているはずである。彼らのライバルは本当は皇帝でもパラサイトストーンたちでもない。同じ未来からやってきた隷属の鎖教団とマヌエルなのである。(皇帝たちはシザリオンとこの時代の者たちに任せておくのが、本来は筋なのである … )
ともかくそういうわけでタルトはもう二度とあの不思議な笑顔を見ることはないだろうとあきらめていた。赤砦ほどの強い戦士が隷属の鎖教団の手にかかるというのは想像できないが、誰かもっと厄介な相手に殺されてしまったとか、回復困難なほどの深手を負ったのか … それとも(これが一番赤砦らしいとタルトは思うのだが)面倒になって鉄弓を手放してしまったのか … そんなことだろうと思っていたのである。
それが意外なところで右手大魔神 … つまり赤砦の同盟精霊 … に出くわしたのだから、タルトが驚いたのも無理はない。
「みぎてっ!お前生きてたのか?!なぜここに?」
ところが「みぎて」(当然右手大魔神の省略である)とよばれた目の前の青年魔神は怪訝そうな顔をした。まるでそう呼ばれたことが生まれて始めてのようだった。
「 … どうしたんだ?みぎて … 」
「お、おい、打ちどころ悪かったのか?俺は『みぎて』って名前じゃねぇよ … 」
「?まさか?」
タルトは信じられないというような顔をした。いくら「炎の魔神」の知り会いなど彼以外いないタルトであっても、人違いとは思えない。
「うそだろ?俺の見間違えとは思えないぜ。」
「変な事言うやつだなぁ … だから俺さまは『みぎて』なんて変な名前じゃねぇって!」
魔神は困ったように首を傾げる。タルトはそんな魔神の顔を穴があくほど見つめてみたが、いくら見つめても彼が知っている右手大魔神とほとんど違わない。あえてわずかな違いを探すとすれば、確かにごくわずか子供らしい表情のような気もする。
「じゃ … お前 … 」
「俺さまか?俺さまの名前はフレイムベラリオスさ。」
「 … フレイム … ベラリオス … やっぱり!」
「?」
フレイムベラリオス … その名は間違いなくタルトの知る右手大魔神の本名だった。そう … 間違いなく彼は赤砦の同盟精霊、右手大魔神なのである。ただ、どこかが違うこともタルトには判った。タルトのことを知らず、そして「右手大魔神」とも名乗らない … 思い当たった理由は一つだった。
そう … 目の前にいる右手大魔神、いやフレイムベラリオスは「赤砦やタルトと出会う前の彼」なのである。タルト達が過去へ … 時間の扉を超えて来たことが引き起こした「奇妙な現象」だった。120年といいう歳月は普通の人間なら年老い、死んでいたとしても当然の時間なのだが、フレイムベラリオスのような半神になるとそうではないのだろう。特に … タルトは一度だけ聞いたことがあるのだが、フレイムベラリオスは炎の上位精霊の中でも、フェニックス … 不死鳥の精霊らしいということだった。そういう事ならほとんど歳をとったように見えないことも、そしてタルトのことを知らないこともすべて説明がつく。
タルトはそういう推測を前提として改めて目の前の右手大魔神 … フレイムベラリオスに改めて自己紹介した。
「えっと … 俺はタルト。みぎて … いや、フレイムベラリオスだったよな。その … お前が助けてくれたのか?」
「おうよ。感謝しな。俺さまの羽がなかったら、今ごろ出血多量で死んでるぜ。」
そう言ってこの青年魔神はにこにこと笑う。「俺さまの羽」というのは、おそらくフレイムベラリオスのもつフェニックスのつばさから抜いた羽のことだろう。強力な生命の魔力を宿しているのである。
「感謝するぜ、みぎて … 」
「だあぁっ!俺さまは『みぎて』じゃねぇって!」
「あ、すまん … 」
タルトは苦笑した。魔神フレイムベラリオスが何といおうが、タルトにとってはやっぱり彼は右手大魔神なのである。
「ところで … みぎ … いやフレイムベラリオス、お前、なんでこんな所にいるんだ?ここはどこなんだ?」
「そりゃ俺の方が知りたいぜ。人間族なんかがなぜこんなあぶねぇ所にいるんだ?ここは帝国女神の迷宮だぜ。」
「 … そりゃ … 」
タルトは一瞬躊躇した。この魔神 … フレイムベラリオスは彼の知っている右手大魔神とは違うのである。120年も前の時代の、タルトのことや赤砦のことをなにも知らないのである。もしかすると … 実は敵同士なのかもしれない …
しかしたしかに … この魔神はタルトを助けてくれたのだし、かわいらしい笑顔は彼の知っている右手大魔神とまったく同じだった。その笑顔を見ていると、どうしてもタルトには目の前にいる魔神が「赤砦の親友」右手大魔神としか思えなかった。たとえそうでなくても … 右手大魔神であってほしかったのである。
そういうきわめてあいまいな … そして危険な理由でタルトはこの目の前の魔神にすべてを話す気になった。だまされるかもしれないし、ひょっとすると敵同士だったりするかもしれないが(そもそも120年前の今、このフレイムベラリオスがどういう立場で、何を目的に旅をしているのかすら知らないのである)それで … 妙にあきらめる気になったのである。
「えっと … 俺達は … ギルファーという男を探しに来たんだ。」
「!」
「ギルファー知っているのか?」
「知っているも何も … 」
「?」
右手大魔神はタルトの言葉を聞いて「えっ」という表情をした。その表情の変化にタルトは一瞬どきりとしたが、しかし右手大魔神の顔に「敵意」や「警戒」のようなものがうかばなかったのを見ると、この「驚き」の意味が危険なものではなさそうでもある。
タルトは黙って右手大魔神の次の言葉を待った。ところが … 魔神の口から出てきた言葉はタルトの予想を越えたものだった。
「 … 俺さま、ギルファーの同盟精霊だぜ … 」
「えっ!」
魔神はうなずいた。そしてもう一度力強く言ったのである。
「そうさ … 俺さまが英雄ギルファーの同盟精霊、フレイムベラリオスさ!」