3月12日 痛み

朝起きる。なにかが足りない気がした。うーん、なんだっけ。そうだ骨だ。唾を飲み込んでみるが痛くない。あんなに嫌だったのに、痛みがないと不安になる。抜けるはずはないのに、ということは奥に入り込み過ぎたのか?口を動かし、大袈裟に唾を飲み込む。弱い痛みがある。お、と思い、顔の角度を変えてもう一度唾を飲み込むと、昨日のような鋭い痛みがして安心した。この安心ってなんだ。

それからも痛みを確かめながら仕事をする。痛みが感じられないことに、奥に入り込んでしまったことを重ね、もっと早く来るべきだったかと思う。けど、そんなには悔やまなかった。
今日は病院に行くので定時に上がりますと何人かに言う。気になって集中できないもんねと言われて、その発想はなかったなと思った。刺さった骨(実物)が気になっていなくても、刺さった骨(メタファー)にいつでも気を取られている。

昼ごはんを食べながら、この嚥下の繰り返しで骨は更に深く潜り込んでいないだろうかと思う。今の自分の拠り所は「鯛の骨以外は急がなくて大丈夫です。急がないは晩に刺さって翌朝に行くイメージです」というネット記事の一文のみだ。晩ごはんで刺さって翌朝病院に行くことと、昼ごはんで刺さって次の日の夕方に病院に行くことの差異はなんだと思う。前者でも朝ごはんは食べるだろうから誤差の範囲だと思う(ことにしたのだと思う)。

今年に入って初めて同期と散歩に行った。めちゃくちゃ久しぶり。なんとなく避けてしまっていたところもある。異動してしまう前に行けてよかった。異動してしまう前に、この散歩で救われていたことを伝えねばと思う。

仕事、ディスプレイを覗き込まれたらコイツなにしてんだ?と思われるようなことをしていたけど、自分は至って真剣だった。自分なりの誠意ってなんだろうと思いながら、ネットサーフィンをするよく分からない仕事だけと、大事なことだとは思っていた。

定時の時間が近づく。定時に帰って病院に行くという目標があれば、ちゃんと定時で仕事を終わらせようと思える。早く家に帰りたいと思える何かがあれば、いつでもそうなれるのだろうか。

会社を出る途中、あ、財布にお金ないと気づく。数百円しかない。病院はキャッシュレスじゃないだろう。気づけてよかった。
病院で受付。「骨が刺さりまして」「何の骨ですか」「アジです」なかなか病院でしない会話。
ちょっと待って呼ばれる。ノリが軽い若い先生だった。無さそうですねー、抜けたんじゃないすかね、刺さってたらもっと痛いです、傷になってるからまだ痛いんじゃないっすかね。多分ここの傷になってるとこです。
鼻からカメラを突っ込まれて、えずいて泣き顔で納得できずに食い下がる。じゃあまた痛かったら来てくださいという譲歩?を引き出す。
会計が3500円だった。それ以上の経験にせねばという気持ちになった。

薬局が混雑していて、噛み締めながら待つ。これは刺さっている痛みじゃないのか。不在の在ってやつか。痛みを作り出していると思っていた原因そのものは実はないのかもしれない。
昨日あんなに取れなかったのに寝てる間に取れるなんて、ひどいイビキなのか?
同じ説明だとしても誰からどう受け取るかで全然違うのだろう。
痛みの解釈がコロコロ変わった。昨日は痛みが不愉快なものに。朝は痛みがないことが不安に。診断の後には、ホントに痛いのかという疑う存在に。
昔って骨が刺さるくらいのワンミスが死に繋がっていたり、そうでなくても一生体に残り続けるということがあったんだよなぁと思った。
薬剤師の人から「骨抜けましたか?」と聞かれて「分かんないです、もにゃもにゃ…」という要領を得ない回答をしたけど、優しさは嬉しかった。

早めに帰っているので焼き鳥屋に行った。菜の花の胡麻和えが嬉しかった。軽くつまんでラーメン屋へ。今年は飲んだ帰りにカップ麺を買わないぞと思っているけど、早い時間ならOKということにしてる。

帰り、ともと電話しながら帰る。境遇は全然違うのに、なんか同じような状況にあるのがいつも面白いなぁと思う。

たぬきゅんのなかよし放送局を聴きながら風呂に入った。もう更新されないのかなぁ。

明日はどういう痛みになっているのだろうと思いながら寝る。

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