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乾杯に代えて
2年と少し前、海外へ旅立つ君へ宛てたnoteを書いた。
2年前は2人ともの大きな分岐点だった
君が大きな一歩を踏み出す今、僕も結婚という大きな一歩を進み出す。
2年前にnoteを書いた時、君は海外へ旅立ち、僕は結婚した。それぞれの人生において大きな分岐点だった。
叶わない乾杯に代えて
noteの結びはこんな感じだった。
次会うのはいつになるかな。その時には君の好きなジントニックで乾杯しながら、道程とこれからを話したいね。
いや、アイルランドに行く君のことだ。次はウイスキーを片手に話すことになるんじゃないかななんて思っている。
2年くらい経つ頃にはまた会って話ができると思っていたけど、まさか世界がこんなことになって、対面で飲むことは憚られるような状況になり、ましてや気軽に国境を超えることはできなくなってしまった。こんなこと当時は全く想像できなかったな。
君も僕も今もっている答えの答え合わせをするために20代後半を歩き始める。それが正解なのか不正解なのかそもそも正解なんてあるのか分からないけど、直感を実感に変えるために進み始める。
どういう風に過ごしてきて、どんな変化があったのか?酒を飲みながら話したいと思っていたけど、それはまだまだ叶いそうもないから、こうしてまたnoteを書いている。
僕の最近の変化をいくつか書いてみる。他のnoteやLINEでも漏れ出ていたかもしれないし、もしかしたら昔から知ってたよということかもしれないけども笑
規範を手放す、代替を探す
僕は一般的な幸せ像を求めて生きてきたと思う。
学歴、大企業、結婚、それらを通じた安定。そういったものを手に入れてきた訳だが、本当に手に入れたかったものはそれか?ということを感じている。
安定を求める気持ちが強いのは事実だが、それと逆方向の気持ちも常にあった。自分の中に大人の部分と子供の部分が両方あるような感じ。
強力な大人の部分が子供の部分を抑圧してここまで過ごしてきたと思う。そういえば、高校の時一緒にやろうと言っていたバンドを結局やらなかったのも、それだと思う。
しかし、このまま安定に安住し続けたときのことを想像してみる。
何事も成せず、何者にもなれず、手元に残らない。そんな姿が想像される。
そのやるせない状況を肯定することは到底できない。
というか、安住できる保証もなんもない。
そういうことに気づいて、今まで従ってきた規範、あるべき論を一旦棚上げする必要に迫られた。
これまで持っていた規範のどこは良いと思ってて、どこは良くないと思うのか?そして、他にどんな思想があるのか?
そのために、本を読んだりして過ごした。その中で、自分に合いそうな、こうなりたいと思える考え方を手に入れてきた。
ただ手放した結果、空虚な自分だけが残るというのは避けるため、少しずつ進んでいった。そんな変化をしていきた。
分かり合えなさ
そんな感じで今まで持っていた規範やあるべき論と距離を取ってみた結果、他の人との分かり合えなさみたいなのを実感し続けている。
今までは普通だと思っていたことに違和感を抱くようになったからだと思う。
今のところ、その分かり合えなさにうまく対処できていない。
それにはこれまでの自分の考え方が大きく影響している気がする。
分かり合えないことを感じたときに僕はこんな風に思う。自分が適応できないことが悪い。
そして、自分のアティチュードを変えて適応しようとしたり、分かり合えなさを見なかったことにしたりすることで対処してきた。
確かにそれらも選択肢の一つではあるけど、不十分だと強く感じるようになってきた。どうしてけばいいだろうか?
それを考える上でこんな概念がある。少し話は変わるけど、障がい者に関する個人モデルと社会モデルという考え方だ。
個人モデル:障がいを障がい当事者の心身に原因があるとする考え
社会モデル:障がいを当事者を包摂できない社会の方に原因があるとする考え
これに当てはめて自分を考えてみる。
社会の規範は変わらないものとし、上位者や場に従属し、自分を適応させようと過ごしていた僕は個人モデルに依っていたと言える。
しかし、"社会の規範は変わらない"や"上位者に盲従しなくてはいけない"は幻想であると気づいた。
僕には言葉がある。行動も出来る。自分以外を変えていってもいい。
対話すること。行動すること。それで分かり合えなさを少しでも減らしていく。それがこれから数年の課題だと感じてる。
座右の銘を決めた
今まで、座右の銘がなかった。(それは自分で選びとった思想がなかったから決めらなかったんだと思う。)最近やっと暫定的なのを決めた。
大いに自戒の念を込めて、知行合一(ちこうごういつ)にしようと思う。
知(知ること)と行(行うこと)は同じ心の良知(人間に先天的に備わっている善悪是非の判断能力)から発する作用であり、分離不可能であるとする考え。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
自分の中に自分で選んだ思想が少しずつ溜まってきたように思っている。でもそれらが血肉になっている感じはまだまだ乏しくて、絵空事で上滑りしている感じがある。
それを何とかするためにも行動や対話が必要だと思う。
今回noteを書いたのもその一環だ。
問いかけ
僕は君のことを行動の人だと思っている。自分がそうしないといけない状況になって、その姿勢を改めて尊敬している。
そして、日本から遠く離れた地にいて様々な人に触れ、分かり合えなさを感じることも多いのではと思う。
そんなことについて意見が聞けたらなぁと思ったりするし、なにより君はこの2年どういう人生を過ごしていたんだろう?そして、どんな変化があっただろう?
(SNSやLINEで垣間見てはいるから、すごい変化が起きていたのは知っているんだが笑)
一緒に酒を酌み交わす代わりに、noteを書き交わさないかい?