お手玉の練習は玉を落として終われ
「ステイ・ホーム中の大学生の気分転換になれば」と、山河時図さんと名乗る人物からショート・ストーリーをご寄稿頂きました。頭を柔らかくして、お楽しみください。
以下、山河氏からのメッセージです。
「コロナが跋扈し、これだけ大騒ぎして、結局その後、日本は何も変わらなかった」となるのが怖い。
平成狸合戦ぽんぽこで、タヌキたちの一世一代の「化け物道中」がしぼんでしまったときの都市住民のように。
※跋扈(ばっこ)・・・思うままにのさばること。
異例の春
2020年4月、わたしは大学に入学し、この百有余年の歴史を持つ地方大学の工学部の学生になった。
例年なら、この時期、構内には新入生がいっぱいで、教科書の販売や部活の勧誘で賑わっているはずだけれど、今年は恐ろしい伝染病が世界中に拡がったため、入学式は中止になり、学生が構内に入ることも禁止された。
新型コロナウイルス感染症は、2020年の年明けごろから中国で感染者が爆発的に増加し、その後、3か月足らずで世界中に拡がった。日本では、当初多くの人がこれを対岸の火事と思っていただろう。2月には横浜港に停泊中の豪華客船でクラスターが発生し、何百人もの乗客が船内に閉じ込められた状態で次々にウイルスに感染していった。でも、この時もまだわたしは、感染は局所的なものだろうと思っていた。乗客の中には海外の人も多かったけれど、それぞれの母国でも新型コロナウイルスは日本の問題だと思っていたのではないか、少なくともテレビのニュース報道を見ている限り、そう思えた。
2月に行われた大学入試は、感染防止対策を万全に行った上で実施された。しかし、そのころからウイルスの感染者が目に見えて増加し、政府が国民に対して外出や人が密集する催し物の自粛を呼びかけるようになり、わたしの高校も含めて多くの学校で卒業式が中止になった。
この間、日本では、消費者によるトイレットペーパーや米の買い急ぎが発生し、スーパーの棚から商品がなくなる事態になり、すぐに欧米でも同じことが起きた。マスクの不足は今も依然として続いていて、特に医療用のマスクや防護服の不足は深刻だ。電機メーカーや自動車メーカーまでもが、マスクや医療用のフェイスシールドの生産を始めた。
3月になると、新型コロナウイルスが猛威を振るっている欧州に新婚旅行や卒業旅行で行き、感染してウイルスを持ち帰った人が新たな感染源となった。政府は、中国、韓国、欧州、米国と次々に渡航禁止対象国を拡大していき、企業の現地駐在員や留学生が駆け込みで帰国したため、さらに感染者の増加を招いた。その結果、こうした帰国者や家族への誹謗中傷や直接の嫌がらせが発生する事態となった。
3月の末に、国民的人気者だった喜劇俳優が新型コロナウイルス感染による肺炎で死亡したというニュースが流れ、わたしたちは大きなショックを受けた。これを機に、感染はもはや他人事ではないと誰もが思い始めたと思う。世界中で人や物の移動が制限されたことで経済が急に冷え込んで、日本の企業の中には、この春大学を卒業した人の就職内定を取り消すところも出てきた。4月の7日になって政府が大都市圏への非常事態宣言を出したけれど、多くの国民が、遅きに失したと批判した。
こうした状況で、大学では授業の開始が当初の予定から2週間も後ろ倒しになったし、当面の間、全ての授業がオンラインで行われることになった。新型コロナは人が集まってはいけない病気だから仕方がないことだ。
そんな中、4月7日から10日にかけては、特例として入構が許された。大学が止むを得ず開催した新入生向けの履修説明会があったからだ。止むを得ずというのは、感染防止のためには大勢の学生を1つの教室に集めたくはないけれど、わたしたち新入生に履修方法や学内LANの使い方を教えておかないと、その後の全ての連絡や手続きが滞ってしまうため、これ以外に効果的な方法がなく仕方なしに、ということだ。
説明会では、300人収容の大教室に1回につき100人の学生が呼ばれた。入試の時と同じように3人掛けの机に1人ずつ座らされ、私語禁止の中、90分の説明を受けた。確かに、この内容をホームページに掲載されても、それを見て自信をもって理解できたと言える学生は少ないだろうと思われた。
わたしは、最終日の最終回のクラスに割り振られていた。先生と事務の方からの説明は午後4時前に終わり、質問がある学生を除いて、全員すぐに退室させられた。教室内で学生が雑談を交わせばウイルスがうつる可能性があるからだ。教室を出る際、入室の時と同じようにアルコールで手を消毒した。
校舎の外に出ると、学食前の広場に置かれたテーブルに、ひとつ早い回の説明会に出席していた学生が集まっていた。皆それぞれにスマホを片手に履修手引きを広げ、一緒に履修できそうな科目はないかと話し合い、さっそく履修登録を始めていたのだ。これは、履修登録がちゃんとできているという意味で、止むを得ず開いた説明会の効果はあったと言えるけれど、政府がウイルス感染防止のために強く注意喚起していた3密(密閉、密集、密接)回避の行動のうち、密集と密接の状態だ。教室での厳格なソーシャル・ディスタンスやアルコール消毒には、いったいどれほどの意味があったのか。
そもそも、学生が密集、密接状態になるのは、履修登録だけが目的ではない。わたしたちは、SNSのアドレスを交換せずにはいられない。入学式もなく、この日までほとんど同級生との接点がなかったのだから、どうしても密集、密接をしたかったのだ。
もちろん、わたしもその密集に加わった。そして、そこで3人の新入生と知り合った。工学部生の早見侑雄、文学部生の守口笑子(えみこ)、教育学部生の福留順一だ。それぞれ親元を離れ一人暮らしを始めたところで、わたしも同じだった。
わたしたちはすぐに親しくなり、そして、今からお話しする不思議な講義を一緒に受けることになった。
わたしの名前は角脇京香(きょうこ)、専攻は建築学だ。
不法(?)侵入
履修説明会の翌朝、わたしたちはチャットで誘い合わせて集まり、大学構内を見て回ることにした。それぞれの学部にどんな施設があるのか知りたかったからだ。一応、大学からのメールで学生は入構禁止になっていたけれど、前日の様子からしてそれが徹底されているとは思えなかった。実際、構内には何人か近隣の住民の方が散歩をしていたし、先輩と思われる学生の姿もちらほらあった。広い構内には緑が多く、桜並木はすでに葉桜に変わりつつあった。風が心地よかった。風に舞った桜の花びらが木の根元に吹き寄せられ、薄紅色のかたまりになっていた。こんな穏やかな美しい季節の中に恐ろしいウイルスが潜んでいるとは、とても思えなかった。
工学部の敷地には多くの研究施設や教室の建物があり、それぞれの建物の壁に、何号棟という大きな数字の番号が取り付けられていた。耐震補強の鉄骨の筋交いが入った建物もあり、それは私が卒業した高校と同じだった。
工学部の敷地のはずれに、コンクリート造の2階建ての古い施設があった。外壁は薄いグレーのモルタル仕上げで、控え壁とガラスの格子窓が規則的に配されている。控え壁の先端は半円形になっていて、その部分だけが白く塗られていた。足元には、ぐるりとツツジかサツキの植え込みがあり、濃いピンクの花がいくつか咲き始めていた。
「この建物は変わったデザインだね。とても古そうだけど、戦前からある建物かな。」と福留君が言った。
「たぶん、アール・デコ。1920年頃の、日本のコンクリート建築のはしり。この建物は、たぶん重要文化財級。」と、わたしが解説した。
わたしは、春休みの間に少しだけ建築の勉強を始めていて、ネットで得た情報の受け売りをしたのだった。ニューヨークにあるクライスラービルがアール・デコの代表的建築で、そのビルの尖塔の円弧のデザインと控え壁の半円形のデザインが似ていたから、「幾何学的・機械的なデザインはアール・デコ様式」という定義を頼りにそう言ってみたけれど、自信がないので「アール・デコ調と言うべきかも」と言い直した。
薄い水色の塗料がはげかけていたけれど、「木枠の格子窓はなかなか良い」と皆が言った。そこから覗いてみたら、中は教室のようだった。
建物の玄関には木製の大きな庇があり、玄関ドアのガラスに「旧工学部図書館」と書いたシールが貼られていて、ドアの横の壁にはこれが1925年に建てられたというような説明書きのパネルが掲げられていた。どうやら文化財級の建物であるらしいけれど、普段はあまり使われていないようだった。
玄関ドアの脇に小さなタッチパネルがついていて、4ケタの暗証番号を入力することで自動的にドアを開錠するようになっていた。笑(えみ)ちゃんが卒業した高校にも同じような古い建物があり、そこも図書館として使われていて、同じタッチパネル式のカギがついていたらしい。笑ちゃんは、慣れた手つきで、1、9、2、5の順で数字をタッチし、最後に*を押した。すると、ジジっと音がしてドアが開錠された。
笑ちゃんが何の迷いもなく中に入っていったので、わたしたちは、一発でドアが開いたことに驚く暇もなかった。でもそれは、つい先月まで高校生だった笑ちゃんの当たり前だった。笑ちゃんの高校では、図書係の数名が、そうやって図書館に自由に出入りすることができたそうだ。暗証番号を忘れたときのために、誰にでも分かる建築年の西暦を番号に用いることは、この大学の誰かが、笑ちゃんの高校の教頭先生と同じ発想でやってしまったことに違いなかった。
建物の中は北側に廊下があり、それに沿って、南側に窓をとった部屋が並んでいた。玄関を入った正面に階段があり、赤いロープを張って2階への立ち入りを禁止する立て札が置いてあった。1階は、東西の両端に教室を配したプランになっていて、階段に向かって左手、廊下の東の端にある教室には、造りつけの3人掛けの机が4列並んでいて、天井に大きなプロジェクターが取り付けてあった。もともと図書室だったところを教室に改修したようだった。階段に向かって右手の方向には、廊下に沿って順に、事務室、展示室(パネルやガラスケース等)、給湯室、トイレがあった。西の突き当りの教室が外から覗き込んだ部屋で、1つしかないドアのガラス越しに中を見ると、東の教室にあるものより古い、かなり使い込まれた3人掛けの机が4列並んでいた。
ドアにはカギがかかっておらず、ここでもまた笑ちゃんが平気な顔で中に入っていき、わたしたちもそれに続いた。室内の空気はひんやりとしていた。
教壇の側の黒板には、いかにも板書に慣れた教師特有の端正な文字で問題文が書かれていた。
問題
ここにピンポン玉大の玉が10個ある。
大きさと見た目は全く同じで区別がつかないが、このうちの1つは
重さが60グラム、残り9個は30グラムである。
手元にあるのは、単純なヤジロベーの原理の上皿天秤だけである。
60グラムの玉を特定するには、最低何回、天秤を使えばよいか。
わたしたちの誰もが一度はやった覚えのある数学の問題だった。
「なにこれ。」と福留君が言った。
笑ちゃんは、「先生、字、めちゃめちゃ上手。」と言った。
「これ、どうするんだっけ。確か最低3回だよね。」と早見君が言って、チョークを使って天秤の絵を黒板に描きながら、
「1回目は、5個ずつを天秤にかける。そうすると重い玉が入った方に傾く。2回目は、傾いた方の5個から4個を持ってきて、2個ずつにして天秤にかける。これが釣り合ったら、残った1個が60グラム。もし傾いたら、その2個をもう一度天秤にかけて重い方が60グラム。それで、最低3回。だよね。」と解説した。
「1回目に3個ずつ量るか、4個ずつ量るか。どっちにしても、最低3回よ。」とわたしが付け加えた。
「じゃあ」と言って、答え、最低3回。と福留君が黒板に書いた。
その時わたしたちは、大学の施設に不法(たぶん)侵入しているという意識がなくなっていた。むしろ、大学の教室でこんな懐かしい問題に出会ったことが不思議で、いったいこれが何の授業だったのか、もしかすると春休みに小学生向けの特別授業でもしたのかもしれないなどと話しながら、どこか満足した気分で教室を出た。
玄関ドアの施錠は開錠の手順と同じで、1、9、2、5、*とパネルの数字をタッチして、ジジっと音がしてカギがかかった。これも、笑ちゃんの高校と同じだった。
翌朝、日曜日にもかかわらず、割と早い時間に福留君がチャットに投稿してきた。
「昨日の答えとか、消さずに出てきたのはマズくない?」
わたしたちは、「明日授業する予定の先生が、準備してたとか?」「コロナで教室での授業は禁止だし」「再来週まで授業はないはず」「学生には入構禁止令出てるし」「あれは文化財としての教室の展示の一部かも」などとチャットしたあと心配になって、とにかくもう一度教室で会うことにした。
構内は前日よりも空いていて、近隣の住民の方が何組か散歩しているだけだった。皆さんマスクをつけて歩いたけれど、その必要はないと思うほど閑散としていた。密集を避けて体を動かすには、朝の大学構内に勝る場所はない。わたしも一応マスクはしていたけれど、自分がウイルスの保菌者だとは思っていなかった。
旧工学部図書館の近くで散歩中の老夫婦とすれ違った。2人は、わたしに軽く会釈をした。その仕草がどこか知的な感じがしたので、きっとこの方は、この大学に勤めておられた元教授とその奥様だろうと思った(後で分かったが、やはりその通りだった)。
笑ちゃんが来るのを待って玄関ドアを開錠し中に入った。もし監視カメラが設置されているなら、わたしたちのことはとうに大学にバレているだろうし、どのみちお叱りがあるのなら、とにかく落書きだけは消しておこうということになった。運よく施設の管理人に出会えたら、正直に話して謝るつもりだった。
黒板には、昨日の答案に採点がされていた。
答え、最低3回。
20点
この建物に躊躇なく入れるのは笑ちゃんしかいない。笑ちゃんのいたずらでなければ他の3人がやったことになるけれど、わたしではない。福留君も早見君も絶対に違うと言ったし、嘘をついているとは思えなかった。
では、いったいこれは誰の仕業か。誰かがわたしたちを盗撮し、今頃ユーチューブでさらし者になっているかもと思い、皆で、考え得るキーワードを使って検索したけれど、ネットにはそんな画像は見つからなかった。
「しっかし、20点てなんだ。」と早見君が言った。「答えはこれしかないだろう。」
すると笑ちゃんが、「わたし考えたんだけど、最低1回もありじゃない」と言った。
「最初に5個ずつのせるのは同じで、傾いた状態から、両方のお皿から玉を同時に1個ずつ取り除いていくでしょ。で、重い玉を取った時に天秤が釣り合うから、その時に取った玉が正解。」
しばらく考えて早見君が、「でもそれ、最低5回ってことじゃないの。」と言った。
「でも、3回の時とは、天秤の使い方が違うじゃない。」
確かに、少し反則気味だけれど最低1回という答えも、ありはありだ。でも、そんなことよりも、問題は、昨日の落書きを消すどころか誰だか分からない者が落書きを増やしてしまったことだ。いったい誰が、何のために。わたしたちは、やっぱりユーチューブでさらし者になるのか。いろいろと考えた結果たどり着いた答えは、「きっとこれは、授業がなくて暇な先生が仕掛けたいたずらだ」ということだった。
「仮にユーチューブでさらし者になったとしても、20点じゃ恥ずかしいから、この挑戦を受けて立とう。」と早見君が言いだし、福留君は「もうやめよう。」と引き留めようとしたけれど、笑ちゃんは「おもしろいかも。」と乗った。
結局その日は、笑ちゃんの解答を早見君が図にして黒板に描き、わたしが、「よい子のみんな、コロナに負けず勉強しよう!」と書き添えた。ユーチューブで世界中の子どもにメッセージを届けるためだ。
翌日、わたしたちは9時に玄関前に集まった。来る途中でまた昨日の老夫婦に出会ったので、今度はわたしから会釈をした。
笑ちゃんが玄関ドアを開錠し、教室に入った。黒板には、昨日の答案の点数と、メッセージが書かれていた。
よい子のみんな、コロナに負けず勉強しよう!
答え、最低1回。
15点
あなたは、試験問題的正解を
出すことが癖になっていますね。
現場で考えなさい。
わたしたちは、「現場で考える」ことについて話し合った。一応、ソーシャル・ディスタンスをとって机を一個飛ばしに使って座り、教育学部の福留君が教壇に立ってファシリテーターを務めた。わたしたちの世代は、このスタイルのグループ討論には慣れている。
教室で問題を解くのは、確かに現場ですることとは違う。
「実際にピンポン玉を使って量ってみなさいということじゃない?」と笑ちゃんが言った。
「60グラムって、どれくらいの重さだろう。ゴルフボールくらいかな。」
「じゃあ、ゴルフボールとピンポン玉でやればいい。見た目は全然違うけど、大きさは同じくらいだから、たぶん。重さは全然違うけど。」
そんなことを話し合った結果、
①ピンポン玉を同時に5つものせるには、かなり大きなお皿が必要になる。
②玉は転がるのでお皿の上で安定しない。
③ヤジロベーの原理の天秤だと、玉を置く位置によっては正しく判定できない。
④よく考えたら、手で持てば違いが分かる。だから、答えは最低0回。
というアイデアが出て、福留君がそれを黒板に書いた。
老教授
わたしは、京香の名の通り嗅覚が優れていると思っている。怪しいやつを見つけるという意味の嗅覚だ。
旧工学部図書館から外に出たところであの老夫婦に出会った。不法(たぶん)侵入者であるわたしたちは気まずい気がしたが、夫婦は驚いたそぶりもなく、かるく会釈をされた。わたしは、思い切って声をかけてみた。
「毎日お会いしますが、こちらの先生でいらっしゃいますか。」
「ああ、あなた、今朝も一度お見掛けしましたね。新入生?」と聞かれたので、「はい、入学したばかりです。入学式はありませんでしたが。」と答えた。
「大学も大変ですね。コロナのおかげで。」
この方は小林先生で、10年前にこの大学を退官され、今は奥様と2人で大学近くの自宅で暮らしておられるとのことだった。
わたしたちは、これまでのいきさつを小林先生に説明した。
小林先生がおっしゃるには、工学部で20年ほど前にこうした禅問答のような、クイズのような授業が盛んに行われた時期があるらしかった。その理由は、大学生の考える力が低下してきたからで、学生が試験問題を解くような、試験の正解を探すような思考に走る傾向があまりにも強くなったからだそうだ。創造性に乏しくなったとも言われた。きっとわたしたちも同じだと思った。
そこで工学部の有志の先生が始めたのが、大学入試には出てこない、ネットにも答えが載っていないような問題を出して学生に討論させることだった。当時の問題には、「1辺が1メートルの発泡スチロールの立方体を水深1000メートルの海底に置いたとき、それは浮くか」とか、「ニワトリが先かタマゴが先かの論争に決着をつけよ」とか、「町内の野良猫の数はなぜ減らないのか(増えないのか)数式で示せ」といったものだったそうだ。天秤の問題もあったかも知れないが、自分はそうした授業を担当したわけではないので詳細は分からないとおっしゃった。一連のことは自分のしたことではないと否定されたけれど、わたしには小林先生以外の犯人は考えられなかった。わたしたちが文化財級の施設に不法(たぶん)侵入したことや、黒板に落書き(回答)したことについては、咎めるようなことを一言もおっしゃらなかったからだ。
その日の夕方、わたしは笑ちゃんと二人でまた教室に侵入した。
①ピンポン玉を同時に5つものせるには、かなり大きなお皿が必要になる。
②玉は転がるのでお皿の上で安定しない。
③ヤジロベーの原理の天秤だと、玉を置く位置によっては正しく判定できない。
④よく考えたら、手で持てば違いが分かる。
だから、答えは最低0回。
試験問題的正解の極みです。
後ろの黒板に次の課題を出しておきました。
後ろの黒板には、吊り橋の絵が描かれていた。
海峡を跨ぐ長大橋で、大きな一対の橋脚に弧を描くケーブルが架かり、橋梁を吊り上げている。橋脚はV字型に少し開いて立っているように見える。
2つの橋脚の頂上の部分の距離がa、海底に接した部分の距離はb。
bの長さは2000メートル。
a大なりbと不等号の式で記されていた。
aがbより大きくなることから、
あなたの知的好奇心を示せ。
わたしたちには好奇心の示し方が分からなかった。
笑みちゃんの考えは、「2本の橋脚の間が一番長いので、この区間に車が一番多く乗っかることになるから、重みで橋脚が中央に向かって引っ張られた時に、橋脚がちょうど真っすぐ立つように計算されている」というものだった。
そして、橋の中央に太い矢印を下向きに描いて、橋脚が内側に引っ張られるように小さな矢印を2つ加えた。
わたしは、「地球は丸いから」と黒板に書いて、「橋脚はそれぞれ地球の中心に向かって真っすぐ垂直に立っているが、橋脚間の距離が2キロメートルもあって十分大きいから、地球の中心まで橋脚の線を伸ばしていくとV字になる」と笑ちゃんに説明してあげた。たぶんこれが正解だと。
翌朝、わたしたちはまた4人で黒板を見に行った。
答え、地球は丸いから。
知的好奇心が足りません。
「知的好奇心が足りないって、じゃあ、どうすればいいの?」
「頭が悪いってこと?」
「知的って言われても、ぼくらが大学の先生にかなうわけないし。」
「地球が丸い、じゃダメなわけ?」
「たぶん、そこで終わっちゃダメなんだろうね。そんな答えなら日本人の百万人が言えると思う。」
それで知的であることを示すことになるのか、黒板先生が合格点をくれるのかは分からなかったけれど、わたしたちは、一つの解答を黒板に書き残して教室を出た。
そして翌日、わたしたちの知的好奇心は中学生レベルであるとの評価をいただいた。
黒板先生へ
橋脚が立っている海底から地球の中心までの距離を
6400キロメートル、橋脚の高さを300メートル
として計算すると、aの方がbよりも数センチ長い。
相似の三角形の辺の長さの計算は、
中学でやる数学ですね。
講義1 暗証番号はみんなのために
知的好奇心のレベルが中学生並みの大学生である私たちは、吊り橋についてネットで調べてみた。大学のWiFiへのアクセス方法は、先週の履修説明会で教えてもらったとおりだ。この古い教室でもWiFiを使うことができる。
ネット先生は何でも知っている。日本で一番長いスパンを持つ吊り橋である明石海峡大橋は、1995年1月に発生した阪神・淡路大震災による地盤の変位で、当時まだ建設中だった橋の橋脚の間が拡がって約1メートル橋が長くなったという情報を得ることができた。このようなことを調べて新しい知識を得ることも知的好奇心の為せる業だ。
突然、小林先生が教室に入ってこられ、死ぬほど驚いた。
小林先生は、4人が建物に入る姿を目撃して入ってきたのだという。ということは先生も暗証番号をご存知ということになる。先生によると、暗証番号は10年前と同じで、先生だけでなく他の教員も事務職員も在校生も、おそらく100人以上がこの暗証番号を知っているだろうということだった。それでは暗証番号の意味がない。どうりでわたしたちが侵入しても、警備員が駆けつけてきけたり、大学から呼び出されて叱られたりすることがなかったことも納得できた。
「まあそんなものですよ。中に入る人の都合を考えれば」と先生はおっしゃった。
現場で考えると暗証番号の本当の役割が分かる、とわたしは思った。ともあれ、わたしたちの知的好奇心のレベルが中学生並みだということが、ユーチューブを通して世界中に知れ渡ることはもうなさそうなので安心した。
早見君が、吊り橋の問題とわたしたちの出した答え、そして黒板先生のコメントについて一通り説明し、「好奇心を示すとは、どういうことですか。」と先生に質問した。
「私なら、あなた方にもっと違う答えを期待します。答えというより、好奇心です。あなた方は、明石海峡大橋を見たことがありますか。渡ったことはないですか。」と先生が聞いて、「あります。ぼくの故郷は橋を渡った向こうの県です。高速バスが便利です。」と早見君が答えた。
先生は、「その時あなたはどう感じましたか、橋を渡る時。きっと、橋の大きさに圧倒されたでしょ。ケーブルの太さだって数センチということはありません。」と言って、両腕で大きな輪っかを作ってみせた。そして、知的好奇心について、「相似の図形の辺の長さを計算するのではなく、あんな海の中にどうやって橋脚を垂直に立てるのだろうと自問することが好奇心だろう」とおっしゃった。「どこかに正解や知識を探すのではなく、垂直であることをいったいどうやって計測するのか、地震で橋脚の間が拡がったことをミリ単位でどうやって計測したのか」と、不思議に思うべきだとも言われた。さらに、「その技術のすごさを思い、それが今の自分にはできないことを思え」と付け加えた。
分からないことを表明することが知的好奇心を示すことで、分かっていることを答えるのが受験生だ。
「現場で考えるということは、そういうことです。ネットで調べるものいいですが、現物を見て感動したり、技術者に会って話を聞いたりすることが本当の勉強です。そもそも、本当にaとbに差があるのか、と問題自体を疑うことも必要です。差があるとして、その原因は1つだけではないかもしれません。数センチという長さは、何を意味しますか。温度による鉄の膨張、風による揺れを考えてみてください。2000メートルの長さの橋梁の鉄骨が夏の日射を受けて千分の1膨張しただけで2メートルですよ。橋のメンテナンスはどうしますか。この先100年もの間、建設やメンテナンスの技術はどのように継承されるのでしょうか。橋の開通によって両岸の地域の産業や暮らしはどのように変わったのでしょうか。関心は尽きないのではないですか。そうしたことを自分で考えられるのが、大学生レベルの最低限の知的好奇心でしょうね。」
続けて先生は、次のようにおっしゃった。
「あなた方は、運が良ければその目で22世紀の世の中を見ることができますでしょ。あと80年くらい生きればいい。でも、これからの80年は、私が生きてきた80年とはまるで違うことが起きるでしょう。AIとかロボットとか。どんな世の中になるか私にも予想ができません。第二次世界大戦以来の人類的大問題である、このコロナ禍が加わりましたから、ますます予想がしにくくなりました。学校に行けないのは、あなた方大学生だけではありません。小学1年生も同じです。世界中の子どもたちが学校に行くことができません。勉強が遅れてしまうと心配しているのは、どこの国の親も同じです。でも、勉強が遅れるとか学力が落ちるというのは、これから先の社会でどんな意味があるのでしょうか。私は疑問に思います。この先、大学なんて要らなくなるかもしれませんね。少なくとも、今まで通りの講義をしているようでは、大学は要らないでしょう。もちろん、実験装置を使ったり、いろんな人と直接会って話をしたり、何かを創作するようなところの1つとして大学は必要ですけれど。」
わたしたちは、受験競争を頑張り抜いてこの大学に入ったばかりだ。入学式はなかったけれど。
「実は、こんな議論は20年前の大学でもあったのですが、この国は、そして多くの大学は、たいして変わることがありませんでした。でも、今度ばかりはそうは言っていられないでしょう。このコロナの後で、もしかすると、いくつかの大学は変化に対応できずに、10年先には本当に学生が来なくなるかもしれません。入学希望者がいなくなるし、社会から必要とされなくなるということです。この大学も例外ではありません。けれど、大学はどうあれ、あなた方は変わらなければなりません。あなた方は、世界中の仲間と力を合わせて22世紀に向けて新しい世界をつくっていかねばなりません。あなた方も近い将来、世界のどこかのまちで仕事をすることになるでしょう。特にアジアの国々で。その時あなた方に求められるのは、天秤の問題のように、与えられた問題を解くという姿勢ではありません。知識の量を競ったり、問題の解き方を覚えるだけの勉強をしていても、現場に出て役に立つとは思えません。」
「でも、やっぱり、そうした基礎になる知識は必要なんじゃないですか。ぼくは、それを学ぶために大学に入りました。」と早見君が言った。
「天秤の問題を考えてみましょうか。」
そう言って先生は、黒板に天秤の絵を描き始めた。まず、両方のお皿に玉を一個ずつ描き、玉の重さをM、天秤の支点から玉の重心までの距離をLと書き込んだ。
「もし玉の重さが60グラムと65グラムで、あまり差がない場合はどうしますか。10個のうち、60グラムが9個で、65グラムが1個の場合です。手で持って5グラムの違いが分かるでしょうか。」
「確かに、あなた方が考えたように、玉は天秤皿の上でゴロゴロと動いて安定しないでしょう。単純なヤジロベーの原理ですから、玉を置く位置次第では、軽い玉の方の皿が下がることもあります。L×Mが等しくなった時に釣り合いますから。5グラム重い玉も、Lが短くなれば負けます。たぶんこの問題を数学的概念の世界で解答するなら、答えは最低5回ではないでしょうか。ゴロゴロ動く玉を一方のお皿の端に押しつけて固定して、片方のお皿でも同じように端に玉を押しつけて固定します。そうして、Lを同じにしておいて、2個ずつ取り出して重さを比べていきます。それで最低5回です。現場で実際にやる時は、片方の玉は固定したままにしておいて、残りの9個と順番に重さを比べていく方が作業効率はいいのかもしれません。60グラムと30グラムの違いは手で持てば分かる、というのは現場的発想に聞こえますが、まだまだ試験問題的正解を求めることから1歩も抜け出していないのではないでしょうか。そもそも倍も重さが違うという設定自体が、試験問題的なのです。」
やっぱり黒板先生の正体は小林先生以外にはあり得ない、と思った。
「最低5回と言えるのは、L×Mの理屈をあなた方が知っているからです。この方法ならたぶん間違いないと思えるのは、そうした基礎知識があるからにほかなりません。ですから、知識は大事です。大学ではそれを学ぶことができます。もちろん、多くのことは、大学でなくても学べます。でも、その知識が現場で生かされないのであれば、何の役にも立ちません。」
「先生、わたしたちは、少なくともわたしは、先生のようにどんどん発想を広げていくことができません。そんな訓練を受けたことはありません。先生のようになるには、どのように学べばいいのですか。大学では学べないのですか。」と聞いた。すると先生は、次のようなことをおっしゃった。
要はパクればいいのだと。パクると言えば聞こえは悪いが、世の中にある多くのアイデアは多かれ少なかれパクリだと言える。だからパクリと言わず、アイデアの継承発展だと言えばよい。先生がされたように、30グラムの差を5グラムの差に置き換えて思考実験してみることも、明石海峡大橋のスケールを想像してみることも、L×Mの基礎知識を現場に適用してみることも、もうわたしたちにもできるはずだと。
アイデアの継承発展のコツは、「真似して覚え、試して変える。試して変えて、学んで離す」ことだ。先生と同じことをしていては発展がない。だから、自分でやるときは少し変えてみる。それを繰り返していくうちに自分流が生まれるらしい。これは、芸ごとや武道でいう「守・破・離」に通じるところがある。つまり、真似る(守)・変える(破)・自分流(離)だ。これは、覚えること、試すこと、学ぶこととセットになっている。
実は、このこと自体、先生もパクったらしい。先生がまだ若い頃に有名な経営者がいて、その著書に「真似して覚え、学んで捨てる」という言葉があったらしく、それに別の本から得た「守・破・離」の知識を合体させ自分流の考え方ができたそうだ。
わたしは、「小林先生が黒板先生なんですよね」と確かめてみた。
「それは違います。私ではありません。誰かほかの人だと思います。」と先生はおっしゃった。
わたしたちは、L×Mの理屈が分かった。答え、最低5回。と黒板に書いて教室を後にした。
講義2 歯ブラシはみんなで1本
4月16日、政府から全都道府県を対象とする非常事態宣言が出された。東京や大阪では毎日100人を超える新たな感染者が発生し、大都市から地方へと感染が拡がっていた。有名なニュースキャスターやお笑い芸人などにも感染者が相次ぎ、テレビ番組も再放送が増えた。感染防止のために人の密接ができないから、新たな番組制作ができなくなっていたのだ。企業では在宅勤務やテレワークが進んだ。東京や大阪への移動自粛が強く求められたことで、空港や鉄道駅から人が消えるようにいなくなった。
大学構内でも学生の姿が消えた。非常事態宣言を受け、大学は、夏休みが終わる9月末までは教室で授業をしないことを決め、その通知が一斉メールでわたしたちに送られてきた。地方都市とは言え、大学のあるこの街でもウイルス感染者が毎日1人2人と増えている中では、まちなかに出かけることにもリスクがある。アルバイトもできず、授業が全てオンラインで行われるのであれば、無理をして下宿で生活する必要はないと、親元へ帰る学生も出始めた。早見君からもそのような連絡がきた。そういうことでの彼の決断は早かった。
このあたりから社会の雰囲気がかなり悪くなってきて、テレビのニュースで取り上げる話題も変わってきた。自宅に籠る生活のストレスから家庭内暴力や子どもへの虐待が増えたとか、医療従事者にも感染者が増え、その家族が差別を受けているといったことが、新たな問題となっていた。日本では諸外国のように都市封鎖をすることはないとされていたけれど、県境を越えた人の移動は自粛が求められ、いわゆるコロナ疎開に対するバッシングも始まった。
わたしは1人で、旧工学部図書館の近くで小林先生が散歩においでになるのを待っていた。先生のお話をもっと聞いてみたかったからだ。構内の人口密度は極めて低くかった。非常事態宣言の中でもスーパーでの買い物が許されるのだから、わたしがここにいることに問題があるはずはなかった。
ご夫妻はいつもの時間においでになり、わたしから先に会釈をした。それから、わたしたちは大きなケヤキの下のベンチに行き、わたしはご夫妻から離れたところに座った。もしわたしが保菌者だったら(実際にはそんなことは微塵も思っていなかった)、高齢の先生たちにウイルスをうつしてはいけないという配慮を示したのだ。若者は罹っても死ぬことはまずないけれど、70歳を過ぎた感染者の致死率は高い。でも、マスクをつけて密接を避ければ大丈夫なはずだ。
この日、先生は、戦後すぐの頃の日本の話をしてくださった。まだ、日本が貧しかった頃の話だ。
当時は今と違って栄養状態も悪く、都市の衛生環境も整っていなかったために乳幼児の死亡率が高かったそうだ。その頃、当時の先進国から援助や指導を受け、乳幼児の命を救うための互助組織が各地で作られた。この街では、それがボランティアの仕組みとして今に続いている。先生の奥様は、15年以上その活動を続けておられるとのことだった。
「当時、歯ブラシが家に一本しかない家庭が結構ありました。どうしてだか分かりますか。」と先生が質問されたが、答えは思いつかなかった。当時、貧しい家庭は、経済的な理由で歯ブラシは家族で一本しか持てなかった。親と同じ歯ブラシで子どもも歯を磨いた。歯ブラシがない家庭もあったらしい。
「昨日も話しましたが、あなた方は、世界中の同じ世代の人たちと力を合わせて、この地球を背負って立つ人材です。今、そのために勉強しているのです、世界中の若者が。この大学には、アジアの国からの留学生が多いです。彼ら、彼女らはとても優秀です。コロナが終息すれば、あなたもそうした優秀な留学生と知り合いになって、大いに刺激を受けるでしょう。ここにはそれだけの人材が集まってきています。」
それが、わたしが大学でやりたいことだ。
「でも、留学生の母国の中には、まだ当時の日本と同じような衛生状態の村や、歯ブラシを持てない生活をしている人がいる国もあることを忘れないでください。もちろん、その国の首都はこの街よりもはるかに大きくて近代的なところもあります。でも、国の中で大きな格差を抱えています。日本でいう子どもの貧困問題とは次元が違うかもしれません。この大学の日本人学生は、まあまあ裕福な家庭の子が多いでしょう。もちろん苦学生もいるでしょうけれど。あなた方日本の学生は、こうした国から来た学生に敬意を持たねばなりません。ややもすると、日本の学生は、先進国の私たちと発展途上国の人たちというステレオタイプのメガネで、そうした国を見てしまう傾向があります。そのような感覚では、いろんな国の人と一緒に仕事をすることはできません。あなた方は、全ての国の人に敬意をもって接することができなくてはいけません。このコロナの後の世界ではなおさらです。」
風が心地よかった。変な話かもしれないけれど、コロナの流行がこの時期でよかったと思えた。やがて薫風が吹き、新緑の季節へ向かっていく今だからこそ、非常事態宣言の下でも前向きでいられるのだ。薫陶を受けるというのは、このような体験のことだと思った。
先生は、コロナ疎開へのバッシングや自粛要請に従わない人への過剰な非難、政府の無策ぶりを揶揄する世間の風潮を案じておられた。
「発話には気をつけなければいけません。私は、思考というのは言葉だと思います。言葉が頭の中や心の中で廻っている時が思考で、それが口から出るのが発話です。世間の噂でも風潮でも、発話されたことが言葉として入ってくれば、それが自分の思考になります。」
コロナ疎開と聞いた瞬間に、わたしは頭の中で、会ったことも見たこともない疎開する誰かをバッシングする。
「コロナの今の世相は、人に悪い思考をさせてしまいます。世間でバッシングの発話の量が多いということは、それだけ悪い思考の量が多いということです。人は、いくらでも残虐な思考ができます。特に政府とか政治家とかマスコミとか、固有名詞で語らない対象には、相手を貶めるような思考をしがちです。その反面、自分についてはいくらでも都合よく正義の人になったり、ラッキーなことが起きると思い描いたりするものです。でも、そんな都合のいいことは100%起きませんから、人は滑稽です。」
都合のよい思考は、誰かを蔑んだり、悪者にしたりすることによって自分を正義の側に置いて自己満足するだけのことだ。謙譲語の思考とは逆のことをしてしまう。こちらの天秤皿を持ち上げて反対のお皿を押し下げるようなことばかり、人はしてしまう。先生の考えを継承発展させると、こうなる。
「架空の人や国や組織に対してもそうですし、時には家族や身近な人に対しても残虐なことを想像してしまいます。叩いたり、、、、殺害したり。そのイメージが口をついて出て、暴力になります。残虐な思考には際限がありませんから、自分ではできもしないようなことまで想像してしまいます。国と国が戦争するとか、です。でも、そういうことは、あくまで私の頭の中の話で、現実の世界には何の影響も及ぼしません。漫画の主人公ではありませんから、思っただけで相手がぶっ飛ぶようなことはないわけです。私が残虐なことを思ったとしても、誰もそれを知りません。」
テレビを観ると嫌な気分にさせる言葉が入ってくるから、最近はテレビをあまり観ない、と奥様がおっしゃった。
「影響があるとすれば、自分の脳細胞でしょうね。残虐なイメージをいつも頭に浮べていると、やがてその脳の神経経路が強化されて、頭が変になってしまいます。」
きっとコロナのせいで、わたしは少し変になってきたかもしれない。テレビのニュース番組では、日本のPCR検査の実施数が諸外国に比べて極端に少ないことを批判的に伝えつつ、感染による死亡者数が少ないとも言っている。結局、良い話なのか悪い話なのか分からないけれど、なんとなく日本は他国よりも優れていると思いたかった。冷静に考えれば、どの国が一番先でもいいから、一国一国、コロナが終息していけばいい。そうするしかないし、そうなるしかない。そう思うのが当たり前だ。みんながこういう発話をしなければならないと思った。
「娑婆では人間が一番鬼ですから。その鬼を抑えるために人は勉強するのです。」と先生がおっしゃった。すごく迫力のある言葉だった。奥様は「そんな言葉を使うのはよくない。もう、この話はおしまいにしましょう。」と、少し疲れた表情をされた。わたしは「今まで出会った先生の中で、間違いなく一番賢い人だ、小林先生は」と思った。
「どうすれば先生のように賢くなれるのですか」と口に出して、すぐに失礼な言い方をしてしまったと思ったけれど後の祭りだった。奥様がわたしの心を察して笑った。
「わたしが賢いかどうかは分かりませんが、年の功から話したことです。ほとんどがアイデアの継承発展です。どうですか、よかったら明日またここで会いませんか。いろんなお話をしましょう。家にいては退屈ですから。大丈夫です。いつもの友だちも誘っておいでなさい。」と先生が誘ってくださったので、「喜んで」と言って約束をした。
3人に連絡をしたら、福留君と笑ちゃんは参加することになったけれど、早見君は、明日から実家に帰って1週間ほど様子を見るので来れない、ということだった。
翌日、わたしたち3人は、先生が散歩でおいでになる時間より少し早く教室に行き、黒板先生のメッセージを見た。
メッセージは「???」だった。「L×Mの理屈が分かった」というところが意味不明だったのだろうか。であれば、黒板先生は小林先生ではない。
わたしは、「あなたは誰ですか」と黒板に書いた。
L×Mの理屈が分かった。答え、最低5回。
????
あなたは誰ですか。
講義3 結局はみんな無策だ
旧工学部図書館から外に出て少し待っていると、いつもの時間に小林先生と奥様の姿が見えた。わたしたちは、少し歩いてケヤキの下のベンチに座った。
「昨日は最後、少し説教臭い話になってしまいました。教員の癖です。すみませんね。お詫びに今日は、楽しいお遊びをしましょう。」と先生はおっしゃった。
この日の先生の講義は、なんとお手玉だった。奥様が、幼児を対象にしたボランティア活動で使っているというお手玉を持参されていた。奥様の手作りだというお手玉は、紅白のきれいな細い縞柄の布でジュズダマという堅い草の実をくるんだものだった。
先生は、わたしたちにお手玉を持たせる前に、「お手玉を持たずに、片手2個投げが上達するための練習方法を考えなさい。」と言い、自分は、上手に片手2個投げをしてみせた。
「時間の余裕を持つために、できるだけ高く投げ上げる。」
「空中でお手玉同士がぶつからないように、投げる位置と取る位置を、左右か前後に振り分ける。」
「リズムよく。」
「一つの玉が最も高い位置に達した時に次の玉を投げる。」
「とにかくやってみる。」
「まず1個だけで練習する。」
「投げるのは1個だけだけど、手には常にもう1個も持っておく。」
「両手でやる。右手で投げ上げて、すぐに左手にある玉を右手に持ち替えて、空いた左手で落ちてきた玉を受ける。その繰り返し。」
など、いろいろな練習方法のアイデアが出された。
「脇を締める」とわたしは言った。スポーツでもなんでも、こういうことの基本は脇を締めることだとわたしは思っている。子どもの頃、縄跳びの二重跳びを覚えるのに、脇が開かないようにと母親に両腕を縛られたことがあったと話し、皆を驚ろかせた。
奥様がわたしの手をとって、「はいどうぞ」と言って、お手玉を2個手渡ししてくれた。ジュズダマの重さがちょうどよかった。
片手2個投げを実際にやってみると、想定した通りには行かなかった。高く投げ上げる場合、目の高さなのか頭より上なのかが分からないし、その力加減も分からない。一定のリズムで投げ上げるなど、できるはずもなかった。結局、想定した練習方法を試すには、まず片手2個投げができなければならないことが分かった。
先生は、わたしと福留君の練習は下手で、笑ちゃんのは見所があると言ったが、3人とも目も当てられないくらい下手としか言いようがなかった。先生によると、笑ちゃんとわたしでは失敗した時の状態が違うということだった。わたしは、お手玉を落とした時に手が縮こまっていて、片方のお手玉が手に残ったままになっていることが多い。それに比べて笑ちゃんは、両方のお手玉を落として終わっている。
それがいいらしい。というのは、外国の有名な経営者がそのようなことを何かの折に言ったのを、先生がパクったことらしかった。お手玉を2つとも落として終わった方が上達が早いかどうかは、先生にも分からないらしい。先生は、はるか昔にお手玉の片手2個投げを習得していて、今となっては、どう練習したか覚えていなかった。
奥様は、「昔の女の子は、まず両手を使って、左手から右手にお手玉を移しながら、1個ずつ投げる練習をした」と教えてくれた。童謡を歌いながらお手玉をする姿はかわいらしかった。
先生が、なぜこんな講義をしたか解説してくださった。大事なことは2つあって、まず、「現場で何かする前に予想してみること」、そして、「間違わないことを第一に考えないこと」だ。
「ヒトがヒトたる所以は、想像する力にあります。お手玉の練習方法のように、事前に、こうしたらどうなるだろうと考え、やってみて確かめる。その能力がほかの生物に比べて段違いに優れているからヒトなんだと思いませんか。動物の中には、エサをとるために道具を使ったり、狩りの技を覚えていくときに似たような頭の使い方するものがあるかもしれませんが、チンパンジーは縄跳びをしたり、自転車に乗ることは覚えても、月まで飛ぶ方法を考えることは絶対にないでしょ。」
何も考えずに現場に行ったのでは学びは少ない。お手玉の練習では、事前に予想しておいてやってみたからこそ、お手玉のリズムのことをリアルに意識することができた。縄跳びの二重跳びでも、脇を締めることがコツだとアドバイスを受けていたからこそ、できた瞬間に母の言ったことが理解できた。
「なんとなくできるようになったというのでは、知識にならなし、知識になっていないと教えることができないということですよね。」と福留君が言った。片手2個投げができる先生は、お手玉の上達法方法を言葉では説明できない。
「結局はやってみるしかないのでしょうが、生徒に火傷をさせるわけにはいきませんし、じれったいので、教員はついつい口を出してしまいます。それからまた、教員の業務は試験をして成績をつけるという面がありますから、採点をゴールに学習を計画してしまうのです。だからあなた方は、試験で間違わないように、間違わないようにする。申し訳ないことです。」
わたしたちは、間違わないための特訓を続けてきたのかもしれない。
「コロナは、手を触れ合ってはいけない病気ですから始末が悪いです。震災の時は、私たちは瓦礫の中で手を取り合って支え合いましたし、ボランティアさんが大勢やって来て、被災者と一緒に汗をかいて片づけをしてくれました。あのときは絆が目に見えたんですが、このコロナばかりは、どうにも始末が悪い。」と先生がおっしゃった。
「日本の政府だけではありません。世界中の政府や企業が、そして市民も、無策で禍を大きくしてしまったように私は思います。何もしなかったということはありませんが、行動が遅れてしまいました。中には台湾や岩手県のように、コロナの感染防止策を講じて、試してみて成果をあげたところもあります。人は賢いようで結局無策でそこに行き着くことを繰り返します。今は、コロナという壮大な社会実験の最中です。いずれはコロナも収まるでしょう。そうしたら、私たちは、この実験結果から学ばなければなりません。政府を批判してばかりいても仕方ありません。それは悪い思考です。いくらでも残虐に、相手を悪くしてしまいます。コロナの後の世界は、どう変わりますかね。あなた方は、コロナから学んで、新しい学び方や生活様式をいくらでも試してみてください。」
「また説教になってしまって申し訳ない」と言って、先生の講義は終った。
奥様は、わたしたちにお手玉をくださった。特別講義の単位として。さらに奥様は、わたしたちのために手作りのマスクを用意してくださっていた。洗濯して使えるようにと、1人に2個ずつも。早見君の分もあって、それは私が預かり、彼が戻ってきたときに渡すことにした。
わたしは、お手玉を見た時にかわいいと思ったこと、手触りがよく重さがちょうどいいと思ったこと、そして、わたしの手をとり自分の手を添えてお手玉を渡してくれたことが嬉しかったことを伝えて、奥様にお礼を言った。
先生たちは、1995年の阪神・淡路大震災の折に、2週間くらい避難所生活をされたそうだ。そのとき、避難所で配給された菓子パンを、年配の自治会長さんが手を添えて渡してくれたことを奥様が話してくださった。
「お手玉は、手触りが一番大事ですからね。これは、手触りを楽しむ玩具です。ですから、子どもたちにもそれが分かるように、心を込めて縫います。」と言って、奥様はお手玉を握ってみせた。カシャカシャといい感じの重さの音がした。ジュズダマは、お手玉の中身として最高の材料らしい。
ご夫妻と別れた後、わたしたちはその足で教室に向かった。
黒板には、わたしの問いかけへの答えが書かれていた。
私はこの教室でたくさんのことを教え、
そして、同じだけたくさん学んだものです。
レポート
わたしたちは、この数日間の学びを整理し、黒板先生にレポートを提出することにした。将来の中学校教師、福留君がファシリテーターを務め、順番に発言しことを、教室の前後の黒板をいっぱいに使って箇条書きにした。わたしたちの世代は、そうした意見出しの作業に慣れている。新しいアイデアもいくつか生まれた。
①真似して覚え、試して変える。試して変えて、学んで離す。
②パクリはアイデアの継承発展である、と言おう。
③人間の手の感覚は結構すごい。60グラムと65グラムの違いをたぶん判別できる。
(小林先生の奥様は、それは卵のLサイズとMサイズの違いくらいだから、分かる人には分かるとおっしゃった。小林先生も驚いていた。)
④だからあなたも手の感覚を信じよう、そして鍛えよう。
⑤お手玉は手触りが命。
⑥食べ物を手を添えて渡すことだけでも大きな安心を与えることができる。
⑦敬意をもって世界中の人と付き合う。
⑧日本も昔は歯ブラシが買えないくらい貧乏だった。
⑨悪い思考は際限なく残虐になる。
⑩発話には気をつけなさい。
⑪天秤の問題のファイナルアンサー。
L×Mの理屈は知っている。でも、きっとわたしたちは、2つの玉が釣り合うようにと、お皿の上で玉を置く位置を調整するだろう。どちらが重いか比べなければならないのに、天秤を傾かせなければならないのに、実際には全く逆のことをしてしまう。
⑫お手玉の練習は玉を落として終われ。
⑬分かった!という瞬間を探しに行こう。
⑭現場に行く前に想像してみること。
⑮玄関ドアの暗証番号は、多くの人が使うためにある。
⑯無策でそこに行き着くな。
⑰コロナは社会実験であると思え。そして、そこから学ぼう。
⑱コロナの後、世界は変わる。大学も変わる。
⑲試して変えて、わたし流の世界をつくる。
⑳知的好奇心を示す方法は、分からないことを表明すること。
㉑受験生は、知っていることを書く。
㉒間違わないための特訓!
㉓小林先生は黒板先生ではなかった。
(もしかして花子さん? マジ怖いんですけど!)
わたしは、黒板の写真を撮って早見君に送ってあげた。すぐに早見君から返信がきた。
高速バスの窓越しに撮った明石海峡の海の写真に、短いメッセージが添えられていた。
「長さ2000メートルの橋の上で思った。数センチの意味がマジ分からない。」
おわり
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この物語はフィクションです
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著作権者:前田芳男
(ペンネーム 山河時図)
© MAEDA YOSHIO
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