8/25〜27 日記と日記じゃないなにか
朝、起きる。駅まで歩く。駅まで半分くらい歩いたところで、駅に向かうバスに乗る同世代くらいの人がいる。え、おれはこの倍歩くんですけど。そんな。
仕事、午前中全てが打合せで埋まってる。その間にも送った方がいいメールはあるし、気持ちに余裕がなかった。
お昼休み、本を貸していた人から返してもらいがてらお喋り。エネルギーというか、ある種の鈍感さからくるその人のズバズバしたところが、自分にも斬りかかってきている感じがあった。
午後もバタバタと仕事。とりまとめる打合せで、2択を間違えた感じがあった。打合せ後にそんなメールが参加者から来た。やっちまったなと思い後悔。間違えてしまいました、と上司に話したけど、言う機会はあったのにその場で言わずに後で言ってきた方が悪いと。確かにそうだ。自分が打合せを仕切る時、俺vsその他みたいに思ってしまう。
自分が知らないことに対して、後ろめたさに飲まれる。でもでも。
知らないこと、上手くいかないことがなぜこんなに自分をぐらつかせるのか。LIGHT HOUSEで、世界と繋がる唯一の手段である表現が上手くいかなかったとき、独りになるという話が出てきた。俺にとって、世界と繋がりがある条件って、ある種の有能感を感じられている状態というか、役に立っていると感じられるかだと思っている。
批判はあなたのアウトプットに対してであって、あなたそのものに対しての批判ではないという言説を聞くことがあるけど、全くナンセンスだと思う。アウトプットがその人そのものであることもあるし、アウトプットによってその人そのものが支られているという状況がある。
仕事について、自分がイヤだと思っていることは何なのかそれの消去法で考えた方がいいのか、信念に近い何かのために働くことを考えた方がいいのか。
働くことと、自分の存在基盤と、上手くやることと、中指を立てることと、そこらへんのずっとずっとモヤっとしていることを何か掴めそうで掴めない。
お盆休みが明け、久々の5日勤務。始まる前は何とかなるんだろうかと思っていたけど、始まってしまえば何とか終わりはする。火曜日にまだ週の半分終わってないんだなと思い、水曜日にお、半分超えたと思い、木曜日に明日で金曜日だと思う、このループにまた戻っていくんだなと思う。
夜、仕事中に一旦牛丼を食べた。なんか味が染みてて好きな味な気がした。夜は外乱が少なくて、グッと入り込まないと系の仕事が手につく。疲れによって気にし過ぎも影を潜めるからだろう。
仕事終わり、久しぶりのワインバーに寄った。話しかけられれば話す、受け身な自分がなんか嫌だった。
8月26日
朝起きてエアコンを消した。扇風機で過ごす。なんかエアコンをつけてはいけないような気がした。
試験勉強をしなきゃと思いながらなかなか手につかず。そんな中で、LIGHT HOUSEを見るためにNetflixに入った。言葉を受け取ってもらえて、伝わったと思うこと。そして、応答があること。その大事さが見えてきた。
自分も最近、月一回くらいでそんな感じに話している友達がいる。そこでも会話に笑いはあって、笑いは仲間であることを端的に実感することだからかと思ったりする、
もう一冊、日記本を作ろうとしていて、それは写真を上手く入れ込みたいと思っている。どのようにすればいいのか全然分からない。ヒントが欲しくて本屋に行くことにした。行きたかった本屋さんの前に行くと、マスク着用をお願いしますと書いてあり、持ってなかったので諦めた。
ZINEが置いてある系の本屋さんに行った。ZINEがどういう定義か分からないけど、俺はZINEっぽい佇まいよりも、本の佇まいの方が好きみたいだ。
別の古本屋さんへ。こだまさんの商業出版じゃない本があって買った。
高円寺の阿波踊りへ。ホントは友達と行く予定だったけど、2人体調不良、1人足を痛めたで、1人で行くとこに。
阿波踊りとても好きなことに気づいた。ビート(って言っていいのかあれだけど、その表現がしっくりくる)がグッとくるし、自由な動きで個性がでる。でも、基礎がしっかりしてるから、自由にできるんだろうなっていう守破離的なものも見える。連(グループ)ごとに特徴があって、どの連が推しみたいなのもあるだろう。太鼓と鉦が圧倒的にうるさい連があって、俺はそれが好きだった。
一緒に来る予定だった友達と、どこが良いとか言い合いたかったなと思いながら見た。
見終わって高円寺から移動。足を痛めた友達と飲んだ。フグのひれ酒の器がかわいかった。
ハシゴしようということになって、5軒くらい行く?と聞かれて、いや3軒だなと答えた。そんなにたくさん飲めない。
駅で電車に乗った。座ったら絶対乗り過ごすだろうと思ったのに座ってしまった。
案の定寝てしまう。起きたら、乗った駅にいた。終点まで行って戻ってきてしまったみたい。降りて、逆向きに乗り直す。次は座らずに過ごし、なんとか帰った。
8月27日
二日酔い。ひどくはないけど気持ち悪さはある。二度寝とかを繰り返していたら、12時前。今日はもうダメな日だ。トイレに起きあがったついでに洗濯機を回す。洗濯機がピーと鳴り、まだ鳴るんじゃねぇよと悪態をつく。胃のムカつきがおさまったタイミングで、とりあえず洗濯機から出すだけ出すことにする。洗濯機から出したら出したで渋々干し始める。やり始めるとなんかできることってある。干し終えたあともカーテンは開けず、暗いままの部屋で過ごす。
やっとご飯を食べられる感じになってきた。辛うじて冷凍庫にあるブロッコリーでパスタを作ることにする。グズグズのブロッコリーパスタにしたかったけど、そうはならなかった。
今日という日はもう諦めた。そういう風に思えることが今の自分にとって大切なんだ。そういい聞かせる。
遮光カーテンの隙間からの光で、こだまさんの本を読む。登場人物みんなが変だ。不幸が山盛りだ。でも、なんだか良いと思えてしまう。希望の色は必ずしも明るいとは限らない。
妹がケンタッキーで炊き込みご飯するとおいしらしいでと言っていたのを思い出し、冷凍していたケンタッキーを取り出す。
まだ成功したことのない、フライパンでご飯を炊くレシピに、ケンタッキーをぶち込む。水深が浅くて、あんまり肉が浸かってないからご飯にあんまり味はつかんやろうなと思いながら炊いた。炊いた後にほぐして混ぜる。多分これはレモン汁かけた方がいいなと思い、かけた。味はまぁ普通だった。
ネットに文章を書く上で気をつけていることがある。悪口を書かないということ。ある対象に対してポジティブなこととネガティブなこと両方が浮かぶ時、そのポジティブな方を膨らませて書く時がある。嘘は書いていない。でも、8:2で感じたことを、2:8に逆転させるような感じがある。認知行動療法的な感じのような。
ただ、自分の中での一致のしなさのようなことがある。そこに何かの本丸がある気がしていて、変えなきゃいけない気がしている。日記を書くにしても、こうして公開して書くんじゃなくて自分だけが見るのを書いた方がいいんじゃないかと思ったり、いやそれも一致しなさが増すだけではと思ったり。