2月20日 重い前髪に隠して
モーニング 14時まで
朝起きる。特にしたいことがない。こういう時はまず家を出るに限るということを知っている。ジョナサンのモーニングに行くが吉。いや大吉。
朝9時くらいに入店。読みかけだった本2冊を読み終える。働くことに関する本2冊。
あの人がいなければ、あの問題がなければ。そんなことを思うけど、そんな状態はあり得ない。それを飲み込んだことが進歩なのか退化なのかよく分からんが、進歩にするも退化にするも自分次第という事でしょう。めんどくさいけど、しょーがないな。
気づけば14時になっていた。お腹が空かなかったので、モーニングしか頼んでないおれは流石に居心地が悪い。店員にどう思われてるんだろうな。あの店員さんいつもいるから、なんかあだ名でもつけられてるんじゃないか。常識のない喫茶店を読んでから、何回か行く店ではあだ名を付けられているんだろうなと念頭に置いて過ごしている。迷惑な客にはならないようにと思っているけど、モーニングだけ頼んで9~14時まで居座っている客は、いくら満席になってはないとは言え、迷惑な客だよなと思う。こういう時、チップの文化があれば、この罪悪感から逃れられるのにと思う。fuzkueはそういうことが考えられていてスゴイ。
自分で感じ・考える
このまま家に帰ってもなと思い、電車に揺られる。最近の趣味、"引っ越し先の候補の街を散歩する"へ。今日はメジャー駅で降りて、マイナー駅に向かうコース。気づいたけど、あんまりメジャー駅好きじゃない。アンチチェーン店的な所があるので(直前までジョナサンいた癖に。ジョナサンは特別なんです)、チェーン店の居酒屋やファーストフード店が並ぶところはあまり好きではない。大きめの商店街はどこにあるのも同じように思えて、何でもあるけど何にも無いように思ったりする。駅から外れたところは、そういった画一的な雰囲気ではないけど、グレーな雰囲気が漂っていて、それもなんかなぁと思う。駅前の百貨店にもあまり興味がなくて、心が躍らない。
自分にとって、家賃が高いメジャー駅はあまり価値がないんだなと思った。
辿り着いたマイナー駅の方が、落ち着くしワクワクした。ローカルスーパーの雰囲気も良い。こじんまりとしているけど、活気のある個人店が集まった商店街も、こっちの方が好きだなぁと思った。人との繋がりが~とか言うことを言うつもりではないんだけど、いやそういうのを求めているのかもしれないな。
ふらっと焼き鳥屋に入る。表面は火が通っているけど、中はしっとりしているレバーが特に美味しかった。焼き鳥の塩にコショウ入ってるパターンも良いな。ホッピーとよく合った。もう一軒行きたかったので、串6本、1皿、1杯をさくっと頂いて、出る。良い店だった。良い嗅覚だな自分と思う。
1杯だし、酔っていないと思っていたけど、歩いている時に考えていることが、今までと全然違う方に向いてる。いらんことをLINEしそうになっている。そのLINEは相手のためか?自分のためか?自分に問いかけながら歩く。おれは自分のことしか考えられない。相手のことを考えているつもりで、自分の見え方・受け取られ方を考えている。相手のことを考えているようで自分のことを考えていて、結局自分が素直に感じたことも見失ってしまう。自分が素直に感じたことはそのままにして、相手のことを想像したうえで、どうするか考える。少しはマシになったと思う。
もう一軒、立ち飲みの店に入る。常連さんが結構大きな声で話していて、これは困ったなと思う。コロナ前なら、こんな状況をむしろ楽しめたはずなのに。看板メニューと季節メニュー1品ずつとクラフトビールを1杯飲んで、お会計。ホントは他に食べたいメニューもあったし、飲み物とのバランス的にももう一杯頼みたかったのになぁ。
けど、この街の感じ好きだから、引っ越してくるかもしれないし、引っ越して来なくてもまたこればいい。
帰りの電車に乗る。寝てて乗り過ごした。2杯しか飲んでないのになぁ。2万歩も歩いたからだな。そうに違いない。
蘇る
2018年のマイヘアの武道館ライブが公開されていた。どうしても、大好きだったという言葉になってしまう。若さゆえのアツさを、同世代のバンド/キッズとしてバシバシ共有できる時はどうしたって戻ってこない。すっかり聴くことは減ってしまった。
とか書いたけど、ライブを見て泣いてしまった。昔を思い出してでもあるし、今を重ねてでもある。若さゆえのアツさは減ってしまっただろうけど、無くなってはないし、というか若さだけがアツさでもないし。
大好きだったという過去形にどこまで意味があるのかなぁ。聴いてる瞬間、過去形がカッコ書きになるし、というかなんなら深みも増す。
フレッシュ、若い、瑞々しい、生ものとしての感情が蘇るし、過去からの連続を生きる今の自分として感じることもある。大好きだなぁと思った。