久川颯は「客の需要」に振り回されたアイドルなどではない、という話
はじめに
皆さんはじめまして、Sidewinderと申します。
突然ですが皆さん、4/5(水)に発売されるCD「サマーサイダー」はもう予約されたでしょうか。久川颯と乙倉悠貴の「Sola-iris」が爽やかに歌い上げる青春ロック。もしまだ予約してない!という方がいればおすすめです。損はさせません。マジで。
……宣伝はこのくらいにして、今回の記事はこの曲のお披露目となったイベントコミュ「サマーサイダー」の考察記事、もう少し詳しく言うと、同コミュを考察された、まつもと詩織氏の記事「久川颯の貫徹/ストコミュとサマーサイダー再読のススメ・改」に対する反論記事になります。
ですので、(この記事においても考察の要点まとめという形で最低限の説明は行いますが)余裕があれば私の記事よりも先に氏の記事を見ていただければ、よりスムーズにご理解いただけるかと思います。
「1.「ストコミュ」「サマーサイダー」を好意的に読む2つのポイント」について
まつもと詩織氏(以下詩織氏)の意見の総括としては、
1⃣「ストコミュ」「サマーサイダー」は「需要に応えようとする作中Pに振り回されながらも、自分を貫いた久川颯の物語」である。
2⃣ ①の結論に至るまでには
(1)「作中Pの価値観、セリフ、プロデュース方針は、アイドル業界が相手にする客の需要がベースにある」
(2)「久川颯は超絶お人好しだ」
という2つの前提が存在する、というものです。
ですが結論から申し上げると、少なくとも上の総括の2⃣-(1)は前提から破綻しており、2⃣-(2)は否定もできないが肯定もできない。従って総括の2⃣-(1),(2)が前提となっている1⃣も破綻している、というのが私の意見です。
ここからは、なぜ私がそのような結論に至ったのか、各章ごとに説明していきたいと思います。
「2.発言者の立場の重要性」について(2⃣-(1)に関する部分)
これは要するに作中のプロデューサー(以下作中P)の颯に対する発言は「プロデューサー」という肩書に大きく影響を受けざるをえない、という主張です。
詩織氏の表現を使わせていただくなら、たとえば「学校の先生」という立場を持っている人間は時として生徒に思う所があったり、朝練で疲れてそうなどの理由で優しい言葉をかけてあげたくても、「先生」という立場がある以上は本心に背いて「居眠りした生徒」を厳しく注意しなければならない場合があるといった具合ですね。
また同項では「大抵の読者は作中Pにアイドルのことを任せて、作中Pの言葉を信用します」とも書かれています。もしかするとそんな事はない!と思われる方もいるかもしれませんが、正直この項までに限って言うなら私は詩織氏の意見に同意です。
反論があるのはここからです。
「3. 描写されていた作中Pの価値観のベース」及び「4. デレステ世界のアイドル業界事情/個性とは?/Sola-irisとは?」について(2⃣-(1)に関する部分)
ここも要点を絞って書き出すと、概ね以下のような主張になるでしょう。
①について
正直に言えばこの時点で認識の齟齬があると言わざるを得ませんし、何なら、氏の以降の理論は全てここを基点にされているので、氏の理論は大前提からして既に崩壊していると言えます。
まず、「ストコミュ」において作中Pが「明るくて礼儀正しくて仕事がスムーズな今のままでは埋もれてしまいかねない」という所を気にしているという点から。
これは詩織氏の記事にもある通り、「ストコミュ」の冒頭で語られている話なのですが、コミュの当該箇所を抜き出すと次のような流れになっています。
ご覧いただければわかるように、コミュにおけるカメラマン、そして作中Pは「明るくて礼儀正しくて仕事がスムーズ」であるという点を問題にしているのではありません。アイドルとしての颯を客観視した時に、「明るくて礼儀正しくて仕事がスムーズ」としか評価できないと言う点を気にしているのです。きつい言い方をすれば、没個性的であるとも言えるでしょう。
また、「サマーサイダー」における「颯の能力では業界でやっていけない」「大勢の普通の人にアプローチしてほしい」という部分。
前者の「颯の能力では業界ではやっていけない」というのはコミュ3話において、以下のように語られています。
これはPの独白であるため、作中Pが本心からこのような考え方をしていることに疑念を挟む余地はないでしょう。作中Pが所謂「信頼できない語り手」であるとするのなら話は別ですが。
そして後者の、作中Pの颯に対する「大勢の普通の人にアプローチしてほしい」と言う指針が描写されている、という所について。
例によって、当該箇所のコミュを抜粋します。
先の「2. 発言者の立場の重要性」についての内容を作中Pと颯に当てはめるなら、作中Pは「プロデューサー」である以上、颯の意向や事情に考慮せずに「プロデューサー」という立場として作中P自身が適切であると思う行動を取らなければならない時がある、ということになります。
この考え方から見れば、仮に作中Pが「プロデューサー」という立場として「颯はアイドル業界の需要上、大勢の普通の人にアプローチするようなアイドルでなければならない」という考えを抱いていたのであるとするのなら、上記の颯に対する発言は必ずしも本心ではなく、「客の需要」を第一にする自身の方針に颯を従わせるための方便に過ぎない可能性がある、というのはなるほど、考察の仮説の一つとしてはアリでしょう。
ですが、それを裏付ける根拠があまりにも足りていません。作中Pの独白部分についてはもとより、「ストコミュ」におけるカメラマンとの会話についても相手が上司や取引先のお偉方ならいざ知らず、作中Pが一介のカメラマンに対してわざわざあの場面で自分の本心を曲げてまで同調する理由も無いはずなので、作中Pが颯に個性がなく、また天性の才能や能力もないと考えていたのは本心であると見るべきでしょう。
そしてこれらを前提として見た時、作中Pの颯に対する発言に特段の違和感はありません。
少なくともこの発言中において作中Pは颯の才能に関して「天性のもの」ではないことをしっかり伝えており、また「天性のもの」の「逆」……ありふれたものであり、際立った個性のようなものではないということもちゃんと示唆しています。
これは先に説明した作中Pの本心と概ね一致しています。言い換えれば、作中Pは本心で颯に向き合っている、ということです。少なくともこの時点で、「作中Pは『客の需要』を第一として颯のプロデュースを行っており、作中での発言は颯を客の需要に応えるアイドルに仕立て上げるための方便にすぎない」という主張には無理があると言わざるを得ません。また、同じ理由から作中Pは「大勢の普通の人にアプローチしてほしい」という営業上の方針を颯に対して持っているのではなく、「大勢の普通の人にアプローチできる」ことこそが颯の才能であると、本心で考えていると見るのが自然でしょう。
②について
これに関しては、後者の「『分かりやすい個性がある』ことが好まれる」という部分については十分理解できます。何せ個性が無いよりあったほうが良いのは当然ですからね。
また、現代社会においては誰もがキャッチーな個性を持っているわけではありません。だからこそ傍目からもすぐ見て取れる「分かりやすい個性」を持つ人間は好まれる、というのは十分に説得力のある考え方だと言えるでしょう。ややメタ寄りの話にはなりますが、デレマスというコンテンツ全体を見てみてもその傾向は顕著に現れています。(自宅警備系アイドルの杏や中二病アイドルの蘭子、ネコチャンアイドルのみく…etc.)
ですが、前者の「『自信はないけど頑張る』姿が好まれる(=大した個性もないのに「自信を持って仕事に臨める」人間は見てもらえない)という主張に関しては何一つ有効な根拠が示されていません。記事中において詩織氏は「そう見れば、デレステ内の颯の物語に一本の筋を通せます」としていますが、「作中の進行に矛盾しない」というだけでは仮説としては成り立ちません。もしこれが成り立つのなら、例えば「実は久川一家は秘密裏に外宇宙から飛来したウサミン星人である」というようなトンデモ解釈も成立してしまいます(デレステ内において久川一家の具体的な成り立ちについては語られていないので、矛盾「は」していない)。
また、詩織氏が「作中Pは「客の需要」を第一にプロデュースを行っている」という主張①を根拠としていたと仮定しても、この主張①自体、先にも書いた通りかなり無理があるもの。必然、それを下敷きにした主張②もまた、無理があるとする他にないでしょう。
……というよりそれ以前の問題として、「久川颯は本当の意味で自信を持っていたのか」という話もあります。
③について
はっきり言って前提としている主張①・②が既に破綻している以上、この主張にもはや説得力はありません。ですが、それは一旦置いておきます。
実は、先の作中Pの独白には続きがあります。
もう一度言いますが、これは作中Pの独白であるのであえて疑う理由はありません。そしてここから読み取れるのは、作中Pは颯が持っているのは「空っぽの自信」であると思っていたこと、その「空っぽの自信」が壊れて颯が挫折したとしても立ち直れるように準備をしてきた、ということ、そして「今」、つまり「サマーサイダー」のあの舞台で、作中Pは颯に自分と向き合わせる試練を与えた、ということです。
「支えになる仲間を作り、経験を積ませて(中略)準備をさせてきた」というのはこれまでのイベントコミュ「comic cosmic」「VOY@GER」などでのことを指していると見ていいでしょう。事実、颯は「comic cosmic」で正統派アイドルという自身の特性に触れましたし、「VOY@GER」では自分がその曲を歌う答えも出しました。
ですが、だからといってそれで颯が「本当の自信」をつけたのかと言われれば、そこには疑問が残ります。順を追って説明します。まずは「comic cosmic」の一幕から。
ざっくりまとめると、「周りのアイドルの個性的な様相にあてられ一時は自信を失う颯。だが颯に自信を取り戻させたのもまた、周りのアイドルたちの言葉だった」というこの話。一見デレステのコミュによくある、ただのハッピーエンドのように見えます。
ですが、そもそもなぜ颯はこの場面で自信を失ったのか。それは引用冒頭の「まゆちゃんたち、みんなすごいのに」という言葉に現れています。そう、颯は自身と他のアイドルを比較し、自己を認容しきれなかったからこそ、自信を失った。では、なぜ颯は自己を認容しきれなかったのか?「comic cosmic」では表面上問題は解決したように見えて、その根本的な原因については触れられていません。
ここで、先の独白にある「空っぽの自信」、「何の根拠もないまま膨らんだ、その自信」という言葉が意味を持ってきます。
論理的に考えれば、人間が自信を得るためには明確な「根拠」とまでは言わずとも、何かしらの「拠り所」が必要と言うのは自明でしょう。
そして颯の場合おそらくそれは「はーはなんでもできる」(颯Pであれば、颯が何か自分のことを話す時によくこのフレーズを耳にしたはずです)という、周りと比べればハイスペックな自分が成してきた自己の経験に依存しているものと考えられます。平たく言えば、「他者に評価された経験があるから、過去の成功体験があるから、何をやっても上手くいくだろう」ということ。
ですが当然、客観的に見ればそれは本当の意味で「なんでもできる」ことに対する「根拠」とはなりえません。アイドル・久川颯の例で言えば、学校の勉強やバドミントンが他人より上手にできた所で、それは「久川颯がアイドルとして活躍できる理由」になるとは限らない、ということですね。
にも関わらず、颯は「はーはなんでもできる」という曖昧な経験則を「拠り所」とし、また行動原理とし続けた。そんな颯の抱く自信とは、残念ながら「根拠のない自信」であると言わざるを得ないでしょう。
話を戻しますが、この行動原理は「comic cosmic」においても変わりませんでした。先述の通り、颯は自身と他のアイドルを比較し、自己を認容しきれなかったが故に自信を失いました。そして自己を認容しきれなかった理由とは、自己を認容する上で優位に立てる材料、即ち「根拠」ないし「拠り所」が、どこを探しても見つからなかったからに他なりません。
これまで颯は他者からの評価、あるいは他者との比較によって自己を認容してきました。「はーはなんでもできる」からこそ、颯はアイドルの仕事に自信を持って取り組むことができていました。ですが颯の持っているそれは「根拠のない自信」に過ぎません。また根拠がない以上、もしこれを真っ向から否定する「何か」にぶち当たれば、それはたちまち瓦解してしまう運命にあります。
そして「comic cosmic」のあのワンシーンこそが、颯の「はーはなんでもできる」という「拠り所」から来る自信が瓦解しかけ、颯の低い自己肯定感が露出した瞬間でしょう(もし颯の自己肯定感が十分にあったなら「正統派だけで、いーのかな?」という発言は出ないはず)。この場合の颯の理論を否定する「何か」とはズバリ、「周りの先輩アイドル」。即ち、自身が容易に上回ることのできない個性溢れる面々と自分を比較した結果を以て、颯の「根拠のない自信」に待ったを突きつけたのです。
作中でも述べられているように、颯は一般人としては十分にハイスペックな人間です。が、それ故に。例えそれが「根拠のない自信」だったとしても、その自信が崩れることなどほとんどありえなかったが故に、颯は「自信」が崩れた先にある「自己肯定感」の危うさに気づけなかった。
……結果的に、あの後颯は「アウェーの舞台だから個性派の面々に見せ場を奪われる」という誤った前提を先輩アイドルたちに正され、また先輩アイドルたちの「ポップ」という言葉を借りて自身を「『ポップな』正統派アイドル」と置くことで崩れかかっていた「正統派アイドル」という自己認容の材料を補強しました。颯にとっては自身の危うい自己肯定感に触れ、そして潰れなかったという点において、間違いなく得難き経験だったでしょう。
ですが颯が自身を「ポップで正統派なアイドル」と置くことで、「根拠のある自信」を手に入れたのか?と問われれば、それは微妙です。何故なら、本質的に考えれば「ポップ」という言葉を付け加えたからと言って、「正統派アイドル」としての颯の特性が変わるわけではないし、もっと言えば「正統派アイドル」という言葉自体には何の根拠もありません。言うなれば、先輩アイドルとの交流前後で変わったのは「正統派アイドルという自分の立場が他者に認められたか否か」という事だけ。故にそれは「根拠のない自信」であることには変わりなく、また「自己肯定感の欠如」という根本に触れない場当たり的な対処に過ぎないとも言えるでしょう。
また、「VOY@GER」でのこのセリフ。こちらはもっと分かりやすいです。
作中Pに自分が「VOY@GER」という曲を歌う意味を問われていた颯。そして、周りのアイドルとの交流や宇宙博物館での体験から、颯は「他人に自分のことを好きになってもらうため」という答えを出します。
先に言っておくと、勘違いしていただきたくないのは、私はこの発言をもって「久川颯の自己肯定感が希薄だ」と決めつけたいわけではありません。ただ「他人に自分を好きになってもらいたい」というのは、素直に捉えれば颯の承認欲求が表出したもの。そこから考えればこの答えの本質は「他人に評価される/されたい」という久川颯の行動原理に回帰したものともいえ、これもまた颯が自身の「根拠のない自信」を、他人を使ってより強固にしたいがための答えであるというのは決して否定できないのです。
さて、ここまでで颯の「自信」の話について語ってきましたが、実はこの後の「作中Pが颯の自信を折った」という主張に関しては、詩織氏との間で解釈が一致しています。ただし、理由は全く違いますが。
詩織氏は「『comic cosmic』や『VOY@GER』などで仕事をして成長してきた颯に対して、『ストコミュ』や『サマーサイダー』のようなプロデュースが為されて、颯の自信は折られたのであり、それは外道である」という趣旨の主張をされています。
しかし、「根拠のない自信」はその成り立ちからして、極めて不安定な代物です。それこそ、「comic cosmic」の一幕でのように、周囲の状況の変化一つで容易く崩壊してしまう程度には。
もちろん、作中Pは颯の自信を折らないように配慮して仕事を取ってくる事もできたでしょう。ですが、それは問題の先送りでしかありません。そもそも颯が今後もアイドルとして活動するなら「サマーサイダー」でのように自分より能力の高いアイドルと仕事をすることなどいくらでもあるでしょうし、何よりそうやって先延ばしにしている内に「根拠のない自信」はどんどん膨れ上がっていきます。
だから、作中Pはあえて「サマーサイダー」で颯の自信を折ることにした。未知の舞台、未知のアイドルによって再起不能なまでに自信と自己肯定感を粉砕される前に、自身が用意した舞台、見知った顔の同僚たちに囲まれた、「制御された挫折」を味わわせる。そうして「根拠のない自信」が消えた颯に、自分の意志でもって自己を肯定させ(=自分と向き合わせ)、颯の自己肯定感を確立させる。先の独白から推測すれば、作中Pの方針とはこのようなものであったと言えるでしょう。
……まあ、正直に言えば、作中Pのこのやり方には私も「もう少しマシな方法なかったんか」と思わないでもありません。だって、これ一歩間違えたらバッドエンドですからね。
ですが結果的には颯は吹っ切れ、(颯に関する記事なのでここでは触れませんが)悠貴もまたアイドルとして新たな転換点に立ちました。そして、作中Pはこの展開を作るためにずっと準備してきていたのもまた事実。
そんな事を考えると、どうしても私は作中Pが単なる「外道」だとは思えないのです。
「客の需要」?とんでもない。
番外:「Sola-iris」について
……あと、「Sola-iris」の話についてもここで触れておきましょう。
↑の主張③では大部分を省略しました(主張の本筋との関わりが薄いため)が、詩織氏は、Sola-irisは「無個性を売りにするマーケティング」によって生まれたのであり、また「無個性でプリミティブな友情と努力」で繋がったユニットであるという趣旨の主張をされています。まあ、これについては個人の捉え方の範疇なので別に反論するつもりは無いです(私は違うと思いますが)。
ただし、「そのようにして2人が繋がったのは、2人の隔たりが増えたからだ」という主張に関しては、私は到底肯定することはできません。
以下に記すのが、記事中で詩織氏がこのような主張の根拠とされている部分の抜粋なのですが……。
順に説明します。
確かに作中Pの説明不足感は否めません。たださっきも言いましたが、颯がこれからアイドルとして活動していくにあたって能力的に格上の人間と付き合っていくことは避けられませんし、それ以前に颯は自分が悠貴と比べてフィジカルで劣るということは練習動画を見てしっかり認識できていましたから、作中Pの説明があろうがなかろうが、その後の展開に大きな違いは無いと考えます。
コミュをよく読めば分かる話ですが、悠貴が奈緒のピンチヒッターに向かったのは、悠貴が自身に抱く違和感を解決するためです。それはもちろん自分のためでもあるでしょうが、当然ユニットのメンバー、つまり颯のためでもあるでしょう。それを関係のない仕事と断じるのは不当です。
奈緒が悠貴に言ったのは、要は「颯と同じような成長の仕方をする必要はない」という話であり、ユニットにおける共通目標に関する話など1ミリたりともしていません。的外れなのは貴方の方です。
……この方は颯を擁護するためなら、それに反する意見の持ち主はボロクソに貶して良いとでも考えているのでしょうか?
これは颯の考察記事なので軽く触れるに止めますが、そもそも美嘉が一時自分のことを「偽物」と言っていたのは、「カリスマJKアイドル」という自分のイメージと努力し続ける自分とが乖離しているという、美嘉自身の考えによるものです。
ですが、どうあれ「カリスマJKアイドル」は美嘉が血の滲むような努力を経て確立した自身のイメージ。そこにファンを裏切る意味での偽証はありませんし、そもそも努力し続けることだって立派なカリスマの才能でしょう。美嘉が自称するならまだしも、他の誰にも彼女を「偽物」と謗る権利はありません。もちろんそれは次元の壁の向こうにいる我々であっても例外ではないし、まして誰かを擁護するための材料に使うなど論外です。
異論、反論などあるでしょうが、これだけは詩織氏に言っておきます。
作中Pも周りのアイドルたちも、貴方の担当アイドルを贔屓するための道具ではありません。
私からは以上です。
「5. 颯が向き合ったもの、得たもの」 (2⃣-(1)に関する部分)及び「6. 久川颯の一貫した強み」 (2⃣-(2)に関する部分)について
例によって要点をまとめ、それに対して考察を行います。(先の主張から連番です)……と言っても、核心部分は前項までで大体喋ってしまったので、ここからは今までの繰り返しになる部分もあるかもしれません。
また、「6-4. メイク・ハー・スター」に関しては、同コミュが「サマーサイダー」後の時系列の話であること、文章の短い特訓コミュという都合上多様な解釈が想定される(=明らかに「これが有力だ!」と言える解釈が存在しない)都合上、ここでは扱いません。ご了承ください。
④がPのやり方について、⑤・⑥・⑦が颯の能力についての主張、そして⑧・⑨は総括ですね。
④について
それが「客の需要」によるものかはさておき、「もっとやり方あっただろ」というのは私も同意です。ただ、作中Pのやり方が「颯を人間扱いせず、あえて颯に不安を誘導させるようなパワハラ」にあたるのか、という話については、私個人としては「いや違うわ」という意見になります。
話し始める前に、ここで少し「パワハラ」という言葉の意味について触れておきます。
以下、広辞苑、並びに厚生労働省の「職場におけるハラスメント関係指針」における該当部分についての引用です。
↑の定義より、仮に今回の例で作中Pが颯にパワハラを行っていたとするなら、「①作中Pがプロデューサーという立場を利用して、②颯がアイドルとしてやっていく上で客観的に見て明らかに必要のない干渉を行ったことにより、③颯の労働環境が害された」という事実がなくてはなりません。まあ、要するにパワハラとは本人の感情だけを基点に決まるようなものではない、ということです。
①は言うに及ばず、③に関しても颯の自信の喪失などから該当すると思われるので、争点は②の「作中Pの干渉が客観的に見て、必要な範囲のものであったか」になってきます。
ここで、もう一度作中Pの言動を振り返ってみます。記事の展開から、詩織氏が問題としているのは主に次のような部分でしょう。
順に見ていきます。
(1)それこそ客観的に見ればこの場面は「アイドルとして颯が出した答えに対して、作中Pが納得しなかった」以上のものではなく、また颯の不安をあえて長引かせたという主張にも根拠がありません(さっきも言った様に、「客の需要」論そのものに根拠が無いため)。
「答えが出なくても探し続けることが大事」ということを最初に言うべきだった、という点についてはある程度同意できますが、これだけを理由に作中Pが颯を「人間扱いしていない」とする主張に無理があるのは明らかです。
(2)事実誤認です。颯は「これでバッチリ」と言った(または、そのような趣旨の事を言った)のではなく、「(前略)バッチリって言ってもらえたし!」と言っています。
颯の「ばっちりって言ってもらえた」という他人の評価を前提とする(ないし、しているように見える)解答に対して、作中Pの「颯自身の答えを聞きたい」という返答が出てくるのは自然ですし、またそれが社会通念的上不適切になるようなものだとも思えません。よって、これも当然パワハラには当たらないでしょう。
(3)全てがおかしいです。
劇中における作中Pのサポートが不十分であった事を否定はしません。ただ、記事中にあるような「Pが誠実なら颯にハードルの高さを説明し、具体的なメニューの見直しなり休養の提案なりをするはずである。それができていないのだからPは怠慢である」であるという主張に関しては、「Pが誠実でも怠慢でもない可能性」を無視している、所謂「誤った二分法」です。従って、「颯が自信を失ったのは作中Pのサポートの怠慢さにある」というのは考察として不適当です。
「客の需要」論が成り立たないというのも理由として当然あるのですが、ここに関してはそれ以前の問題です。
ご覧いただければ分かるように、「これまでやってきたことを思い出すんだ」「空っぽになってしまった気になっているかもしれない」というのは颯の自信喪失を責任転嫁したものなどではなく、作中Pが颯の才能を肯定するためにかけた言葉です。というか、後者に関しては「空っぽになってしまった気になっているかもしれない。けれど、そんなことはないんだ」と言っているので意味する所が180度変わってきます。
ここに関してはパワハラがどうとか言う前に、主張が主張として成り立っていません。
いずれの部分を見ても、作中Pの行動がパワハラとは言い難いのは理解していただけたでしょうか。颯が「お人好しすぎる」という所までわざわざ否定する気はありませんが、結局の所主張の根底が破綻している、という点においては主張①~③までと変わりません。
⑤について
先程主張の⑤・⑥・⑦は颯の能力面についてのものと言いましたが、⑤は主に颯のリスペクト力について語られています。私も別にそこを否定するつもりはないのですが……
この主張の前提となっているのは、氏の「これまで颯が自信を失ったときは、『その後(颯自身が)すぐ対処した』か『Pが変なことを言って長引いた』かのどちらかである」という意見です。
ですが、先の主張④に対する考察を見てくださった人なら分かると思いますが、別に作中Pは大して変な事言ってないです。元記事では主張④で述べたような発言をやり玉に挙げて、あたかも作中Pは颯を徹底的に追い詰める極悪人であるかのような書かれ方をしていますが、例によって根拠はありません。(そもそも「客の需要」論自体に根拠が(ry)
何なら「VOY@GER」ではエゴサで自信を失った颯に対して、作中Pは颯が歌唱メンバーに選ばれた理由を伝えてちゃんとフォローしているので、この主張もまた前提から破綻しています。
⑥について
⑥は元記事の追記部分にあった、主に颯のメンタル面についての主張ですね。
そして、ここで氏は颯の事を「ストコミュ以前から自己評価・自己肯定・目標設定・手段選択の全てが十分にできており、その上で他人からの言葉も欲しがる『コミュニケーション大好き人間』である」といった趣旨の評価をされています。つまりメンタル面においてはほぼ完璧、という事ですね。
ですが「comic cosmic」での例を見てもらえれば分かるように、少なくともストコミュの時点では、颯は自己評価や自己肯定の面では課題を抱えていると言わざるを得ませんし、元記事においてこれを否定するような根拠が示されているわけでもありません。……さっきから根拠根拠うるせえよ!と恐らく多くの読者の方が思われていることでしょうが、ガチで示されていないので他に書きようがありません。
ともかく、過去のコミュとの矛盾が生じるという点、そしてこの主張自体を肯定する根拠が無いという点において、これも主張としては不適当でしょう。
⑦について
そして、⑦は颯のフィジカル面についての主張です。
まあ、「サマーサイダー」の5話からEDまでの、決して長いとは言えないだろう期間の間に、少なくとも悠貴と並んでも遜色ないレベルにまでパフォーマンスを高めていることから、颯にこの仕事を任せられる十分なポテンシャルがあったと言うのは事実でしょう。
ただし、「颯が自信を失っていたのは慣れないフィジカルレッスンに苦戦していただけ」という主張については流石に無理があります。
……私は決して「自信を失ったのは颯自身のせいに他ならず、別の理由はない」と強弁したいわけではありません。ですが、「自信を失ったのは颯自身にも要因があったかもしれない」ということを考慮すらせず、そして大した確証もなく「颯が自信を失ったのは周りの環境のせいでしかない」と主張される詩織氏の考察は、はっきり言って無茶苦茶です。
元記事では「トレーナーが真剣に『颯に合わせつつ目標達成を目指すメニュー』を考えてくれたならば、その情熱と手腕に気づいた颯はよりモチベーションを高めることでしょう」との発言もありますが、「トレーナーが真剣にメニューを考えていない」という事を示す根拠は本当に一体全体どこにあるのでしょうか。さっきも似たような事を言いましたが、颯の周囲を下げてまで颯のポジキャンをしようとするのは止めてください。作中Pもトレーナーさんも、貴方の考察のための舞台装置ではありません。
⑧について
で、今までの総括となる部分の趣旨をまとめると、主張⑧のようになるでしょう。
ここまで読んできてくださった方であれば、こんな主張が通らないことは自明であるという事がおわかりかと思いますが、一応最後まで説明します。
主張④などで言ったように、颯は別に非人間的な扱いを受けていたわけではありません。
これもおかしいですね。よしんば作中Pが「外道なプロデュース」を行い、颯がそれを好意的に捉えるという背景があったとしても、この理論は成り立ちません。
というのも、作中Pが行ったと詩織氏が主張する「外道」とは「非人間的な行為を以て他の誰かを『客の需要』に合うアイドルに仕立て上げる行為」です。
そして、「『自分がアイドルとしてやっていけると信じてくれている、だから信じる』と好意的に捉えた」というのは、普通に考えれば「自分が」そのような扱いを受けた事を肯定するものでしょう。
よって、「自分が酷いことをされたのを許容したのだから、当然他人もそうあるべきである」というエキセントリックな考えを颯が持っていない限りは、仮に上記のような背景があったとしても颯の事を「外道」として扱う余地はないのです。
まあもとより、「外道なプロデュース」という概念が出てきている時点でこの話はおかしいのですが。
えーと、正直ここに関しては私が詩織氏の意をちゃんと酌めているかが分からないので該当箇所の原文をここに記します。
「『アイドルのみ』の部分に幅を広げた」アイドルや「人外の雰囲気を纏う」アイドルというのは、おそらく「人間とアイドルのベン図」における「『人間としての部分』の割合が減った」アイドルという意味であり、またそのような解釈は、颯の事を「外道」=「非人道的な行為を容認する非人間」として解釈する余地が生まれたが故に発生した、ということでしょうか。
興味深い解釈ではありますが、「颯の事を外道として扱う余地がある」という前提が誤っている以上、これ以上の考察は無意味でしょう。
ここも私がその前提を既に否定している以上、特に付け加えるようなこともないですね。
⑨について
さて、ここまでで私は詩織氏が「1.「ストコミュ」「サマーサイダー」を好意的に読む2つのポイント」から「6. 久川颯の一貫した強みと弱点」までで説明された主張を計9個に分割してまとめ、内8個に関して否定してきました。そしてこの主張の大半が誤っている以上、本記事、そして詩織氏の元記事の冒頭で記載されている、
1⃣「ストコミュ」「サマーサイダー」は「需要に応えようとする作中Pに振り回されながらも、自分を貫いた久川颯の物語」である。
2⃣ ①の結論に至るまでは、
(1)「作中Pの価値観、セリフ、プロデュース方針は、アイドル業界が相手にする客の需要がベースにある」
(2)「久川颯は超絶お人好しだ」という前提がある
という主張もまた容認できない、というのが私の主張の総括になります。
ただし、私は氏の主張の全てを否定したいというわけでもまたありません。
少なくとも、これに関しては紛れもない真実であると、私はそう信じているからです。
こんな記事を書いている私ですが、別に颯のことが嫌いなわけではありません。むしろ大好きです。今回反論記事をぶち上げたのも考察の内容自体がおかしいと思ったというよりかは、その過程において担当Pや同僚アイドルといった周りの人たちが不当に低く評価されているのがカチンと来た、というのが心情的には大きいですしね。
なので、颯のアイドルとしての将来性も可能性も、私には否定する気など欠片もないのです。
「7. 人それぞれの体験が大事」及び「8. 終わりに」について、そしてまとめ
さて、最後にこの7項と8項の要点をまとめ、締めに入ります。
結局の所、考察とはこういうものだと思います。
人によって様々な解釈が存在するが故に、他人のそれを大事な関係性であると尊重し、そして自分もまた好きなように、自分の好きな存在の事を解釈する。少なくともデレマスというコンテンツがここまで発展したのは、そうやって自分の好きな存在の事を解釈して周りに広めるオタク達がいたからというのも一因としてあるでしょうし、そしてそれは文句なしに尊いことです。
ですがだからこそ、その考察の内容は、無意味に誰かを貶めたり傷つけたりするような類のものであってはなりません。
明らかに突拍子もない仮説を立てるとかならまだいいです。論理展開を間違えるのも、人間であれば仕方がない事もあるでしょう。しかし、それが他のキャラクターを無用に貶めるような考察であるのなら話は別です。何故ならそれは、他人にとっての「自分の好きな存在」を貶める行為だからです。
もちろん論理的に考察した結果、「こいつはロクでもない奴だ」という結論に至ることはあるでしょう、というかその確証があったが故に詩織氏はあのような考察を書いたのだとは思います。ただ、ここまでの論理的誤謬の多さを考えると、私としては氏の今回の考察は「颯は完全無欠なアイドルである」という結論を前提として、作中Pやトレーナーさん、同僚のアイドルといった周囲の人間の性格や行動原理を歪めることで生み出されたものであろう、というのが今回の記事における、私の率直な意見です。
もちろん反論はあるでしょう。大歓迎です。この記事も文章素人の一般オタクが発狂しながら書いたものに過ぎないので、多分探せば粗はたくさんあります。それに、私も他の人の解釈にもっと触れてみたいですからね。
最後になりますが、こんなクソ長い記事にここまで付き合ってくれた皆さん、本当にありがとうございました。
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