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ドル不安と金

2020年9月執筆

金購入に走る中央銀行

ドルの価値に対する不安は今に始まったことではない。IMF固定相場制において米国はドルを金に兌換する義務を負っていた。しかし、米国は財政赤字と貿易収支赤字を垂れ流して世界に過剰なドルを供給した。保有する金準備以上にドル債務が世界にばらまかれたことで各国は保有するドル準備の価値について不安を抱くようになった。1960年代からドル価値に動揺が見られていたが、1971年の初頭からフランス,スイス,ベルギー,オランダがかなり頻繁に米国に対して金兌換請求を行なつたため金・ドル交換停止の措置発表直前には金準備は102億ドルにまで減少した。8月に入って英国が30億ドルの金請求をしたことで米国はついに観念した。

現代でも中央銀行が金を買う姿が再び見られるようになった。ロシアは米国債の保有額をピークであった2010年時の十分の一弱に激減させ代わりに金準備を急拡大させた。金の他にもユーロや人民元の保有も増やしていることからロシア中央銀行はこの動きの理由を資産分散と説明している。ただし、ロシア中銀は2020年3月末に国内市場での金の購入を4月1日から一時停止すると発表した。原油価格の下落がロシアの金の購入スタンスに影響した可能性が高い

中国も金を積み増している。2018年12月に2年2カ月ぶりに金準備を増やして以降、2019年9月まで10カ月連続で増加させた。一方で米国債の保有は2018年夏から減らし続けている。ドル離れを探る動きをみせることで貿易協議において米国をけん制するねらいが透けて見える。中国とロシア以外でも金準備を積み増す新興国が目立ち始めた。顕著な事例はポーランドであり、同国は2019年に入ってから半年で金準備を100トン近くも買い増している。この購入量は2018年の購入量の四倍に相当する。また、トルコは2019年第2・四半期から2020年第2・四半期までの一年で372トンの金を購入し、世界で最も金保有を増やして金準備は2倍余りになった。

金準備の動向

中央銀行が外貨準備として保有する公的金準備に大きな変化が起こっている。2018年に各国の中央銀行が購入した金の量は金・ドル兌換制度が廃止された1971年以降で最高となった。売却額を引いたネットベースで金購入量は651トンであり、これを超える中央銀行の金購入量はポンド危機の最中であった1967年の1404トンまでさかのぼる。

金需要の動向はWorld Gold Council(WGC)が公表するデータから観測できる。WGCは世界の主要な金鉱山会社によって構成される非営利団体であり英国に本拠地を置く。金に関する高い専門性を基に、グローバルな視野から金に関する調査研究等を行う団体である。WGCが公表するデータは金需要を宝飾品需要、投資、テクノロジー分野、中央銀行という4つの項目に分類して捕捉する。投資の項目は金地金・金貨、金を裏付けとするETFへの需要が該当する。テクノロジー分野は自動車、消費財および照明エレクトロニクス分野、その他産業用途、歯科用途が主立った構成要素である。

金準備の保有高はこの期間に一割ほど増加している。金準備が増加基調にある状況はかつてとは大きく異なる。1989年から2009年まで中央銀行は金を売り越していた。1989年から2007年まで平均して年400トンから500トンを売却していたのだが、2009年にネットベースで中央銀行が金の買い越しに転じてから金準備の増加が続いている。

豊島(2008)によると、1980年代から1990年代にかけて金価格は低迷基調で推移し、その要因として新産金量の急増によって供給過剰になっていたことから需給関係が悪化したことにあると指摘している。さらに旧ソ連、欧州中央銀行は金価格が長期にわたり低迷し、かつ、外貨準備に占める金準備の割合が50~60%と高かったため外貨準備ポートフォリオのリバランスを図るべく金準備を大量売却した。

売却による金価格の下落に歯止めをかけるため欧州を中心とした中央銀行はIMF総会で売却規制のルールを策定した。それが1999年9月に発表された「ワシントン協定」であり、年間の金売却量は400トン以下、5年間で最大2000トンを超えないことを取り決めた。金市場の状況は現在と大きく異なっていたのである。現在、新興国にドル準備が積み上がり、中央銀行による金購入がネットベースでプラスに転じるという局面はここ十年ほどの話である。

金準備を増やす国はどこか

全体的な傾向が確認できたところで、次にどこの国が金準備を積み上げているかを確認したい。数量ベースでみた金準備の増加について増加量を尺度として順位付けをして国別の金準備の動向を概観しよう。2010年から2020年第2・四半期までに金準備を増やした国のうち上位20カ国を図に掲載してある。まず図中の全ての国が新興国であることが目を引く。金準備に係るニュースにおいてロシアや中国ばかりが目立っているが、金購入の動きが新興国に広がっていることが分かる。さらに、分析期間における増加率に目を転じると、100%を超える増加率、つまり金準備を倍増させる以上の急速なペースで金購入に動いている新興国は図表中の20カ国のうち16カ国と過半を優に超える。こうした観察から金準備を増加させる動きは新興国を中心として広がっており、しかも、その勢いも強いことが見て取れる。

次に、外貨準備に占める金準備の比率について世界的な状況を押さえておきたい。金準備比率は先進国において高い状況にある。とりわけ西欧においてその比率は高く、2020年第2・四半期の時点でドイツが77・1%、フランスが67・8%、イタリアが72・9%である。米国の数値は79・9%でありIMF固定相場制において金ドル交換の義務があった名残がうかがえる。なお、日本は3・5%と低く米国債が外貨準備の大半を占めることは周知の事実である。西欧を中心として金準備比率は高い一方で新興国の数値は低いというのが金準備についての国際的な情勢である。

金購入に動いた新興国における金準備比率を眺めると、西欧のように金準備が外貨準備の過半を占める国はカザフスタン、タジキスタンだけである。これら二国は金準備比率の変動も大きく、外貨準備ポートフォリオの中身を大きく変化させている。過半には届かないものの旧ソ連圏において金準備比率が高い傾向が認められる。その他の新興国においては金準備比率が低いため、外貨準備ポートフォリオにおけるリスク分散を目的として金準備を購入する余地が大きい。

金準備の増加パターン

 金準備を増加させる国々の中でも国ごとに大きな違いがあることは図から想像できる。金準備を大規模に購入して外貨準備における金準備の比率を西欧並みに急速に上昇させている国、金準備の購入によって金準備の比率を上昇させて外貨準備ポートフォリオの分散化を図る国、金購入を行っているが外貨準備の伸びが大きいために金準備の比率を低下させている国といった具合である。

ここで金準備の増加について各国の動向からいくつかのパターンを析出することによって現状に対する理解を深めたい。そこで、各国における金準備の動向を金準備額の変化率と外貨準備額の変化率という二つの尺度によって観測する。なお、変化率として2011年第4・四半期から2019年第1・四半期までの期間について算出する。分析期間において金価格は15%ほど下落したのだが、その金価格の下落を打ち消すほどの金購入によって金準備比率を上昇させた国が多く存在する。その数は27カ国にのぼり分析に用いたサンプル52カ国の過半を占める。金準備を増加させる動きはここまで広がっている。

二つの尺度に基づいてクラスター分析というグループ分けを行った。具体的にはX-means法という手法を用いた。金準備を増加させる国々は4つのグループに分けられた。クラスター1とクラスター3は金準備を急激に増加させている国々であり、これらの国々については金購入の背景に資産分散を超えた理由が存在すると考えられる。この二つのクラスターにおいては外貨準備の増加以上に金準備が増加しているため金準備比率は上昇したことになる。クラスター1は金準備がかなり極端な増加を示しており、カザフスタン、タジキスタン、キルギス、モンゴルといった中央アジアの国々が入っている。クラスター1に所属する国々は金産出国かつドル圏に入っていない国々によって占められている。

カザフスタンでは自国で産出した金を中央銀行が購入し、保有量は毎年のように増え続けている。タジキスタンは中国企業の進出によって金生産が急増しており、産出した金はすべて国内で売却することから金準備は増加している。キルギスは世界屈指の金鉱山であるクムトール鉱山を有するといった具合で中央アジアは金に恵まれた地域である。また、これらの国々の主要貿易相手国はロシア、中国、カザフスタン、トルコであり米国との貿易関係は小さい。ドル圏ではないため中央銀行が対ドル為替相場を維持するためにドル資産を購入する必要はなく、金準備を積み上げているわけである。なお、クラスター1は次の国々である。カザフスタン、ハンガリー、タジキスタン、モンゴル、キルギス、パラグアイ、ネパール。

クラスター3についてはロシア、中国、トルコといった米国との軋轢が高まる国々が目立つ。ロシアはウクライナ問題やシリアへの関与などで米国からの経済制裁が強化されたことで、ドル資産の凍結と制裁の影響をリスクヘッジする必要がある。このため、ドル資産を売却する一方でロシアにおける金産出量の70%をロシア中央銀行が購入している。中国は米国との貿易交渉が長引いたこともあり、貿易摩擦を巡る先行きの不透明感から金の購入へ動いた。クラスター3に所属する国は11カ国もあり金準備比率を積極的に引き上げる動きがロシアと中国以外にも広がっている。クラスター三はロシア、中国、トルコ、韓国、ブラジル、カタール、ヨルダン、スリランカ、コロンビア、モーリシャス、モザンビークである。

ドル離れか

こうした金準備の増加はドルに対する信認の低下を反映したものだと考えるのは単純に過ぎる。各国が金を買い求めている行動について2つの解釈があり得る。一つ目の解釈は、ドルの通貨価値に対する不安からドルを売却して金を購入しているというものである。良貨が悪貨を駆逐する、逆グレシャムの法則が働き始めたという理解である。この解釈を敷衍すればドルの信認が失墜していると理解することができる。しかし、ドル実効相場は2019年にはプラザ合意前の水準を超えて33年ぶりの高さにあり金準備の増加とつじつまが合わない。

金準備の増加はドルに対する信認が綻び始めた証左と考える向きも少なくないであろう。そうした見立てが妥当であるのか、ここではドル価値の動向についても確認する必要がある。金ドル交換停止以降、ドル価値の安定性について不安が払拭できない状況が続いている。とりわけ、2000年代以降に米国の経常収支赤字が膨張し、過剰なドルが世界に供給されてきた。国際金融の研究分野においては経常収支赤字の維持可能性が検討されるような状況であった。リーマンショック後の世界金融危機によって経常収支赤字の幅は若干の減少を見たものの、2010年代のとりわけ後半は赤字が徐々に拡大する様子を確認できる。

対外債務の増大を支えているのは米国への資本流入であり、経常収支赤字を資本流入を表す金融収支が埋め合わせている。こうした資本流入によってドルの通貨価値は支えられており、近年におけるドルの実質実効相場はドル高基調で推移している。全体的な動向からはドルの信認について綻びは確認できない。もちろん、米国への資本流入が継続する保証はなく、ひとたび変調を来せば世界の金融市場に混乱をもたらす不安定な状況にある。不換通貨であるドルを基軸通貨とする限りこうした懸念が消えることはなく、ドル資産を外貨準備として保有する不安がつきまとう。

冷静な見立て

しかし、米国債の最大の保有国である中国にしても米国債を売却すれば債券価格の下落から大きな被害を受ける。新興国にドル準備が過剰に蓄積されているとは言え、下手に売却に動けば返り討ちに遭うことは目に見えている。価値保全のために米国債の保有を大きく減らして他の資産へ乗り換えることは得策ではない。新興国はドルの罠にはまり込んでいるため米国への資本流入が突如として反転することはありえない。

実際のところ、金を購入した国々の中で大宗を占めるのは29カ国が所属するクラスター2である。このクラスターでは金準備変化率はマイナスの一方で外貨準備変化率はプラスであるため金準備比率は低下する。金準備量を増加させた国であっても金価格の下落を打ち消すほどの購入は行っておらず、ドル準備を増加させていると推察される。クラスター4の国々は外貨準備を急速に積み上げており、ドル資産の購入を進めていると考えられる。これらの国々は中央銀行の外貨準備ポートフォリオにおいてドル資産の割合が高すぎるためにリスク分散を目的に金準備を増加させているのである。とりわけ、新興国では米国に対する経常収支黒字が継続していることから外貨準備高が増加しているため、あくまでもリバランスを目的とした金購入に中央銀行が動いているとも解釈できる。

金準備を増やす動きは報道される以上に多くの国々に広がっている。しかし、国際通貨としてのドルの地位を脅かすような水準にまでは到達していないというのが冷静な見立てであろう。

参考文献

  • 豊島逸夫(2008)「金価格上昇の背景-揺れ動く世界経済」、豊島逸夫『金を通して世界を読む』日本経済新聞出版社、第一章所収

  • 山口昌樹(2020)「公的金準備の増加と国際通貨ドルの変調」、『山形大学大学院社会文化システム紀要』、第17号

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