8月28日 踏み込む勇気
無駄づくりの展示へ。
コンビニ袋が舞う装置を10分くらい見てた。その行為か何かの価値を産んでる訳ではないのだけど、なんか楽しくて、それは無駄ではないなと思う。無駄って社会的にとか経済的に価値があるかということだけで、喜びがある行為は無駄ではない。そうであって欲しい。
これに応募した。
応募開始されてから、せこせことリリックを書き、先週やっとまとめた。
歌はとにかく下手なので、変に練習してもなと思い、とにかく今の自分をリリックにして、バイブスだけは持っておこうと思った。
音声だけの動画にしてみると、声もフロウも恥ずかしくなる出来だった。でも自分に出来ることはやったし、今自分が考えていることをボースティングしながらまとめたのはそれはそれでよかったと思う。
もし、本戦に残って、人前でバースを蹴ることがあるなら、せめて自分のラップは最高だと思える状態で臨みたい。
なんか色々立て込んでるからか、体が結構キツイっすっていうアラートを出してる。やっと、やってみたかったことを出来るようになってきた。今倒れる訳にはいかないし、結果を出さなきゃというプレッシャーも感じてる。今まで、頑張らないようにと思って過ごしてきたけど、変わっていかないといけない。曲げ続けた膝は果たして高いジャンプに繋がるだろうか。そして、もし上手く行かなかったらその後の俺はどうなってしまうのか。不安優勢で、それでも少し先に、ご自愛しながら。
バドミントン世界選手権を見に行った。高校の時にダブルスでペアを組んでいた友人に誘ってもらった。
信じられない程の鍛錬によって築かれた安定した技術の上に勇気があるように思った。少し無理してでもここで攻めの球を打つ気概のような。
打つたびに声を上げる選手も、難しいことを涼しい顔でさらりとこなす選手も、オーラをまとってた。戦術的なことはあんまり分からないので、一個一個のプレーに、気迫に驚いていた。
タイの応援では太鼓だけじゃなくて、カウベルのような音がして、裏拍をとるときもあるし、なんだか祭りのようで楽しかった。音によって会場が一体となってより大きな応援の音になる。そんなことを感じた。