1月30日 130と入力しても予測変換で1月30日とは出てこない
朝ごはん、まとめ焼きしておいたホットケーキを温めて、ヨーグルトとブルーベリージャムをのせる。少し前にもらったジャムだから、ちょっと心配で、早く食べ切ろうと思って、多めにのせる。万が一あたったら、これは逆効果だよなぁと今思った。
昼はちゃんぽんを作った。スライサーでフライパンへ直接にんじんをかしゅかしゅと入れる。この100均のスライサー、完全に元取ったくらいに使っている。決して使いやすくはなくて、にんじんの根本の方をかしゅかしゅさせる時には、うまく力が入らなくて手をスライスしてしまいそうにもなるけど、上手いこと鉛筆の形に削ったり、根本の方は他の料理に使ったりして、まだ手を細切りにしなくて済んでいる。かまぼこを入れたいけど、かまぼこなんか常備していないからなぁ~と思ったものの、削りかまぼこが戸棚に入っていたのを思い出して、ナイス自分と思った。
人から借りていて、あ~読み切って返さないと~と思っていた本を読み切る。興味があって面白い所と、あまり興味が湧かないところが混在していて、興味が湧かないところで止まっていたけど、そこを乗り越えて読み切った。本という過程部分を味わうべきものを読んでいるにも関わらず、結論だけ知りたいなぁという気持ちが湧いてくる時がある。頭がボーっとしていて、論理構成が追えなかったり、すぐ前のことを忘れてしまう最近は本をなかなか読めない。
最近はラジオを聴くことが多いけど、ラジオを聴きながら本を読むことはやはり難しくて、Spotifyで久しぶりに音楽を聴いた気がする。自分の中で、音楽の位置づけがそうなっていることが寂しく、何かに申し訳ない感じもする。
昨日、ふと本を処分しようと思い、本を選別した。もう読まないだろうなという本が90冊近くあった。そのうち、価格が付くと判定された75冊を段ボールに詰める。こんなに処分した割に本棚の見た感じはあんまり変わらない。頭の中に入ってるから、読んだ本は処分してもいいという人もいるだろう(と書いてみたが、それは理想化した架空の人物かもしれない。実際そのように言う人も一言一句覚えているわけではないだろう)。自分は処分する本の内容が明確に思い出せるかと言うとそういう訳ではないから、手放すのはなんだかなぁという気持ちもあったが、手放すことにした。
ヤマトが引き取りに来て、手渡した時、ドナドナ的な感傷はなかったし、逆にスッキリしたな~という感じもなかった。
段ボールを手渡した時、重いですよと言って渡したが、ヤマトのお兄ちゃんはものともせず、それどころか二箱をひょいと持って行った。あー、俺には無理だなと思った。
本の買取はvalue booksに依頼したのだけど、1月は買取金額に応じて、福袋がもらえるらしい。買取金額が多くても少なくても正直どちらでもいいんだけど、ビールが5缶もらえるのか、10缶もらえるのか、15缶もらえるのかはとても重要な違いだ。「買取金額はどうでも良いって言ってるけど、買取金額が多ければ、それでビール買えるだろ」という至極全うなツッコミも聞こえるが、そういう問題ではない。断じて。
昔、ホテルに泊まった時に、おつまみ一品サービス券みたいなのをもらって、すごい得した気分になったけど、そのおつまみ分は宿泊料に含まれているし、お酒代をプラスで払うことになる訳で、冷静な観察者から見れば損をしているように見えると思うけど、自分としてはとても嬉しくビールとおつまみを楽しんだことを思い出した。金銭的なプラスマイナスと感情的なプラスマイナスは必ずしも相関しない。
本の感想をnoteに書いてみようとしたが、上手くまとまりそうになく、noteを開いては閉じてした。たまたま、自分が好きな人も同じ本を読んでいるようで、その人と感想を分かち合えればうれしいから、なんとか感想をまとめようとしていることに気づいた。誰かに伝えようとして、感想を考えようとすると純粋さを失うような気がする。いや、正確には違うな。伝えようとしている人に自分を気に入ってもらいたいという意図が純粋さを失わせるんだろうな。あらゆる階層においてノイズが入るから、感じたままに感じることは難しいし、感じたことをそのまま表現することも難しい。
夜は、何日か前に買ったそら豆を食べることにした。魚焼きグリルに突っ込んで、焦げ目がつくまで放っておくだけでとても美味しい。一昨日作った、煮物と一緒に食べたが、煮物も大豆とレンコンと人参を炊いたやつだったので、「豆!」と言ってしまった。豆&豆でビールを飲んだ後、ご飯か麺を食べることにした。戸棚に入っていたパッタイを作る。ニラももやしもエビもピーナッツもなかったけど、長ネギと豚肉を使い、すりごまをたっぷりかけたやや和風なパッタイはとても美味しかった。
今日も特に何もしなかったなぁ~と思っても、日記を書いてみるとこれだけのことが割とサラサラと出てくる。気づいたら2000字を超えている。こうやって、何を考えていたか残していくのは何かの自信・指針になるかもしれない。