涙の数だけ強くなれるよ
下の娘はよく泣いた。兄貴に虐められて、うちのに叱られて、気に入らないことがあって、靴下が上手く履けなくて、お菓子が食べたくて、月が怖くて、雨が降っているので、自転車が倒れてしまうので、悲しくて泣くのだ。時には、私の書斎に来て、私の膝の上に登って、シャツをグショグショにぬらすほどの涙で猛然とアピールしながら、枯れることを知らない泉のような涙でよく泣いていた。
私も泣き虫だった。親父に怒られて泣いた。兄貴に虐められて泣いた。体つきはデカいのによく泣いた。お前は、デカい図体をして泣き虫だと言われ、また泣いた。そんなに泣くと、泣かなければならない時に涙が出なくなるぞ、と脅されてさらに泣いた。そんな私の娘なのだから仕方ないのだが、止まることを知らない娘の涙を見ていると、溢れ出る泉のような涙が少しばかし羨ましく感じることもあった。自分にはない若い生命のいぶきを感じられたからだ。
私の頬を涙が最後につたったのはいつだったろう。母親が逝った時、最後の涙の滴を絞り出してしまったような気もしないでもない。年とともに身も心も枯れて果ててしまったかのように活力の湧かない今、そんなに泣くと…と脅されていたことも、まんざら間違ってはいないのかもしれない。もう、涙一つが出てくる気配を感じない。歳を取るとは、枯れることなのだ。
JKになった娘は、もう私の書斎にやってくることはない。ましてや私の膝に乗って悲しみをアピールすることなどは、期待しても起こりはしない。そもそもJKになった娘は、もう以前ほど泣かなくなってしまったのだ。涙の数だけ強くなったからなのか、泣きすぎて枯渇し始めているからなのか、例に漏れず加齢のプロセスを進んでいるからなのか。この様子だと、私が逝く時ですら一雫の涙を流すことすら叶わないかもしれない。そんな娘を前に、この世の煩わしさから解放される歓喜の涙を一筋、流して私は去っていくのだろうか。そんな現実を受け止められるほどに強くなるためには、まだ涙の数が足りていないようだ。どうしたものか。