〜6月13日 だらだらだらと
ここ数日のことを順不同で。
夢を見た。後半に進むにつれて伏線回収がされていくタイプの夢だった。
え、おれの脳って伏線回収とかできるの?と意外で、少し誇らしかった。
作業机と本棚とベッドを買った。配送料3300円と時間指定の煩わしさを思って、店頭受け取り&無料軽トラレンタルで乗り切ることにした。保険がイマイチどうなっているか分からず(説明ちゃんと聞かなかった俺が悪い)、スゴいプレッシャーの中のドライブだった。サイドミラーしか使えない怖さはあったけど途中で慣れた。それより、前が出っぱってないから死角が少ない運転しやすさを感じた。とは言え絶対に事故れないと思ったので、Googleマップが案内する最短ルートは完全に無視して大通りだけを走り切った。
2人以上で組み立てて下さいという家具3つを1人で組み上げた。
本とか小物を本棚やベッド下に収納した。積み上げられていた段ボールがなくなり、やっと仮暮らし感が減った訳だけど、必ずしも落ち着きだけじゃない微妙な気持ちになっている。新しい場所という高揚感はなくなり、これが日常になっていく。日常の落ち着きが欲しいという気持ちと、それが叶うだろうかという不安が両方ある。
後、段ボールを捨ててしまえば、新生活じゃない生活が始まる。
序盤で脱落したことを後悔していたカムカムエブリバディの総集編を見た。大泣き。ひなたの道って一体なんだろうか、確かな手触りがあるものなのだろうか。ひなたに憧れながらまだひかげにいる。足元は少しぬかるんでる。
ずっと録画していたけど見れていなかった今の朝ドラは一旦消した。また気が向いたらなんとかすれば良い。
すこし離れた銭湯に行った。番台さんがかわいらしかった。熱い内湯とぬるい露天風呂。ぬるい露天風呂でぼーっとすごす。
帰り道、角打ちができる酒屋があった。
最高だな!と思ったけど、自転車で来てたので飲めない。次はどうやってここにこれば最高に楽しめるか、まだ答えが分からん。
よくお酒を飲み、話した。新しい街でまた行きたいと思う店が何軒かできた。
良いな、美味しいな、楽しいなと思う時、本当にそうかな?と問いかける別の自分がいる。もう一度行きたい、見たい、会いたいと思うなら、少なくとも本当だなと思う。
そして、もう一度と思う時、そこには何かしら"人"が関係してはいる。
ずっと人が怖いと思っている。自分を脅かす存在だとして。けど、その程度で脅かされる自分ってそんなに重要じゃない。
引っ越しにあたって、食器を色々捨てた。心が躍る食器を買いたいと思った。せっかくご飯を食べるならその方が良いに決まっている。おかずを何品が載せるのに良い大きめの平皿を探した。海のような砂浜のような様々な色にキラキラ輝くお皿を買った。食器屋さんを巡って、良い食器って高いなーと思った。けど、それは逆で、気軽に買える食器が安すぎるんだと思った。これはどっちが良い悪いの話でもない。そういう気づかない安さ、便利さに支えられている。実際、家具はおねだん以上のモノを買ったし。
渋谷らくごを見に行った。全身が震えるような玉川太福さんの唸りを聴きに(浴びに)行きたいなと思って。普通の日常をユーモアの目を通し、それに節をつけて唸ると、ただ大笑いするだけじゃなくて心まで震える。
立川談洲さんの水神もぐぐぐっと引き込まれた。確かにあったはずの美しい日々が誰にも伝わらない。そうなった時、それでも現実を生きるのか、あったはずの美しい夢を生きようとするのか。
結婚指輪ともらったカバンとコートとキーケースを売った。指輪はどこか良きところで投げ捨てようかとも思ったけど、そんなドラマチックにするもんでもないなと思った。買取金額はどうでもよかった。むしろこのお金をどう使うのがいいのかよく分からない。モノを手放していけば忘れていくかなぁと思ったけど、不在が意識されるだけのようだ。戻りたいとは思わないし、キズは浅いだろうと思っていたけど、忘れられる日は一向に来ない。
色々上手くいかないなと思い始めてから出てきた頭痛は収まることなく、もう4年くらい続いている。心地よい誰かといる時、集中している時だけは忘れられる。最近は頭痛を忘れるために何かをしている。
"申し訳ない"についてnoteを書こうと思っていた。書かなきゃと思うと頭は硬直し、進まない。多分そういう書き方向いてないんだよな。
あれこれ振り返りながら流れに身を任せて、気づけばなんか新しいことを考えてるみたいな感じがいい。軽く流れで書く感じがいい。
職場でも家庭でも"申し訳ない"と思い、焦り、落ち込むことが多い。けどこの焦り、落ち込みは外に向いているというより内に向いている感情だ。相手に迷惑をかけてしまっているという気持ちよりも、イレギュラーが生じたこと・状況、もっと言えば自分自身がイレギュラーそのもので、あってはならないものだと思って言っている。
けど、職場であれば、自分もイレギュラーに巻き込まれた側であり、イレギュラーそのものではないのに。また、例え自分がイレギュラーそのものであっても、自分が一番混乱して困っているということを忘れている。被害者:加害者の比率を100:0が0:100かで考えてしまうきらいがある。
会社でストレスチェックがあって、高ストレス者に該当していた。まぁそうだよなと思う。産業医面談を希望しますか?の問いに、迷いつつもはいと答えた。前の部署ならそうはできなかったなと思う。今の上司なら言っても大丈夫だと思えた。本当にどう思っているかはまぁ分かんないんだけど。
本当にどう思っているかは、関係ないことなのかもしれない。「この人に言っても受け止めてもらえるだろう」俺がそう思えることが大事。世界のことは分からない。自分が世界をどう認識するか。
面談受けてきます。そう言えただけでだいぶ気が楽になった。自分を守ることが周りを守ることになる。そう信じたい。
今まで戯言だと思っていたことに、少しずつ実感が伴ってきてる。
note書かなきゃと思っていると書けないけど、散らかってていいと思って書き出すと何かは出てくる。なんのために書いてるのかはよく分からんけど、今感じたことを残しておきたいんだろう。