4月19~21日 言葉にしなくちゃいけないですか

4月19日

朝、全く思い出せない。

仕事、色んな打合せに出たり。会話からコンテクストを拾おうとする。

昨日後輩と飲みに行って、くしゃみが食べ物にかかってしまって、その後適切な対応が取れなかったことがフラッシュバックして、何度も悔いいる。

定時後、上司と雑談をした。上司が努力してきたこと葛藤してきたことが滲んで見える。自分から見ても、"正しい"努力と歩き方に見える。でもそれはそのように受け取られず、幸せなカタチにはなっていないように思えた。やっぱり、この上司に何かを話す時にはリスクを背負っていることを感じる。恥をかく可能性があること。言葉が受け取られず、その言葉をきっかけとしてその人の中の別の言葉が出てくるだけということ。言葉が否定から始まるということ。

上司のことがちょっと分かって、やっぱ分かんないなとも思った。

久しぶりに近くのワインバーに行った。変わらない時間が流れていた。

4月20日

休日だけど早起き。土日丸2日のとある公開講座を受けるため。
洗濯機内で一晩熟成してしまい、とりあえずは干した洗濯物を取り込む。自分の鼻や良心と相談しながら、一度は洗濯し直さないとなったが、洗濯し直すことにした。

読む必要があったので、「居るのはつらいよ」をカバンに入れた。パソコンをカバンに入れ、もし充電出来なかったらと思い、モバイルバッテリーも持っていった。

何度目かの「居るのはつらいよ」を読む。内容の細かいところは覚えていないんだけど、確かに自分の考えのベースになっていると思う。でも、自分の中で言葉に出来ているかというとそうではない。

公開講座に参加する。講義とグループワークを両方する講座。内容はとても興味深い、面白い。
でも、"でも"の気持ちがあった。周りの人と合わない。みなさん熱意があって良い人だ。でも、どこでも感じるおれはここじゃないという気持ち。色んな人の意見をと頭では分かっているのに、簡単に閉じてしまう自分がいる。周りの人の熱量に、自分が薄っぺらく思える。とても悲しかった。遥かに年下の人達におどけること、オルタナティブがあることしか伝えられなかったのが恥ずかしい。結局声がでけえヤツが進めるんだという捻くれた目線だけあって、じゃあそこで何かをした訳ではない自分が悔しかった。
おれはここじゃないと思って違う先を探したけど、ここじゃないと思った場所でのモヤモヤを結局解消しないといけないのか。いつまで経っても人生が迷子だ。

乗り換えの駅でご飯を食べようとうろつく。でも悲しい。グッとくる店が見つからない。最後の最後で、尾道ラーメン屋さんを見つけてふらっと入り、ラーメンとチャーシュー丼を食べた。強い風味とほのかな風味の両方があった。

帰りの電車、羊文学のキャロルを1曲リピートし続けた。何かが掴めそうでずっと掴めない。

帰宅。Twitterを開くとみりんちゃんのツイートが表示された。でんぱ組がエンディングを迎える。驚きと冷静さと両方があった。いつまでも続いて欲しいという気持ちと、みりんちゃん・りさちーがいないでんぱは想像できないなと思う気持ち。
自分の中の色々なことをガラガラと崩したのはでんぱだった。まやかしだった自分の中の何かに、不器用だけど真っ直ぐな何かと、たくさんの情報が飛び込んできた。

「なんてったってシャングリラ」を聴くと、院生の時にイタリアに向かう飛行機の中で、発表スライドを作りながら、これで大丈夫かなという不安と何かが今から広がっていくんじゃないかという期待に膨らんだ心を思い出す。

「絢爛マイユース」を聴くと、武道館で叫ぼうと思ってる訳ではないのに「ねむきゅん」と叫んでしまっていたあの時、天井から落ちてくるメッセージプレートがスローモーションで自分に向かってきたあの時を思い出す。

「プレシャスサマー」を聴くと、山中湖のステージで、一緒に行った会社の人と叫んだのを思い出す。

「ファンファーレは僕らのために」の落ちサビの"覚悟を決めたら帆をあげて"というみりんちゃんパートを聴くと、就活の最終面接の前、ここでいいのだろうか?という迷いを振り切るために自分を鼓舞したあの時を思い出す。

でんぱに彩られた人生のシーンが俺にはある。

最近、ライブに行きたいと思うことがめっきり減った。今年はもうライブに行くことはないんじゃないかなとすら思っていた。でも、行くしかないと思った。

日記を書きながら、ここまで書くとキモいのでは?と思って下書きにしてたのを戻した。

4月21日

でんぱを聴きながら移動する。"未来ではコトバなんて野蛮かもしれない"という歌詞が聴こえる。おれはでんぱを聴いてなかったら、コンテクストという言葉も知らず、noteのような文章を書くこともなかったかもしれない。今の自分からするとそれはもう俺の人生ではない。

ねむきゅんについて書いた文章で、初めて人から褒められた。いつのまにかTwitterのアカウントがなくなっていたあの人は元気だろうか。話してみたかった。

昨日の講座の続き。おれはどうなりたいのか、いや何に蹴りをつけたいのか、それに蹴りをつける必要はあるのかを考えなくてはいけないと思った。ずーーーっと自己分析をしている。それが本当に恥ずかしいことなのかは分からないけど、それが恥ずかしいと思える環境を自分は生きていると思う。どうすれば自分にyesと言えるか。そのための手段はなにか。ずっと考えたフリをして、言葉にすることからは逃げていると思う。

自分以外のヒト・モノ・コトをフェイクだと思う時、狭量さを思う。他者の合理性のはずなのだけど。心の扉が閉まる音がする時、自分への優越感とその裏側の嫌悪感を思う。

午後からずっとお腹が痛かった。グループワーク中はお腹痛さを忘れ、講座でお腹痛さを思い出すを繰り返した。

帰宅。居るのはつらいよを読み切る。言いたいことに少し肉がつく。でもまだ足りない。おれは新入社員の時に職場に居ることがつらかった。1番の居るべき場所である家庭を安心できる場所に出来なかった。今の一人暮らしの家にも休日居ることができない。居ることに人一倍の興味がある。

三角パックに入ったなんでもいきものかわいい。

この数日のことを言葉に表さないといけないと思ったのでサイゼリヤに入った。
なんだか抜歯をしたのと逆も違和感があって食べづらい。
柔らか青豆の温サラダに乗っていたチーズがとても少なかった。この場合、温玉が必要だなと思った。

昨日今日の講座をまとめて、サイゼリヤを後にしようとおもう。

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