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8月12日 ささみ

distant

ゆとたわでふたりのディスタンスの話をしていた。この回とても好きで録画を残してあったので、見返してみた。こんなに良い影響を与えあえる2人っているだろうか。友ともライバルとも仕事仲間とも違うようなこの関係がとても羨ましい。あのとき、ディスタンスを詰められれば、気軽に連絡しておけばということが思い出される。

電車内にて

電車の中。目の前にマスクをしてない人が来た。少し経ってもう一度見てみるとマスクをつけていた。けど、上下が逆で、鼻にくるはずのワイヤーがアゴに来てる。いやそんなことあるかね。鼻以上に起伏に富んだアゴなの?少しヒゲは生えているが、何の変哲もないアゴだ。
ナナメ前の人は家族と手話で話している。お父さんが少し離れた空いた席に座る。お母さんは立ったままで、誰かに向ける訳でもなく、窓の外に向かって手話をしている。誰かに届けるつもりではないあの言葉は何を意味していたのか。独り言で考えごとするみたいなものなのかなぁ、確かに体を使って考え事した方が良さそうだなぁとか思う。

作業内部

森美術館で開催中の「地球がまわる音を聴く:パンデミック以降のウェルビーイング」を観た。

花粉を使ったインスタレーションを観て、四角い有限の空間に、時間軸や無限にも感じるミクロな奥行きを感じる。この人はパンデミックの真っ只中で、花粉を集める作業に没頭し、そこに喜びを感じていたのか。ともすれば単調と思ってしまいそうな作業にこそ喜びもあると思う。そして、そこに自然との繋がりがあるのも重要だろう。
北極点に立って1日かけて逆回転するタイムラプス動画も好きだったな。なんでそんなことするの?と言えば答えようがないけど、その意味のなさ、思いついてしまったらワクワクして試さずにはいられない、本当にそれを実現させてしまう、愛すべきバカさに思わず笑ってしまった。
作者が地軸そのものに見え、焼き鳥を串から外す時のように、地球と地軸がズレる。そんな壮大なイメージが楽しかった。

はじまりか

せっかく近くにいたのと、映画を観るまで時間があったので、「はじまりか」の撮影場所に行った。このMVを知る前にたまたまこの道を歩いたことがある。通り抜けようとしたら行き止まりだったので記憶に残ってる。
MVを流しながら歩いてみた。本人が見てる景色は逆向きなんだよなと、当たり前のことに気づいた。数年の時が経って景色はちょっとずつ違っている。

対話のオルタナティブ

映画「こどもかいぎ」を観た。

振り上げた拳を下ろすことの難しさを思う。なんだかんだ最後は仲直りというか停戦をする子ども達を見て、翻って大人はどうだろうかと思う。子ども達が目を向い合わせにはしないけど話しているのが印象的だった。大人ももうちょっと自由な対話のフォーマットがあってもいいんじゃないか。
子ども達の自由な発想と言うが、話されている内容自体は周りの大人が話すことそのままかなぁと思う一方で、それらの組み合わせが自由なのかもしれないと思った。それか、ただ単に打率の問題かもしれない。

お昼はイマカツのささみかつを食べた。確かにこれは食べたことない解けるようなササミ。衣もサクサクではなくて、これまた解けるような食感。また食べにくるだろうなと思う。
帰り道で、ケンタッキーのカーネルクリスピー3本が半額で売られているのを見つけて買ってしまった。昼もささみ食べたのに。
日常的に食べたいのはこっちだなと思う。
しかし、ケンタッキーを食べる度、子どもの頃初めて食べた時の感動は超えてこなくて、少し寂しい。

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